礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年5月8日
 
「イエスの母マリヤも祈り会に!」
CSデー・スペシャル
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き1章3−5,12−14節
 
 
[中心聖句]
 
  14   この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
(使徒1章14節)


 
聖書テキスト
 
 
3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。 4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。 5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
 
1.イエス様を生んだマリヤさん
 
 
マリヤさんのことは、みんな知っていますね。そうです、イエス様のお母さんです。クリスマスの夜イエス様が「オギャア」って生まれた時のマリヤさんは、とても輝いていました。羊飼いたちはイエス様を拝みに来ましたし、東の博士たちは沢山の宝物を持って拝みに来ました。イエス様のお誕生祝いにエルサレムの神殿に行ったときなどは、信仰の厚いシメオンというおじいさんやそのほかのおばあさんに取り囲まれて、おめでとうをたくさん言われました。
 
2.ふしぎな予言:「剣がマリヤさんの心を刺し貫く(?!)」
 
 
でも、その時ちょっと気になることがありました。シメオンさんは、イエス様が世界の救い主だと言うこと、それからイエス様に反対する人がいて、マリヤさんがそのために心がグサッと刺されるようになる、と言われたのです。「剣があなたの心さえも刺し貫く」(ルカ2:34−35)ことがあるのですって。それって何のことだろうと、マリヤさんはイエス様が大きくなるまでずっと考え続けていました。

 
3.十字架に息子が!
 
 
それから35年が過ぎました。赤ちゃんイエス様は、みんなから愛され、尊敬される先生になっていました。人々を愛し、病気を直したり、淋しい心の人を励ましたり、どこへ言ってもイエス様、イエス様と国中の評判でした。そのイエス様のお母さんですから、マリヤさんも嬉しかったでしょうね。ところがそのイエス様が、何と、悪い人々に捕まってしまって十字架にかけられることになったのです。お祭りのためにエルサレムに居たマリヤさんは、お友達からその知らせを聞いてびっくり仰天、エルサレムの町の真ん中から町の外に連れて行かれるイエス様を探して町に飛び出しました。イエスはどこ、イエスはどこ、と探すまでもなく、沢山の人々が十字架を担いだイエス様を取り囲んでいました。人々の真ん中には自分の息子イエスがいるではありませんか。背中は鞭打ちの跡で傷だらけ、頭には茨の冠、そしてあの元気だった息子イエスはふらふらで、十字架となる材木を担ぐ力もありません。もうマリヤさんの頭は真っ白です。声をかけようにも届かない、水をあげようと思っても近づけない、ただただ「しっかりしなさい、イエス」と心の中で叫ぶだけでした。

 
4.「お母さん思い」のイエス様
 
 
あっと思う間にゴルゴタという丘についたイエス様は、ローマの兵隊たちによって十字架に縛り付けられ、大きな太い釘を手と足にがーんがーんと打ち付けられたのです。マリヤさんはもう気絶寸前でした。小さい時に握ってあげたあの優しい手に釘が打たれ、元気に遊んでいたあの足にも釘が打たれました。マリヤさんにとって、自分の手に釘が打たれたような気持ちでした。その時、イエス様が赤ちゃんの時にシメオンさんがいった言葉が思い出されてきました。「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」ああ、この言葉はこんな意味だったんだとマリヤさんは辛く感じました。十字架についたイエスは、それはそれは苦しそうでした。手や足の痛み、喉の乾きに苦しんでいる息子の姿を見ながら、また、愛の人なのに、そのイエス様を馬鹿にする人々の声聞きながら、マリヤさんはただ涙に暮れていました。そのとき、十字架の上のイエス様から、声が聞こえました。「お母さん」。マリヤさんはハッとしました。何を言おうとしているのか、しっかりと耳に手をやりました。「お母さん、そこにいる私の弟子ヨハネが、これからお母さんの息子ですよ。何でも相談してくださいね。」それから、イエス様はヨハネさんに向かって「ヨハネ、これからマリヤさんをあなたのお母さんと思って大事にしてください。」(ヨハネ19:25−27)悲しくて、苦しくて、どうにもならなかったマリヤさんの心に小さな火が灯りました。
 
