礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2012年10月28日
 
「絶えず目をさまし、祈りなさい」
エペソ書連講(29)
 
竿代 照夫 牧師
 
エペソ人への手紙6章14-20節
 
 
[中心聖句]
 
  18   「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
(エペソ6章18節)


 
聖書テキスト
 
 
14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。
 
[前回]:神の全ての武具を身に付ける<イラスト>
 
 
前回は、「神が用意していて下さる全装備を受け取れ」と学びました。イラストにありますように、神は、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音の靴、信仰の大盾、救いのかぶと、神のことばの剣を、サタンの攻撃に対する武器として与えていてくださいます。

この6つにもう一つ、「御霊による祈り」が加えられます。実は祈りこそ、サタンの攻撃に対して立ち向かう最強の武器なのです。
 
A.全ての聖徒のために祈る(18節、コロサイ4:2)
 
 
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」
 
まず、パウロは、祈り一般について、その大切さを強調します。平行のコロサイ書を読みますと、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」(コロサイ4:2)とあります。祈りをどうすべきか、幾つかのポイントを挙げます。
 
1.色々な形で:「祈り(一般的祈り)と願い(嘆願)」
 
 
「すべての祈りと願いを用いて」からこの勧めは始まります。祈り(プロスューヘース)とは一般的な「祈り」です。祈りとは、神への信頼と愛の表現であり、神との会話です。願い(デエーセオース)とは、個別的な願いのことです。祈りには色々な形がありますが、その全ての形を動員して祈るのです。形式に則った祈り・形式によらない祈り、言葉に出さない祈り・言葉に出しての祈り、個人的な隠れたところでの祈り・公的な祈り、祈りの課題のリストに基づく祈り・突然的な祈りも、みな含まれます。
 
2.いつでも:「どんなときにも」
 
 
パウロは「どんなときにも(あらゆる時に)祈れ」と勧めます。1テサロニケ5:17では「絶えず祈りなさい」と語り、先ほど引用したコロサイ4:2では「たゆみなく祈りなさい。」と勧めます。私たちは24時間祈りの部屋に籠って祈るなどということは出来ないでしょうが、「祈る心」つまり、主により頼む気持ちを持ってすごすことは可能ですし、必要です。いや、それが自然であるとさえ言えます。そして、定められた時間、特別な場所と形で祈ることは、それに力を添えます。
 
3.御霊によって:「御霊によって祈りなさい」
 
 
・御霊の助けを仰ぎつつ祈る:
「御霊によって祈る」とは、聖霊の感化とその助けを頂きつつ祈るということです。私たちは、祈ることが苦手で、弱いものです。どうやって祈ったら良いか分からないものです。ですから、「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。」(ローマ8:26)とありますように、御霊の助けを頂く必要があります。

・御霊の思いをもって祈る:
また、私たちは、どのように祈ったらよいか分かりません。しかし、「御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」(同8:26−27)とありますように、御霊様、私が何を祈るべきかを教えてくださいと先ず祈る時、御霊は教えてくださいます。私たちは、肉の思いで祈ることは出来ません。御霊の助けを求めつつ祈るのです。私たちが苦しんで祈る時、御霊もまた呻くようにして私たちの祈りを聖別して、神の御許に届けてくださるのです。
 
4.目を覚まして:「霊的に油断なく見張って」
 
 
「そのためには、絶えず目をさましていて」祈るように、とパウロは進めます。「目を覚ます」とは、当然24時間眠らずにおりなさい、ということではありません。「霊的に油断なく見張っている」という意味です。

・祈る前に:祈りの機会を狙う:
どんな祈りをしなければならないか、祈りの機会を狙っている状態です。祈りの必要を知り、祈る姿勢に向おうという姿勢です。

・祈る最中も:
主とともに覚醒して祈る:「目を覚ます」のは、祈りの最中にも必要です。私の神学院時代には、朝5時半からの密室が義務付けられていました。場所が限られていましたから、競争で起きて場所を確保するまではいいのですが、いつの間にかお祈りが、「おい寝り」に変わってしまうことがしばしばでした。内容が分かってきますと、そういうことが少なくなりました。主の弟子達がゲッセマネの園で、眠ってしまったとき、主は、「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:40−41)と仰り、肉体の弱さを同情しながらも、「私と一緒に」と眠らないように励まされました。

