礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年3月6日
 
「主の業を担う器」
ネヘミヤ記連講(5)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記2章12-20節
 
 
[中心聖句]
 
  20   そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。」
(ネヘミヤ記2章20節)


 
聖書テキスト
 
 
12 あるとき、私は夜中に起きた。ほかに数人の者もいっしょにいた。しかし、私の神が、私の心を動かしてエルサレムのためにさせようとされることを、私はだれにも告げなかった。また、私が乗った獣のほかには、一頭の獣も連れて行かなかった。13 私は夜、谷の門を通って竜の泉のほう、糞の門のところに出て行き、エルサレムの城壁を調べると、それはくずされ、その門は火で焼け尽きていた。14 さらに、私は泉の門と王の池のほうへ進んで行ったが、私の乗っている獣の通れる所がなかった。15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
17 それから、私は彼らに言った。「あなた方は、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう。」と言って、この良い仕事に着手した。
19 ところが、ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェムは、これを聞いて、私たちをあざけり、私たちをさげすんで言った。「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」20 そこで、私は彼らにことばを返して言った。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」
 
はじめに
 
 
昨週は、エルサレムの再建の使命を帯びてペルシャから戻ったネヘミヤが、その計画をエルサレム住民に紹介し、彼らが感動してその計画に着手するところまでお話しました。今日は、その計画に反対をした人々の存在とそれに立ち向かったネヘミヤのスピリットを学びます。
 
A.神の感動が伝わる<復習として>
 
1. ネヘミヤの夜間偵察(12-16節)(エルサレム地図参照)
 
 
ペルシャから一ヶ月以上の長旅をしてエルサレムに到着したネヘミヤは、旅の疲れを取る間もなく、その四日後の夜、僅かの供を携え、ロバに乗ってエルサレムの外壁を視察しました。隠密行動を取った理由は三つあります。@しっかりと自分の目で現場を確認し、具体的な再建計画を立てるため、A反対者たちに察知されて、計画以前の段階で妨害をされないため、Bベストな計画を練ってから人々に提示し、一挙にプロジェクトを開始するため、でした。私たちの日常の働きにも適用される大切な行動原則が含まれているように思います。

 
2.効果的なプレゼンと民の積極的応答(17-18節)
 
 
隠密の視察旅行の翌朝、ネヘミヤは民を招集し訴えます。その演説は、三つの部分から成り立っています。@百年近く前から始まったエルサレムの復興は、その城壁と門の破壊によって遅々として進まず、住民は危険に曝されていると言う現状認識、Aこの現状を打開するためには、城壁と門を急いで、しかも全員の協力で一斉に成し遂げようと言う明確な目標設定、Bそのプロジェクトの志をネヘミヤに与えた恵みの御手、そして、それを応援すべくペルシャ王を感動した神の御手に関わる証しの言葉、の三点でした。人々はこれに感動して、「さあ、再建に取りかかろう。」と一斉に立ち上がりました。
 
B.反対者の存在(19節)
 
1.神に逆らう勢力はいつの時代にも存在する
 
 
さて、このようにトントンと始まったプロジェクトですから、トントンと進むと思いきや、そうは行きませんでした。そこから、今日の話を始めます。私たちの仕事、家庭生活、社会生活、教会の働き、どの側面を見ても、反対者の存在という現実にぶつかります。なぜでしょうね。答えは簡単です。神の存在とご支配も大いなる事実ですが、それを必死になって妨げようとするサタンの存在も否めない事実だからです。意識的にそれに加担する人もいますし、無意識的に加担する人もいます。ネヘミヤのプロジェクトに反対した人々の姿から、その事実を見てみましょう。
 
2.サヌバラテ
 
 
19節の「ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェム」とは、城壁工事を邪魔した悪のトリオです。まずサヌバラテをから:

@出身(ユダ周辺地図参照):
ホロン人とありますが、これは、エルサレムの北30kmのベテ・ホロン出身を指すのでしょう。ここは、アッシリヤによって齎された異民族とユダヤ人との混血がなされた地域であり、サヌバラテはヤハウエ信仰と異教との混淆信仰を持っていたと考えられます。

Aサマリヤ州総督:
また、サマリヤで発見された古文書(パピルス)によりますと、この人が、BC408年頃、サマリヤ州総督であったことが明らかになっています。城壁再建のBC444年には、既にこの地位を得ていたと考えられます。サマリヤ州とは、北イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされた後、民族混淆が行われた場所です(U列王17:24-37)。上級市民は捕虜としてアッシリヤに移住させられ、残った下級市民がよそから連れてこられた諸民族と交じり合って別な民族となったのです。この民族混淆政策は、アッシリヤ帝国が、被征服民族の反抗を防ぐために採用したやり方です。いずれにせよ、サマリヤ人の宗教はユダヤ教と異教の混淆でしたので、近親憎悪的な意味でユダヤ人との反目が大きかったのです。それは、新約聖書に出てくるサマリヤ人の物語のすべてに投影されています。