5.甦ったイエス様
 
 
6時間の戦いを終えて、私はやり遂げたと言う大声と共にイエス様の息が止まりました。早速十字架から降ろされたイエス様のお体は、周りにいたお友達の助けで布に包まれ、お金持ちの国会議員のヨセフさんが自分のために作った洞穴のようなお墓に運ばれました。それから三日目の朝、お友達で、マグダラのマリヤさんという人が、びっくりするような知らせを持ってきました。あの十字架についたイエス様が生き返ったというのです。そんなことがあるかしら、と不思議でたまりません。だって、マリヤさんはこの目で、イエス様の最後を見、その手で、冷たくなったイエス様の体に触っていたからです。でも、イエス様の弟子達も、復活のイエス様を見ました。それから、イエス様の弟のヤコブがイエス様に会ったのです。このヤコブさんは、家を飛び出して、皆にお話ししたり、皆を助けたりするようになったお兄さんイエスに腹を立てていました。僕らが貧しい生活をしているのに、家のこともほっておいて何と勝手な兄貴だ、と言っていたのです。実は、マリヤさんだって少しヤコブさんと同じ考えをもっていました。一回は、家を飛び出したイエス様を家に戻そうとマリヤさんとヤコブさんとその弟たちと妹たちがみんな揃って、イエス様が伝道している場所を尋ねて来たことがあったくらいです。でも、イエス様を快く思っていなかったヤコブさんが甦ったイエス様に出会って、すっかり変わりました。やっぱり兄貴はただの兄貴ではなかった、本当に神の子、救い主だったんだ、と言い始めたのです。マリヤさんも、はっきり分かりました。イエスはただの息子ではない、神様の特別な子、救い主なんだと分かりました。

 
6.イエス様の最後の言葉:「聖霊に満たされなさい」
 
 
復活の日から40日、色々なところで現れたイエス様は、本当のお別れをしました。それはエルサレムの東側にあるオリーブ山で、お弟子さんたちを集められたときのことです。「目に見える形で皆に現れるのは、これで終わりにして、私は天のお父様のところに帰ります。これから私のことは目で見るのではなくなります。でも、私の代わりに聖霊というお方を遣わします。このお方はあなたがたの心に生きていて、私のことを思い出させます。私の力を与えます。聖霊が心に住むように祈りなさい。それまでは、ふるさとのガリラヤに帰らないで、このエルサレムで祈りなさい。一所懸命祈りなさい。」と言い終わると、見る見る天に上がっていかれました。

 
7.聖霊を求める祈り会:マリヤさんもその中に
 
 
それから直ぐ、お弟子さんたちはエルサレムの町に戻り、皆が泊まる場所にしていたマルコさんの家の二階でお祈り会を始めました。リーダーは勿論ペテロさん、それからお弟子さんたち、女の人たち、それからマリヤさんとその子どものヤコブさんたちです。何をお祈りしたかというと、「聖霊を心に注いでください。」というお願いです。イエス様が見えなくなっても、そのイエス様を心に表してくださる聖霊、心の汚い部分を焼き尽くしてくださる聖霊、伝道に出かける勇気を与えて下さる聖霊で心を満たしてくださいと祈ったのです。

マリヤさんがその祈り会に入ろうとしたら、周りの人が言いました。「僕らは若いから、徹夜でもお祈りできるけれど、マリヤさんはもうお年ですから祈り会に入らなくてもいいですよ。別なお部屋でゆっくりしていてください。」でも、マリヤさんは言いました「私はまだ60前ですよ。年寄り扱いにしないでください。」それでマリヤさんがお祈り会に入りました。そしたら、みんなマリヤさんを見て、こういいました。「マリヤさんはイエス様のお母さんだから、一番前の席にどうぞ」でもマリヤさんはこう言いました。「いえ、私はみんなと一緒でいいんです。構わないでください。」そのうち、また別な人が言いました。「マリヤさん、私たちはみんな罪深いんです。僕は十字架のときに恐くて逃げ出したし、ペテロさんなんか、イエス様なんか知らないって言ったり。そこへいくと、マリヤさんは偉かったですね。最後まで十字架から離れなかったなんて。僕らはそんな罪を赦してもらうために祈っているんです。マリヤさんなんか、何にも罪はないんでしょう。だから、祈り会に入らなくても・・・。」マリヤさんは答えました。「いいえ、私も、ごめんなさいを言わなければならないんです。息子のイエスが、いや、イエス様が、家を離れて伝道し始めた頃、それはやり過ぎだ、って止めたことがあるんですよ。私も息子としてのイエスしか見ていなかった。神の子、救い主として信じていなかったところがあったんです。だからお祈りして、息子、いやイエス様の代わりに聖霊に満たして欲しいのです。」
 
8.ペンテコステの日、聖霊が注がれる
 
 
そんなお話の後、また、みんなで一生懸命お祈りを始めました。ずっとお祈りが続いて10日目、ペンテコステのお祭りの朝、祈り続けていたお弟子さんたち、そしてマリヤさんの上にも聖霊が注がれました。それからみんなで力を合わせて、イエス様のお話を多くの人にして、信じる人々が起きて教会が出来ました。よかったですね。
 
おわりに
 
 
マリヤさんから教えられるのは「へりくだり」です。決して偉ぶらないで、自分をみんなと同じ高さに置いていました。神様の前にも偉ぶらないで、自分の弱いところと正直に言い表して、神様の助けをお願いしました。本当に偉い人は、謙った人です。神様の前に私たちも謙ってお祈りしましょう。