礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年7月24日
 
「大工事に集中」
ネヘミヤ記連講(12)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記6章1-14節
 
 
[中心聖句]
 
  3   「私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったため、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。
(ネヘミヤ6章3節)


 
聖書テキスト
 
 
6:1 さて、私が城壁を建て直し、破れ口は残されていないということが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に聞こえると、――その時まで、私はまだ、門にとびらを取りつけていなかった。――2 サヌバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。「さあ、オノの平地にある村の一つで会見しよう。」彼らは私に害を加えようとたくらんでいたのである。3 そこで、私は彼らのところに使者たちをやって言った。「私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったため、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。」4 すると、彼らは同じようにして、四度も私のところに人をよこした。それで私も同じように彼らに答えた。
5 サヌバラテは五度目にも同じようにして、若い者を私のところによこした。その手には一通の開封した手紙を持っていた。6 それには次のように書いてあった。「諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。7 また、あなたはエルサレムで、自分について宣言させるために、預言者たちを任命して、『ユダに王がいる。』と言わせている。今にこのようなことが王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。いっしょに相談しよう。」
8 そこで、私は彼のところに人をやって言わせた。「あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ。」と。9 事実、これらのことはみな、「あの者たちが気力を失って工事をやめ、中止するだろう。」と考えて、私たちをおどすためであった。ああ、今、私を力づけてください。
10 私がメヘタブエルの子デラヤの子シェマヤの家に行ったところ、彼は引きこもっており、そして言った。「私たちは、神の宮、本堂の中で会い、本堂の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るからだ。きっと夜分にあなたを殺しにやって来る。」11 そこで、私は言った。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが本堂にはいって生きながらえようか。私ははいって行かない。」
12 私にはわかっている。今、彼を遣わしたのは、神ではない。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサヌバラテが彼を買収したからである。13 彼が買収されたのは、私が恐れ、言われるとおりにして、私が罪を犯すようにするためであり、彼らの悪口の種とし、私をそしるためであった。
14 わが神よ。トビヤやサヌバラテのあのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを忘れないでください。
 
はじめに
 
 
前回は、エルサレムの城壁再建という歴史的大事業に取組んでいたネヘミヤから「良いリーダーの秘訣」を学びました。彼は、内側の分裂、外側からの攻撃という様々な課題を突きつけられ、主の恵みと知恵と勇気によってそれを乗り越えることが出来ました。

さて工事の完成間近となって、最後の、そして最も困難な試練がやってきました。相変わらずそれは敵の攻撃なのですが、武器をもってではなく、それよりももっと狡猾な形でやってきました。1−14節には、その攻撃が三つの波でやってきたことが記されています。
 
A.暗殺の企み(1−4節)
 
1.工事は最終段階に(1節)
 
 
「さて、私が城壁を建て直し、破れ口は残されていないということが、サヌバラテ、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他の私たちの敵に聞こえると、――その時まで、私はまだ、門にとびらを取りつけていなかった。」
 
全長3kmに及ぶエルサレム城壁再建工事は、いよいよ最終段階を迎えました。半分以上破壊されていた壁は元通りの高さに修復され、破れていた口がみな塞がりました。後は城門の工事が完成していないだけです。想定外のスピード工事で慌てたのは、エルサレムの再建を喜ばないサヌバラテとその仲間です。
 
2.ネヘミヤ暗殺計画(2節)
 
 
「サヌバラテとゲシェムは私のところに使いをよこして言った。『さあ、オノの平地にある村の一つで会見しよう。』彼らは私に害を加えようとたくらんでいたのである。」
 
反対勢力は、硬軟両様のあらゆる手を尽くして妨害工作をしましたが、全て失敗し、残るは、工事の責任者である総督ネヘミヤを暗殺するしかないと思いました。この男さえ除けば、エルサレム社会は混乱に陥り、工事は中断するだろうと考えたのです。そのためサヌバラテは一計を案じ、ネヘミヤに招待状を送ります。「ネヘミヤ閣下。毎日のお仕事ご苦労様です。連日の勤労でさぞお疲れのことでしょう。そこで、エルサレムから、少し離れた海岸近くの静かな村オノにある海の幸山の幸で有名な料亭でお休みいただきたいのです。私たちも色々お邪魔をしておりましたが、先ず一献傾け、腹を割ってお話すれば、きっと協力できる分野が見つかることでしょう。この地域の平和のためにも、是非、ご来駕をお待ちいたします。」(竿代訳の敷衍バイブル)と、大変丁寧な、一見コロリと参ってしまうような美しい招待状であったと思います。もちろん、衣の下には刃がありました。オノ(直線にしてエルサレムから45km)はユダ州の外でしたから、のこのこ出かけて行ったら、酔いの回った頃合を見て、手垂れのものが一太刀でバッサリ、というシナリオであることは見え見えでした。
 