B一貫してネヘミヤに対抗:
さて、このサヌバラテ、このネヘミヤ記に何回も登場します。ちょっと拾って見ましょう。2:10はその始めですが、2:19では、ネヘミヤたちをあざけり、さげすんで「おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。」と言った、と記されています。勿論、彼はネヘミヤがアルタシャスタ王のお墨付きを持っていることを知っていましたが、20年ほど前にその王が城壁工事中止命令を出したことを引き合いにして、士気を挫こうとしたのです。4:1には、城壁工事を馬鹿にしたと記されています。更に、工事を妨げようと実力行使を企てました(4:7-8)。それも無理と分かると、謀計をもってネヘミヤを殺そうとしました(6:1-2)。その企ても失敗すると、悪い噂によって妨害しようとしました(6:6)。城壁工事が完成したずっと後でも、サヌバラテは娘を大祭司のところに嫁がせ、ユダヤ人社会を内側からかく乱しようとしました(13:28)。こうしてみると、ネヘミヤ記とは、ネヘミヤ対サヌバラテの闘争の記録であったと読み取ることが出来ます。それほどしつこく、ネヘミヤの行動をあらゆる機会を通じて妨害し、悩ませたのがサヌバラテでした。
 
3.トビヤとゲシェム
 
 
・トビヤ:
トビヤとは、アモン人(死海の東側の民族=地図参照)で、解放奴隷であったようです(「役人」の別訳で、直訳は「奴隷」)。はっきり言ってサヌバラテの腰巾着、太鼓もちと言う感じです。これも曲者で、6:17-19を見ると、ユダの主だった人々に頻繁に手紙を送って、ユダを後ろから操ろうとしていました。「そのころ、ユダのおもだった人々は、トビヤのところにひんぱんに手紙を送っており、トビヤも彼らに返事をしていた。それは、トビヤがアラフの子シェカヌヤの婿であり、また、トビヤの子ヨハナンもベレクヤの子メシュラムの娘を妻にめとっていたので、彼と誓いを立てていた者がユダの中に大ぜいいたからである。彼らはまた、私の前でトビヤの善行を語り、私の言うことを彼に伝えていた。トビヤは私をおどそうと、たびたび手紙を送って来た。」また、こんな男と内通するユダヤ指導者の見識も疑われますが、これが社会の現実です。

・ゲシェム:
アラビア人の指導者の一人です。
 
4.反対の理由
 
 
彼らの反対の理由は何か、三つ考えられます。

@周辺地域への脅威:
地政学的に言えば、ユダヤ人の勢力がパレスチナに確立することは、彼らの帰還前に自分達が築き上げた秩序への脅威となったからです。彼らは、ユダヤ人の政治的・軍事的・宗教的な砦であるエルサレムの再建が近隣諸国の安定を揺るがすものと考えました。何としても、この勢力を追い出したい、追い出せなければ弱体化したいと思ったのです。

Aネヘミヤとの対抗意識:
サヌバラテはサマリヤ州の総督でしたが、サマリヤ州の範囲はエルサレムを含んでいたようです。そのエルサレムを中心としてユダヤ州が分離し、その初代総督となったのがネヘミヤですから、個人的な意味でもライバル意識を持つのは当然です。

B「協力」を拒否された反動:
それだけではなく、サマリヤ人が持っていたユダヤ人へのコンプレックスが深層の理由です。はっきりいえば、ユダヤ人の信仰共同体の仲間に入りたい、そしてその中で影響力を持ちたいという動機があったのです。エズラ4:2を見ると、BC536年神殿を建て始めた頃、ユダヤ人の敵が協力を申し出た記事が載っていますが、サヌバラテの行動はその流れです。ですから、親戚関係や商売の関係でユダヤ人社会の中に入り込んできました。この協力申し出を拒否されたことで、サヌバラテは反発的な行動に出たのです。今日の教会形成においても、難しいのは、はっきりと神に敵して攻撃してくる人々ばかりではありません。世的な動機を持って教会に入り込み、教会を仕切ろうとする人々です。サヌバラテの存在から、私たちは、霊的な運動の中に気をつけねばならない要素を汲み取ることが出来ます。
 
C.ネヘミヤの返答(20節)
 
