礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年10月23日
 
「喜びの奉献式」
ネヘミヤ記連講(22)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記12章27-43節
 
 
[中心聖句]
 
  43   彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。
(ネヘミヤ記12章43節)


 
はじめに:先回の復習(11章)
 
 
ネヘミヤ記も終わりに近づいてきました。先回は11章から「聖なる都」として新出発したエルサレム社会の構成について学びました。

1.ネヘミヤの「礼拝共同体ビジョン」:ネヘミヤが構想していた礼拝共同体は、礼拝儀式の意味ある遂行だけでなく、それを支える一般住民の組織でした。政治・宗教・経済・防衛の角度から見て調和の取れた見事な社会構造が仕上がったのです。

2.私たちの教会:私たちの教会もネヘミヤ時代の礼拝共同体建設の姿から、@礼拝を意義深くささげること、A共同体における異なる役割を確認すること、Bそれぞれの役割を進んで担うことを学びました。

12章は、それらの集大成としての城壁再建奉献式の記録です。工事の完成を祝い、しっかりと形成された礼拝共同体の出発を刻印する儀式でした。
 
A.奉献式の準備(27−30節)
 
1.式の時期(27節a)
 
 
「27a 彼らはエルサレムの城壁の奉献式のときに、レビ人を、彼らのいるすべての所から捜し出してエルサレムに来させ・・・」
 
奉献式というものは、通常、工事の完成直後に行われるのですが、この場合、一定期間の後に行われたように見えます。或る学者は、この時期を、13:6の記事と結びつけて、ネヘミヤの再赴任(432年)の時と考えますが、私は、それほど経たずに行なわれたと思います。いずれにせよ工事完成直後ではなかったようです。@その理由の一つは、城壁工事の後に、しっかりと律法を学ぶ期間が必要であったということです。Aもう一つの理由は、エルサレムの人口を増やし、防衛組織を含めてエルサレムの社会構造をしっかりと固めるのには一定の時間を要したことです。B先ほどの説明で、これを城壁完成の12年後とする注解書は、ネヘミヤがこの行事のために、ペルシャ王の許可を要したと説明します。これも「直後」でなかった理由の一つかもしれません
 
2.音楽隊の召集(27節b−29節)
 
 
「27b シンバルと十弦の琴と立琴に合わせて、感謝の歌を歌いながら喜んで、奉献式を行なおうとした。28 そこで、歌うたいたちは、エルサレムの周辺の地方や、ネトファ人の村々から集まって来た。29 また、ベテ・ギルガルや、ゲバとアズマベテの農地からも集まって来た。この歌うたいたちは、エルサレムの周辺に自分たちの村々を建てていたからである。」
 
さて、奉献式の日が決まり、民が招集されました。

・楽器係:「シンバルと十弦の琴と立琴」を奏でるもの、つまり、レビ人の中の楽器係が任命されました。
・ボーカル担当:ボーカル担当の人々は、エルサレム周辺の町々・村々から召集されました。
・リハーサルも:恐らく、何度もリハーサルがなされたことでしょう。この奉献式のために入念な準備がなされました。
 
3.きよめの儀式(30節)
 
 
「30 祭司とレビ人は、自分たちの身をきよめ、また民と門と城壁をきよめた。」
 
・祭司とレビ人:この奉献式のリーダー達は自分たちをきよめました。具体的には、断食を行い、水浴をし、着物を洗い、罪のための生贄を捧げたことでしょう。さらに通常の夫婦の営みもこの期間は慎んだことと思われます。聖なる儀式に携わるものとしての心構えを教えられます。

・門と壁:門と壁のきよめについて具体的方法は分かりませんが、多分、きよめの水というものが振り掛けられたと思われます。
 
B.奉献式の行進(31−39節)
 
