礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年10月30日
 
「神のための熱心」
ネヘミヤ記連講(23)
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記13章15-22節
 
 
[中心聖句]
 
  22   私はレビ人に命じて、身をきよめさせ、安息日をきよく保つために、門の守りにつかせた。
(ネヘミヤ記13章22節)


 
聖書テキスト
 
 
15 そのころ私は、ユダのうちで安息日に酒ぶねを踏んでいる者や、麦束を運んでいる者、また、ろばに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけた。それで私は、彼らが食物を売ったその日、彼らをとがめた。16 また、そこに住んでいたツロの人々も、魚や、いろいろな商品を運んで来て、安息日に、しかもエルサレムで、ユダの人々に売っていた。17 そこで私は、ユダのおもだった人たちを詰問して言った。「あなたがたはなぜ、このような悪事を働いて安息日を汚しているのか。18 あなたがたの先祖も、このようなことをしたので、私たちの神はこのすべてのわざわいを、私たちとこの町の上に送られたではないか。それなのに、あなたがたは安息日を汚して、イスラエルに下る怒りを加えている。」
19 安息日の前、エルサレムの門に夕やみが迫ると、私は命じて、とびらをしめさせ、安息日が済むまでは開いてはならないと命じた。そして、私の若い者の幾人かを門の見張りに立て、安息日に荷物が持ち込まれないようにした。
20 それで、商人や、あらゆる品物を売る者たちは、一度か二度エルサレムの外で夜を過ごした。21 そこで、私は彼らをとがめて言った。「なぜあなたがたは、城壁の前で夜を過ごすのか。再びそうするなら、私はあなたがたに手を下す。」その時から、彼らはもう、安息日には来なくなった。22 私はレビ人に命じて、身をきよめさせ、安息日をきよく保つために、門の守りにつかせた。私の神。どうか、このことにおいてもまた、私を覚えていてください。そして、あなたの大いなるいつくしみによって私をあわれんでください。
 
1.喜びの奉献式(12章=復習)
 
 
先回は12章から「喜びの奉献式」というテーマで、エルサレム社会の新出発を祝う喜ばしい式典の模様を見ました。少し復習しましょう。

・城壁の上を行進(イラスト@と地図):
エルサレムとその周辺の住民が一つところに集い、エルサレムの南西にある谷の門から、二手に分かれて城壁の上を行進したのです。右回り隊は聖書学者であるエズラを先頭に、左回り隊はユダヤ総督ネヘミヤを中心に。各隊とも、ラッパ、シンバル、立琴などなどの楽器にみち日かれ、コワイアの指導の下みんなで力いっぱい感謝と賛美を歌いながら行進しました。女の人や子供たちまで、汗を流し、時には手に怪我をしながらも一つずつ積み上げたその石の上を歩いて行ったのです。

・神殿で賛美と供え物:
二つの隊は神殿の東側で合流し、一層大きな声で賛美しました。神が活きておられること、その御手をもって大きな働きをしてくださったことを心から賛美しました。
 
2.それから12年(13章)
 
 
・ネヘミヤの帰国:
ネヘミヤは、工事と社会形成と奉献式を終えて12年ほど経ってから、ペルシャ宮廷に戻りました。彼のエルサレム行きは皇帝からの「休暇」に基づいていたからです。ネヘミヤは先ず皇帝に報告を行ない、そして再度の許可を得て、エルサレムに戻りました。彼がエルサレムを不在にした期間の長さについては記されていません。ただ状況からみて一年以内と思われます。つまり、BC432年ごろエルサレムに戻っていたことが示唆されます。

・礼拝精神の綻び:
ネヘミヤがペルシャを訪問している間に、残念なことですが、ネヘミヤが苦心して築き上げた礼拝的共同体には綻びが入っていました。鬼のいない間に洗濯ということでしょうか。問題点としては、

