礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年9月25日
 
「堅い盟約を結び」
ネヘミヤ記連講(19)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記9章32-38節
 
 
[中心聖句]
 
  38   これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。
(ネヘミヤ記9章38節)


 
聖書テキスト
 
 
32 私たちの神、契約と恵みを守られる、大いなる、力強い、恐るべき神よ。アッシリヤの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、私たちのつかさ、祭司、預言者たち、また、私たちの先祖と、あなたの民全部に降りかかったすべての困難を、どうか今、小さい事とみなさないでください。33 私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行われたのに、私たちは悪を行ったのです。34 私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず、あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした。35 彼らは、自分たちの王国のうちと、あなたが彼らに与えたその大きな恵みのうちに、また、あなたが彼らの前に置かれた広くて肥えた土地のうちにありながら、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行いから、立ち返りもしませんでした。36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。37 私たちが罪を犯したので、あなたは私たちの上に王たちを立てられましたが、その王たちのために、この地は多くの収穫を与えています。彼らは私たちのからだと、私たちの家畜を思いどおりに支配しております。それで私たちは非常な苦しみの中におります。」38 これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。
 
1.律法を学ぶ集会(1−5節、復習):7月(仮庵祭)24日
 
 
エルサレム城壁再建一ヶ月後の7月(今の暦では10月頃)に、人々が聖書朗読聖会を開催し、仮庵祭を守りました。その後、聖書の歴史を学びなおし、自分たちが如何に神の掟から離れていたかを悟って悔い改めました。そして、これからは律法に忠実であることを約束したというのが9章後半です。
 
2.人間の「しかし」と「神のしかし」(6−31節、復習)
 
 
前回は、人間の「しかし」と神の「しかし」という対比をお話しました。

・人間の「しかし」(16,26,28節):
人間のしかしとは、神の助けと顧みを頂きながら、自分勝手な歩みをしてしまう人間のしかしです。この章の16節(「しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。」)、26節(しかし、彼らは反抗的で、あなたに反逆し、あなたの律法をうしろに投げ捨て、あなたに立ち返らせようとして彼らを戒めたあなたの預言者たちを殺し、ひどい侮辱を加えました。」)、28節(「しかし、ひと息つくと、彼らはまた、あなたの前に悪事を行ないました。」)の三か節の「しかし」を見ると、人間が如何に恵みを忘れ、自分勝手で、わがままであるかを思い知らされます。イスラエルの歴史は遠い昔の事ではなくて、今起きている、しかも、私たちの内側に起きていることを示します。

・神の「しかし」(17、28、30―31節):
さりながら、人間の「しかし」を乗り越えるのが、神の「しかし」です。17節(「それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。」)、28節(「・・・しかし、彼らが立ち返って、あなたに叫び求めると、あなたは天からこれを聞き入れ、あなたのあわれみによって、たびたび彼らを救い出されました。」)、30−31(「それでも、あなたは何年も彼らを忍び、あなたの預言者たちを通して、あなたの霊によって彼らを戒められましたが、彼らは耳を傾けませんでした。それであなたは、彼らを国々の民の手に渡されました。しかし、あなたは大いなるあわれみをかけて、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らを捨てられませんでした。あなたは、情け深く、あわれみ深い神であられますから。」)これら4か節の「それにも拘らず」「しかし」「それでも」とは、神の憐れみの懐の大きさを示します。反抗的な私たちを主は見捨てずに愛し、導き、守り、満たしていてくださいます。この神の大きさに私は圧倒される思いです。ネヘミヤ時代の人々は、過去の歴史を振り返りながら、神の恵みを心から感謝しました。
 
3.過去と現在の罪の悔い改め(32−35節)
 
 
「32 私たちの神、契約と恵みを守られる、大いなる、力強い、恐るべき神よ。アッシリヤの王たちの時代から今日まで、私たちと私たちの王たち、私たちのつかさ、祭司、預言者たち、また、私たちの先祖と、あなたの民全部に降りかかったすべての困難を、どうか今、小さい事とみなさないでください。 33 私たちに降りかかって来たすべての事において、あなたは正しかったのです。あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行なったのです。 34 私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず、あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした。 35 彼らは、自分たちの王国のうちと、あなたが彼らに与えたその大きな恵みのうちに、また、あなたが彼らの前に置かれた広くて肥えた土地のうちにありながら、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行ないから、立ち返りもしませんでした。」
 
・長く続いた困難(五百年):
「アッシリヤの王たちの時代から今日まで」というのは、困難が降りかかってきた時代の長さを示します。アッシリヤの王達とは、BC9世紀のシャルマネセル3世、プル(テグラテピレセル)、シャルマネセル5世、サルゴン、セナケリブ(8世紀末)というイスラエル・ユダを責め続け、北王国を滅ぼした諸王、そして、バビロンのネブカデネザル王(8−7世紀)、ペルシャのクロス王(6世紀)、アルタシャスタ王(5世紀)などが含まれています。この王たちの時代、イスラエルは攻撃され、国を失い、神殿を含むエルサレムは破壊され、民は捕囚の憂き目に遭いました。その長さは実に500年です。日本の歴史で言えば、応仁の乱(1467年)以来ずっと日本が他国の支配にあると仮定すると、その苦しさが分かります。

・連帯責任の告白:
33節の「私たちは悪を行なったのです」という言葉の中の「私たち」は、民族の過去の罪、現在の罪を背負った私たちです。ここに告白者達が民族として持っていた一体感を見ます。先祖は先祖、今の自分たちは別という考えではありませんでした。彼らは先祖と自分たちを一体として、連帯責任を告白したのです。私たち現在の日本人は、70年前に、日本が近隣諸国に対して行った罪を共に担っています。この意識無しに、日本の真の復興はあり得ません。

