礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年5月22日
 
「聖なる神の霊の宿る人―ダニエル」
五旬節に向かう(1)
 
竿代 照夫 牧師
 
ダニエル書5章1-16節
 
 
[中心聖句]
 
  11   あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。
(ダニエル書5章11節)


 
聖書テキスト
 
 
1 ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。2 ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった。3 そこで、エルサレムの神の宮の本堂から取って来た金の器が運ばれて来たので、王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。4 彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。5 すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、6 王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。7 王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」8 その時、王の知者たちがみなはいって来たが、彼らは、その文字を読むことも、王にその解き明かしを告げることもできなかった。9 それで、ベルシャツァル王はひどくおびえて、顔色が変わり、貴人たちも途方にくれた。
10 王母は、王とその貴人たちのことを聞いて、宴会の広間にはいって来た。王母は言った。「王よ。永遠に生きられますように。おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。11 あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。ネブカデネザル王、あなたの父上、王は、彼を呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長とされました。12 王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。」
13 そこで、ダニエルは王の前に連れて来られた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたは、私の父である王がユダから連れて来たユダからの捕虜のひとり、あのダニエルか。14 あなたのうちには神の霊が宿り、また、あなたのうちに、光と理解力と、すぐれた知恵のあることがわかった、と聞いている。15 先に、知者、呪文師たちを私の前に召して、この文字を読ませ、その解き明かしを私に教えさせようとしたが、彼らはそのことばの解き明かしを示すことができなかった。16 しかし、あなたは解き明かしができ、難問を解くことができると聞いた。今、もしあなたが、その文字を読み、その解き明かしを私に知らせることができたなら、あなたに紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせ、国の第三の権力を持たせよう。」
 
はじめに
 
 
6月12日のペンテコステに向かって進んでいる節期です。改めて、聖霊のお働きに目を留め、そのお働きを祈りたいと思います。今日から3、4回に亘って「聖霊に満たされた」と聖書に記されている人物を取り上げ、その要素を学び、私たちに当てはめたいと思います。
 
1.ダニエルについて
 
 
・バビロン捕囚の第一号(606BC):
バビロンのネブカデネザル王は、何回かに亘ってユダ国を侵略し、捕囚民を連れて行くのですが、その第一回がBC606年です。その時は、根こそぎの強制移住ではなく、上流階級のものに限られていました(1:1−3)。ダニエルは少年としてその中にありました。そのころ12歳位とすると、誕生はBC618年頃ということになりましょう。

・異教社会の中で信仰を貫く:
ダニエルは貴族的な生い立ちであり、しかも優秀であったので、バビロン王宮の官吏として仕えるべく選抜され、訓練を受けます(1:4)。同時にダニエル(神は私の審判者)という信仰的な名前から、ベルテシャザル(ベル神に守られた者)という風に変えられました(1:7)。そこからして、信仰の戦いがありました。提供される食事や飲み物について、律法の定めに適わないものを退け、結果として菜食主義を貫くと言う戦いもありました(1:8)が、一貫して神にのみ仕えると言う姿勢によって異教の王からも信頼を勝ち得て、王のアドバイザーとなり、恐らく90歳近くまでの人生を王宮で過ごすこととなります(1:19−21)。
 
2.バビロン帝国滅亡前夜(BC539年頃)
 
 
・ベルシャツァル王:
バビロン王ベルシャツァルが催した宴会が、5章の舞台です。ベルシャツァルとは、「ベル神が王を守る」という意味です。ベルシャツァル王は、正確にはネブカデネザルの孫ですが、その父ナボニダスと共同統治をしていました。ベルシャツァルとネブカデネザルが親子関係であるかのような表現があります(11,13節)が、当時の習慣として、祖父でも父と言う習慣がありましたから、この表現は取り立てて奇異ではありません。さて、その頃帝国はややに翳りを見せており、メデア・ペルシャの連合軍に攻め込まれていました。父ナボニダスは、バビロン以外の所で戦いの中にあり、その子のベルシャツァルが首都バビロンを守っていたようです。因みに、彼がバビロン帝国第二の地位に居たことが、「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」(7節)という声明に現れています。もし、ベルシャツァルが最高権力者であったとすれば、解き明かしをしたものに、第二の権力を持たせることが出来たことでしょう。

・宴会の前後:
バビロン滅亡前夜の「宴会」とは、何とものんびりした話です。恐らくベルシャツァルたちは防備の固いバビロンの城壁を信じて油断していたと思われます。歴史家のヘロドトスとクセノフォンは、ペルシャのクロス王が周りの濠状の川に対して別ルートを作って一気に川の水を抜き、その川底から城内に入って滅亡させたと語っています。その指揮官はウグバルという将軍であったことも記されています。

・不思議な指と文字:
その宴会の席上、大きな指が現れて、壁に「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」という言葉を書きました(25節)。その不思議な指と文字を巡って宴会が大騒ぎとなり、文字を解釈するものが探されたというのが物語の背景です。
 
