礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年5月5日
 
「ろうやでさんび」
CSデー・スペシャル
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き16章22-34節
 
 
[金言]
 
  16-   いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
(第一テサロニケ5章16-18節)


 
聖書テキスト
 
 
22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
 
はじめに:牢屋(ろうや)とは?
 
 

皆さんの中で、ろうやに入ったことのある人はいますか。私はあります。と言っても、そこで夜を過ごしたのではなく、伝道をするためでしたが・・・。ウガンダの首都カンパラにある大きなろうやを5箇所回りました。その頃はウガンダの国が落ち着いていなくて、ろうやは何処もいっぱいでした。衛生状態は悪く、食事も悪く、本当に大変なところだなあと思いました。日本ではろうやに入った人々が社会に戻って普通の生活をするためのお助けをする保護司という仕事もしています。そんなことで、仙台刑務所、広島刑務所を訪問したり、赤城少年院、横須賀刑務所などを見学しました。日本のろうやは、ウガンダのろうやよりもずっときれいで、お食事もちゃんとしたものが出ますが、それでも私は、自分からは中に入りたくないと思います。ろうやの外ではどんなに元気だった人でも、警察に逮捕され、ろうやに入れられると、人間が変わるほど落ち込んでしまいます。これ以上生きていたくないと絶望する人も多いのです。さて今日は、ろうやに入れられても、神さまをさんびしてお祈りした不思議な二人についてお話します。
 
1.パウロとシラスのピリピ伝道(イラスト@)
 
 

さっき聖書で読んだ二人は、パウロとシラスです。今から二千年位前に活躍した宣教師です。AD50年、二人はアジヤ西端のトロアスから船出して、ギリシャの北にあるマケドニヤ州に渡り、そこで始めてキリスト教をヨーロッパに広めました。マケドニヤ州で一番大きなピリピという町で、イエス様のお話を始めました。
 
2.占(うらな)い女が救われる(イラストA)
 
 

ピリピの町では、イエス様を信じる人々が段々多くなって、教会が生まれました。教会が大きくなってきた時、困ったことがおきました。占いをしていた少し頭のおかしい女の人がイエス様を信じて、普通の人になって、占いをやめてしまいました。それは素晴らしいことだったのですが、その女の人が稼ぐお金を自分のポケットに入れていたヤクザの人々が金儲けの道がなくなったので、パウロとシラスのことをとても怒りました。ヤクザの人々が二人を捕まえて警察に連れて行きました。
 
3.二人がろうやに入れられる(イラストB)
 
 

警察は、二人を調べもしないで大勢の人が見ている前で鞭打ちの刑を与え、ろうやに入れてしまいました。その鞭というのは、革のベルトに石や金属をくっつけたもので、一打ちで人間の皮膚を破ってしまうくらい恐ろしいものでした。鞭打ちのあと、パウロとシラスの手と足を広げて四つの穴にはめ込んで縛ってしまい、ろうやの一番奥の暗い部屋に閉じ込めてしまいました。
 
4.もし私たちが二人だったら? (イラストC)
 
 

もし皆さんが、自分たちは何にも悪いことをしないのに、鞭打たれ、ろうやに入れられたら、どんな気持ちになるでしょうか。

・怒り?:
怒るのは当たり前ですね。「こんなやり方は人権無視だ。」と怒るのが普通でしょう。特に、パウロはローマ市民権と言う特別な権利を持った人でした。裁判にかけないでローマ市民に刑罰を与えることは法律で禁止されていました。パウロは自分を警察に連れて行った人々に文句を言うことも出来たはずです。

・自分がかわいそう?:
ろうやに入れられたら「自分かかわいそう」と思う人もいるかもしれません。自分だけどうして捕まってしまったんだろう、と頭を抱えて悩んでしまう人もいるでしょう。二人は、鞭打たれた背中も痛かっただろうし、足かせが邪魔で体も痛かっただろうし、おなかもすいていたかもしれません。ノミやしらみがいて痒かったかもしれません。自分のことをかわいそうと思いますっても仕方がない状態でした。

・絶望?:
ろうやに入れられる人の中には、「ああ、自分の人生はもう終わりだ」と絶望する人があるかもしれません。何で自分だけが捕まってしまったんだろうといって落ち込んでいる人もいることでしょう。
 
5.二人は主をさんびする(イラストD)
 
 

でも、パウロとシラスは、落ち込んでもいませんでした。何をしたのでしょうか。聖書には、「神に祈りつつ賛美の歌を歌って」いた、と書かれています。すごいことですね。でも、二人は神を賛美しました。何を賛美したのでしょうか?