3.ネヘミヤの毅然たる返答(3−4節)
 
 
「そこで、私は彼らのところに使者たちをやって言った。『私は大工事をしているから、下って行けない。私が工事をそのままにして、あなたがたのところへ下って行ったため、工事が止まるようなことがあってよいものだろうか。』すると、彼らは同じようにして、四度も私のところに人をよこした。それで私も同じように彼らに答えた。」
 
ネヘミヤの答えが振るっています。私のバージョンで行きます。「オノとはOh No!です。考えてみてください。私は猫の手も借りたい位とっても忙しいのです。私がやっているのは『大工事』なのです。もっと言うと、天地を造られた誠の神のための偉大な工事です。しかも、今完成間近で手が抜けません。そんな私が工事をほって置いて、あなたがたのところへ飲み食いだの談合だのに下って行けますか。良くお考えください。」全く外交辞令も何もない、冷たい返事です。しかし、そこに神の業に専念していたネヘミヤのスピリットが伺えます。

私たちの生活や主のためのご奉仕の中で、一番大きな誘惑は、それから逸らそうとする色々な誘いです。集中が何より大切なのに、それを妨げる色々な要素が働くことです。私たちはこれら全てに対して、はっきりと、「私たちは大工事、つまりイエス様の工事に集中しているのです」と宣言したいものです。
 
B.公けの誹謗(5−9節)
 
1.開封した手紙(5節)
 
 
「サヌバラテは五度目にも同じようにして、若い者を私のところによこした。その手には一通の開封した手紙を持っていた。」
 
サヌバラテは、招待(の後に暗殺)作戦が成功しないのを見るや、別な作戦を立てます。今度はおおっぴらな誹謗中傷です。5節の「開封した手紙」とは封をしないことで、誰でも読める、内容はおおっぴらであることを示します。通常、正式な手紙は蝋で封印され、絹のバッグに入れられるのが慣わしでした。この場合は、態と誰にでも知られるようにと、公開挑戦状の形を取りました。
 
2.中傷の内容(6−7節a)
 
 
「それには次のように書いてあった。『諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。また、あなたはエルサレムで、自分について宣言させるために、預言者たちを任命して、「ユダに王がいる。」と言わせている。』」
 
サヌバラテの誹謗は、「ネヘミヤが王となろうとしている」という一点です。つまり、ペルシャ帝国に対する反逆罪を訴えたのです。その根拠は、「諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが・・・」と、正に噂話だけです。ああ、この時代如何に多くの人々が、マスコミの餌食となって、あること無いことを書き立てられ、その尊厳を失っていることでしょうか。サヌバラテは今のマスコミかもしれません。

エルサレム城壁再建の目的は、神を礼拝する民が共同体として安定的に生存し、その中で落ち着いて礼拝を守ることだけでしたが、敵はネヘミヤの反逆心という痛くない腹を探ったのです。私も、ナクルで教会堂を建設している時、ある人から、「アイザック(私のこと)は、ナクルで彼の王国を作ろうとしている」と言われてびっくりしたことを覚えています。本当に世の人は他人を中傷誹謗することにかけては天才であると半ば驚き、半ばがっかりしたものです。

私たちを取り巻く世という物は、こんな風に信仰者の行動を鵜の目鷹の目で見ているものなのですね。
 
3.サヌバラテの示唆(7節b)
 
 
「今にこのようなことが王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。いっしょに相談しよう。」
 
ここまで公に非難中傷を行った後で、サヌバラテ曰く、「ネヘミヤさん、まあ、みんなはこう言っていますがね。私はあなたと言う人を知っています。あなたには、こんな野心はないでしょう。でもこんな噂がペルシャ王の耳に届いたら、あなたの立場はなくなりますよ。だから、その誤解を解くためには、それなりの手段を早く講じなければなりません。一度じっくりと私と話し合いませんか。」マア、何と狡猾な物言いでありましょうか。
 
4.ネヘミヤの対応(8−9節)
 
 
「そこで、私は彼のところに人をやって言わせた。『あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ。』と。事実、これらのことはみな、『あの者たちが気力を失って工事をやめ、中止するだろう。』と考えて、私たちをおどすためであった。ああ、今、私を力づけてください。」
 
このネヘミヤの対応が、私は好きです。直接会わないことが第一。それから論点にも深く立ち入らないことが第二。隙を与えないネヘミヤです。こんな時に脛に傷を持つ人は、うかうかと談合に乗って失敗します。

