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聖書テキスト |
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8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。 |
9 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。11 そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。 |
12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。13 そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。14 『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」 |
15 議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。 |
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復習 |
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愛老聖日などが間に入ったりして、連講の間隔が空いてしまいました。今日は、前回の復習から始めます。 |
・初代教会の問題: 発足間もないエルサレム教会において、やもめ達への給食を巡っていさかいが起きました。問題の背景には、メンバー同士の文化的相違、つまり、ギリシャ語をしゃべるユダヤ人とヘブル語をしゃべるユダヤ人相互の誤解・対立が背景にありました(イラスト@)。 |
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・問題の解決: 7人の「執事」(仕えるもの)の選任(イラストA)=問題に対する解決が7人の「執事」(仕えるもの)の選任でした。この時選ばれたのがステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオです。執事達は給食の仕事に専念し、使徒達は祈りと御言に専念することにしました。この危機を乗り越えた教会は、一層のスピードで成長していきました。 |
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1.ステパノの登場(8節) |
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「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。」 |
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・名前:ステファノス=「冠」(イラストB): 名前は、ギリシャ語で「冠」を意味するステファノスです。ギリシャ名がずっと使われていたことから、パレスチナ以外の所で生まれ育ち、ギリシャ語を語り、ヘブル語も充分こなせるユダヤ人であったと考えられます。自由な雰囲気の中で教育された知識人でありつつも、ユダヤ教の教えをしっかりと守る敬虔な人でした。 |
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・福音に触れる: 多分ペンテコステの時に=そのステパノがペンテコステの為にエルサレムに詣で、そこで福音に触れたようです。そのままエルサレムに残り、エルサレム教会の設立と成長に貢献しました。忠実なクリスチャンとして良い評判が立っていました。 |
・執事のトップ: 「知恵・信仰・恵・力、聖霊に満ちた人」(イラストC):7人の執事の中でも傑出していたのがステパノで、「御霊と知恵に満ちた、良い評判」(3節)という7人共通の資格に加えて、「恵みと力とに満ち」と特別にステパノを名指しで形容しています。「・・・に満ちた」という四つの徳を見ます: |
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@知恵に満ちた人(3、10節): ステパノは、知恵に満たされていました。聖書を良く知っているだけではなく、聖書の本質を見抜く洞察力を持っていました。特にその聖書の本質と主イエスの事実を結びつけ、キリストの福音が歴史を変えるのだという強い確信を持つことが出来ました。 |
A信仰に満ちた人(5節): 彼の持っている信仰は、すべての疑いや迷いを吹き払うものでした。神のみ力を100%信頼する単純な信仰でした。それが彼の行動・言葉に影響を与えていました。 |
B恵みに満ちた人(8、15節、7:60): 信仰に満ちたというと、勇ましいけれども、人間として近づきにくい固い人を想像する人も多いと思いますが、ステパノは違います。その顔は天使のようでした。それは、内なる住んでおられるキリストが外に現れた輝きでした。恵に満ちた人には、私たちみんなが憧れます。これは、どんな評価に優る評価です。 |
C力に満ちた人(8節): ステパノの言葉には説得力がありました。聞く人の心を揺り動かす力を持っていました。彼自身の力ではなく、聖霊の与えた力です。また、病気の人を直す力がありました。 |
そして、これら全ての「徳」の中心は「聖霊に満たされた」という言葉です。ステパノは、どこかで聖霊の満たしをいただき、その経験を継続して生きていたのです。聖霊に満たされるとは、内に住み給う聖霊が、十分に、そして自由にそのお働きをなさることを意味します。聖霊のみたしとは「聖霊のご人格が信者の人格を所有し、支配し、指導し給うこと」です。別の言い方をすれば、もはや自分ではなくキリストが生きると言う経験なのです。 |
・大きな奇跡と徴: ステパノが執事として選ばれたのは、教会給食の経営のためだったのですが、段々その枠からはみ出して広い活動を始めました。ステパノは食事のお世話をしながらも、接する一人びとりのニードに答えようとしました。病気の人もいれば、悩んでいる人もいる、という人々のニードに答えるために、説教の機会があれば説教し、病気の人がいれば直してあげ、という風に奉仕の枠が広がっていきました。 |
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2.リベルテン会堂の人々との論争(9−11節) |
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「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。そこで、彼らはある人々をそそのかし、『私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。』と言わせた。」 |
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そして、これら全ての「徳」の中心は「聖霊に満たされた」という言葉です。ステパノは、どこかで聖霊の満たしをいただき、その経験を継続して生きていたのです。聖霊に満たされるとは、内に住み給う聖霊が、十分に、そして自由にそのお働きをなさることを意味します。聖霊のみたしとは「聖霊のご人格が信者の人格を所有し、支配し、指導し給うこと」です。別の言い方をすれば、もはや自分ではなくキリストが生きると言う経験なのです。 |
