礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2012年2月26日
 
「聖霊をもって証印を」
エペソ書連講(4)
 
竿代 照夫 牧師
 
エペソ人への手紙1章7-14節
 
 
[中心聖句]
 
  13   またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
(エペソ1章13節)


 
聖書テキスト
 
 
7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。8 神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、10 時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められるのです。
11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。
 
はじめに
 
 
復習:恵み・贖い・赦し・奥義(イラスト):
昨週は、7節を中心に「贖い、神の豊かな恵み」と題してお話しました。7−10節の思想の流れを示す4つキーワードを図式で表したイラストを覚えておられることでしょう。パウロの思想の豊かさ、雄大さに感動しました。

パウロの賛歌:
神の大いなる救い:3−14節は、神の大いなる救いに関するパウロの賛美です。その賛美は三つの段落に分かれます。
@「父の偉大な計画」(3−6節)
A「キリストの贖い」(7−10節)
B「聖霊のお働き」(11−14節)
パウロは、「三位一体」という言葉こそ使いませんが、実質的に三位一体の神をたたえているのです。さて今日のテキストに入ります。
 
1.ユダヤ人クリスチャン=神の特別相続人
 
 
11−12節を読みます。「このキリストにあって、私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。」

・キリストに望みを置いていた:
ここで、パウロが「私たち」と言っているのは、パウロを含むユダヤ人クリスチャンのことです。というのは、13節で「あなたがたは」という言葉で、異邦人クリスチャンであるエペソ教会の信徒と対比しているからです。

・御国を受け継ぐものと定められていた:
そのユダヤ人たちは「前からキリストに望みをおいていた私たち」と表現されています。パウロがここで「キリストに望みをおいていた」と言っているのは、メシア待望のことです。ユダヤ人たちは、「御国を受け継ぐもの」として、予め定められていたというのです。
 
2.「御国を受け継ぐ」素晴らしさ
 
 
・イスラエルは神の相続地:
ここで使われている「御国を受け継ぐ」という言葉は、「クレーロオー」という動詞の受身・アオリストです。この動詞は「クレーロス」(籤、割り当て)という名詞から来たもので、意味としては「土地を籤で割り当てる」ということです。これが受身となるので、「イスラエルは、くじで割り当てられた神の相続地である」ということになります。彼らに何かが与えられるのではなく、彼ら自身が相続地なのです。申命記32:9に「主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブ(イスラエル)は主の相続地である。」と記されているのと符合します。イスラエル自身には、不服従のケースが多々あったことでしょう、しかし、それによって彼らの身分は変らず、主は祝福を注ぐと決めておられたのです。
 
3.異邦人クリスチャンもその特権に
 
 
・異邦人クリスチャンもその特権に参与:
11−12節で「私たちは・・・」と言いながらユダヤ人クリスチャン達の特権について言及したパウロは、13節で「あなたがたは」という言葉で「異邦人クリスチャン」について言及します。お話しましたように、エペソ人クリスチャンの殆どは、異邦人的背景から来ています。それらのクリスチャン達も、先発のユダヤ人クリスチャンと同じような、神の相続財産を頂くのです。その光栄・富・役割などについては、ユダヤ人クリスチャンと全く変わりません。

・歴史的には、紆余曲折を経て受け入れられた:
実際の歴史の中で、異邦人クリスチャンが教会に受け入れられた過程は、簡単なものではありませんでした。ペンテコステから数年経って、ペテロがローマ軍の隊長であるコルネリオに伝道したのもおっかなびっくりの第一歩でした。その後、アンテオケにおいて異邦人が次々信仰を持って教会の一部として加えられたのですが、それについてもエルサレム教会はかなり疑心暗鬼でした。さらにその後、主としてパウロの伝道活動を通して、アジヤ州、マケドニヤ州、アカヤ州の異邦人達の間に福音が急速に広まっていったのですが、母教会であるエルサレムのユダヤ人クリスチャンは、心から素直に受け入れたのではなく、こわごわ受け入れたという状況でした。このエペソ書が書かれた60年頃は、「異邦人」が神の民として受け入れられ始めてから、未だ一世代しか経っていないと言う歴史的背景を理解しなければなりません。

しかし、こんな「歴史の浅い」異邦人クリスチャン達もユダヤ人クリスチャンと全く変わらない神の家族だ、その理由は彼らにも「聖霊の証印が与えられた」からだ、とパウロは言うのです。
 
4.エペソ教会信徒と聖霊との関係
 
 
・聖霊が与えられて「本物の」クリスチャンに:
さて、その聖霊の証印について解説する前に、エペソ教会の信徒と「聖霊」との関わりを思い出していただきたいのです。エペソ教会の礎となった12人のクリスチャン達は、最初聖霊の何たるかを知らず、ヨハネ的なバプテスマを受けただけで、聖霊のお働きには無知でありました。そこにパウロが登場し、聖霊を受けるための指導を行ないます。使徒19:1−7をお開きください。「パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、『信じたとき、聖霊を受けましたか。』と尋ねると、彼らは、『いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。『では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、『ヨハネのバプテスマです。』と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。その人々は、みなで十二人ほどであった。」エペソ教会の信徒は、最初アポロから福音を聞いて信じたものの、その福音が、活ける聖霊との関わりを欠いたものであった、つまり、不十分な信仰経験しかもって居なかった、そこで、パウロの伝道によって、活ける聖霊と繋がった本物のクリスチャンとなったという経緯があるのです。
 
