礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年3月20日
 
「あなたの民を憐れんでください」
教団の「祈祷の日」に臨んで
 
竿代 照夫 牧師
 
ヨエル書2章12-19,23-29節
 
 
[中心聖句]
 
  1   主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。」
(ヨエル2章17節)


 
聖書テキスト
 
 
12 「しかし、今、―主の御告げ。― 心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。15 シオンで角笛を吹き鳴らせ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。16 民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。17 主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。「主よ。あなたの民をあわれんでください。あなたのゆずりの地を、諸国の民のそしりとしたり、物笑いの種としたりしないでください。国々の民の間に、『彼らの神はどこにいるのか。』と言わせておいてよいのでしょうか。」
18 主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。19 主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。・・・
23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。24 打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。26 あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。27 あなたがたは、イスラエルの真中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
 
はじめに
 
 
未曾有の地震から10日経ちました。国難とも思える出来事から、多くのことを考えつつ、教えられつつの10日であったと思います。特に、教団にとって、一年で最大の行事である年会を中止せざるを得なかったという事は、大変な痛みでした。年会を中止した代わりに、今日をインマヌエル「祈祷の日」と定め、諸教会が心を合わせて祈る日としました。メッセージの後に特別な祈りの時を持ちます。それらのことを思い巡らしつつ、今日はネヘミヤ連講を離れて、ヨエルの預言からのメッセージを頂きたいと思います。
 
1.ヨエル預言の背景
 
 
・ヨエル:
ヨエルの人と時代は明らかではありません。僅かに1:1に父の名がペトエルと紹介されているだけです。ただ記されている預言の内容から判断して、BC830頃のユダ王国のヨアシの時代ではなかったかと思われます。ヨエルという名前の意味は、「主は神」です。

・蝗の大被害:
ヨエルの時代に蝗の大被害(1:4)が発生し、イスラエルは痛めつけられました。蝗が大発生すると、空が暗くなるほどの蝗で覆われ、緑という緑、木の皮、着物さえも食い尽くされてしまいます。

・外敵侵略の危険:
預言者は、この現在的な大被害の中に、外敵の来攻と侵略によるより恐ろしい将来の危険(1:6、2:4,5)を見ました。そのような災害は、神からの警告として与えられるのだ、と預言者はいいます。

・「自然現象」のメッセージ:
私は、ヨエルの時代のイナゴ被害、外敵の侵入と、昨週の大地震とをイコールで結び付けてはいません。ある自然現象から起きる災害について、神のメッセージはこうであると断定する人々がいますが、私はそのような短絡的なまた審判的な態度はつつしまねばならないと思います。ただ、ヨエルが自然現象の中から神のメッセージを汲み取ったその姿勢は学ばねばなりません。ヨエルは、イナゴの被害と外的の脅威という只中にあって国民的悔い改めを説教し、それによってなされる国民的な回復を予言しました。
 
2.国民的悔い改めを!
 
 
・今であっても:
12節の「しかし、今」という言葉の中に、望みが絶たれていない神の憐れみを見ます。英訳はyet even nowとなっています。個人の人生でも、国家についても、悔い改めについて、遅すぎるということはありません。

・悔い改め:
12節と13節に「立ち返れ」と二度勧められています。これはシューブ(方向を変えて戻ってくる)というヘブル語です。神に背き、神をないがしろにした心と行動を止めて、神を畏れ、神に従う心と生活に立ち返ること、これが悔い改めです。

・嘆きをもって:
悔い改めは、断食と涙と嘆きを伴うものです。嘆き(ナカム=悔いる、ため息をつく)をもってとは、自分の過去や現在の有様について深い申し分けなさを感じ、それを表わすことです。「着物ではなく、心を裂け。」とは、外面的な形式的な「ごめんなさい」というリップサービスではなく、罪の償いをどんな代価を払ってもしますよ、という砕かれた心なのです。衣を裂くことが儀式的な浅薄さを表すケースが多かったものですから、ヨエルは「心を裂け」=砕かれなさい、と勧めるのです。15-17節には、もっと詳しく、一人ひとりが真実に砕かれなさいと説くのです。

・指導者から始まる悔い改め:
1:13を見ると、主に仕える者が先頭に立って悔い改めることが勧められています。「祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。」2:17もそうです。「主に仕える祭司たちは、神殿の玄関の間と祭壇との間で、泣いて言え。『主よ。あなたの民をあわれんでください。』」指導者が先頭に立って謙り、悔い改めるべきなのです。1:14には「長老たち」もそれに加わるべきと勧められています。

