礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2012年4月15日
 
「天国が見える!」
召天者記念礼拝に臨み
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き7章54-60節
 
 
[中心聖句]
 
  5   見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。
(使徒7章5節)


 
聖書テキスト
 
 
54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、 56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。
57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。 58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。 59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」 60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
 
はじめに
 
 
今年の召天者記念礼拝に良くおいでくださいました。この日は、先に天国に帰った人々の徳を偲び、同時に今地上にあってこの余の旅路を送っている者たちが天国への希望を新たにする時です。

今日は、その希望を抱いて輝く生涯を閉じたステパノという人物の最期に光を当てて、励ましを頂きたいと思います。
 
1.ステパノという人物
 
 
・名前の意味:
ステパノという言葉は、ギリシャ語で、その意味は「冠」です。英語読みですとStephen(スチーブン)で、親しみのある名前です。彼は、その名前が示すように、ギリシャ語を話すユダヤ人で、非常に国際的な感覚を持った人間でした。

・初代教会の役員:
キリスト教会は、紀元30年、キリストが十字架につけられ、三日後に甦り、その一ヶ月余り後にエルサレムで誕生しました。ステパノは、使徒ペテロのような教会指導者ではなく、教会の貧しい人々に食料を配給する世話係として任命されました。そのうちに、会員のケアだけでなく、説教もするようになりました。力と恵みに満ちたその説教は多くの人々を引き付けるようになりました。

・ユダヤ教指導者と大論争:
ステパノの影響力に脅威を感じたユダヤ教指導者達は、ステパノに論争を挑みます。ステパノは、ユダヤ教の伝統をないがしろにしているというのが非難の理由でした。ステパノは、伝統をないがしろにするどころか、旧約聖書の預言の成就としてのキリストを説いていると説明するのですが、その議論が通じません。

・石打によって最初の殉教者になる:
とうとう議論は最高議会にまで持ち込まれました。ユダヤ教指導者たちは、ステパノの考えが、ユダヤ教を掘り崩してしまう危険な教えであり、神への冒涜であると断じ、有無を言わさず、ステパノを議会の外に連れ出して、石打ちでステパノを葬るのです。こうしてステパノは、キリスト教歴史の中で最初の殉教者となりました。

・殉教は、サウロ(後のパウロ)に影響を与えた:
ユダヤはローマの植民地でしたから、ローマ総督の許可なく死刑を行う事はできませんでした。しかし、彼らは、「神への冒涜」に対する怒りから、法的な処置を取る間もなく、非合法なリンチでステパノを葬ったのです。リンチ事件の責任者を買って出たのが、ユダヤ教の若き学者・指導者であるサウロという男です。かれは、この事件以来、キリスト教迫害運動の先頭に立って、多くのクリスチャンを捉え・投獄しました。しかし、サウロが一番反発したのはステパノに対してでしたが、彼の顔の輝き、ステパノの説教の説得力、そして敵を愛する赦しの精神は、彼の心に深く留まりました。それが潜在的に働いて、後の劇的回心に繋がるのです。そのサウロがパウロと呼ばれるようになり、1世紀における最大の伝道者となって、地中海世界をキリスト教化するようになります。
 
2.ステパノの最期
 
 
・天使のような顔の輝き:
さて、ステパノが議会で詰問に遭っていたときの様子について聖書記者は「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(6:15)と語っています。先週も、ある人が国会の証人喚問にあって、いろいろな会派の人から詰問を受けていました。それを全国放送するわけですから、彼が当惑した顔をするのは当然と思います。しかし、ステパノについて言えば、彼の顔の清さと輝きが反対者達の怒りを圧倒するほどであったというのです。素晴らしいことです。

