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聖書テキスト |
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1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。 |
2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」 |
5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。 |
7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。 |
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はじめに |
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・復習: 御名のための辱しめを受ける光栄と喜び:先週は、「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」(5:41)との御言から「御名のための辱め」との題でお話しました。特に使徒たちが、自分たちは「はずかしめられるに値するものとされた」という言い方に注目しました。私たちが大きな試練を通過しているとすれば、それは、神が私たちを見放しておられるからではなく、神が私たちを信頼しておられるからだと受留めるその積極的姿勢が素晴らしいと思います。 |
・補足: キリストの苦難に与る光栄:さて、昨週引用したかったのですが省略したのが1ペテロ4:12−14です。「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」つまり、使徒たちは迫害と苦しみを喜んだもう一つの理由とは、苦しみを通して、主イエスのみ苦しみに与る光栄を捉えていたからです。実際、困難・試練・迫害をこんな風に積極的に捉える人間をへこます手立てはありません。 |
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1.初代教会の新しい難題(1節) |
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「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」 |
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・弟子たちは、ネズミ算的に増殖した: 「弟子たちがふえるにつれて・・・」初代教会は、聖霊に満たされた人々のあつまりで、霊的な活気に満ち、驚異的な勢いで成長していきました。その成長の早さは、「プレースュノ−」(multiplying)であったのです。足し算的な増え方ではなく、掛け算的に増加して行きました。つまり、使徒たちが一人ずつ魂を導いていったから、足し算的に増えていった、というよりも、信徒たちが信徒を生み出し、生み出された信徒がまた信徒を生み出すという、言わばネズミ算的な増加が行なわれたようです。素晴らしい主のみ業ですね。 |
・教会はトラブル・フリーではない: しかし、教会の成長は、同時に、問題も大きくなることを意味していました。5章では、偽善が入り込み、そのために神から処罰されるというアナニヤ事件が起きました。それが処理されたと思いきや、配給が不公平という呟きが起きました。これを見ても、教会は人間の集まるところであり、それゆえに沢山のトラブルが起きうることを学びます。問題は、トラブルがあるかないかではなく、問題を乗り越える知恵と恵みと力を持っているか否かです。 |
・問題@: ギリシヤ語ユダヤ人とヘブル語ユダヤ人間の文化的相違が齎す誤解と対立:ペンテコステに於いて誕生した教会では、エルサレムに留まっている信者、特にやもめさんたちに食料の配給が行われていました。そのやもめさんたちも含め、教会のメンバーには、ギリシヤ語を話すユダヤ人とヘブル語(アラム語)を話すユダヤ人という二つのグループがありました。前者はディアスポラと呼ばれる離散ユダヤ人で、本国にいるユダヤ人をはるかに凌ぐ存在でした。後者は、パレスチナ本国にいる生粋なユダヤ人です。前者は、ユダヤ人としてのアイデンティティを持ち、ヘブル語も理解できましたが、普段使っている言葉はギリシヤ語で、しかも、エルサレムではギリシヤ語を話すシナゴーグに出席する国際的感覚を持ったユダヤ人です。食料分配の不公平さ以前に文化的違いと相克が存在していたのです。 |
・問題A: 受ける側の不満(感謝を忘れ、「受けるのが当然」との意識):さて、「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」(2:44−45)のが初代教会でしたから、当然、やもめたちへの炊き出しも行われていました。最初のうちは、「暖かい食べ物が頂けるだけ感謝です。」と言っていた人々も、慣れてくると、「あの人々よりも自分の取り分が少ない」とか、「充分料理されていなくて不味い」とか、「自分たちがいつも後回しにされる」とか言うような不満を漏らすようになってきます。食べ物の恨みは恐いものです。加えて、言葉と文化の違いから来る二つのグループの確執が段々目立ってきました。初代教会も人間の集まりであることを、このエピソードは如実に示しています。 |
・問題B: 与える側の配慮不足:恐らく、炊き出しを配る側で、意図的に不公平な扱いをしたわけではないと思いますが、強いて言えば配慮が足らなかったと言えると思います。 |
・問題C: 教会の優先順位の忘却(御言をさし措いての奉仕):もっと大きな問題は、この食事の配給に使徒たちが必要以上の時間と精力を取られて、聖言の説教と祈りに充分な時間を裂けなくなったことです。メッセージがありきたりになり、祈りがおざなりになって行ったときに、教会の力は失われます。その兆候は、使徒たち自身にも自覚されました。さいわい、大事に至る前に、解決の方策が講じられました。 |
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2.課題解決の提案(2−4節) |
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「そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。『私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。』」 |