ネヘミヤはその付記として、彼らの意図を見抜いてそれを鋭く批判します。そして最後に祈ります。「ああ、今、私を力づけてください。」ああ、私たちも、何度このような祈りをしなければならないことでしょうか。
 
C.「冒涜」への誘い(10−14節)
 
1.買収された祭司の勧め(10節)
 
 
「私がメヘタブエルの子デラヤの子シェマヤの家に行ったところ、彼は引きこもっており、そして言った。『私たちは、神の宮、本堂の中で会い、本堂の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るからだ。きっと夜分にあなたを殺しにやって来る。』」
 
万策尽きたサヌバラテとトビヤは、最後の切札を出します。直接ではなく、エルサレムの神殿にいる祭司(そして預言者)を買収して、ネヘミヤに、ある行動を勧めるのです。それは、敵が密かにやってくるから、神殿の内部に入って身を守るように、ということです。一見親切ごかしで引っかかり易い手です。ネヘミヤが思慮深い人でなければ、それも一案かなと受け入れてしまったことでしょう。自分を守ることは大切ですし、そのためには、神殿は最も良い隠れ場所です。しかし、神殿に、祭司でもないネヘミヤがのこのこ入ることは、余程の緊急事態でない限り、冒とく罪に当たります。さらにネヘミヤは多分宦官でしたから、神殿礼拝からは閉め出されていたと思われます。ですから、この勧めに従ってネヘミヤが神殿に身を隠したとすれば、人々の信用を失い、指導者の座から降りなければならなくなったことでしょう。
 
2.ネヘミヤの毅然たる対応(11節)
 
 
「そこで、私は言った。『私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが本堂にはいって生きながらえようか。私ははいって行かない。』」
 
ネヘミヤは宣言します。「私は逃げも隠れもしない。命も惜しくは無い。そんなこそこそした行動は男としての私の生き方に反する。しかも、神殿に入って隠れるなんて、神を恐れない行動はいやだ。」私は、この男らしい、そして毅然としたネヘミヤが好きです。私心の全く無い人だからこそ、こんなセリフが言えたのでしょう。
 
3.ネヘミヤの洞察(12−13節)
 
 
「私にはわかっている。今、彼を遣わしたのは、神ではない。彼がこの預言を私に伝えたのは、トビヤとサヌバラテが彼を買収したからである。彼が買収されたのは、私が恐れ、言われるとおりにして、私が罪を犯すようにするためであり、彼らの悪口の種とし、私をそしるためであった。」
 
もちろん、ネヘミヤは祭司の行動がサヌバラテたちの買収によるものであることを察知していました。ネヘミヤは、エルサレム住民の全てが彼に賛同し、一枚岩となって工事に参加していると考えるほどお人好しではありませんでした。あからさまな反対もあり、面従腹背的な人々もあり、色々なタイプの玉石混淆集団であることを冷徹に見ていました。ですから、祭司といえども、敵に買収されて物をしゃべっていると見抜く洞察力を持っていたのです。神の知恵を与えられたネヘミヤのような賢い人を騙せることはできません。
 
4.ネヘミヤの祈り(14節)
 
 
「わが神よ。トビヤやサヌバラテのあのしわざと、また、私を恐れさせようとした女預言者ノアデヤや、その他の預言者たちのしわざを忘れないでください。」
 
この祈りは、前にもありましたが、復讐心から出た祈りではなく、神の正義を信じ、その実行を求める祈りです。ネヘミヤは、神に仕えている筈の祭司や預言者達の何人かが神のみ業に反対する行動に出たことで、痛く心が傷つきました。そこで彼は神の正義に訴えます。神は愛のお方ですが、同時に正義のお方です。必ず、悪を裁き給います。私たちは人間のあらゆる不正義、圧迫、ごまかしに関して、神の裁きを祈り、その裁きに委ねたいと思います。
 
終わりに:私たちの「大工事」とは?
 
 
人間の悪や誹謗中傷に対して、ネヘミヤのこうした毅然たる態度は、現代においても似たような状況に置かれている信仰者にとって大きな励ましです。ウェスレアン注解は、「敵と何らかの妥協によって自らの品位を落とさなかった、一人の聖徒の聖なる大胆さのすぐれた実例が見られる」と言っていますが私も賛成です。

特に彼が「自分は大工事に集中しているから」と言って、あらゆる攻撃を撃退したように、私たちも、教会の建て上げであれ、伝道であれ、主が私たちを召しておられる働きにもっと集中したいものです。
 
お祈りを致します。