・迫害者への赦しを祈る:
ステパノは、人々が投げる石が雨霰と降ってくる中で跪き、石を投げつける人々に向かって大声で叫びました、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」この言葉は、彼の殉教の約一年前に起きたキリストの十字架の出来事を思い出させます。キリストは、十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23:34)と赦しの祈りを捧げました。そして、ステパノの最期の言葉は、「主イエスよ。私の霊をお受けください。」でした。キリストの最期のことばも、「父よ、わが霊を御手に委ねます。」(ルカ23:46)でした。ステパノが如何にキリストの精神の中に生きていたかを示すことばです。

・キリストが待っている天国を見る:
その最期の前の記事にこう書かれています。ステパノは、「天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子(キリストの別称)が神の右に立っておられるのが見えます。』」早く言えば、ステパノは、天国を見た数少ない人間の一人です。良く、臨終の人が次の世を見たというような体験を語ることがありますね。臨死体験というそうです。生死の境をさまよっている人が天国に半歩足を踏み入れて、「天国はきれいなところだった」とかその世界を垣間見て、しかし、元気を取り戻すという経験を本にしたものもあるくらいです。さて、ステパノの経験も一種の臨死体験ということが出来ると思いますが、彼のことばの特徴は、「お花畑がきれいだった」というようなロマンチックなものではなくて、もっと具体的です。神の栄光の輝きを先ず捉え、そして、その神の右に立っておられるイエスを見た、というのです。実は、聖書のほかの場所を見ると、イエスは神の右に「座している」と記されています(エペソ1:20、ヘブル1:3その他多数)。そのイエスが、ステパノの殉教の時には「立ち上がって」彼を励ましておられました。もっと言うと、手を広げて彼を待ち構えるポーズをなさったのかもしれません。ステパノにとっての天国は、ディズニーランドに入ったというようなものではありません。ディズニーランドならば、入場券を買って、大勢の中の一人として入っていくわけですが、天国は違います。ステパノは、自分を愛し、励まし、迎え入れてくださる主イエスが自分を見つめている場所という意味で、非常に個人的な親しみのある場所、いわば故郷のようなところでありました。その天国に迎えられる時が来た、何という至福のときだろうかという喜びが、彼の内から輝き出て来たのです。
 
おわりに:「天国に帰る」希望を持って人生を送ろう
 
 
私たちは、何年か前に、また、何十年か前に「天国に帰った」方々を覚えつつ、ここに集まってきました。「天国に帰った」という言い方をしたことに注意してください。彼らは今いる世界と全く別な世界に旅立ったのではなく、「帰るべき故郷」に帰ったのです。故郷を故郷たらしめるものは、兎追いしかの山、でも、小鮒つりしかの川といった環境的なものではなく、そこにおられるお方が鍵なのです。私たちを愛し、私たちの罪を背負って十字架にかかり、死んで葬られ、墓の中から甦り、父なる神の右におられる主キリストと出会う場所、それが天国です。

2009年、日本プロテスタント150周年記念大会が開かれました。その祝賀晩餐会で私と同じテーブルに座った方が、当時「世界最年長の」現役牧師といわれた大嶋常治先生という方でした。当時100歳でしたが、大変お元気で、料理も良く召し上がり、その後、10分ほどの印象深いスピーチをされました。その先生は2010年に101歳で召天されたのですが、多分その時のご縁で、「天国が見えるよ」という著書を送ってくださいました。その中に先生より3年早く召天された奥様のエピソードが載っていましたので引用します。大嶋先生のご長男の談話です。「お母さんをそっとのぞくと、母の顔が輝いているので、思わず声をかけました。『お母さん!天国が見えますか!』と。母はこの質問に、『天国が見えるよ!』と細い声で、はっきり応答しました。側にいた次男の妻が『お母さん、天国はどんなところ?』と、大きな声でたずねたら、母は『みないい。天国はみな良い!』と、いかにも楽しそうに返事をしてくれました。」

私たちもいずれ、この地上の生涯を終えるときが来ます。そのときに、帰るべき場所をしっかりと持っていることは、何よりも大切なことです。更に、天国を見つめ、それに向かって一歩一歩進むことは、もっと大切なことであると思います。

皆さんの祝福を祈ります。