礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年8月28日
 
「みことばを実行する喜び」
ネヘミヤ記連講(17)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記8章13-18節
 
 
[中心聖句]
 
  17   捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。
(ネヘミヤ8章17節)


 
聖書テキスト
 
 
13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。
15 これを聞くと彼らは自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。
17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。
 
はじめに
 
 
エルサレム城壁再建一ヶ月後の7月1日(今の暦では10月頃)、人々が御言に飢え渇いて集まり、聖書朗読聖会を開催しました。その聖書朗読は、大きな喜びを彼らに齎しました。その時彼らが再発見したのは、この7月に祝われるべき仮庵祭の規定でした。

そこで第二日には、それを実行に移します。そのことを記しているのが13−18節です。
 
A.仮庵祭の規定を再発見
 
1.みことばを調べる(13節):かしらたち、祭司たち、レビ人
 
 
「二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。」
 
聖書朗読聖会の翌日、集まってきたのは指導的な立場のもの達、つまり、「一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たち」でした。その目的は、昨日聞いた律法の言葉を更によく調べるためでした。みことばを味わうという喜びの味をしめたのですね。みことばの味わいを知ったから、もっと知りたいと願いました。これは、とても大事なプロセスです。
 
2.規定を見出す(14節):(レビ記 23:24−43)
 
 
「こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。」
 
彼らが発見したのは出エジプト後の荒れ野での生活を記念する仮庵の祝いの規定でした(レビ記23章)。

そのレビ記を読みましょう。「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。25 どんな労働の仕事もしてはならない。火によるささげ物を主にささげなさい。・・・27 特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。28 その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。・・・40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、美しい木の実、なつめやしの葉と茂り合った木の大枝、また川縁の柳を取り、七日間、あなたがたの神、主の前で喜ぶ。41 年に七日間、主の祭りとしてこれを祝う。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてとして、第七月にこれを祝わなければならない。42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」(レビ記 23:24−43)

この規定が全く忘れ去られたわけではありません。エズラ3:4には捕囚から帰還したばかりの人々が仮庵祭を祝ったことが記されているからです。しかし、その意味を深く知り、また、規定どおり行われたことはありませんでした。この祭りが制定された「出エジプト」から約一千年経ったBC5世紀、「出エジプト」に勝るとも劣らない歴史的快挙である「出バビロン」の喜びの中にある彼らが、より大きな意味を持って祝うのは当然でした。
 
3.[参考@] イスラエルにおける三大祭
 
 
因みに、イスラエルにおける三大祭を説明します。

@過越祭(1月=現3、4月):出エジプトの奇跡を感謝
A7週の祭(3月=現5,6月):収穫の感謝
B仮庵祭(7月=現9、10月):出エジプト後の流浪生活を記念
 
4.[参考A]7月の行事
 
 
第三番目の祭、仮庵祭が含まれる7月は、どのような祝いがなされるかと言いますと、

@1日:
ラッパ祭(絵図@参照)=国中でラッパが吹き鳴らされて、大切な節期の到来が告げられます。

A10日:
「贖いの日」=年に一度、イスラエル全国民を挙げて罪を告白し、赦しを頂く大切な儀式が行われました。一年の内この日だけ、大祭司が神殿の最も聖なる場所である至聖所に入り、生贄の血を振りかけるのです。そしてスケープゴートに手を置いて祈ったのち荒野に放ちます。それは、民の罪が取り除かれたことを象徴する儀式でした。

B15日−22日:
仮小屋に住む(レビ23:17)=人々は、広場や、自分の家の屋上などに、木の大枝とナツメヤシの小枝などで仮小屋を作り、その中に住んで、出エジプト直後の40年間テント生活をしながら荒野を放浪した先祖の苦労を偲びます(レビ23:17)。その期間にも毎日雄牛が屠られます。

C最終日:
きよめの日(民数記29:35−36)=特別な贖いのために、雄牛1頭、雄羊1頭、子羊7頭、雄山羊1頭が屠られます(民数記29:35−39)。
 
B.仮庵祭の準備と実行
 
1.木の枝を集めるようにとのおふれ(15節)
 