・あらゆる人が加わる:
2:16では、みんなが悔い改めに加わりなさいと命じられています。「民を集め、集会を召集せよ。老人たちを集め、幼子、乳飲み子も寄せ集めよ。花婿を寝室から、花嫁を自分の部屋から呼び出せ。」新婚のカップルも例外とはしませんよ、というところにその徹底した悔い改めの必要が伺えます。祭司も、老人も、子供も、若者も、すべての層が集まって祈るべきなのです。
 
3.神の民を憐れんで!
 
 
・神の民の回復:
祭司が命じられている祈りは「主よ。あなたの民をあわれんでください。」という祈りです。「私たちの民」ではなく、「あなたの民」と言われているところが意味深長です。どんなに背いても、イスラエルは神に造られ、神に属し、神に愛されている民なのだ、そこに神の憐れみを訴える根拠があります。日本人である私たちもそのように祈ります。私たちのこの日本は、その多くが神を畏れず、自分勝手な道を歩んでいますから、「あなたの民」とは言い難いかもしれません。しかし、神は日本を愛しておられます。こんな地震を起こして神は愛なのかと恨めしく思う人の気持ちも分かります。でも、私は信じます。神は格別に我が同胞を愛しておられると。神の創造になる民です。愛の対象です。たといどんなに背いても、神は見捨てなさらないのです。

・憐れみはある!:
18節を読みましょう。「主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。」私たちは滅びて当然の罪人です。神の顧みを受けるに相応しいものではありません。でも私たちは神の憐れみに訴えます。神よ、私たちを憐れんでください、と。特に、寒さの中で避難所におられる方々のために、放射能の危険に脅えている方々のために、祈ろうではありませんか。

・日本のために:
日本が直面している重大な危機にあって、キリスト者が立ち上がるように主は期待しておられます。何をすべきでしょうか。先ず祈ることです。この説教の後に祈りの時を持ちます。家を失い、家族を失い、傷ついている人々のために、寒さと飢えと不自由さに耐えている避難所にいる人々のために、それを助けている人々のために、放射能の危険に脅えている人々のために、危険と戦っている関係者のために、全体の指揮に当たっている政府のために、祈りましょう。このことを通して、日本の国民すべてが造り主である神の前に謙り、神に立ち返るよう祈りましょう。また、捧げましょう。教会支援の道が開かれています。物資の応援も段々可能になってきました。開かれた道で捧げましょう。少なくとも物資の不足している中、「買い溜め」などの醜い行動にクリスチャンが走ることのないように慎みましょう。また、主が示してくださる方、ボランティアの道もないわけではありません。我も我もと闇雲に行っても迷惑ですが、クリスチャンの団体で、正式に許可を得て現地で働いている方々もあります。それに加わる道が開かれた場合にはご案内します。ご相談ください。
 
4.祝福の約束
 
 
心からの悔い改めをもって主に近づく時、主は大いなる祝福を約束しておられます。ヨエル2章は、三重の祝福を示します。

・豊かな収穫:
19-27節を見ますと、穀物、葡萄酒、油、牧草、すべての農業の分野で豊作が来ると書かれています。特に25節に目を留めましょう。「25 いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」主の償いと回復を信じましょう。

・霊的な祝福:
28節、「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」物質的な祝福に勝って、霊的な祝福が約束されています。それは聖霊の注ぎです。僅かの分量が振りかけられるような祝福ではなく、スコールのように全身が浸るほどの徹底的な満たしです。聖霊に満たされるとは、聖霊の思いが私達の思いとなるまでに一体化することです。神のみ心が曖昧な形ではなくはっきりと示され、それに従う民が多く起されることです。それはペンテコステにおいて成就し(使徒2:16-21)、教会歴史の中で繰り返されてきました。そして今の日本こそ、その恵を最も必要としています。
 
おわりに
 
 
これから、祷告課題(※)に従って祈ります。出来ればベンチに座っているお隣同士で祈りましょう。祈りの苦手な方も、クリスチャンでない方も、祷告課題はプリントに配られていますからそれを声に出して読み、「これをお願いします、アーメン」といえばそれでよいのです。祈りましょう。
 


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