こうしたサヌバラテ達の姦計に対して、ネヘミヤが発言した20節の言葉が重要です。「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」この中から、主のみ業に携わるものの取るべき三つの態度が示されているように思います。
 
1. 神ご自身が成功の鍵
 
 
「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」「成功させる」と言うことば(ツァレク=進める、成功させる、繁栄させる)とは、「その人の関わるプロジェクトがその目的にそって進捗する」という意味です。このことばは、詩篇1:3「何をしても栄える」ということばと同じです。また、創世記39:3、23で、ヨセフがどこに行っても「成功させてくださる」ということばとも同じです。大変な逆境にありながら、主はヨセフの仕事を成功のうちに進めてくださいました。その神の力を信じて、ネヘミヤは、人の助けによらず、人の妨害にも妨げられず、その手の業を神が祝してくださる、これがネヘミヤの確信でした。サヌバラテは、王の存在をちらつかせて脅そうとしましたが、ネヘミヤは、王よりも遥かに上にいます「天の神に」注目しました。その神が成功を与えて下れば、地上のどんな権威も、工作も、それを妨げることは出来ません。私たちも、主のみ体である教会の建設に携わっていますが、「私が教会を建てる」と仰ったキリストに対して「黄泉の門」は勝つことが出来ないと信じましょう。
 
2.神の僕は神の業に専念する
 
 
「だから、そのしもべである私たちは、再建に取りかかっているのだ。」主の業を行うのは主の僕であり、他の人々ではありません。主のご命令により、主の助けにより、主のご指示に従ってプロジェクトを進める、と宣言したわけです。
 
3.世的な要素と線を引く
 
 
「しかし、あなたがたにはエルサレムの中に何の分け前も、権利も、記念もないのだ。」先ほど申し上げましたように、神の業においても色々な動機を持った人々が加わってくるものです。そして、あれこれ干渉し、邪魔したり、方向を曲げたり、士気を殺いだりします。この動きに対してネヘミヤははっきりと、この業は神の民として選ばれた者たちが行うプロジェクトだから、それ以外のものはノータッチでいてもらいたい、と宣言したのです。何とまあ、身も蓋もない物言いでしょうか。

「分け前もない」とは、法的な意味で、異邦人はユダヤ社会において何の共有財産を持たない、と言う意味です。「権利もない」とは、エルサレムの再建後の社会において行政的な権利が無いという意味です。共同的な統治を否定しています。「記念もない」とは、宗教的な意味です。その神殿で捧げられる礼拝に、サマリヤ宗教を混ぜ込むことは出来ない、と宣言したのです。

今でもそうですが、主の業の中に主を知らないものを加えますと、これは私がやったのだと名前を残したい名誉欲、工事の下請けとか材料調達に参入して旨い汁を吸いたいと言う物欲、プロジェクトを楽しいものにして人々から喝采を浴びたいと言う世の楽しみが入り込んで、嫌な臭いが発生します。苦しくてもいいから、神の業は神を愛し、仕える者によってのみなされると言うのがいつの時代でも原則です。

イザヤは「去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。」(イザヤ52:11)と言っています。パウロは「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(Uテモテ2:21)と言っています。

ケニアでは、教会堂、病院、学校の建設のために「ハランベー」が行われます。ハランベーとは、皆で綱を引っ張る時の掛け声で、日本語で言えば「エンヤコラ」です。皆が協力してやりましょうと言うのはいいことなのですが、教会堂建設のハランベーのやり方が問題です。有力な政治家を主賓に呼び、主賓の前でこれ見よがしに献金をする、その政治家も献金をする、皆拍手する、という形で大変なお金が集まります。私は、ささやかな抵抗として、サイレント・ハランベーをやりました。「偉い人」を招かず、献金者も金額も発表せず、いつもの集会献金方式を取りました。額は思ったほど集まりませんでしたが、それでいいではないかと考えたのです。主の会堂は、主を愛する人々によって建てられると信じていたからです。
 
終わりに
 
 
・成功させてくださる主を信じよう:
先ほど詩篇1:3を引用しました。「その人は何をしても栄える」という言葉の前提は、1:1の聖き道を歩み、1:2主のみことばを蓄え従うと言うことです。その前提をしっかりと確認しつつ、主のみ助けを信じましょう。

・主に仕えるものが教会を建設する:
私たちは、キリストの体の建設のために召されているものの集まりです。人間的な誰彼の力を期待せず、主のみを期待して進みましょう。誰彼の反対や嘲りに動かされず、「成功させてくださる」神のみを仰ぎましょう。
 
お祈りを致します。