 
「これを聞くと彼らは自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。『山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。』」
 
仮庵祭のしきたりを聞いたリーダー達は、早速人々にその準備にかかるようおふれを出しました。7月15日から22日が正式な仮庵祭ですから、その仕度のために2週間ほどのゆとりがあったものと思われます。
 
2.仮庵に住む(16節、17節a)
 
 
「そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。」
 
人々は文字通りの仮庵祝いを実行しました。木の枝、葉っぱをもって仮庵を造り、そこに住み、律法の定める生贄を捧げました。想像してみて下さい。今日に譬えると、参加者全員がそれぞれテントを張ってキャンプ生活をするようなものです。仮庵祭りのような特別な意味がなくても、テントに寝泊まりするというのは、格別な喜びを齎すものです。何か、日常生活と異なる冒険的な興奮を感じます。ケニアの時代に、幾度となくテントをかついでキャンプを行ったことを今でも懐かしく思い出します。イスラエルの民が味わったのは、そうしたキャンプ生活の興奮と聖会的な厳粛さが一体となった、何とも言えない不思議な喜びと感動でした。
 
C.仮庵祭の齎した喜び
 
1.ヨシュア以来の大きなもの(17節b)
 
 
「ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。」
 
この表現は、ヨシュアの時代からネヘミヤの時代まで仮庵祭が一度も祝われなかったというのではなく、捕囚から帰還したこの時のような意味合いと喜びをもって祝われたのはこの時が初めてだったという意味です。

聖言を実行する、これに勝る喜びはありません。イエスの山上の垂訓が、行うものの祝福と行わないものへの警告で締め括られていますように、私達も今日、聖言を学びました。それが大きな喜びとなったことを信じます。しかし、それより大きな喜びは、それを実行して、ああなるほど、私は神のみ心に従った人生を歩んでいるんだな、という自覚を持ちながら日々を歩むことです。主を喜ぶ喜びが神に仕える力を与え、神に仕えることが更に喜びを与えます。これは連鎖反応的に広がっていきます。
 
2.仮庵祭の継続と締め括り(18節)
 
 
「神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。」
 
7月15日から22日まで、聖書の朗読が欠かさず行われ、その解説もなされて行きました。エズラは、この7日間、非常に賢く、また、システマチックに聖書箇所を選び、必要な解説を交えてこの朗読会を続けました。

言語について言えば、彼らは捕囚の70年間に、古代のヘブル語だけではなく、律法の示すしきたりも相当程度忘れてしまっていました。このアラム語の解説は帰還の民にとって大きな助けでした。後に、これがタルグム(翻訳と言う意味)と呼ばれる翻訳聖書の元となったと言われています。

最終日に行われた「きよめの集会」とは、仮庵祭の締め括りの祝祭であったと思われます。レビ記23:36によれば、「八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは火によるささげ物を主にささげる。これはきよめの集会で、労働の仕事はいっさいしてはならない。」とあります。彼らはこの規定どおりに、聖なる会合を開き、いけにえを捧げ、仮庵祭を締め括りました。
 
終わりに:私たちも、みことばを学び、その通りに行おう
 
 
今日の物語のポイントは、イスラエルの人々が、聖書を学び、そこに書いてあることを確かめ、そしてその通りに実行した、そしてそれが大きな喜びを齎したということです。私たちには、主のみ旨を充分に示している聖書が与えられています。日々のデボーションの中で、み言葉を通して主が私に何を語っていて下さるかを祈りの中に確かめ、確かめたならばそれを実行に移してみましょう。

例えば、ルカ10章に、強盗に襲われた人に対して、誰が一番隣人愛を示したか、という問いに対して、律法学者は「その人に憐れみをかけた人です」と答えました。主イエスはすかさず「あなたも行って同じようにしなさい」と語られました。私たちが大震災被災者のためにできることは小さなことかもしれません。しかし、それを行う時に、私たちは思いがけないほどの充実感と喜びをみいだすことでしょう。そのような一週間でありたいと思います。
 
お祈りを致します。