礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2011年11月6日
 
「どうか、私を覚えて」
ネヘミヤ記連講(24)終講
 
竿代 照夫 牧師
 
ネヘミヤ記13章23-31節
 
 
[中心聖句]
 
  31   私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。
(ネヘミヤ記13章31節)


 
聖書テキスト
 
 
23 そのころまた、私はアシュドデ人、アモン人、モアブ人の女をめとっているユダヤ人たちのいるのに気がついた。24 彼らの子どもの半分はアシュドデのことばを話し、あるいは、それぞれ他の国語を話して、ユダヤのことばがわからなかった。25 そこで、私は彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせて言った。「あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、あなたがたの息子、あるいは、あなたがた自身が、彼らの娘をめとってはならない。26 イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。27 だから、あなたがたが外国の女をめとって、私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行っていることを聞き流しにできようか。」28 大祭司エルヤシブの子エホヤダの子のひとりは、ホロン人サヌバラテの婿であった。それで、私は彼を私のところから追い出した。29 私の神。どうか彼らのことを思い出してください。彼らは祭司職を汚し、祭司やレビ人たちの契約を汚したからです。30 私はすべての異教的なものから彼らをきよめ、祭司とレビ人のそれぞれの務めの規程を定め、31 定まった時に行うたきぎのささげ物と、初物についての規程も定めた。私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。
 
はじめに
 
 
今年の2月から始めましたネヘミヤ記の連講ですが、今日で終わります。ネヘミヤと共に歩んだ1年であったことを私個人としても感謝しています。
 
1.「安息日を聖く保つ」改革(13章前半=復習)
 
 
先回は13章前半から「安息日を聖く保つ」ために戦ったネヘミヤの姿を学びました。

・ネヘミヤの帰国と問題の発見:
工事と社会形成と奉献式を終えてからペルシャ宮廷に戻ったネヘミヤは、再び皇帝からの許可を得て、エルサレムに帰りました。ネヘミヤがペルシャを訪問している間に、礼拝的共同体には綻びが入っていました。その問題とは、

@神殿が不信仰者に使われていた(1−5節)
Aレビ人に給与が払われていなかった(6−14節)
B安息日が破られていた(15−22節)
C祭司たちも異邦人と結婚していた(23−31節)

・安息日遵守の戦い:
安息日とは、神を覚えて祈る日であり、イスラエル人のアイデンティティを保つ大切な制度でした。この日を商売のために使っていた人々に対して、ネヘミヤは厳しい態度をもって臨み、礼拝の態度を確立します。
 
2.外国人との結婚の事実(23−24節)(地図参照)
 
 
・一般人の間で:
安息日問題に続いて、人々が外国人と結婚していた問題をネヘミヤは追及します。23−24節を読みます。「そのころまた、私はアシュドデ人、アモン人、モアブ人の女をめとっているユダヤ人たちのいるのに気がついた。彼らの子どもの半分はアシュドデのことばを話し、あるいは、それぞれ他の国語を話して、ユダヤのことばがわからなかった。」人々は、西海岸地方のアシュドデ人、ヨルダンを越えた西に住むアモン人、その南に住むモアブ人の女性を妻にしていました。アシュドデ人は、城壁再建に厳しく妨害を加えた人々です(4:7)。アモン人の大将はトビヤで、これまた、サヌバラテと共にネヘミヤに手厳しく攻撃を加えた人です。そのアモン人、更にモアブ人と親戚づきあいをするとは、どんな神経なのでしょうか。その子ども達はそれぞれの言葉を話し、ヘブル語(アラム語)を話せなくなっていたほどでした。アシュドデ語はエジプト語系で、ヘブル語とは大分違っています。他の二つはヘブル語と同じセム語系で、共通の要素はありますが、異なる要素も多くあります。それにしても、互いの言葉を混同することは問題でした。

