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聖書テキスト |
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34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。35 それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。38 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。 |
41 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。42 そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。 |
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はじめに(復習) |
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アナニヤ事件(5:1−11)に見る神の厳しさと慈しみ:昨週は、5:1−11から、偽善への誘惑に負けてしまったアナニヤとサッピラへの神の裁きの出来事を学びました。そしてその裁きの中に見る神の厳しさと私たちへの憐みを見ました。締めくくりには、「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。」(ローマ11:22)を思い巡らしました。 |
12節以下は、アナニヤ事件を解決して成長を続ける教会の記録です。12−34節は、4章の記事と内容的に重なりますので、ここは内容を概観してさっと通り過ぎ、その後35節以下の内容に注目したいと思います。 |
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1.教会の進展(12−16節) |
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・使徒たちによる多くの奇跡 |
・信者の増加(エルサレムと郊外から) |
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2.使徒達の再逮捕と審問(17−33節) |
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・議会による使徒たちの再逮捕 |
・使徒たちの奇跡的な解放:「御使いは、牢屋のマスターキーを持っていた」 |
・議会関係者による再々逮捕 |
・議会による審問 |
・使徒たちの毅然たる応答:「人に従うより、神に従うべきです。」 |
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3.ガマリエルの理性的忠告(34−40節) |
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「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。『イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』彼らは彼に説得され、使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。」 |
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・議会におけるパリサイ派: 使徒たちの毅然たる態度に怒り狂いながらも、決定打を欠く議会の只中にあって、パリサイ人ガマリエルが登場します。17節にも記されていますように、議会の多数を占め、しかも主の弟子達を目の敵にして狂ったように怒りを表わしたのは、「大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派」でした。しかし、ユダヤ教の中で大きな勢力を持ち、人々から尊敬されていたのは、サドカイ派ではなくパリサイ派でした。パリサイ派は議会の中では少数派でしたが、議会で重大なアクションを起こすためには、サドカイ派はパリサイ派の賛同をエルサレム必要があったのです。そのパリサイ派のリーダーがガマリエルだったのですが、彼はどんな人物だったのでしょうか。 |
・ガマリエルの人柄: ガマリエルは、「すべての人に尊敬されている律法学者で、パリサイ人」と紹介されています。記録によりますと、彼はヒルレル学派というユダヤ教の一つの学派を作ったヒルレルの孫でした。人間が穏やかで、律法に通じたラビの中のラビでした。当時、彼はパリサイ派の中でも最高の教師として尊敬されており、彼の学校には多くの弟子が降りました。その中でも超優秀な生徒がサウロ(後のパウロ)だったのです。面白い符合ですね。この出来事から四半世紀後になりますが、サウロがキリストを伝えた理由で逮捕され裁判に掛けられた時に述べた彼自身の証を引用しましょう。「私(サウロ)はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」(使徒22:3) |
・ガマリエルの理性的忠告: 「神の摂理に任せよ」:ガマリエルもサンヒドリン議員の一人でしたし、また、ナザレのイエスを信じていたニコデモやアリマタヤのヨセフのようではありませんでしたが、怒りのために理性を失ったサドカイ派議員の言動には賛成できませんでした。そこで、皆を鎮めるための忠告を行います。彼の論点は明確です。「今までテゥダとかガリラヤのユダなど『自称メシヤ』が何人か起きて騒ぎを起こしたが、たちまち殺されその騒ぎも収まった。今度、ナザレのイエスをメシヤと信じて騒ぎを起こしている連中も、イエスが自称メシヤに過ぎないのならば、たちまち消えていくだろう。しかし、イエスが本当に神によって立てられたメシヤならば、その運動は拡がっていくだろう。その時は、サドカイ派の諸君は神に逆らうことになってしまうかもしれない。今なすべきことは、自然の流れに任せることだ。」というものです。彼が挙げた例の第一が「チゥダ」です。チゥダについては、この記録以外に記録がありませんが、多分、BC4年のヘロデ大王の死後パレスチナのあちこちに起きた暴動指導者の一人であったと考えられます。その後AD6年にパレスチナはローマ帝国の属州にされて、厳しい税金の取立てのために人口調査が行なわれました。その時立ち上がって、民衆をそそのかして反乱を起こしたのがガリラヤ人ユダです。彼は、イスラエルの本当の王は主のみであり、ローマに税金を納めるのは神への反逆であると主張しました。ユダの起こした反乱はローマ帝国によって直ちに鎮められてしまいましたが、その運動は「熱心党」という形で残り、AD66年の大反乱に至ります。しかし、ユダの反乱はたちまち鎮圧されてしまいました。このように具体的な事例を挙げて、自称メシヤの運動は自然消滅したという議論は、誠に説得力のあるものでした。 |