3.王母のコメント:素晴らしい証し
 
 
・王母の登場:
この不思議な文字を巡って混乱した状況で召喚されたのが王の母です。「王母」とは、ネブカデネザルの妃ではないかと思われます。彼女は、不思議な文字の解釈を行う人間としてダニエルを推薦します。その言葉が11−12節です。「王よ。永遠に生きられますように。おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。ネブカデネザル王、あなたの父上、王は、彼を呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長とされました。王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。」

・聖なる神の霊が・・・:
その推薦の言葉の中の一節が「聖なる神の霊の宿るひとりの人」という表現です。正確には「聖なる神々」という言葉を使っていますから、当然、王母は多神教信者でした。でも、その神(々)は聖いお方というアイデアは持っていました。バビロンの神々には、聖なるという言葉は当て嵌まりません。欲望に満ちた人間的な神々だったからです。しかしMrs.ネブカデネザルは、ダニエルの清潔な人となりを観察して、この人の信じている神は聖いお方だと言うことを直感的に悟っていたものと思われます。エリシャという預言者がいました。彼が道を通りがかるだけで、聖い雰囲気を感じた女性がご主人と共にエリシャを食事に招き始めました。その後での感想は「あの方は、神の聖なる方に違いありません。」でした(2列王4:9)。願わくは、私たちの日常生活を見る人々が、自然に「あの人は聖なる神に仕えている人だ」と言ってくれることです。

・神の霊が宿る:
単に、ダニエルが神を信じているというだけではなく、その神の霊が宿っていると言う観察は、鋭いものです。神の霊が宿っている結果、彼が智恵に満ち、多くの難問を解き、夢や幻を解明すると王母は語りました。単にダニエルが生まれつき賢いとか、目端が利くと言っているのではありません。神の霊が宿っているとしか説明できないほどの不思議な知恵に満ちた人物だと見抜いたのです。王母はネブカデネザル王がこういっていたことを覚えていたのでしょう。「彼には聖なる神の霊があった。」(4:8)「私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。」(4:9、および18)日々神と物語り、神に聞き、神とともに歩む人が身につけた不思議な知恵、私たちもこれを求めたいと思います。

・「一人」の意義:
バビロンの中に多くの知者がおり、学識経験者が居たかも知れませんが、この「聖い神の霊の宿っている一人の男」がいるかいないかで、国の命運が決まったといっても過言ではありません。エジプトには神の霊が宿る一人の奴隷がいました(創世記41:38)。ヨセフです。彼がエジプトを危機から救いました。モーセには神の霊の宿るヨシュアが後継者でした。ですから、モーセは安心して後事を託せたのです。「ヌンの子ヨシュアは、知恵の霊に満たされていた。モーセが彼の上に、かつて、その手を置いたからである。イスラエル人は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおりに行なった。」(民数記27:18)「神の霊の宿る一人」の存在は、家庭を変え、隣近所を変え、クラスを変え、会社を変えます。この曲がれるよこしまな世にあって、御言を掲げつつ世の光として輝こうではありませんか。
 
4.私たちへの適用
 
 
・異教の社会で輝こう:
ノンクリスチャンの人々がここまで言うためには、私たちが本当に御霊に満たされていることを、言動を通してあかししなければなりません。鍍金のようなキリスト教では、簡単にはがれてしまいます。主の霊に明け渡し、満ちていただくと言う意識的な営みと、その御霊に従って歩むと言う地道な営みがこのようなタイプのクリスチャンを造ります。特に、国難といわれるこの危機に際して、神の霊の宿る人の存在は大きいものです。我ここにありとしゃしゃり出る必要はありませんが、私たちの家庭において、クラスにおいて、会社において、役所において、隣近所の中で、人々の信頼を得る器となるよう、謙って主に求めましょう。1967年、私たち第16期生7名は聖宣神学院を卒業しましたが、その時のメッセージが、この箇所からでした。蔦田二雄院長(初代総理)が私たちの卒業に際して、祝いとともに、期待を籠めて語ってくださったのです。自分がその通りになったかどうかは、自分では分かりません。主のみ知り給うことです。ただ、私たちの目の付け所はそこにあると励ましを頂きつつ44年が経過しました。主のお働きを期待しましょう。

・御霊に満たされよう(エペソ5:18):
エペソ5:18を読んで終わります。「御霊に満たされなさい」という表現は、画然とした満たしの経験(使徒2:4「すると、みなが聖霊に満たされ・・・」)とそれに続く継続的状態の両方を指しています(「彼(バルナバ)はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」使徒11:24、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。」使徒6:3、「信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ・・・」同6:5)。満たされるとは、その状態の始まりと継続が必要です。宿るとは、ちょうどホテルで長期のお客さんを迎えるようなものです。よくお出でくださいました、と迎える時があり、そのお客さんが居心地良く泊まり続ける状態に保つことが必要です。
 
お祈りを致します。