@神殿が不信仰者に使われていた(1−5節)
Aレビ人に給与が払われていなかった(6−14節)
B安息日が破られていた(15−22節)
C祭司が異邦人と結婚していた(23−31節)

どれ一つ取っても、厄介な問題ばかりでした。

・ネヘミヤの改革:
見てみぬ振り、問題先送り、というのはネヘミヤのやり方ではありませんでした。祈りと勇気と知恵をもって、それら一つ一つに取り組みます。

今日は、13章の順序から言うと後になりますが、その内の一つである安息日問題を取り上げます。ネヘミヤの宗教改革と、明日記念日を迎えるドイツの宗教改革と共通の要素があるからです。
 
3.安息日を清く保つ
 
 
・「安息日破り」:
12年ぶりに戻ったネヘミヤは、安息日に礼拝を捧げるために神殿に行きました。驚いたことに、その行きにも帰りにも、エルサレムの市場が大賑わいではありませんか。家の近くで葡萄を踏んでぶどう酒を作っているもの、ちょうど麦の収穫の季節でもあったのでしょうか、麦束を運んでいるもの、ロバに荷を負わせて、ぶどう酒、干し葡萄、干し無花果、など色々な品物を運んでいるものを見つけました。いつもの日よりも繁盛しているような勢いです。また、エルサレムには外国人であるツロ人もいました。彼らは世界を股にかける商売上手の人々です。彼らは、エルサレムでは中々手に入らない魚などを地中海沿岸から運び込んできたのでしょうか。安息日特別セールという幟まで立てて売っていました。(イラストA)多分魚の門がそのセールスの場所だったと思われます。

・ネヘミヤが叱る:
ネヘミヤは、困ったものだとただ心を痛めていたり、陰で文句を言ったりする男ではありませんでした。15節に「食物を売ったその日、彼らを咎めた」とあります。人に忠告をするときに大切なのは、具体的な悪事を見たら、その時、その場で注意することです。後になって間接的にものを言うのは男らしくありません。それだけではなく、指導者達を集めて「詰問」します。安息日を汚すことは神の律法を破ることだということ、そして、安息日破りこそが神の怒りを引き起こし、エルサレムの滅亡という結果となったのだということでした。

・安息日に門を閉じる(イラストB):
ネヘミヤの行動は徹底しています。金曜日の夕刻、つまり安息日の始まりの時刻に、エルサレムの全ての門を閉じ、見張りを立て、安息日に荷物の出入りを禁止しました。

・外で待つのも禁止(イラストC):
敵もさる者、今度は、行商人が荷物を抱えたまま、エルサレムの城外で開門を待つという行動に出ました。安息日に動かなければ良いのだろうという、いわば開き直った行動です。こうすると、城内のユダヤ人は、そっと通用口を開けて夜中に買い物をする誘惑を感じたのです。ですからネヘミヤは、これに対しても実力行使をもって逮捕するぞと脅かします。

 
4.神のための熱心
 
 
・安息日の大切さ:
ネヘミヤがこのように、しつこいまでに「安息日厳守」を強制したのには、訳があります。それは、安息日とは、神を覚えて祈る日であり、安息日を破ることは神を無視すること、神の命令に背くことという確信があったからです。この安息日遵守こそ、ユダヤ人とそれ以外の人々とを区別する徴であり、ユダヤ人のアイデンティティを保つ道だったからです。

・ネヘミヤの熱心の理由:
彼の熱心は、民族を思う熱心であり、民の福祉を思う熱心でありましたが、それ以上に、神のみ心に従い、神のためを思う熱心でありました。主イエスが縄の鞭を持って神殿の商売人を追い出した時、ヨハネは「主の家を思う熱心が私を食い尽くす」という言葉を思い出した(ヨハネ2:17)のと似ています。

・私たちも熱心であろう:
さて、ネヘミヤの時代から2400年が経ち、その間に主イエスの贖いのみ業によって、律法の細かい決まりは無くなりました。しかし、ネヘミヤが神を畏れたその熱心、その熱心によって人々を指導した熱心は受け継がなければなりません。
 
