礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年3月31日
 
「ガリラヤでの再会」
復活節に臨み
 
竿代 照夫 牧師
 
マタイの福音書28章1-10節
 
 
[中心聖句]
 
  7   急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。
(マタイ28章7節)


 
聖書テキスト
 
 
1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
 
はじめに
 
 
イースターおめでとうございます。全世界の主にある民と共に、復活して今も生き給う主を心から賛美いたしましょう。今日は、その復活の主に最初にお目にかかった女性たちの物語をマタイ福音書から学びます。
 
1.墓に近づいた女性たち(1節):マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ等
 
 
1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
 
マタイ福音書は、墓を見に来たのが「マグダラのマリヤと、ほかのマリヤ」と記しています。他の福音書は、「他のマリヤ」とは「ヤコブの母マリヤ」のことであり、さらに、サロメとヨハンナいう他の女性も一緒であったと言及しています(マルコ16:1、ルカ24:10)。ともかくこれら女性たちが香料を携えてお墓に行ったのです。
 
2.主の使いの登場(2−4節)
 
 
2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
 
・地震の原因:
墓に来た女性たちは、大きな地震が(既に)起きて、墓を塞いでいた石が転がされていることを発見しました。地震の原因が天使たちだったことはマタイのみが記しています。

・転んだ石の上に座す天使:
その上その石に座っている「主の使い」を見ました。「その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。」のです。ルカは、「まばゆいばかりの衣を着たふたりの人」(ルカ24:3)と、人数が二人であったと記しています。普通の人間のような形をした、しかし、輝くような顔、輝くような白い衣を着た(実際は)天使、それも二人がいたのでしょう。マタイは、スポークスマンであった一人だけを紹介しています。彼(ら)は墓石の上にすわっていました。女性たちが驚いたのは当然です。

・番兵達の驚き:
もっと驚いたのは、墓の番兵達です。この番兵が、ピラトが遣わしたローマ兵なのか、神殿警備のユダヤ兵なのか、意見が分かれるところですが、その後の記事を推し量ると、前者だったように思われます。
 
3.主の使いのメッセージ(5−7節)
 
 
5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」
 
天使のメッセージは次の4つの要点から成り立っています。

1)イエスは甦えられた(「墓の中のイエス」を探すな):
彼女たちは、主イエスが繰り返し、死んでから三日目に甦ることを予告しておられたにも拘わらず、それを忘れ、あるいは信じないで、「墓の中のイエス」を捜していました。それは間違いだ、イエスはご自分が予告されたように、死から甦った、ということを天使は宣言しました。

2)墓を探すな(「亡くなった偉人の思い出」に生きるな):
天使は、イエスが納められた棚を見せて、納得させました。ヨハネの福音書では、そこにはイエスを包んでいた亜麻布と頭巾がきちんと畳んであったとまで記されています。こんな細かい記事ですが、私は感心させられます。最近は、布団かベッドを出て、そのまま片付けずに飛び出したりする躾のなっていない子供たちが増えていますが、飛ぶ鳥は跡を濁さない人間イエスのありようを教えられます。この墓にはおられない、という天使の言葉には、偉いけれども死んでしまったお方の思い出に生きようとする女性たちに対して、「お墓には何の希望も救いも与えられないよ」というメッセージがこめられているように思います。

3)イエスは先にガリラヤに行かれる(羊飼いのように先導される):
「先に・・・行かれ」(プロアゴー)という言葉は、駅伝の時パトカーが先導するような意味で「先導する」、羊飼いが「導く」という言葉です。主は、弟子達を置き去りにしてガリラヤへさっさと行きなさるのではなく、彼らを導いて行かれようとしていました。