・リベルテン会堂: 奴隷から解放されたユダヤ人が建設=ステパノは、聖霊に満たされて大胆にキリストの福音を伝えました。その時、ステパノの前に立ちはだかって論争したのが「リベルテン会堂」の人々でした。リベルテン会堂について説明します。エルサレムには480もの会堂がありましたが、リベルテンはその一つです。BC63年にローマの将軍ポンペイがユダヤを侵略した時に、大勢のユダヤ人を奴隷として連れて行きましたが、後に解放されました。その時自由にされた人々が、感謝を表わすために建てたのがリベルテン会堂です。リベルテンとは、「自由」を表わすラテン語ですが、そのまま会堂の名前として使われるようになりました。そしてこの会堂は、ギリシャ語を話すユダヤ人、つまり、ディアスポラが出入りする会堂となりました。 |
・ステパノへの反対者: クレネ、アレキサンドリヤ、キリキヤ、アジヤ出身者(地図参照)=ディアスポラの一人であるステパノも、リベルテン会堂に出入りし、そこにいる人々を伝道のターゲットにしたようです。それが彼らの反感を呼び起こすことになってしまいました。ステパノを攻撃した人々の出身地は「クレネ、アレキサンドリヤ、キリキヤ、そしてアジヤ」でした。クレネとは北アフリカ・リビアのことで、その町の4分の1はユダヤ人でした。アレキサンドリヤはエジプトの首都で、人口25万人の5分の2はユダヤ人でした。キリキヤとは、言わずと知れたサウロ(後のパウロ)の出身地で、その首都であるタルソにも多くのユダヤ人がおりました。この反ステパノ論争の中に、サウロも一枚加わっていたことは容易に想像できます。アジヤとは、エペソを中心とした今のトルコ半島の西側です。 |
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・ステパノへの非難: 「神殿礼拝をおろそかにする」(?!)=この人々は、「リベルテン」という名前が示すように、自由で進歩的な考えを持っていると思いきや、キリストの福音については強く反対しました。外国で少数派として存在しているディアスポラの方が、本国にいるユダヤ人よりも伝統を守ることに保守的であったということは頷けます。ともかく、彼らは、ステパノのグループがエルサレム神殿における礼拝をないがしろにしていると非難しました。実際はその反対で、初代教会のクリスチャンたちは、神殿の礼拝を大切に守っていました。しかし、ステパノの説教の中に、主イエスがご自分を生贄として捧げたその贖いによって、神殿の役割を終わらせたというニュアンスを感じ、それに反発したのです。 |
・知恵と御霊によって語るステパノ: しかし、反対者達は、「彼(ステパノ)が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。」のです。この部分を正確に訳しますと、「ステパノが、それによって語った、知恵と御霊に反対する(アンティステーミ=対抗して立つ)ことができなかった。」のです。「知恵と御霊」とは並列的なものではなく、「御霊によって与えられる知恵」と捉えることが正しいでしょう。特にこの場合「知恵と御霊によって語る」とは、聖書を総合的に、そして正確に理解すること、聖書の著者・御霊が与える洞察力に基づいて語ることと考えられます。それが詳しく描写されているのが7章です。反対者達も聖書を信じていましたから、理路整然と語るステパノに対して、反論する術がありませんでした。聖書の御言をしっかり学び、その著者である聖霊に導かれて生きている人には、不思議な説得力があります。詩篇の作者は「あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。」(詩篇119:98)と言っています。私達の日常生活の中でも、このような勝利を祈りたいと思います。 |
・反対者たちの卑怯な方法: さて、論争に負けた人々が取ったのは大変卑怯な方法でした。偽証者を立て、彼らをそそのかし、「私たちは彼(ステパノ)がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせたのです。 |
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3.サンヒドリン議会での審問(12−15節) |
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「また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。『この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。「あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。」と彼が言うのを、私たちは聞きました。』議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた」。 |
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・ステパノ、議会に引き出される: 偽証者を立てた彼らは、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを襲って捕え、議会にひっぱって行きました。何と卑怯な、やり口でしょうか。さて、議会というのはユダヤの内政と宗教面で自治権を委ねられていたサンヒドリンというユダヤ人評議会の事です。議長は大祭司、議員は70名で、サドカイ派と呼ばれるグループが支配していました。サドカイ派はユダヤ教の一派で、対外的にはローマと融和的で、ローマ政府と事を起こすことは嫌いでした。 |
・ステパノへの非難: ステパノを訴えた論点は二つです。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」第一は、ステパノはモーセの律法を蔑ろにしている、第二は、神殿を壊すというイエスの主張を繰り返している、というものでした。まさにこれはステパノの主張の歪曲でしか無かったのですが、ともかく、ステパノは人々の視線に耐え、じっと証言台に立ち続けました。 |
・ステパノの輝き: 御使いのよう!(イラストD)=特に自分が神を冒涜したという根も葉もない偽りの非難・中傷を受けるとき、普通の人間は平静を失って怒りで顔が真っ赤になるか、声が震えるか、という反応をするものです。しかし、ステパノは至って平静にその非難に対面しました。怒りとか、復讐心とか、自分の面子が傷つけられたとか、そう言った自己中心的な感覚はなかったのでしょう。ステパノのその時の表情は御使いの顔のようでした。誰がこの観察をしたのか分かりません。しかし、この御使いのように透き通った、輝いた顔は、荒れ狂う聴衆を一瞬でも静まらせる効果を持つ素晴らしいものでした。これこそイエス様の持っておられた品性の輝き、モーセが持っていた栄光の顔と共通するものでした。 |
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おわりに:知恵と御霊によって語ろう |
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私達は、毎日、誰かと話をしながら生活しています。天気の話だったり、ニュースの話題だったり、或いは深刻な人間関係の問題であったり、ビジネスの話だったり、真に多種多様な会話をします。どんな話題であっても、どんな相手であっても、私たちは「知恵と御霊によって語る」者となりたいものです。そのためには、毎日御言に触れること、祈りの中にそれを思い巡らすこと、そして、発言の度に、主の導きを求める姿勢が必要です。主の助けを祈りましょう。 |
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