礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年6月26日
 
「復興の戦い」
ネヘミヤ記連講(8)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記4章6-14節
 
 
[中心聖句]
 
  14   私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」
(ネヘミヤ4章14節)


 
聖書テキスト
 
 
6 こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。
7 ところが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たちは、エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、8 彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。 9 しかし私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。
10 そのとき、ユダの人々は言った。「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」 11 一方、私たちの敵は言った。「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真中にはいり込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」 12 そこで、彼らの近くに住んでいたユダヤ人たちがやって来て、四方から十回も私たちに言った。「私たちのところに戻って来てほしい。」 13 そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。 14 私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」
 
はじめに
 
 
1月の終わりから、受難週・復活節そして、ペンテコステ特別講壇が続き、長い間ネヘミヤから離れておりましたので、もうお忘れになった方もあるかと思いますが、今日から再開します。

 
1.これまで(1:1−4:6)の要約(「ネヘミヤ記」メモ参照)
 
 
いきなり入るのも難しいと思いますので、1−3章までの流れを要約して復習します。メモを手に入れておられない方、失くした方には、「ネヘミヤ記について」というメモを配布しますのでご参照ください。

・ネヘミヤの時代と使命:
ネヘミヤは、今から2500年ほど前にペルシャ帝国の高級官僚として生きていたユダヤ人です。故国であるエルサレムは、彼の生きていた時代よりも150年前(BC586年)に徹底的に破壊され、人々は外国に連れて行かれました。しかし、BC538年、故国への復帰と復興が許されました。しかしその過程は順調とは言い難く、周りの反対者達によって復興が妨害され続けていました。そのことに心を痛めたネヘミヤは、ペルシャ王アルタシャスタの格別な支援を得て、エルサレム総督という肩書きとエルサレム城壁の復興という使命を帯びて、エルサレムに戻ります。それがBC444年です。

・城壁再建の着工と反対者達の嘲笑:
ネヘミヤは、単身城壁の破壊振りを視察し、その後、エルサレム住民と周りのユダヤ人を激励して城壁再建の工事に取り掛かります。見事な計画・組織、そして十分な資材をもって工事が始まるのですが、それを喜ばない周辺住民の執拗な反対にぶつかります。その筆頭はサマリヤ総督サヌバラテでした。それに周りの政治指導者たちも連携して反対運動を繰り広げます。最初は心理作戦で、ネヘミヤの動機がペルシャからの独立を狙うものだと言うプロパガンダでした。「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。」彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、「彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」つまり、こんな工事は素人工事で全く堅固ではないという悪宣伝を行いました。しかし、心を籠めて働いているネヘミヤはじめユダヤ人たちに何の効果も表しませんでした。「こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。」このように言葉によるプロパガンダがうまく行かないと悟るや、実力行使に及ぼうとしたのです。それが今日のテキストである7節以下の記事です。
 
2.ユダ包囲網の形成(地図参照)
 
 
・東西南北諸部族による反ユダヤ同盟:
「サヌバラテ、トビヤ、アラブ人、アモン人、アシュドデ人たち」とカタカナが列挙されていますが、地図で見るとこれはユダ包囲網です。サヌバラテはユダの直ぐ北のサマリヤ州総督、トビヤはヨルダン川を越えた東側のアモン人、アラブは東南の部族、アシュドデはユダヤの西の地中海沿岸の部族、つまり東西南北の諸部族が反ユダヤ同盟を結んで、エルサレム復興計画を壊そうとしたのです。この包囲網によって、ユダヤ人と他の世界の連絡を絶ち、ユダヤ人を孤立させ、ユダを滅亡させようとしたのです。何となく今日のイスラエル包囲網と似ています。

・武力行使の企み:
「彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。」(8節)のです。11節はもっとエスカレートして、「彼らの知らないうちに、また見ないうちに、彼らの真中にはいり込んで、彼らを殺し、その工事をやめさせよう。」 としたのです。実際的に言いますと、反ユダヤ包囲網は、正面切って武力行使をすることは出来ない状況した。というのは、ネヘミヤはペルシャのアルタシャスタ王から正式な許可を得て工事をしており、正式にエルサレム総督に任命されていたのですから、彼を正面から攻撃することはペルシャ王に逆らうことになります。けれども、攻撃するぞするぞとブラフを欠けることで工事を邪魔することは可能だったし、彼らはその心理作戦を最大限利用したのです。
 
3.労働者の不安
 
 
・工事の進捗:
エルサレムの住民と言いますと、重い石を積み、そこに漆喰を塗り、更に上へ上へと積み上げて行くという重労働の最中にありました。6節を見ると、「城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた」とありますし、7節を見ると「城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めた」と記されています。つまり、城壁を修復して敵の攻撃に備えると言う目的が達成しつつあったのです。

