・ユダヤ王ヘロデ(BC40−4年)の時: 5節には、「ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。」と、ザカリヤの時代が紹介されています。イスラエルの捕囚以来、ペルシャ(BC6世紀)、ギリシャ(BC4世紀)、ローマ(1世紀)という世界帝国によって、パレスチナは植民地支配を受け続けます。エドム人ヘロデは、ユダヤの支配階級と姻戚関係を結び、ローマの支配者と援護でユダヤ王になりました。彼は多くの親族や政敵を殺し、過酷な支配を続けました。そんな暗黒の時代は、民衆の間に強いメシア待望を生み出します。メシアの来臨を祈る特別な祈りのグループがエルサレムの神殿内に生まれ、アンナとかシメオンという人々は自分の目の黒い内にメシアが現れるという御告げ迄受けていました。ザカリヤもメシア待望祈祷会のメンバーであったと思われます。 |
・祭司ザカリヤ: ザカリヤ(名前の意味は「主の記念」)は祭司でした。その妻エリサベツと共に「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。」(6節)のです。多くの祭司が住まいとしているエリコではなく、ユダの山地の小さな町を住まいとしていたことでも、その生活の質実さが分かります。しかし、問題がひとつありました。「エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。」(7節)のです。子供が与えられるように家庭礼拝のたびに祈っていましたが、それも半ば諦めの祈りとなっていました。 |
・神殿での奉仕: 「さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。」(8−9節)当時イスラエルには二万人近い祭司がいましたが、彼らは24組に分かれていて、交替で一年に2週間神殿の奉仕をします。そして、その組の中でくじ引きに当たった人が聖所での奉仕をすることになっていました。しかも、くじが当たると、二度と籤を引いてはならないという決まりがありましたから、この勤めは、ザカリヤにとって最初で最後でした。ザカリヤは、この記念すべき晴れ舞台の朝、身を清め、恐れと戦きをもって主に仕えるそなえをしました。 |
・天使のみ告げ: 「ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。・・・ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。・・・彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子供たちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(11−17節)神殿で香を焚き、順序どおりの礼拝を捧げていたザカリヤに天使が現れ、メシアの先駆者であるヨハネがザカリヤ・エリサベツに生まれることを告げるのです。 |
・不信仰的な答えと叱責: 「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」(18節)ザカリヤの祈りは見事に答えられたのですが、いざ本当にそのことが起きると告げられて、動転してしまいます。主の恵みを単純に捉える代わりに、一歩引いたような言葉が出てきてしまいました。こんな年寄り達にどうして子供ができようかと言ってしまったのです。冷静に考えてみれば、アブラハムやイサクの例もあり、決してありえないことではないのに、つい疑いの言葉が先に出てしまいました。これに対して天使は、「見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」(20節)ザカリヤは、必ず実現する神の言葉を信じなかった不信仰のゆえに口が利けなくなりました。勤めの期間を終えて自宅に戻ったザカリヤを、妻のエリサベツは温かく迎えました。沈黙の10ヶ月、ザカリヤは旧約聖書からメシア預言を学び直し、その期待感を強めて行きます。 |
・ヨハネの誕生と命名: 「さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産」見ました(57節)。ザカリヤが、「書き板を持って来させて、『彼の名はヨハネ。』と書いた」時、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」(63−64節)のです。因みに、ヨハネは「主の恵み」という意味です。ザカリヤは、それまで暖めてきた自らの不信仰への反省と神の恵への感謝の爆発を賛歌という形で表しました。 |