礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2012年7月22日
 
「あらゆる点において成長」
エペソ書連講(18)
 
竿代 照夫 牧師
 
エペソ人への手紙4章11-16節
 
 
[中心聖句]
 
  15   むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
(エペソ4章15節)


 
聖書テキスト
 
 
11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
 
始めに
 
 
前回は、7節の「私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました」というみことばを中心に、賜物がひとり一人異なるものとして与えられているという多様性についてお話ししました。今日は、その異なる賜物がどのように生かされて、キリストの体全体が成長していくのかという課題、つまり連携・連帯について学びます。
 
A.教会は成長する(イラスト@)
 
 
1.教会はキリストの体(12節、1:23)
 
 
12節に「キリストのからだ」という言葉が出てきます。これは、エペソ書全体の鍵となる思想で、1:23で「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところ」と示されてから、パウロはこの思想を拡げて行きます。

 
2.キリストは教会の頭(15節、1:22):成長の目標
 
 
からだのイメージで大切なのは頭です。1:22では、「神は、一切のものをキリストの足の下に従わせ、一切のものの上に立つ頭であるキリストを、教会にお与えになりました。」とありますように、教会の真の指導者がキリストであることを示します。この15節では、「頭であるキリストに達する」という言い方で、キリストが私たちの成長の目標であることを示します。サッカーチームの中に、ドリブルも抜群、シュートも強力、パス回しも上手い、というようなスーパースターが居ると、チームメートがみなそれを目標に上達するのと似ています。主イエスは、私たちのスーパースターです。
 
3.体は成長する(12−13節、14−15節、2:21、22)
 
 
12節では「立て上げる」、13節では「身丈に達する」、15節では、「達する」、16節「成長し、・・・建てられる」という風に、パウロは、教会を「成長」する生物的と捉えています。教会は静止した組織ではなく、活き活きとした生命体として動き、成長するものです。では、どこに向かって成長するのでしょうか。端的に言いますと、それは、キリストらしさが私達個人々々のものとなり、また教会全体として成長して「聖なる宮」、神の住まいとなる事です。2:21―22に「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」と記されている通りです。このように、教会全体が成長するというこの視点は、とても大切であると思います。特に、今までのきよめの説き方においては、信仰生活の個人的な面を説くあまり、共同的な成長が充分強調されなかったように思います。勿論、宗教の基本は我と神という個人関係です。しかし、私という存在は他の人々との繋がり無しにはありえません。ですから、新約聖書は屡々「互いに」という言葉を強調します。互いに相愛せよ、互いに従え、互いに祈れ、と言う具合です。互いに励まし合い、互いに忠告しあい、互いに助け合う、互いに心を開く、こうした経験を通して教会全体の信仰が成長するものです。
 
B.どんな点で成長するのか?(イラストA)
 
 
今日の主題聖句として、15節の「あらゆる点において成長し」という句をとらえました。あらゆる点とは、どんな点なのでしょうか。この文節では、三つの要素を述べていますので、一つずつ取り上げます。

 
1.信仰において(13節a)
 
 
・自分の無力さの自覚:
「私たちがみな、信仰の一致に達し・・・」この信仰の一致とは、信条的な一致のことを言っているのではなく、キリストが本当に救い主であると信じる信仰における一致です。そんなことは当たり前ではないかといわないで下さい。信仰とは、自分が無力・無一物どころか、救いがたい罪の性質にまみれているものだという100%の自覚から信仰は始まります。

・キリストの充分さの認識と信頼:
そして、それを救うものは、他でもない、キリストの贖いだけなのだという謙った自覚から生まれます。その自覚における一致が大切です。反対に言いますと、自分には何かができる、自分は何者かであるという考えが、教会の一致を乱してしまいます。私たちのこの教会が、キリストへの全面的な信仰において一致した群でありますように祈ります。
 
2.知識において(13節b)
 
 
・キリストを知る知識:
「神の御子に関する知識の一致とに達し・・・」とは、キリストをより深く知ることです。1:17―19の表現によれば、私達に与えられた望み、嗣業、力の大きさを知るようになることです。さらに、これは頭だけのキリスト知識ではなく、キリストを個人的に知る者の共通性を表します。キリストを活けるお方として捉え、キリストとの交わりの中に進歩していくことです。それが個人的な営みとしてだけでなく、互いの交わりを通して、互いが成長して行く、それが「一致」という言葉で示唆されていることです。

・誤った教えに惑わされない備え:
パウロは、キリスト知識の反対概念として、「異なる教え」に振り回される状況を14節で描きます。この表現がとても詳しいのは、具体的な背景があったからだと思います。使徒20:30においてパウロは、エペソ教会に対して、自分が去った後、曲がった教えを振りかざして、人々を惑わす者が表れることを警告していますが、これが事実起きていたのでしょう。ここでは、「人の悪巧み」や「人を欺く悪賢い策略」と言われていますが、これはユダヤ教の教師の撹乱工作のことでしょう。「教えの風」とは、ギリシャ哲学のむなしい議論を表わしていると思われます。それらによって、吹き回されたり、(賭けに用いるさいころのように)弄ばれることのないようにと警告します。知識というテーマに戻りますが、異端に対する最も強力な備えは、信仰の成長と、真理の知識における成長です。
 