4)弟子達とともにガリラヤに行きなさい:
この女性たちは、男の弟子達に、ガリラヤに行くよう伝言しなさいと命じられました。主はなぜガリラヤに固執されたのでしょうか。いうまでもなく、ガリラヤは主イエスの地上生涯でのホーム・グランドだったからでした。先週、ワールドカップ出場権を賭けて日本とヨルダンのサッカーゲームがヨルダンで行なわれました。今回はアウェイの戦いということもあって、負けてしまいましたね。アウェイに比べると、ホームゲームの方が圧倒的に有利です。同様に、主イエスはホームでの再会にこだわっておられました。主は、十字架の前夜、弟子達の離反を予告した後、復活後のガリラヤでの再会を約束されました。「イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」(マタイ26:31−32)この時も、先にいく(プロアゴー)という動詞が使われています。戦国時代、織田信長が、朝倉義景と戦っているときに浅井長政に襲われ、散り散りに逃げ帰るのですが、拠点である岐阜城に集結して体勢を立て直そうとしたのに例えることができましょう。表面的にはエルサレムで一敗地にまみれる、しかし、ホーム・グランドのガリラヤで体勢を立て直そう、と言うわけです。主が再会の場所として選ばれたのは、権謀術数が渦巻くエルサレム、敵意と嫉妬に満ちていて、イエスを十字架につけたエルサレム、腐敗した形式宗教が支配している澱んだエルサレムではなくて、明るい太陽と緑の山々、鳥が囀り、花が咲き乱れるガリラヤ、主イエスの福音の言葉と力ある恵みの業で満たされていたガリラヤ、純朴な信仰者に満ちているガリラヤでした。そこで復活の主と信仰者たちが再会を果たし、新たな信仰運動の進発を語り合おう、というのが、ガリラヤでの再会の目的でした。つまり、ガリラヤとはキリストとの出会いの場所、弟子たちにとって信仰回復の場所でした。イエスを裏切ってしまった弟子達に対して、ガリラヤで信仰を回復できるよ、という希望を与えなさいました。
 
4.主イエスの顕現(8−10節)
 
 
8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
 
・女性たちの恐怖と喜び:
天使のメッセージを聞いた女達は嬉しくなりましたが、その前に「恐ろしくはあったが」が入っているのが何とも人間的です。まだ、復活の事実が信じられなかったからです。福音書記者の正直さは、復活の信じ難さをありのまま表明している点に現れています。そうです。復活とは本当に信じがたい出来事だったのです。復活の出来事に出会った弟子たちが、待ってましたとばかりに主イエスを迎えたのではなく、信じられない、戸惑った、恐れた、と正直に描いている、しかし、最終的には信じるようになったと記している点です。それはガリラヤに行くまで、お預けとなった信仰体験のことでした。

・「喜べ!」:
主イエスは、ガリラヤまで待たずにここで女性たちにご自分を示されます。「おはよう」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「カイレテ(喜べ)」となっています。主は女性達の恐れを取り除きなさいました。

・約束を確認:
主は、天使のメッセージを裏付けられました。しつこいようですが、「弟子たちにガリラヤに行くように伝えなさい。そこでわたしに会える」と繰り返されたのです。
 
5.ガリラヤでの顕現
 
 
・(その前に)エルサレムで小グループに顕現:
この記事が終わってからの出来事をたどって見たいと思います。主イエスは、ガリラヤに行かれる前、エルサレムにおいて、ペテロ個人と、エマオ途上の弟子達と、そして、エルサレムの隠れ家にいた10弟子達と会われます。ですから、主の最初の顕現はガリラヤではなく、エルサレムでした。

・公式にガリラヤで顕現・宣教大命令(マタイ28:16):
しかし主が500人余りの弟子に同時に現れなさり、宣教の大命令を与えられたのは、指定されたガリラヤの山においてでした(マタイ28:16)。つまり、小さなグループへの顕現はエルサレムにおいてでしたが、公式な、今日で言えば「聖会」的な現れは、ガリラヤにおいてなされたのです。

・その後エルサレムで宣教活動:
もっと言いますと、弟子達は、ガリラヤの顕現を通して復活の確信を与えられ、その確信に基づいて「敵地」(アウェイ)であるエルサレムに乗り込んでくることが出来たという訳です。
 
終わりに:主との出会い(ガリラヤ経験)を待ち望み、経験しよう
 
 
私達は、主イエスの再臨と言う希望を持ちながら、日々の信仰生活を歩んでいます。それが私達の出会いの場所「ガリラヤ」です。その究極的なガリラヤを目指して、いろいろな苦痛、恐れ、困惑を乗り越えて進みましょう。

さらに、その究極の「ガリラヤ経験」を先取りして毎週頂いているのが私達の聖日の礼拝です。聖日の礼拝毎に、聖餐式に与るたびに、キリストにお会いするのです。今日ここでお会いしたキリストと共にこの世の戦いを戦い抜きましょう。
 
お祈りを致します。