「31 そこで私は、ユダのつかさたちを城壁の上に上らせ、二つの大きな聖歌隊を編成した。一組は城壁の上を右のほうに糞の門に向かって進んだ。32 彼らのうしろに続いて進んだ者は、ホシャヤと、ユダのつかさたちの半分、33 アザルヤ、エズラ、メシュラム、34 および、ユダ、ベニヤミン、シェマヤとエレミヤであった。35 祭司のうちのある者もラッパを持って進んだ。すなわち、ヨナタンの子ゼカリヤであった。このヨナタンはシェマヤの子、順次さかのぼって、マタヌヤの子、ミカヤの子、ザクルの子、アサフの子である。36 また、ゼカリヤの兄弟たちシェマヤ、アザルエル、ミラライ、ギラライ、マアイ、ネタヌエル、ユダ、ハナニであって、神の人ダビデの楽器を持って続いて行った。学者エズラが彼らの先頭に立った。37 彼らは泉の門のところで、城壁の上り口にあるダビデの町の階段をまっすぐに上って行き、ダビデの家の上を通って、東のほうの水の門に来た。38 もう一組の聖歌隊は左のほうに進んだ。私は民の半分といっしょに、そのうしろに従った。そして城壁の上を進んで、炉のやぐらの上を通り、広い城壁のところに行き、39 エフライムの門の上を過ぎ、エシャナの門を過ぎ、魚の門と、ハナヌエルのやぐらと、メアのやぐらを過ぎて、羊の門に行った。そして彼らは監視の門で立ち止まった。」
 
1.二隊に分かれて城壁の上を回る
 
 
奉献式の目玉として、式典の前に城壁の上をみんなでぐるっと回ると言うアイデアは面白いですね。よく高速道路や島巡りの橋の完成式で、みんなが徒歩でそこを通過するという行事がありますが、それと似た感覚と思います。尤も、私は高所恐怖症ですので、参加ご遠慮したかもしれません。城壁の高さは2.4メートルあって下を見れば恐いのですが、幅が2.75メートルもありましたから、それほど恐くなかったかもしれません。城壁の周囲は約3kmですから、まずまずの距離でしょう。それを二手に分けて行進し、神殿で合流するという計画でした。
 
2.行進の道筋(地図参照)
 
 
地図をご覧ください。

・出発:エルサレム南東にある谷の門が共通の出発点です。

・右回り隊:右回り隊は、そこから糞の門、泉の門、ダビデの家の上側(つまり東側)を通って水の門、そこから城内に入って神殿をめざしました。

・左回り隊:一方左回り隊は、谷の門から出発し、城壁の上を進んで、炉のやぐらの上を通り、広い城壁、エフライムの門の上を過ぎ、魚の門と、ハナヌエルのやぐら、メアのやぐらを過ぎて、羊の門に行き、監視の門で、右回り隊と合流して神殿に向かいました。この「監視の門」だけは、他の記述がなく、どの辺か分かりませんが東の門の近くと思われます。
 
3.エズラとネヘミヤの先導
 
 
・エズラ:
36節に「学者エズラが彼らの先頭に立った。」とあります。この賑やかな行進の先頭が、学者であるエズラというのが面白いですね。およそ、私が持っているエズラのイメージには合いません。私のエズラ像は、象牙の塔に籠って、虫眼鏡で古文書を探しながら、聖書を編纂している学者の中の学者というイメージなのですが、そのエズラが、楽隊の先頭に立って歌いながら行進をリードする、何とも微笑ましい、素晴らしい絵です。私は、この中に、エズラが単なる学者ではなく、本当に主を愛する熱い心を持った学者の像を見る思いです。

・ネヘミヤ:
左回り隊は民の半分で、ネヘミヤが先導しました。これも興味ある絵です。ネヘミヤはペルシャ王に任命されたユダヤ州の総督です。その総督が、先頭に立つのですから、これも見物だったことでしょう。片や学問と宗教の指導者、片や政治の指導者、その二人が協力してこのお祝いの行事を盛り上げたのです。私は、この姿をビデオに残したかったと切に願います。彼らは、苦心して完成した城壁の上を一歩歩くたびに、工事のときに色々な苦しみにであった時のこと、そして、その都度主が大いなるみ力と知恵をもって助けてくださったことを思い返しながら、感謝、感謝と叫んだことでしょう。
 
4.行進の実行
 
 
35節には、「祭司のうちのある者もラッパを持って進んだ。」とあります。角笛状のラッパが先導したようです。36節には「神の人ダビデの楽器を持って続いて行った。」とあります。ダビデの楽器とあるのは、シンバル、琴、ハープの類いでしょう。捕囚の時にバビロンで習った楽器を排して、昔ながらのものを選んだと思われます。
 
C.奉献の賛美と祈り(40−43節)
 