・祈った後:
御心がなるように、より頼む:祈った後にも、主の御心がなるようにとより頼みつつ委ねて進む必要があります。
 
5.すべての聖徒のために:小さな交際範囲を超えて祈る
 
 
「すべての聖徒のために祈りなさい。」とは、当然世界中のクリスチャンの名前やその必要を覚えて祈れということではないでしょう。それは、未だクリスチャン人口の少なかった1世紀でも不可能です。しかし、敢えてパウロが「すべての聖徒のために」と言っているのは、私たちの小さな交際範囲の人々を超えて祈るようにという挑戦が含まれて居るように思います。毎週の祈祷会で、第四水曜日は「グローバル祈祷会」という題名です。世界の様々な課題のために祈ります。私たちの心も広くされるのを感じます。
 
6.忍耐の限りを尽くして:「忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」
 
 
「忍耐の限りを尽くし」という勧めの背景には、直ぐに答えられない祈りもあるという前提があります。しかし、それによって失望せずに祈り続けましょう。失望せずに絶えず祈るべきことが勧められているのはルカ18:1以下の「しつこい寡婦のリクエスト」の例え話です。私はこの譬えが好きです。自分のために動いてくれない裁判官に対して、毎日弁当もちで裁判所に通うあの話です。私が佐賀教会を開拓したとき、その寡婦さんにそっくりのTというお婆さんがおりました。亡くなった内縁の夫の財産を巡って、ほぼ日参のように裁判所に通うしつこい方でした。結果までは聞きませんでしたが、ともかくそのしつこさには感動させられました。
 
B.伝道者のための祈り(19−20節、コロサイ4:3−4)
 
 
19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。
コロサイ4:3 同時に、私達のためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。4 また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。
 
パウロは、すべての聖徒のための祈りという課題から、彼自身の課題にと話題を移します。伝道者としてのパウロのための祈りの要請です。
 
1.福音を語る機会が与えられるように
 
 
並行記事であるコロサイ4:3を読むと、「私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって」と福音を語る機会が与えられるようにと祈りを要請しています。パウロは、この手紙を獄中から書いています。パウロは、牢屋から釈放されるように祈れとは言いませんでした。牢屋の中で大胆に語れるように祈って欲しいと嘆願したのです。自分が上告裁判に出廷する時、その場を利用して福音を語ることを考えていたようです。世界の中心地であるローマで、皇帝も列席する可能性のある上告裁判所で、福音を語れるようにとは、何と大きなビジョンでしょうか。
 
2.大胆に語ることが出来るように
 
 
「大胆に」という言葉が、19、20節に二度繰り返されています。この言葉は、文字通りには「すべての発言(言葉)で、自由に」という意味です。コロサイの表現を参照するならば、「当然語るべき語り方で、はっきり語れるように」(コロサイ4:4)ということです。鎖に繋がれているというハンディを感じさせないくらい自由に、明確に福音を語れるようにというのがパウロの祈りの課題です。鎖に繋がれるとは、本当に不自由なことであるだけではなく、心理的にも圧迫です。しかし、それに囚われず、神の言葉を大胆に語る知恵と勇気を求めたのです。この祈りの答えが示唆されているのが、第二回目のローマ幽囚のとき、パウロが行った弁明の記事です。彼は、テモテへの手紙の中で「私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。・・・しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。」(2テモテ4:16−17)
 
3.キリストの大使として証出来るように
 
 
パウロは、自分は鎖に繋がれてはいるが、実際は福音のために大使の役をしているのだと主張します。実に大胆な発想です。大使というのは、本国政府の代表としての重い、しかし、光栄ある務めです。パウロは、自分はキリストの大使なのだ、特にその福音を齎す特命大使なのだと主張します。私たちもこの世に対して、キリストの大使です。
 
4.福音の奥義を語れるように
 
 
彼の祈りの課題の中心は、福音の奥義を臆することなく語ることです。奥義とは、キリストの救いがユダヤ人だけではなく、異邦人を含む全世界宛のものだということです。正に、このメッセージを宣べ伝えるために、世界の首都のローマの(皇帝も臨席するかもしれない)上告裁判で、このメッセージを伝えるには最適の場所と考えたと思います。何という積極的思考なのだろうかと、挑戦を受けます。
 
おわりに
 
 
・すべての聖徒のために、一層真剣にとりなしの祈りを捧げよう:
様々な祈祷課題が出される一番の場所は祈祷会です。祈祷会における祈りを重んじ、共に祈りましょう。出られない方も、その日を覚えて、心を合わせて祈りましょう。

・説教者のために祈ろう:
伝道者は多くの課題に取り囲まれています。しかし、それらに囚われず、神の言葉を真っ直ぐに、効果的に語れるよう、説教者のために、真実に祈り続けてください。
 
ご一緒にお祈りを致しましょう。