礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年10月9日
 
「自分から進んで・・・」
ネヘミヤ記連講(21)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記11章1-6節
 
 
[中心聖句]
 
  2   すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。
(ネヘミヤ記11章2節)


 
聖書テキスト
 
 
1 民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。2 すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。
3 エルサレムに住んだこの州のかしらたちは次のとおりである。ユダの町々には、イスラエル人、祭司、レビ人、宮に仕えるしもべたち、ソロモンのしもべたちの子孫が、それぞれ、自分たちの町々の自分の所有地に住んだ。4 ユダ族とベニヤミン族のうちのある者は、エルサレムに住んだ。すなわち、ユダ族では、ウジヤの子アタヤであった。このウジヤはゼカリヤの子、順次さかのぼって、アマルヤの子、シェファテヤの子、マハラルエルの子。マハラルエルはペレツの子孫のひとりである。5 次にバルクの子マアセヤであった。このバルクはコル・ホゼの子、順次さかのぼって、ハザヤの子、アダヤの子、エホヤリブの子、ゼカリヤの子。ゼカリヤはシェラ人の子孫である。6 エルサレムに住んだペレツの子孫は合計四百六十八名の勇士であった。
 
はじめに
 
 
私は、ネヘミヤ記を読み始めたとき、ネヘミヤとはエルサレム城壁再建という大工事を成し遂げた偉い男である、という印象しか持たなかったのですが、じっくり読めば読むほど、彼の大きなビジョンと実行力に驚かされています。一言で言えば、「エルサレムにおいて礼拝の共同体を作る」という目標であり、それに向かって着々と布石を行っているという点です。それが顕著に見られるのが10章、11章です。
 
1.礼拝共同体の盟約(10章、復習)
 
 
先週は、新たな決意をもって、「神のしもべモーセを通して与えられた神の律法に従って歩み、私たちの主、主のすべての命令、その定めとおきてを守り行なうための、のろいと誓いとに加わった。」その堅い盟約とその内容について学びました。その盟約の要点は

@偶像礼拝を避けるために異教徒と結婚しないこと(30節)
A商売を優先せず、安息日を守ること(31節a)
B土地の安息と借財帳消しのための安息年を守ること(31節b)
C神殿維持費を負担すること(32−33節)
D祭壇の生贄のために、交代で燃料を提供すること(34節)
E初物と十分の一献金(品)をもって主の奉仕者の必要を満たすこと(35−39節)

という6項目を、人々が自主的に、定めたところまでお話しました。その眼目は、エルサレムにおいて礼拝共同体をしっかりと立ち上げることでした。

11章は、礼拝共同体の建て上げを具体化した記録です。
 
2.礼拝共同体の充実(11:1−2)
 
 
@人口寡少の理由:
城壁の再建工事前のエルサレムには、祭司達やレビ人はある程度住んでいましたが一般住民の数は少なかったことが7:4に記されています。人口が少ない理由は三つありました。

・安全保障上の理由:
城壁が壊れたままの無防備な町に住むことは安全上大変な問題だったからです。

・経済的理由:
さらに、農地のない市街に住むことは、生活を成り立たせることからも困難点を抱えていました。仕事があったとしても、職人とか商売人とかになる以外に生計を立てる道はありませんでした。更に、

・インフラ未整備:
住宅やインフラの未整備(家が少なかったとも書いてあります)もその困難点でした。

今や、城壁が再建され、礼拝行事も安心して行われる見通しとなりました。それでも、困難点は残っていましたから、簡単に人は引っ越してきません。少し、脱線しますが、私はアフリカにおける都市化現象について論文を書いたことがあります。第二次大戦後都市化が著しく進んでいます。ケニアにおける都市の誕生は20世紀初めの鉄道の建設によるものでしたが、その後、二つの世界大戦を経て都市は著しく成長し、今や人口の成長率は年7%と全国平均の3.4%を遥かに上回っています。1990年代はケニアの総人口の15%が都市に住んでいましたが、2040年には半数となるという見通しです。これには、都市側の「引き」(urban pull)と農村側の「押し」(rural push)の二つの方向が合わさっていると考えられます。農村では現金収入がなく、仕事が少ないために、そこにいる魅力がない、都市には楽しい活動や、仕事が集まっている、そこで人口が都市に流れ込んでくるという図式です。これは近代世界中に見られる現象ですが、ネヘミヤ時代のエルサレムは全く逆でした。

