礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年6月9日
 
「いろいろな国ことばで、神のわざを」
使徒の働き連講(5)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き2章1-13節
 
 
[中心聖句]
 
  11   あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは
(使徒の働き2章11節)


 
聖書テキスト
 
 
1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。
 
はじめに
 
 
今年のペンテコステは5月19日で、その礼拝においても使徒2章を開きました。今日は連講の一部として、少し異なる角度からこの出来事を学びたいと思います。
 
A.五旬節(ペンテコステ)の到来(1節)
 
1.五旬節とは
 
 
 「五旬節の日となって・・・」という言葉から2章が始まります。五旬節とは何かというところからお話しします。

・過越祭(早春)の最終日から7週間後(50日後):
ペンテコステとは、第50という意味ですが、それは、過越祭(早春)の最終の安息日から数えて7週間後(50日後)ということです。

・大麦の収穫を祝う:
季節的には、初夏に当たり、大麦の収穫を感謝する祭りでもあります。

・出エジプト時の律法賦与を記念する:
さらに、出エジプトを終えたばかりのイスラエルの民が、シナイ山で律法を与えられたのがこの日に当たり、それを感謝する意味もありました。

・三大祭りの一つ:
イスラエルにおいて、人々が礼拝のために集まらねばならない三つの祭りがありました。3月頃の過越、5月の五旬節、10月の仮庵がそれです。その三つの中でも、五旬節は旅行に快適だったので、世界中に散っている離散ユダヤ人(ディアスポラ)が巡礼として楽しみにやってくる祭りでもありました。
 
2.特別な五旬節(AD30年)
 
 
・10日間の待望祈祷会の答えとして:
「みなが一つ所に集まっていた」とは、説明するまでもなく、聖霊の注ぎを求めて祈り続けてきた弟子たちの10日間の祈りがその頂点に達したのです。その祈りが一致したものであったことが「一つ所に」という言葉に表れています。主は、信じる者たちが心を一つにして祈る時に答えを与えられます(マタイ18:19)。

・聖霊が注がれた:
その答えは、言うまでもなく、聖霊の注ぎでありました。その内容は2−4節に記されています。
 
B.ペンテコステの出来事(2−4節)
 
1.風のような音
 
 
・聖霊到来の前触れ:
「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響き」が起こりました。風自体が吹いてきたのではなく、風のような音が聞こえたのです。それがなければ、エルサレムの住民も巡礼者たちも、何も気づかなかったことでしょう。この音で人々が、弟子たちの宿泊所である二階屋に集まってきました。

・生かす息である聖霊の象徴:
風には象徴的な意味があります。へブル語でルアハは、風であり、息であり、霊でもあります。エゼキエルは、枯れた骨の幻を見、そして、「息よ、四方から吹いてこい。この殺された者たちに吹き付けて、彼らを生き返らせよ。」と預言しました(エゼ37:9)。その枯れた骨が生き返りました。それは、神の霊が人の心に生かす霊として入ってくることの象徴でした(37:14)。
 
2.舌のような炎
 
 
・体(教会)の肢に与えられる賜物:
「炎のような別れた舌が表れ・・・」とありますが、最初から別れた舌のような形状だったのではなく、一つの炎の塊が別れて弟子たちの頭の上に留まったと考えられます。一体であるキリストの教会において、一つ一つの肢が異なる賜物を与えられることを示す絵でもあります。

・罪を焼き尽くす火である聖霊の象徴:
しかも、火とは、罪をきよめ給う御霊の神の徴でもあります(ルカ3:16−17)。
 
3.聖霊の満たし
 
 
「すると、みなが聖霊に満たされた。」

・既に存在し、働いておられる聖霊が:
聖霊が、この時初めて表れたのではありません。天地創造の折から力強く働いておられました。人の心にも働きを続けてこられました。

・圧倒的な力と恵みをもって魂に満ちること:
しかし、この時、キリストの贖いの完成を前提として、それをひとり一人の魂に適用されるために「満ちて」下さったのです。「満ちる」とは、聖霊が、妨げられることなく人の心を支配することです。人の側から言うと、何の保留もなく、聖霊に自由に働いていただくことです。付け加えて申し上げますが、聖霊は、私たちの自由意志を曲げて支配なさる暴君ではなく、私たちの個性、願い、楽しみを充分に尊重し、それを生かしなさるお方です。
 
4.他国の言葉
 
 
「御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

・今まで習ったことのない言語で:
5節以下の記事で明らかなように、この言語は、聞き手が普段使っている言葉のことです。このユダヤ人巡礼者は、当時の世界共通語であるギリシャ語を理解し、へブル語の変形であるアラム語も使い、さらに、自分たちの住居の近くで話されている地方語も理解していました。ここで弟子たちが語ったのは、人々が日常使っている地方語であったと思われます。話し手はこうした地方語で説教しました。彼らが語学学校で習った訳ではありませんが、聖霊の干渉によってこれが可能となりました。少なくともこの時の「異言」は恍惚的な、意味不明の発言ではありませんでした。

・神の福音を分り易く語る:
その内容は、神の大いなるみ業についてでした。人々はそれに共鳴しました。
 
C.世界宣教の始まり(5−13節)
 
1.福音を聞いた人々
 
 
「エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが天下のあらゆる国から来て住んでいた」のですが、彼らが、風の音の大きさに引き付けられて集まってきました。そのまま弟子たちの宿泊所の周りで「野外集会」が始まったのか、或いは、場所を変えて神殿の前庭に移ったのか分りませんが、私は後者であった可能性が強いと考えています。