5.マルチン・ルターの熱心
 
 
ネヘミヤから約2000年経過した、1517年、ドイツにおいて宗教改革が始まりました。

・熱心に求道する:
一番マジメな修道士=マルティン・ルターは、1483年、ドイツのアイスレーベンという小さな町に、鉱山経営者の息子として生まれます。胡桃を一つ盗んだとき、母から血が出るまで鞭打たれたというほどの厳しい躾で育ちます。エルフルト大学で哲学を学び、法律に進もうとする夏休みの帰途、雷に遭います。マルチンとアレクシスという二人の大学生が夏休みを終わって、大学へ帰る森の道を歩いていました。突然の雷で地べたに吹っ飛ばされたマルチンは、ふと、目をあけてアレクシス大丈夫かいと聞こうと思ったら、アレクシスが冷たくなっています。その雷はまだ続いています。マルチンは祈りました、「神様、私を助けて下さい。もし命を助けて下さったら、大学は止めて、修道院に入って神様にだけお仕えする人生に入ります。約束です。」雷は段々遠くなりました。マルチンは、神を喜ばせようと助かれば修道士になると誓ったことから、修道士になります。神に対して熱心な修道士でした。修行を続けましたが、神を喜ばせようとすればするほど、自分の罪深さと弱さを見せ付けられ、大いに悩みます。ある時は、教会の階段を膝で上ったら救われる、という言い伝えを信じて、やってみました。膝が血だらけになりましたが我慢して一番上まで登りました。でもこれって何になるの、って心が虚しくなっただけでした。

・救いを頂く:
信仰によって救われる!=その時彼はウィッテンベルク大学の教授の仕事を命じられます。教授職を引き受けたルターは、ローマ人の手紙の講義を行うのですが、その準備のために大学の高い塔に設けられた研究室に閉じこもり、聖書と真正面から取り組みます。その時の感想を記したものが次の文章です。「私は日夜、ローマ1:17の言葉の意義を思い巡らそうと努めました。遂に、神は私を憐れんで、神の義とは、それによって義人が生きるようになる神の賜物、つまり、信仰のことである、ということを理解し始めました。しかも、この『神の義が福音のうちに現わされる』という文章は受身形であって、憐れみ深い神が信仰によって私達を義としてくださる、ということをも理解しました。それが、『義人は信仰によって生きる』という意味だと理解したのです。この時、私は全く生まれ変わって、パラダイスに入ってしまったように感じました。その瞬間、聖書のすべてのページが私にとって明らかなものとなってきたのです。」と。罪責感に悩む一人の魂が聖書の御言によって解放されたのです。

・免罪符(罪を赦すお札)の販売に抗議する:
1517年、ローマの聖ペテロ大聖堂の再建の資金集めのために、免罪符の販売人テッツェルが、ウィッテンベルクの近くにやってきました。テッツェルは、「免罪符は、あらゆる罪にたいする完全な赦しを与える」と宣伝しました。自分の牧会する信徒が、こんな間違った教えに惑わされてはいけないという気持ちから、10月31日、ウィッテンベルク城教会の扉に95か条の抗議文を貼り出しました。ルターのこの主張は、ローマ・カトリック教会内で大問題を引き起こします。教会側は理論的にまた、物理的圧力を加えてルターを沈黙させようとしますが、ルターは一歩も引かず、その主張をエスカレートさせます。神に対する熱心が、その改革運動を拡げて行きます。ネヘミヤのような、ルターのような、神に対して熱心な人々がいたからこそ、今の教会があるのです。
 
おわりに
 
 
私たちの信仰はどうでしょうか。何となく神様に従っているような、世の中のあり方に従っているような、中途半端なものではないでしょうか。もう一度、ネヘミヤのような、ルターのような熱心をもって神につかえるものとなりましょう。
 
お祈りを致します。