A人口増加の施策:
礼拝行事が滞りなく行われるためには、礼拝に直接携わる祭司・レビ人だけではなく、裾野として住民の支えが必要です。さらに、エルサレムを政治的な意味でもユダヤ州の州都として確立しなければなりませんでした。しかし、人口増加という現象は、ほおっておいて自然に起きるものでもありません。ネヘミヤは、この課題に二つの方法で対処しました。

・くじ引きによる移住者選定:
そこで、ネヘミヤの示唆によってくじ引きが行われ、郊外に住んでいる人々の10%をエルサレムに移すことにしました。くじ引きというと、何かいい加減なやり方ではないかと思う方もあるでしょう。左に非ずです。籤引きというのは、政治的工作や人間的思惑と全く関係なく、公平に行われる利点があります。都営住宅・区営住宅などでも入居希望者のための抽選が行われて決定されると思います。公平さにおいて、これに優る方法はありません。もっとも、エルサレムの場合の抽選は、入居者のためのものではなく、転居者のためのものでしたが・・・。もう一つは、「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」(箴言 16:33)という信仰があるからです。くじ引きの結果を「主の御心」として受け入れる信仰が根底にあったからこの方法が受け入れられました。引越しをした人が、総督ネヘミヤに対して恨みを抱かないという点からも絶妙な方法でした。

・ボランティアを募る:
しかし、もう一つの方法がありました。くじで、いわば強制的に移住させられた人々以外に、自主的にここに引っ越そうと言う人々もいました。これが補完的に述べられているところが興味深いと思います。くじ引きによって、内心はいやだなあ、貧乏くじだなどと思って引っ越す人ばかりですと、エルサレム建設の士気は上がりません。そこで、くじ引き枠のほかに、自発的移住者を募ったのです。そして、その応募者が少なからずあったと言うのです。このような積極的な態度は、周りの人々から祝福されました。
 
3.礼拝共同体の役割分担(11:3−35)
 
 
この章の殆どはカタカナです。2千年以上経った外国人である私たちには何の関係も無いリストのようですが、よく読んでみるといろいろな社会構造が透けて見えます。聖書には無駄なことは書いてありません。部族構成から言いますと「ユダ族とベニヤミン族」が主だったようです。4節「ユダ族とベニヤミン族のうちのある者は、エルサレムに住んだ。」とあるとおりです。微細に亘る説明はしませんが、その特色だけを拾います。

@部族ごとの監督者(9節):
9節「ジクリの子ヨエルが彼らの監督者であり、セヌアの子ユダが、彼の副監督者としてこの町を治めた。」

A祭司兼戦闘要員(14節):
14節「彼らの同族の勇士たちは百二十八名。彼らの監督者はハゲドリムの子ザブディエルであった。」つまり、武装祭司もいたということです。6節にも「勇士たち」と言う言葉が出てきます。ユダ族も、他民族の攻撃からエルサレムを守るために武装した集団がいたことが分かります。

Bコワイア(17、22−23節):
17節「また、ミカの子マタヌヤがいた。ミカはアサフの子のザブディの子である。マタヌヤは、祈りのために感謝の歌を始める指揮者、バクブクヤはその兄弟たちの副指揮者であった。」22−23節「エルサレムにいるレビ人の監督者はバニの子ウジであった。バニはハシャブヤの子、ハシャブヤはマタヌヤの子、マタヌヤはミカの子である。ウジはアサフの子孫の歌うたいのひとりで、神の宮の礼拝を指導していた。彼らについては王の命令があり、歌うたいたちには日課が定められていた。」