3.品性において(13節c)
 
 
「完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」とありますが、「キリストの満ち満ちた身の丈」とは、キリストらしくなるということです。キリストらしさとは、その内側の品性の事です。キリストらしい品性は二つの要素に分けられるように思います。

・清さ:
「聖なる宮」として、神の住まいとなる事が示唆されています。2:21―22「主にある聖なる宮」、「御霊によって神の御住まいとなる」ということばは、聖さを示します。清くない所に主は住み給いません。清い場所に神は住まい給う、これが教会の価値であり、目的です。教会の交わりは聖く保たれねばなりません。その構成メンバー一人ひとりも、そしてその集合体である交わりも、聖さがいのちです。「キリストが清くあられるように、自分を清くする」(1ヨハネ3:3)のがクリスチャンです。私達はキリストの花嫁であるのですが、その花嫁らしさは「みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会」(エペソ5:26、27)となることなのです。きよきはオプションの問題ではありません。キリストらしさの大事な要素です。

・愛:
互いを愛する愛と神を愛する愛の大きさにおいて、成長することが必要です。3:17―19で、「キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その(キリストの愛の)広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」とパウロは祈ります。さらに、ガラテヤ5:22−23には、御霊の実として「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」を挙げ、これが教会のゴールであると示しています。
 
C.成長するには?(イラストB)
 
 
14-16節に三つの要素が記されています。
 
1.賜物の有効活用:「それぞれが相応しく」(16節a)
 
 
「からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により」とは、異なる賜物を有効に活用することです。私たちの賜物は、その内容において、力量においてみんな違います。これらが全部「力量にふさわしく働く」ことに依って、人体が維持され、成長するのです。賜物は隠すためにではなく、活用するために与えられています。主に感謝しつつ、主の御力を頼りつつ、賜物を最大限に活用しましょう。私たちは、一人一人、私しか埋められない役割を持っています。そのどこが欠けても、人体としてスムーズに機能しません。だから、置かれた立場で忠実に分を果たすことが必要なのです。
 
2.緊密な協力
 
 
「あらゆる結び目によってしっかりと組み合わされ」という言葉の中に、お互いの連携協力を意味する言葉が三つ出てきます。

・「結び目(アフェー)」とは、「関節」のことです。それが頭からの指令や養分の供給の為に用いられます。キリストの御心と恵みが聖霊を通してひとりひとり行きとどくようにという意味です。

・「しっかりと組み合わされ(スナルモログウメノス=joint together, fit or frame together)」とは、人体の各部が生命的に互いに結合させられる絵のことです。

・「結び合わされる(スムビバイゾメノス=bring together=共に結び付けられている)」とは、連帯のことです。

パウロがここで強調しているのは、信徒は連帯してこそ霊的な命を保ちうるという真理です。単なる共同作業的連帯を指しているのではありません。横なりのメンバー同士の繋がりは、霊的な結び付き、相互に励まし、祈り合う関係なのです。心を開いて話し合う、関心を持ち、祈り合う、こうした助け合いの必要を忘れてはなりません。C・メラーが著した「魂への配慮の歴史」の8巻25頁に、ジョン・ウェスレーが組織した「小グループが造るキリスト者社会」においてこそキリスト者らしい同士意識とキリスト者としての義務感が組織的に養われた、と記されていることは、注目に値します。ウェスレーの言葉によると、「これらの人びとは、共に祈りをするために、ひとつに結ばれました。戒めの言葉を受け止め、互いの愛に目を注ぎ、互いに助け合うためです。自分たちの救いを全うするためです。」(同書31−32頁)ちょうど炭火が一つでは燃えないように、自分だけで立てる信者はいません。ですから、集会を大切にしましょう。小さなグループでの交わりを大切にしましょう。
 
3.愛の絆(15−16節)
 
 
「愛のうちに建てられる」とは、キリスト者の連帯の動力が愛であることを強調した言葉です。では、これは具体的に何を意味するのでしょうか

・愛の建徳:
15節には「愛をもって真理を語り・・」とあります。真理は語っているが愛に欠ける場合があることが示唆されているように思います。むしろ、「愛は人の徳を建てます」(1コリント8:1)とある通り、私たちの会話が破壊的な言動、空気、動機ではなく、建て上げる心をもってなされたいものです。

・愛が動力:
「愛のうちに建てられる」とは、あらゆる奉仕、あらゆる会話、あらゆる営みが、私たちのために命を捨ててくださった主を愛し返す心、互いを真に顧みる心からなされことを示唆しています。
 
終わりに
 
1.一つの目標(キリストらしくなること)に心を合わせよう
 
 
私たちの共通で、最高の目標はキリストらしくなることです。個人でもそうですが、教会全体の営みもそうです。言われて見れば当たり前なのですが、今一度、すべての計画や活動の前に、これを確認しましょう。
 
2.自分の置かれた役割に励もう
 
 
自分の置かれた役割が、どんなに小さなものであったとしても、それを忠実に果たして、主に仕えましょう。今週からオリンピックのサッカー試合が始まります。自分のポジションを確認して、しかも互いの連携の中に勝利を目指して戦います。私たちも、イエス様チームの試合をしているわけですが、大いなる勝利を期待して戦いましょう。
 
お祈りを致します。