・ガマリエルの柔軟さの理由: キリスト者への理解と尊敬:さて、ガマリエルが、イエスがメシヤかもしれないという可能性を幾分かでも認めていたかどうか、この勧告だけでは分かりません。しかし、100%否定するという考えに凝り固まった人物でないことは確かです。更に、彼は使徒たちの行動や教えにはかなりの理解と行為をもっていた節が伺えます。一般的に言えば、パリサイ人は、復活を信じていましたから、使徒たちの復活の主張に関心を持っていたことが考えられます。更に、使徒たちの生活の聖さ、正義感、神への信仰などに尊敬を持っていたと思われます。15:5には、「パリサイ派の者で信者になった人々」への言及がありますし、後に、彼の愛弟子であるサウロが「イエスはキリストである」という確信に立ってその伝道者となるのですが、その小さな種はパリサイ派の親玉であるガマリエルによって蒔かれたとも考えられます。私は、このガマリエルの理性的、客観的なものの見方が好きです。少なくとも、このガマリエルの忠告によって使徒たちを殺害する計画は止められました。 |
・使徒たちの再釈放: このガマリエル発言によってクールダウンさせられた議会は、「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。」のです。むち打ちとは誠に理不尽な刑罰ですが、彼らにとっては、最大限の譲歩だったのでしょう。むち打ちの後、イエスの名によって語るなという再度の脅しを与えた後、使徒たちを釈放しました。 |
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4.弟子たちの積極的受け留め(41−42節) |
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「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。」 |
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・使徒たちの受けたはずかしめ: 鞭打ち刑:使徒たちは「御名のために辱められるに値するものとされたことを喜び」ました。この場合のはずかしめとは、鞭打ち刑のことです。40に一つ足らない(つまり39回の)鞭打ちだったかそれ以下の比較的軽いものであったか分かりませんが、ともかく鞭打ちとははずかしめの刑です。人を裸にしてその背中を思い切り鞭で打つのですから、恥ずかしいのが第一、痛いのはそれ以上です。叩かれて皮膚が破れるのが通常だったといわれますから、その痛みは厳しいものだったことでしょう。 |
・それは「御名のため」: しかし、彼らはこのはずかしめの経験を前向きに捉えました。それは自分たちが犯罪行為や不道徳な行為の故にはずかしめられたのではなく、御名(イエス・キリストのお名前)のゆえのはずかしめ、もっと言いますならば、キリストの御名を伝える過程で受ける迫害や辱め、キリストの御名に従うことに伴う迫害や辱めと受け留めたからです。私たちは、しばしば自分の失敗で辛いところを通ることもありますが、この場合は、キリストの名前の故に辱められる試練です。21世紀の日本において、そのような迫害や辱めを表立って受ける機会は少ないと思います。しかし、会社の仲間と飲み会に行って、「ボクはウーロン茶にします」と言ったら、「それでも、お前は男か!」と、相当馬鹿にされますね。今は、一昔ほどではなくなりましたが、それでも勇気の要る行動です。そのほか「御名のためにはずかしめられる」経験は皆さん大小問わずお持ちでしょう。 |
・神の信頼を喜ぶ: さらに彼らは、自分たちを、はずかしめられるに「値するものとされた」ことを喜びました。勿論、「値する」と認めたのは神です。神は私たちの忍耐力を量っておられ、その忍耐力で耐えられるだけの試練しか与えなさいません。「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:13)とある通りです。私たちが大きな試練を通過しているとすれば、それは、神が私たちを見放しておられるからではなく、神が私たちを信頼しておられるからと受け留めたいと思います。 |
・キリストの苦しみに与る: このような訳で、使徒たちは迫害と苦しみを喜びましたが、喜んだ理由がもう一つあります。それは苦しみを通して、主イエスのみ苦しみに与ることにもなったからです。この出来事から30年も経ってからですが、ペテロはその第一の手紙の中で、キリスト者の受ける試練について積極的な見方を示しています。「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」(1ペテロ4:12−14) |
・積極果敢な宣教を続ける: 使徒たちはその喜びをもって、より大胆に、積極的に宣教を継続しました。それによって、教会はますます拡大し、信徒の数が増えて行きました。 |
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おわりに |
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「御名のためのはずかしめ」を積極的に捉えよう。 |
私たちも、大小問わず、日常生活の中で御名のためにはずかしめられる経験を致します。問題は、その時の心の持ち方です。その経験の故に落ち込んだり、貧乏籤を引かされたと恨むのではなく、「御名のためにはずかしめられるのに値するものとされた」ことを大いに誇り、喜ぶものとなりたいと思います。 |
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