「40 こうして、二つの聖歌隊は神の宮でその位置に着いた。私も、私とともにいた代表者たちの半分も位置に着いた。41 また祭司たち、エルヤキム、マアセヤ、ミヌヤミン、ミカヤ、エルヨエナイ、ゼカリヤ、ハナヌヤも、ラッパを持って位置に着いた。42 また、マアセヤ、シェマヤ、エルアザル、ウジ、ヨハナン、マルキヤ、エラム、エゼルも位置に着いた。それから、歌うたいたちは、監督者イゼラフヤの指揮で歌った。43 こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」
 
1.賛美の理由:神の恵みへの感動
 
 
二つの聖歌隊が合流し、祭司達がラッパを持ち、神殿の東側の広場で賛美と生贄をささげました。聖歌隊だけではなく、一般民衆も喜んでその賛美に加わりました。この記事は、本当に喜びと賛美で満ちています。その賛美が力強く奉げられた理由は、「神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。」(43節)と説明されています。人間的な力や感情もあったことでしょうが、それ以上に、この苦しい工事を助け、エルサレムに神の共同体ができてきたことに現れる神の恵みが、彼らを感動したのです。
 
2.賛美の内容:多くの詩篇、特に118篇では(?)
 
 
賛美の内容は記されていませんが、私は詩篇118篇が、彼らの歌として一番近かったのではないかと思っています。というのは、この詩篇は(多くの学説によると)この出来事の70年ほど前、神殿の基礎が据えられた時の感謝として作られたといわれているからです。そしてこの詩は、神殿における大きな祝い事のたびごとに歌われていました。多くの場合、聖歌隊が2組に別れて行進しながら交唱するという風に用いられていました。ですから、この詩篇もこの奉献式の時に歌われたと考えるのは当然です。(因みに、今日の礼拝の最後の賛美歌は、8年前の中目黒献堂式にも歌われました)。詩篇118篇を抜き読みしながら、奉献式の喜びを味わいたいと思います。
 
詩篇118:1 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。2 さあ。イスラエルよ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。3 さあ。アロンの家よ、言え。「主の恵みはとこしえまで。」と。
6 主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。7 主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。
10 すべての国々が私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。11 彼らは私を取り囲んだ。まことに、私を取り囲んだ。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。12 彼らは蜂のように、私を取り囲んだ。しかし、彼らはいばらの火のように消された。確かに私は主の御名によって、彼らを断ち切ろう。13 おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。14 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。
15 喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。16 主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。19 義の門よ。私のために開け。私はそこからはいり、主に感謝しよう。20 これこそ主の門。正しい者たちはこれよりはいる。21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
 
特に、私は「神の右の御手」(15,16節)という表現に心惹かれます。神の右の手とは、「神の積極的な能動的なお働きの象徴」です。しかも、その右の手は、人間的に絶望と見られるような状況で、その故にこそ高く掲げられ、力ある働きをなさると約束されています。今私たちは国民として大変な状況にあります。それだからこそ、神の右手の力あるお働きを信じ、より頼みましょう。
 
3.賛美の影響:周辺の町々にインパクト
 
 
大いなる喜びの声とその影響:この歌声は、周辺の町々にまで聞こえたと記されています(43節)。そこには、この祝典に参加できなかったイスラエル人もいたでしょうし、イスラエルに敵対的な人々もいたことでしょう。双方の人々に、神の力と恵がデモンストレートされたのです。神の与えなさった喜びの輪は、自分たちだけの喜びに留まらず、周りの人々に大きな影響を与えるものであることを示唆します。
 
おわりに:中目黒会堂に関する感謝
 
 
来月は、私たちの中目黒教会献堂8周年です。イメージとして、ネヘミヤの奉献式が会堂の献堂式と重なってしまうのですが、私は、この会堂にまつわる全てのことについて「感謝」の一語に尽きる思いを持っています。最もよき時に広尾の借地権が売れたこと、最も良き場所に会堂用地が備えられたこと、最も良き設計家が与えられたこと、そして、必要が不思議なように満たされたこと(目標を一年前倒しして、来年借入金の全てを完済するとことまで導かれたこと)、そしてこの会堂を通して多くの方々が主を知るように導かれたこと、本当に感謝です。

今も生きておられる主は、私たちの日常生活の細々した点まで力強い御手を持って助けてくださるお方です。主を信頼して、今週の歩みを始めましょう。
 
お祈りを致します。