・エルサレムの住民:
聴衆の多くはエルサレムの住民でした。その人々には、主イエスを十字架につけよと叫んだ人々が含まれていました。それが37節の悔い改めの直接の切っ掛けでとなりました。

・各地からの巡礼者(ユダヤ人と改宗者)(地図@を参照):
はじめに申し上げましたように、このペンテコステの祝いには、世界中から巡礼者が集まっていました。9−11節には、15の地域が記されていますが、正に当時のローマ帝国のみならず、その周辺諸国からも人々が集まっていました。この地域は、大きく6つに分けられます。
@パルテヤ、メジヤ、メソポタミヤ:これはチグリス、ユーフラテス川流域で、ローマ帝国の外側です。特にパルテヤ帝国は、ローマ帝国と覇権を争う大国でした。
Aカパドキヤ、ポント、アジヤ、フルギヤ、パンフリヤ:今のトルコ半島、当時はシリヤの影響下にあった地域です。
Bエジプト、リビヤ:北アフリカ諸国です。
Cローマ:言わずと知れた、ローマ帝国の首都です。
Dクレテ:地中海文明の発祥の島で、地中海世界の鍵となる地域です。
Eアラビヤ:パレスチナの東側で、当時はナバティヤ帝国が存在していました。

・(参考)デイアスポラの歴史と状況(地図Aを参照):
これらの地域には、ユダヤ人が数多く存在し、彼ら独自の共同体を作り、商業活動を活発に行っていました。その数は、150位であったと言われています。ディアスポラと呼ばれる彼らは世界中に散っても民族のアイデンティティを失わず、会堂を建て、安息日ごとに集まり、律法を守り、その上、周りの人々に伝道をして改宗者獲得に努めていました。この離散の過程は次の様な段階でした:
@紀元前8世紀:アッシリヤによる北イスラエルの滅亡とそれに続く捕囚で人々がメソポタミヤ北部に移住させられました。
A6世紀:バビロンによる南ユダ国の滅亡とそれに続く捕囚で、人々がメソポタミヤ南部に移住させられました。バビロン滅亡後も、パレスチナに帰還したユダヤ人は少数で、多くのユダヤ人はその場所にとどまり、さらにバビロンの後に起きたペルシャの全土に広がりました。
B3世紀:アレキサンドロス大王の世界征服の後にプトレマイオス王朝がエジプトを支配した時、パレスチナもその支配下におきました。その時多くのユダヤ人がエジプト、リビヤに移住しました。特にエジプトのアレキサンドリヤには人口にして約100万人(総人口の5分の2)の大きなユダヤ人社会が誕生し、聖書のギリシャ語訳(70人訳)を作るほどの勢いでした。
C2世紀:シリヤのアンテオケを中心に、セレウコス王国が起き、パレスチナを支配しましたが、ユダヤ人の多くが小アジヤに移住しました。シリヤの中心であったアンテオケに強力なユダヤ人社会が形成されました。
D1世紀:ローマが地中海世界を統一して帝国を築いた時、ポンペイウスがパレスチナを支配しました。それに関連して、ユダヤ人がローマ市にも移住し、そこでユダヤ人社会を形成しました。その人口は4〜6万人であったと言われています。

このように、9−11節のリストは、片仮名の羅列ではなく、当時のユダヤ人社会の状況を生き生きと物語るものでした。
 
2.三種類の反応
 
 
そのような人々が神の大いなるみ業に触れたのです。

@神を賛美→離散教会の基礎:世界中からの巡礼者たちの多くはペンテコステに起きた神のみ業に驚き、感銘を受け、或るものは信仰者となって自分の国に帰っていきました。それが、ローマ教会の礎になったと思われます。パウロの第一次伝道旅行の多くは、ペンテコステの巡礼者が帰国した地域でした。パウロの伝道への地ならしであったと考えられます。パルテヤ帝国内にも、1世紀から教会が形成されていたという記録があります。

A悔い改めと信仰→エルサレム教会の基礎:エルサレム住民の多くがペテロの説教によって主イエスを十字架に付けたことを悔い改め、バプテスマを受けてエルサレム教会の土台となったことは来週お話しします。

B嘲笑:信じた人ばかりではなく、呆れてしまい、さらに、弟子たちは「甘いぶどう酒に酔っているのだ」と決めつけて馬鹿にした人もいました。残念ですが、これが人間の反応です。

 
3.多言語での宣教の意義ル
 
 
・バベルの呪いの逆転:
このように、弟子たちが多言語で語ったのは、これが最初で最後であったと思われますが、その意味は重要です。バベルにおいて言語が混乱し、多くの言語になってしまったと記録されていますが、その呪いが解かれ、全世界に共通の福音が、世界各地の言語で語られるという素晴らしい実例が示されたのです

・世界宣教の地ならし:
先ほど触れましたように、ペンテコステの感動を故郷に持ち帰った人々が宣教のための地ならしとなりました。
 
終わりに:私たちもあらゆる機会に「神の大いなるみ業」を伝えよう
 
 
私たちも、自分たちが与えられた機会ごとに、「私のためになして下さった神の大いなる業を」人々に伝えましょう。自慢話を伝えるのではありません。自分はどんなに惨めで、希望もないものであったか、その自分に神が働いて救いに導いて下さり、希望と喜びを与えて下さったかを、謙って、しかも大胆に宣べ伝えましょう。主は、私たちの証しを助けてくださいます。
 
お祈りを致します。