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・問題の把握:神の言葉の軽視: 今、問題Cの所で述べた、教会の優先順位の軽視が問題であることが先ず確認されました。「「私たちが神のことばをあと回しにして・・・』」という言葉にそれが反映されています。 |
・提案@:執事(仕えるもの)の選任: 「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。」使徒たちの提案は、自分たちをこの煩瑣な事務から解放して、専任の世話係を設けることでした。これは、後に「執事」(仕えるもの)と呼ばれるようになった教会組織の始まりと言えましょう。その専任は、メンバー(信徒)の中から7人を選ぶべきものと提案されました。 |
□執事の条件としては a.良い評判(社会的資格) b.聖霊の満たし(霊的資格) c.実践的な知恵(実際的資格) でした。配給の仕事を執事に任せ、使徒たちは自分達の本来の務めに専心する、というのが提案の骨子でした。 |
□そこに見える教会組織の原則とは a.役職は必要に応じて:必要な時に必要な人数を必要な場所に配置する(組織のための組織を作るのではない) b.奉仕者の資格は霊的が第一:教会の仕事は、食事を作って配るという実務的なものであっても、霊的な資質を持った者がそれを行なう c.分担と委任:分担と委任という組織原則が大切である(係を作っておきながら、使徒たちが細部まで実権を握るわけではなかった)となると思います。現在の教会組織にも当て嵌まる原則と思います。 |
・提案A:使徒たちは祈りと御言に専念: 「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」使徒たちは「専ら祈りとみことばの奉仕に励む」と宣言します。「専ら励む」(プロスカルテレオー=steadfastly and invariably attend, carefully keep our hearts to this work、頑固にしつこく専念する)という言葉が使われています。興味深い言葉です。 |
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3.提案の実行(5−6節) |
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「この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。」 |
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・全員の賛同: 提案→討議→決定→実行:「この提案は全員の承認するところとなり・・・」使徒たちの、聖霊による知恵に満ちた提案が、教会のメンバー全員に提出され、その賛同を得た麗しい実例です。物事がいつの間にか決まり、誰もその決定を知らされないまま物事が進んでしまうというような不透明な方法ではなく、すべてガラス張りで提案され、討議され、決定され、実行される、そこに教会の真の一致があります。 |
・執事の選任: さて、「彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。」どんな方法によったのでしょうか。話し合いでこの7人が選ばれたのか、投票によったのか、くじ引きにしたのか方法についての言及はありません。しかし、「衆目の認める」7人が選ばれたことは、このルカの記事の雰囲気から分かります。興味深いことには、この7人全員または過半数がギリシヤ語を話すディアスポラ・ユダヤ人、一人は人種的には異邦人でありながらユダヤ教に改宗し、そしてクリスチャンになったニコラオです。この組み合わせは、問題の発端であったグループへの配慮も伺えます。 |
・使徒たちによる承認と按手: 「そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。」会衆による言わば民主的な選出方法と、使徒たちによる按手という言わば監督的な選任方法との上手な一体性を見ます。 |
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4.教会の更なる進展(7節) |
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「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。」 |
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・神の言葉の広まり: 「こうして神のことばは、ますます広まって行き・・・」使徒たちが御言の奉仕に専念したことと無関係ではないと思います。 |
・信徒の増加(掛け算的増殖): 「弟子の数が非常にふえて行った。」この「増えて行き」という表現は、1節で出てきた「プレースュノ−」(multiplying)という動詞です。足し算的にではなく、掛け算的に増殖していきました。みにバイブルは、この増え方を「さざなみのような」進展と表現しています。私たちもそのさざなみの一つとなりたいものですね。 |
・祭司達の入信: 「多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。」当時の大祭司・祭司長クラスは非常に政治的で、世的ですらあったのですが、ザカリヤの例を見ても分かるように、平の祭司は素朴な人々が多かったのです。その中に主イエスを信じる人が興されても不思議ではありませんでした。教会の発展次第では自分自身の仕事を失うかもしれない、そんな可能性を持っていたにも拘らず、その「祭司たち」が入信したという事実は、教会の魅力の大きさを物語るものです。 |
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おわりに:教会の本質的な使命(祈りと御言)を確認しよう |
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使徒たちは、食料の配給活動に関わる教会の不満を通して、彼らの最優先課題である祈りと御言の大切さを再確認しました。これは、使徒たちだけの使命ではなく、教会の生命ということが出来ましょう。教会は祈りによって主のみ業の前進に加担します。主の御言をしっかりと捉え、それを真っ直ぐに伝えることによって、魂を救い、魂を成長させ得ます。11月の特別伝道会を控えている私たちも、この基本的な使命を再確認し、主のみ業を期待しようではありませんか。 |
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