・労働の重荷(10節):
その背後にある労働の苦労は、やったことのない人には分かりません。私も及ばずながら、ケニアで教会堂建設をこの手で致しました。セメントをこね、それを鏝で敷いたところに隅石を置き、水準器を使って互いの隅石の高さを同じにします。それから隅石同士に糸を張り、その糸に合わせるように一段目の石を積んでいきます。糸で高さを等しくするだけでなく、鉛の錘を使って下の土台と垂直を整えます。石が均等でなく高さを整えにくい時は、小石などを入れて調節します。一段目を終えると、二段目と言う風にこれを繰り返していくのです。結構力も要りますし、神経も使います。エルサレムの人々は、その労苦が実って工事の半ばに至りました。それは近隣部族にとっては脅威でありました。というのは、ここに彼らの強力なライバルであるユダヤ国家が再興されようとしていたからです。今までだったら、出入り自由の瓦礫の町ですから、存在していても何の問題もありませんでした。しかし、立派な城砦が出来上がるとなるとほおって置くわけには行きません。そんな訳で、彼らの反対運動も現実味を帯びてきました。

・武力行使の「可能性」に脅える(12節):
一方、重労働で疲労し切っている人々にとって、敵が武器をもって押し寄せてきたらひとたまりもありません。この人々の不安や脅えが想像いただけるでしょう。この工事にはエルサレム住民だけでなく、周りの住民も弁当もちで日参していましたから、城壁工事なんか放棄して、家に帰ろうという誘惑も大きかったのです。しかも、エルサレムの周辺に住んでいるユダヤ人が、真っ先にこの包囲網の動きをキャッチし、それをエルサレムの人々に伝えたという順序で伝わりましたので、不安が増幅したようです。それが「「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」(10節)という言葉の背景です。
 
4.ネヘミヤの対応
 
 
工事の総監督であったネヘミヤは、この攻撃に直面して、どうすればよかったのでしょうか。中止するわけには行きません。それこそ敵の思う壺です。見張り役を外から雇う余裕はありません。住民全部がこの工事にかかりきりだったからです。ネヘミヤが選んだ道は、「自衛しながら工事を進める」と言うものでした。ネヘミヤの取った行動から、私達が今日でも適用できる共通要素を学びます。

・祈りと見張り、そのバランス:
9節に「私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。」とあります。どんな対策に勝る対策は祈りです。ネヘミヤは、祈りつつ、しかし準備万端おさおさ怠りなく、という形で、実務家としての面目を示しています。「祈り・・・備えて」という二つの行動の釣り合いが大切ですね。祈るから実務はいい加減でよいことはありませんし、祈らずして実務ばかりに走るのもいけません。祈って策を考え、祈りつつ行動するというほうが正しいバランスであると思います。

・自衛団の配備:
13節に記されている対応は、取り敢えずの措置のようでした。つまり、家族毎の自衛団を組織したのです。「民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。」15節以下には、もう少し持続性のある行き届いたシステムが示されています。民を二手に分け、働く組と警備とを同時進行する、ラッパ手を置いて緊急集合の手筈を整えるなど、実に巧みで、実に行き届いたものです。ネヘミヤの実務家としての面目躍如たるものがあります。(この詳細は来週触れます)。ともかく、こうした施策を直ぐ実行すると言うのは、驚くべき組織力・実行力です。ネヘミヤが今日の大地震と津波災害と原発事故の対策委員長であったなら、どんなに素晴らしいことかと考えさせられます。クリスチャン・リーダーは、優柔不断ではいけません。祈って与えられた知恵を敏速に断行する勇気が必要です。

・「主のため、家族のため」とのモチベーションを与える(14節):
14節に、ネヘミヤの演説があります。「彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。『彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。』」つまり、敵を恐れるな、主を信頼せよ、自分の家族のために戦え、と誠に彼らを奮い立たせるモチベーションを与えたのです。 別な機会に彼はこうも言っています。この言葉の大事な点は二つ、主を覚え、戦えと言うことです。「主が助けてくださることを確信して恐れることなく祈りつつ困難に対処しなさい。」「同時に手を使って働き、剣を持って自衛しなさい」という両面の強調です。どちらに偏ってもなりません。戦うモチベーションとして「自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために」戦え、と言っています。主のために戦うことと家族のために戦うことは一致しています。主のために、家族を守り、祝福を祈るのです。城壁の再建は、主の都としての礼拝所の確保を目的としていました。同時に、多くの家族を含む住民の安寧のためでもありました。主のため、家族のため、という二つのスローガンは、矛盾することなく一致していました。そこに人々が熱心に働く動機付けがあったのです。

この演説が効果を表したと思いますが、工事は着工から僅か52日、つまり2ヶ月足らずで終了しました。驚くべきスピードです。木下藤吉郎が、尾張の織田信長軍と美濃の斉藤龍興軍との戦いの開始に先立って、敵陣の奥深くに一夜で墨俣城を建ててしまったのに似た快挙です。
 
終わりに:私たちの生活・奉仕・仕事に使命意識・ 祈り・知恵を活かそう!
 
 
クリスチャンとして私達が証を立てよう、真っ直ぐに生きようとするとき、それに逆らう反対勢力からの攻撃は避けがたいものです。しかし、ネヘミヤのような揺るがない使命意識(determination)、 祈り深さ、祈りから与えられる実際的知恵と、働きへの集中を私たちの生活・奉仕・仕事に当てはめつつ進みたいものです。
 
お祈りを致します。