礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年8月7日
 
「礼拝共同体を作る」
ネヘミヤ記連講(14)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記7章1-7節
 
 
[中心聖句]
 
  2   私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。
(ネヘミヤ7章2節)


 
聖書テキスト
 
 
7:1 城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。
7:2 私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。3 私はふたりに言った。「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。」
4 この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。5 私の神は、私の心を動かして、私がおもだった人々や、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載するようにされた。私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた。6 バビロンの王ネブカデネザルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。7 ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。
 
はじめに
 
 
エルサレムの城壁再建がネヘミヤ記の大きなテーマですが、工事完了で一段落ではありませんで、その後のコミュニティ建設という息長く続く事業が待っていました。

城壁再建の目的は、エルサレムの神殿を中心とした礼拝共同体の再建でした。工事の完成によって外枠が出来たのですが、これからはその内実を埋めていく仕事が残っていました。工事完成後の具体的な課題は、

@エルサレムの人口が少ないと言う現実を乗り越えて人口増を図ること、
A神殿での礼拝のための仕組みを整えること、
Bそして、実際に帰還者の礼拝(聖会)が開くこと、

でした。

その第一のステップが7章に記されています。
 
A.町の役人の任命(1節)
 
 
「城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。」
 
1.城壁工事の完成:扉を取りつけるセレモニー
 
 
工事は完成しました。残っていたのは、儀式的な意味で「とびらを取りつける」作業だけでした。それをネヘミヤが行ったのですが、それは、工事の最高責任者としてのセレモニー的なものでした。今で言えば、テープカットです。
 
2.三役の任命
 
 
ここで、三種類の役人が任命されています。「門衛と、歌うたいと、レビ人」、今日の行政組織からみれば妙な組み合わせですが、当時のエルサレムでは自然だったのでしょう。

@門衛:
門衛とは、24時間交代で門の出入りを守り、また、外敵の侵入に備える役を持っていました。部族的にはレビ人の一部です。45節に「門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八名。」とありますが、このような人々を門衛として任命したのでしょう。

A歌うたい:
歌うたいとは、コワイアメンバーのことです。礼拝の時に主に向かって歌を歌い、人々の賛美を指導する役割を持っていました。これも、部族的にはレビ人です。44節に、「歌うたいは、アサフ族、百四十八名。」とありますし、67節にも「また彼らには男女の歌うたいが二百四十五名いた。」と記されています。神殿礼拝において、生贄をささげる儀式が中心であることは確かですが、喜びと賛美を歌の形でささげるコワイアが重要な役割を占めていたことは、ダビデ以来の伝統でした。

Bレビ人:
レビ人とは、元々12部族の一つですが、ここで特に「レビ人」として任命されたのは、レビ人の中の重要な役割の一つである神殿管理の担当者としてであったと思われます。43節には「レビ人は、ホデヤ族のヨシュアとカデミエルの二族、七十四名。」とありますし、46−60節に 宮に仕えるしもべたち392名の長いリストがあるのはこのためと思われます。
 
B.エルサレム市長の任命(2−3節)
 
 
「私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。私はふたりに言った。『太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。』」
 
1.二名の市長
 
 
ネヘミヤは、ユダヤ州の総督(今で言えば州知事)ですから、エルサレムに専念する責任者(つまり市長のような立場の者)を任命する必要がありました。それまでもエルサレムを二つに分けて、半区の長が二人存在していました(3:9、12)。城壁が完成したこの時点では、その上に立つ市長的な存在が必要だったのでしょう。
 
2.ネヘミヤの弟のハナニ
 
  市長の内の一人は、ネヘミヤの兄弟(多分、弟)のハナニです。ネヘミヤがそもそもエルサレム再建に手を染めたきっかけを与えたのがこの男です。エルサレムの惨状に心を痛めたハナニは、兄貴がペルシャ帝国で出世して王の献酌官となっていることを聞きつけ、彼に助けを求めるために、首都シュシャンまで旅行してきます(1:2−3「私の親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た。そこで私は、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。すると、彼らは私に答えた。『あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。』)。ハナニの報告が兄ネヘミヤの心を動かし、彼は、王の献酌官としての仕事に休暇届を出し、王の賛同と援助を頂いてエルサレムに向かいます。この間、ハナニは、兄ネヘミヤ行動を共にし、兄のアドバイザーとして活躍したものと思われます。親族が偉くなると、自分もついでに偉ぶったり、地位を利用して儲けようとする人が多い中ですが、ハナニは、その点では100%潔癖で、兄貴と共に、質素な生活に甘んじて、労働に従事したことが5章の記事から推察されます(特に、5:14「また、私がユダの地の総督として任命された時から、・・・十二年間、私も私の親類も、総督としての手当を受けなかった。」)。
 
3.ハナヌヤ
 
 
二人の市長のもう一人は、ハナヌヤです。ハナニと名前が似ているので同一人物と見る人もいますが、この記述を素直に読めば、別人と取る方が自然でしょう。彼については、「誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていた」と記されています。この形容詞は、弟のハナニにも当て嵌まると思われます。

@信頼性:
さて、「誠実」とは、アマン(支える)から来たエメツ(硬いこと、動かないこと、乗っかって大丈夫なこと)という言葉から来ています。英訳ではtrustworthyです。はっきり言えば自分の言葉に責任をもつこと、ぶれないこと、小さな仕事にも手を抜かないで全力でやり遂げる姿勢のことです。「この人は信頼できる人」という評判ほど大切なものはありません。