・重ね重ねの反抗:
「あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行なったのです。」これは、何という痛切な、そうして謙った悔い改めでしょうか。自分たちの不幸の原因を他の要因に転嫁することなく、正直に、率直に自分達の罪に帰しているのです。32−35節の中に告白している罪は5種類です。

@裏切り:
神の誠実を裏切る罪=「あなたは誠実をもって行なわれたのに、私たちは悪を行なったのです。」

A不服従:律法を守らない罪:
「私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず」

B無関心:
警告を無視する罪=「あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした。」

C忘恩:
恵を忘れ、主に仕えない罪=「彼らは、自分たちの王国のうちと、あなたが彼らに与えたその大きな恵みのうちに、また、あなたが彼らの前に置かれた広くて肥えた土地のうちにありながら、あなたに仕えず、

D頑固:
悪から立ち返らない罪=「また自分たちの悪い行ないから、立ち返りもしませんでした。」
 
4.奴隷状態の認識(36−37節)
 
 
「36 ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。 37 私たちが罪を犯したので、あなたは私たちの上に王たちを立てられましたが、その王たちのために、この地は多くの収穫を与えています。彼らは私たちのからだと、私たちの家畜を思いどおりに支配しております。それで私たちは非常な苦しみの中におります。」
 
・独立を奪われた隷属状態:
さて、このように過去の神の恵みと先祖達の不服従、そしてその結果が齎した現在の奴隷状態を嘆いています。そこには明確な因果関係が意識されています。民族の罪が、神の裁きを齎した、それがイスラエルの奴隷状態を生み出したという論理です。実際に、イスラエルの人々は、エジプト時代のような文字通りの「奴隷」ではありませんでした。しかし、遡るとアッシリヤ、バビロン、そして今はペルシャと言う大帝国の支配の下で、独立も自由も奪われていました。その状況は以下の三つの分野で表されています。

@重税:
畑からの収穫については税金を払わねばなりませんでした。

A労役・兵役:
労役も課されていました。兵役も課されていたようです。外国の軍隊の兵士として、また、船の漕ぎ手として酷使されていました。アルタシャスタがギリシャに遠征を行った時も、ユダヤ人はその兵士として駆り出されたと言われています。

B家畜の労役:
牛も荷物運びのために駆り出されました。これ以上の不自由と屈辱はありません。それらは、皆、イスラエルの不服従の結果でした。

・神の憐れみへの訴え(32節):
そうした罪とその結果を認めつつ、しかし、彼らは神の憐れみに訴えます。それが冒頭32節の「私たちの神、契約と恵みを守られる、大いなる、力強い、恐るべき神よ。」という訴えです。神の憐れみにすがる以外にない、これは福音の大真理です。私たちの立つところはここしかありません。昨週私は、中京製会にお招きを頂きました。その主催者の注文は、きよめの理解と実践の乖離を何とか埋めて欲しい、というものでした。そのために「健康なクリスチャンの処方箋」というテーマ設定がなされました。私は、第一夜には、「クリスチャンの健康チェック」を行い、30ほどのチェックリストに◎○△XXXを書いていただきました。その最後に、自己評価の低い人ほど望みがある、と締め括りました。そうです。自分が弱いもの、愚かなもの、罪深いものと思えば思うほど、主の憐れみにすがる度合いが強くなるのです。ネヘミヤ時代の人々の頼る唯一つのよすがは、「契約と恵みを守られる、大いなる、力強い、恐るべき神」でした。
 
5.堅い盟約を作る(38節)
 
 
「38 これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。」
 
・盟約の前提:
神の正義と憐れみ:「これらすべて」とは、過去の数々の罪とそれに対する神の罰を全部含んだ言葉です。彼らは、歴史をしっかりと学んだ後に、もうこのような過ちは二度と繰り返すまいという堅い決意をもって「盟約」を結びます。

・盟約の堅さ:
その決意の固さが「堅い(忠実な)盟約」となったのです。そしてそれは新しい契約でした。今までの失敗を教訓として、主の新たな顧みと助けを期待する新契約であったのです。神との新しい関係を築こうとしたのです。

・盟約の内容:
どんな約束かの詳細は10章に記されています。その要点は下記の通りです。

@異教徒との雑婚をしない(10:30)
A安息日を守る(10:31)
B安息年を守る(10:31)
C神殿の税金を払う(10:32−33)
D祭壇の燃料を提供する(10:34)
E主への奉仕者の必要を満たす(10:35−39)

これらの詳細と、その意味については次回学ぶことに致します。

・署名者:
さて、この盟約に署名した人々のリストが10:1−27にあります。その数は40人ほどですが、それだけの人数ではなく、彼らはその家庭の代表でしたから、実質の人数はもっと多かったことでしょう。その署名の後捺印されました。柔らかい粘土に署名し、それに熱を加えて恒久的なものとしたようです。
 
おわりに:私たちの主に対する盟約は?
 
 
今日の礼拝の締め括りとして、「主よ、終わりまで」という賛美歌を選びました。その第四節に、「主よ、今ここに誓いを立て、僕となりて仕え奉る」というくだりがあります。

私たちはネヘミヤ時代のイスラエルと同様、重ね重ね主から離れ、自分勝手な方向に進み易い傾向を持っています。それを十分認めながら、私たちを僕として立たせてくださる恵を信じて立ち上がりましょう。
 
お祈りを致します。