5.聖霊の証印
 
 
・契約書を実効あるものとする証印:
ここでパウロは、聖霊のお働きについて、二つの言葉を使っています。第一は「証印」ということば、第二は「手付金」という言葉です。両方とも、法律的な手続きに関するものです。第一の「証印」とは、文字通り、契約書に捺印して、その効果を確かなものとするためのものです。どんなに立派な契約書があっても、そこに当事者の捺印がなければ、只の文書です。しかし、そこに捺印されると、そこに書かれていることが実効的になるのです。

・キリストの贖いを個人に適用する聖霊:
キリストの救いも同じです。十字架によって成し遂げられた贖い、復活によって確かなものとされた救いは、そのままでは契約文書のようなものです。しかし、聖霊がその効果を私たちの心に印刻されると、その贖いが本当に私たちのものとなるのです。

・証印の前のステップ@「聞く」:
さて、13節後半では、その証印を頂くために私たちが取るべきステップとして、「聞く」と「信じる」という二つの行為を示唆しています。福音は、先ず「聞く」ことから始まります。ローマ10:17は「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについての御言による」と言います。聞かなければ、話は始まりません。テサロニケ信徒がパウロの言葉を聞いたとき、神の言葉として受け入れたように(1テサロニケ2:13)、まず私たちは福音の言葉をしっかりと聞く必要があります。

・ステップA「信じる」:
第二の段階は「信じる」ことです。ヘブル11:6にあるように「神に近づくものは、神がおられること、神を求めるものには報いてくださること」を信じなければなりません。その明確な信仰告白に伴って、聖霊は、その魂に「あなたは神の子として受け入れられた」という確信を与えます。ローマ8:15は、「あなたがたは、・・・子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます。」と言っています。御霊が契約書の捺印のように救いの確かさを与えるのです。皆さんは、この確かさを頂いているでしょうか。もし、それがどうも確かでないとお思いでしたら、「聞く」と「信じる」というステップをしっかり踏んでください。
 
6.聖霊が保証する
 
 
・保証とは「手付金」のこと:
14節に進みます。聖霊についての第二の言葉は、「保証」です。これは、土地その他の物件の購入の約束に関わる「手付金」のことです。契約の全額ではないが、その金額の一部を支払うことで、契約を確かなものとします。契約が完全に履行される時には、手付金はその一部とみなされます。

・今の恵みは、更に豊かな恵みの前味わい:
さて、聖霊が手付金とはどういうことでしょうか。短く言えば、聖霊が与えられていること、聖霊によって与えられている恵みは、私たちがやがて受け継ぐはずの大いなる恵みの始まり、保証なのだということです。その手付金でも素晴らしいのですが、契約が全部満たされる時、もっと豊かな恵みを頂くのです。2コリント5:1−5を開きましょう。「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。・・・確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」私たちが今頂いているのは、豊かな恵み、つまり、私たちの体が栄光の体に変えられるという素晴らしい恵みの前味わいなのです。料理で言えば、前菜にしか過ぎないということです。前菜だけでおなかが一杯になってしまう人もいますが、実は、前菜は、これから始まるフルコースのためのアペタイザーなのです。
 
7.御国を受け継ぐ
 
 
・神の所有となる(出19:5):
14節に「御国を受け継ぐこと」という表現が使われています。11節にも「御国を受け継ぐ」という表現がありますが、そのクレーロオーとは異なり、「ペリポイエーシス」(蓄えておくこと、所有)という言葉が使われています。その元となる動詞、ペリポイエオーとは、「蓄える、獲得する」という意味です。神が用意しておられるフルコースのことなのです。

・イスラエルへの約束は、異邦人クリスチャンのものとなる:
ここでパウロが、異邦人クリスチャンは神の所有である、と宣言しているところが大切です。彼らは、旧約聖書において、「イスラエルこそ神の所有」である(出19:5)と語られたと同じような意味で、神の所有なのです。イザヤ43:4には「私の目には、あなたは効果で尊い。私はあなたを愛している。」という素晴らしい御言があります。また、21節には「私のために作ったこの民は、私の栄誉を宣べ伝えよう」とあります。これは第一義的にはイスラエルに対して語られた言葉です。しかし、私たち(異邦人)はナイーブにも「これは自分たちに語られた言葉だ」と受け取っています。これは良いのでしょうか。良いのです。というのは、私たち異邦人クリスチャンは、ここで神の所有と宣言されているからなのです。イスラエルへの約束は「私たちへの約束」と捉えて良いのです。何という壮大な、(当時にとっては)革命的な思想でしょうか。これこそ主の啓示であると私は確信します。
 
終わりに:大いなる神の栄光を賛美しよう
 
 
このような素晴らしい啓示に接した私たちにできることは、何でしょうか。それは、パウロが14節の締め括りで行なったことと同じです。つまり、「神の栄光がほめたたえられる」ということです。礼拝の終わりに、只々主の驚くべき恵みを賛美したいと思います。
 
お祈りを致します。