A敬虔:
もう一つの資質は、神を恐れると言うことです。それも、「他の誰よりも」と記されていますから、敬虔さにおいて抜きん出ていたのでしょう。勿論、行政的な手腕、経験、知恵も豊かだったことでしょうが、それらよりも、もっと大切なのは、敬虔です。神を恐れるとは、何時でも見ておられる神の目を意識して生活すること、そのお方に喜ばれることを動機として行動すること、そのお方の前に謙ること、そのお方に依り縋ることの全てを含んだ言葉です。
 
4.二人の職務
 
 
@エルサレムの統治:
一般的に言えば、エルサレムを治めることでした。

A城門の開閉:
エルサレム統治の手始めは警備システムの確立でした。「太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。」日の出から数時間経って(太陽光が暑くなるころ)城門を開け、夜間は閉めること、この単純な繰り返しで、町の安全を守ることができるはずです。日の出の直後に開けると、敵の侵入を許すことにもなりかねないので、人々が活動する時まで待つ必要がありました。

B見張りシステムの確立:
「エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。」これは、自警団のようなシステムを指しているようです。いわゆる職業的な軍隊・警察組織ではなく、住民が自覚して自衛する組織を作ったわけです。とても賢い方法であると思います。
 
C.住民登録(4−7節)
 
 
「この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。私の神は、私の心を動かして、私がおもだった人々や、代表者たちや、民衆を集めて、彼らの系図を記載するようにされた。私は最初に上って来た人々の系図を発見し、その中に次のように書かれているのを見つけた。バビロンの王ネブカデネザルが引いて行った捕囚の民で、その捕囚の身から解かれて上り、エルサレムとユダに戻り、めいめい自分の町に戻ったこの州の人々は次のとおりである。ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。」
 
1.エルサレムの人口を増やす
 
 

エルサレムの人口が少なかったことが4節に記されています。ネヘミヤ時代から約100年前、ゼルバベルに率いられた約五万人のユダヤ人がバビロンから帰還するのですが、彼らの多くは破壊しつくされたエルサレムには住まないで、郊外の町々に住みました。どんな町々に住んだかについては、26−37節にリストされている地名を参照してください。主なものを拾いますと、「ベツレヘム、アナトテ、キルヤテ・エアリム、ベエロテ、ラマ、ゲバ、ミクマス、ベテル、アイ、エリコ、ロデ、オノ」などです。これらについては、地図を見てください。エルサレムを中心に、半径50kmの範囲内です。近くには住んでいるがエルサレムの安全がないために、人口は少なかったのです。当然、日々の礼拝活動にも支障を来たしていました。城壁が再建された今、エルサレムの人口を増やし、ここをユダヤ人の政治的・宗教的・文化的な中心都市としとして甦らせることがネヘミヤの使命でした。そのために、郊外の住民の10%をくじで選別しました。11:1、2を見ると、くじ引きで已む無く引越しをした人々もいれば、自発的に移り住んだ人々もいました。「民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。」
 
2.住民登録
 
 
人口動態を把握する第一のステップは、家系をきちんと調べることです。私たちが、本籍地ごとに戸籍原本が作られるように、イスラエルにおいては、先祖から続く系図が基礎でした。そのリストが8−65節までに延々と書き連ねられています。これは、エズラ記2章に記されている、ゼルバベルに率いられた帰還者のリストとほぼ同じです。これが最新の住民調査の基礎になったものと思われます。興味深い点を挙げます。

@系図が確認できないものは、二等級市民と扱われた(61−62節)。
A特に祭司の家系は重要であった(63−64節)
B礼拝の担当者も、家族ごとにきちんと任命された。
 
3.礼拝開始(7:71−8:1)
 
 
さて、こうした言わばハード面の整備がなされた上で、心を籠めての礼拝が行われるのが、7:71−8:1に記されています。これは来週取り上げます。
 
終わりに:心から神を恐れつつ歩もう
 
 
ネヘミヤは、目に見える礼拝の共同体を作ることに全生涯を注ぎました。私たちは、キリストの贖いによって、礼拝の共同体としての教会の中に命をあたえられ、その霊的命を脈々と受け継いでいます。霊的命の鍵は何かと言われると、敬虔さであると思います。

2節のハナヌヤへのコメントを再述します。「これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。」多くの人にまさって神を恐れたとあります。私たちは別に誰かと競争したり比較したりする必要はありません。また、そんなことをしたら、敬虔と全く反対の傲慢の罪に陥ります。そうではなくて、「誰がどうあっても、私は神を恐れる」という姿勢を貫きたいものです。ニコラウス・ツィンツェンドルフ伯爵の少年時代のエピソードを思い出します。6歳のころ、彼の宮殿に外国の軍隊が物資調達(早く言えば泥棒)のために入り込みました。色々物色している最中に子供部屋に入りましたところ、そこにベッドに向かって跪き、手を組んで祈っているニコラウス少年の姿を見、その捧げている祈りの言葉を聞きました。その荒くれ兵士どもはなすべきすべも忘れるほど恐れをなしてすごすごと立ち去ったということです。

私たち教会のメンバーも、一人ひとりが心から神を恐れつつ、仕えるものでありましょう。
 
お祈りを致します。