・イエス様のための苦しむのは光栄だから:
自分たちが痛い思いをしているのは、イエス様の福音を伝えたためだったと感謝したのです。二人は、イエス様と同じ痛みを味わったことを感謝しました。

・命が与えられているから:
そんな中でも命が保たれている事も感謝しました。私達は暗い方面ばかり見ればきりがありません。不平と不満の材料を探せばきりがありません。でも、その真っ暗な中にも明るい方を見れば感謝とさんびが沸き上がって来るのです。

・神さまは愛だから:
私たちは真の神がおられると信じていますね。その神さまがいつでも良い事しかなさらない、と信じていますね。時には、友達にいじめられて辛い時もあるかもしれませんし、病気になってつらい時もあるでしょう。お金がなくて悲しい時もあるでしょうし、お腹がすいてつらい時もあるでしょう。でも、神さまが生きておられる、何かのご計画で、いま私はこんな所にある、ということを信じていると、さんびが湧き上がってきます。
 
6.二人は何を祈ったか?(イラストE)
 
 

二人は、さんびをしただけでなく「祈った」と書かれています。何を祈ったのでしょうか?

・迫害する人の救いのために:
イエスさまは「あなた方を呪う者を祝福し、迫害する者のために祈れ」とおっしゃいました。パウロとシラスは、理由もないのに自分たちをいじめた人々の救いを祈ったと思います。みなさんも、学校や近所でいじめられることがあるかも知れません。その時、自分をいじめる人々のために祈って見ましょう。神さまはみなさんの祈りを聞いてくださいます。

・囚人達の救いのために:
それから二人は、ろうやにいる囚人が救われるようにと祈りました。ろうやの囚人の中には、そのお祈りとさんびを聞いて、涙を流す人もいました。ろうやに入る前、小さい時には教会学校に通って神さまのことを聞くよい子だった、そんな昔を思い出した人もいたことでしょう。

・番人の救いのために:
この二人は、牢屋の番人のためにも祈りました。いやいや仕事をしていた番人も、イエス様の救いを必要とする人だということを二人は信じていたからです。

そして、この祈りは思いがけない方法で答えられました。
 
7.大地震が起きる(イラストF)
 
 

この真夜中に突然ドーンという音と一緒に大きな地震がやってきました。ミシミシと揺れが続きます。震度6くらいの大きな地震でした。あまりの揺れの大きさで、ろうやの扉という扉がみんなガラガラと音を立てて開いてしまいました。

その地震で目を覚ましたのが牢屋の番人です。本当を言うと、番人は夜通し起きていなければいけなかったのに、ついつい眠っていたのです。さあ大変、と思ったときには、もうろうやの扉は全部開いていて、囚人たちはいなくなっていました。眠っていけないときに眠ってしまった、自分は死刑になる、と思った番人は、自分の刀を抜いて自分の喉に突き立てようとしました。
 
8.番人(ばんにん)が救われる(イラストG)
 
 

月明かりで刀がキラリと光ったその時です。「死ぬのは早い。私たちはみんなここにいる。」というパウロの叫びを聞きました。番人が目を凝らしてみると、囚人たちがみんな羊のように大人しくパウロの周りに座っているではありませんか。逃げ出しても当たり前の囚人たちが、パウロとシラスを囲んで静かにお話を聞いているのです。

番人はびっくりしました。パウロとシラスの中にある不思議な力、それを救いと呼ぶならば、私も欲しいと思って、二人の前に平伏して質問しました。「先生方、私も救われたいのです。そのために何をしなければなりませんか。」パウロの答えはストレートでした。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」番人は直ぐに答えました。「はい、信じます。」

番人は、その夜二人をろうやから連れ出して自分の家に案内し、鞭打ちで出来た傷跡を洗い、家族揃って二人のお話を聞きました。番人の奥さんも子ども達も喜んでイエス様を信じてその晩洗礼を受けました。
 
終わりに
 
 
お話はこれで終わりです。こんな素晴らしいことが起きたきっかけは、パウロとシラスがろうやの中でさんびかを歌い、祈ったことでした。このパウロが私たちに勧めているのが今日の金言です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16−18)私たちも「いつでも喜び、休みなく祈り、すべてのことを感謝する」人間となりましょう。

金言を覚えます。
 
【 金言 】「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(第一テサロニケ 5章 16-18節)
 
お祈りを致します。