・大祭司がサヌバラテと親戚!:
さらに、28節には、「大祭司エルヤシブの子エホヤダの子のひとりは、ホロン人サヌバラテの婿であった。」と続きます。大祭司の孫ですから、大祭司職を受け継ぐ可能性のある男です。彼が、こともあろうにホロン人サヌバラテの娘を娶っていたのです。サヌバラテは北隣のサマリヤ州の総督で、ネヘミヤが指導するエルサレム城壁再建に徹底的に妨害を加えた男です。彼の罵り、嘲り、陰謀、多数派工作、実力行使によって、ネヘミヤは終始苦しめられ、窮地にたたされました。その男の娘を大祭司の子供が娶るとは、全くアンビリバヴォーです。ネヘミヤの改革事業に対するあからさまな挑戦でもあります。遡って4節を見ると、大祭司エルヤシブはサヌバラテの悪友トビヤと親しい関係(親戚関係)にあったとも記されています。これは、ただならない問題でした。
 
3.外国人との結婚の危険性
 
 
・信仰の危機:
21世紀の今日、国際結婚は一般的で、それに対する差別、偏見は、あまりなくなりました。それはそれで良いのですが、この当時の問題はそれとは別次元の課題でした。偶像崇拝が強かった周辺民族に囲まれていたイスラエル民族は、彼らの影響から自らを守ってヤハウェ信仰の確立する戦いの中にあったのです。神の民は、罪深い民族の影響から厳密に分離されている必要がありました。特に純粋な信仰を守る立場にある祭司達が進んで外国人女性を妻とすることは、全くもって信仰継承の危機を孕んでいたと言うべきです。

・真実さの危機:
もう一つの問題は、彼らが神に対して「呪いと誓いをもって」固く結んだ盟約を自分から破ったことでした。10:30を見ると、人々が厳粛に誓った盟約の第一条が、異教徒との結婚をしないということでした。つまり、自分から誓った盟約に自ら破ったところに問題がありました。イスラエル民族は誓ったことに忠実であるのが取り柄だったはずなのに、その真実さを自分で裏切ったのです。この原則を重々知っているはずのイスラエル民族が、重ね重ねその原則を破る行動に出たのは、結婚によって、周りの人々に同化しようとする人間的意図があったからと思います(9−10章、特に9:1−4参照)。

・政治的危機:
ネヘミヤの改革の目的は、主を畏れる礼拝共同体としてのイスラエルの再建でした。しかし、それに対してあからさまに反対するグループと親戚関係で結びつくこと、特に指導的立場の人々の行動は、イスラエルの政治的独立を危うくする道でもあったのです。
 
4.ネヘミヤの対応(25−28節)
 
 
・厳しい体罰:
ネヘミヤは、「彼らを詰問してのろい、そのうちの数人を打ち、その毛を引き抜き、彼らを神にかけて誓わせ」ました。詰問、のろい、打ちたたく行為、毛の引き抜き、誓いの強要、どれ一つ取っても激烈、過酷です。「のろい」というのは、今日的な意味での呪いではなく、神の裁きの宣言と思われます。髭を引き抜くのも過激ですが、エズラが民の雑婚を知った時、民を悔い改めて自分の髪の毛と髭を引き抜いた(エズラ9:3)とありますから、毛を抜くのは悔い改めを迫る儀式のようなものです。いずれにせよ、ネヘミヤの取った態度は、クリスチャン的見方からすると行き過ぎのように見えます。旧約と新約とで、主の聖徒が取る態度に差があることは明白ですが、その根底にある「主に対する熱心」は汲み取る必要があります。彼の行動は、先ほど述べた、異教の影響への戦いという文脈から見ると頷けます。

・厳しい言葉:
「あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、あなたがたの息子、あるいは、あなたがた自身が、彼らの娘をめとってはならない。26 イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。27 だから、あなたがたが外国の女をめとって、私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行なっていることを聞き流しにできようか。」外国人との結婚が、どんなにイスラエルの歴史に影を落としたかという点について、ネヘミヤはソロモンの例を挙げます。1列王11:1−6には、ソロモンが如何に妻達の偶像教に影響されたかが記されています。「ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。』と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。」何と厳粛な警戒でしょうか。