C神殿の門衛(19節):
19節「門の見張りをする門衛では、アクブとタルモン、および、彼らの同族百七十二名であった。」

D神殿内外のメンテナンス(21節):
21節「宮に仕えるしもべたちはオフェルに住み、ツィハとギシュパは宮に仕えるしもべたちを監督していた。」16節「また、レビ人のかしらのシャベタイとエホザバデは、神の宮の外の仕事を監督していた。」

F区役所的な人(24節):
24節「またユダの子ゼラフの子孫のひとりで、メシェザブエルの子ペタヘヤは、王に代わって民に関するすべての事がらを取り扱った。」

Gエルサレムの周辺の住民(25−35節):
25−35節「ユダの子孫のある者は、自分の畑に近い村々に住んだ。すなわち、キルヤテ・アルバとそれに属する村落、ディボンとそれに属する村落、エカブツェエルとその村々・・・」彼らは農業に従事することで、首都における経済活動を支えたのです。ネヘミヤはこれらの人々もみんな礼拝共同体の大切なメンバーとして巻き込んだのです。
 
4.礼拝共同体の目標:「聖なる都」エルサレム
 
 
ネヘミヤが構想していた礼拝共同体は、礼拝儀式の意味ある遂行だけでなく、それを支える一般住民の組織でした。それも、見事に分担・調和の取れた社会構造を作り上げたのです。ネヘミヤは空想化ではなく実務家でした。彼が目指したのは「聖なる都エルサレム」でした。エルサレムが「聖なる都」と呼ばれるようになったのは、捕囚からの帰還以後のことですが、そこに主のご臨在が強く感じられたのです。また、礼拝の諸行事がエルサレムにおいて滞りなく行われるということは、イスラエルの民全体にとって生命的課題でした。宗教行事が付けたりではなく、彼らの共同体において、第一の、中心的行事だったわけです。その意味で、エルサレム住民を確保することは、大切であり、また、そこに住む人々は、礼拝行事を毎日見ながら生活するわけですから、大きな恵の感化を受けることになります。
 
5.教会という礼拝共同体
 
 
21世紀に日本の首都東京にある教会の一つとして、私たちはネヘミヤ時代の礼拝共同体建設から何を学ぶべきでしょうか。

@礼拝を意義深くささげる:
教会という共同体は、共に主を礼拝するという喜ばしい、そして意義深い行動を通して結ばれています。礼拝において、共に膝を屈め、主の成し遂げてくださった贖いを心一杯賛美する、これが私たちの絆です。この礼拝が何時でも喜びと意味をもって奉げられるように、私たちは礼拝者としての意識を高く持って、毎週集いたいと思います。特別な事情がない限り、遅れたりしないこと、礼拝式の前には私語を慎んで、心を主に向けて集中すること、体調を整えて居眠りをしないように配慮すること、賛美は力いっぱい奉げること、こうした具体的な行動はとても大切です。意義深い礼拝が奉げられることが、主のみ体の前進につながります。

A共同体での異なる役割を確認する:
私たちには、みんな違う役割が与えられていることを覚えましょう。だれも自分を不必要な肢と思ってはなりません。私たちはキリストという大きな体に連なる肢だとパウロは言います(1コリント12:12−30)。肢の役割はみんな違いますが、みんなが合わさって主の共同体を建て上げているという厳粛な事実を覚えて感謝しましょう。

B役割を進んで担う:
私たちはその役割を、ただ受身的に待っているだけではなく、「自分から進んで」担うところに大きな祝福があります。今月末の教会懇談会において、教会運営の仕組みを話し合います。そこでは、「任命される」形も保ちつつ、しかし、「自分から進んで引き受ける」形に軸足を置いた運営の仕組みを提案しようと思っています。ネヘミヤの時代に倣って、私たちが自分から進んで、主の働きに身を当てはめるものでありたいと思います。
 
お祈りを致します。