・厳しい処置:
さらに、28節のホロン(サマリヤ)人サヌバラテの婿となった男について、「私は彼を私のところから追い出した。」と続きます。私のところとは、ネヘミヤの参謀・側近と言う意味でしょう。ネヘミヤは、その地位から彼を追放しました。大祭司の家庭だから規律を甘くするのではなく、反対に、大祭司だからこそ自らに厳しくあることを要求しました。レビ記21:14を見ると、祭司たるものは「ただ、自分の民から処女をめとらなければならない。」と、一般人よりも厳しい倫理基準が要求されていました。ですから、彼はユダヤの共同体から追放されたのです。では、この孫は追放されてどこへ行ったのでしょうか。歴史家ヨセフスは、この男が舅のサヌバラテのところに身を寄せ、サヌバラテによってゲリジム山に建てられた神殿の祭司になったと伝えています。つまり、サマリヤ教の開祖となったというのです。もし、これが本当とすると、主イエスの時代にあったユダヤ人とサマリヤ人との確執の根はこの辺にあったと言うことになります。何と厳粛なことでしょう。
 
5.ネヘミヤの最後の祈り(29−31節)
 
 
・悪をする者への審判を祈る:
ネヘミヤは、ここで二つの祈りを捧げています。第一は人々の悪を思い出してくださいと言う審判的祈りです。「私の神。どうか彼らのことを思い出してください。彼らは祭司職を汚し、祭司やレビ人たちの契約を汚したからです。30 私はすべての異教的なものから彼らをきよめ、祭司とレビ人のそれぞれの務めの規程を定め、31 定まった時に行なうたきぎのささげ物と、初物についての規程も定めた。」ここに、ネヘミヤの改革にかける心情が吐露されています。「彼らは祭司職を汚し、祭司やレビ人たちの契約を汚したから」である、と。聖くあるべき祭司職、聖くあるべきレビ人の立場、これらについて、妥協の余地はありませんでした。私達も、周りに不正を見るときに、語らねばならない時があります。ただ、語る時には、主の導きと知恵が必要です。ネヘミヤはただ激高して悪に立ち向かっただけではなく、知恵をもって、再発防止の規定を作ります。

・主に従う者への恵を求める:
もう一つは、この備忘録全体を閉じるに当たっての総まとめ的な祈りです。「私の神。どうか私を覚えて、いつくしんでください。」と。彼の生き方は先週も学びましたように、「神に対する熱心」でした。何をなすにも、ネヘミヤの行動基準は、それが主のために役立つかどうかということでした。彼が、主のみ旨と信じた事柄については、どんな犠牲を払っても成し遂げる一貫性と忠実さを持っていました。主が、その心情を見てくださるように、それに答えてくださるようにとの祈りです。ネヘミヤの日記における祈りは、私たちに、あらゆる場合に主に祈り、主に全ての重荷を委ねるべきことの大切さを教えてくれます。ネヘミヤは、この記録を遠い昔のこととして書いたのではなく、その時その時の備忘録として記しました。そこにネヘミヤ記の描写が活き活きしている秘密があります。彼の息づかいを見る思いです。
 
おわりに:「私を覚えて」と祈ろう
 
 
・現在の課題を担い給う主に:
私達も、問題課題にぶつかるその時に、真剣に祈り、祈る内容を紙に記し、そして最終的には主に委ねるという心の姿勢を持ちたいものです。

・生涯の評価を行い給う主に:
また、私たちが生涯をどのように評価されるか、それも主の御手に委ねたいと思います。人は色々高く評価したり、無視したりすることでしょう。それは問題ではありません。主に向かってする真実な心の動機は、主が覚えていてくださり、主が評価してくださいます。この信仰に励まされつつ、ネヘミヤ記連講を終わります。
 
お祈りを致します。