礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年11月3日
 
「散らされる恵み」
使徒の働き連講(19)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 8章1-8節
 
 
[中心聖句]
 
  4   散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
(使徒の働き 8章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。3 サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。8 それでその町に大きな喜びが起こった。
 
前回の復習:ステパノの輝かしい最期(イラスト参照)
 
 
前回は「この罪を彼らに負わせないで」との題で、教会歴史最初の殉教者ステパノの物語を学びました。彼の輝かしい最期を通して、キリストの心をもって生きることの素晴らしさ、キリストの心をもって死ぬことの光栄を見ました。

特に「この罪を彼らに負わせないで下さい」というステパノの最期の祈りは、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23:34)と十字架上で祈られたキリストの精神そのものです。さて、ストーリーはそこで終わりませんで、彼の死後、激しい迫害が始まりますが、今日は、その記録である8章に入ります。
 
1.エルサレム教会への迫害(1−2節)
 
 
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。」
 
・サウロの立場(1節a):
「キリスト教は『危険』(!?)」:「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」ステパノを石打ちにするという非合法的なリンチ事件の際に、人々の上着を集めて番をした男がユダヤ教の若き学者・指導者であるサウロです(7:58)。サウロは、このリンチが当局から咎められたら自分が責任を持つという意味で上着の番をしました。ですから8:1は「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」という一文をわざわざ加えるのです。サウロは、ステパノとの論争が起きたリベルテン会堂のメンバーでありました。ナザレのイエスこそキリストであると主張するステパノとその仲間を放置しておけば、ユダヤ教の土台が掘り崩されてしまう危険をサウロは見抜いていたのです。

・迫害の始まり(1節b-2節):
民衆を巻き込んだ反対運動:「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」この時まで、エルサレム市内で野火のように広がってきたキリスト教だったのですが、この時から大規模な弾圧を受けるようになります。今までのように、サンヒドリン議会という、いわば上からの迫害ではなく、民衆を巻き込んだ反対運動が始まるのです。

・土着のユダヤ人(クリスチャン)は迫害の対象外:
私はいつも「使徒たち以外の者はみな・・・散らされた。」という記述を不思議に思っていました。なぜ、教会反対運動は、教会の中心である使徒たちをターゲットにしなかったのだろうか、という疑問です。これについて色々な注解者が説明を加えています。迫害のターゲットはステパノを筆頭とするディアスポラ・ユダヤ人であり、パレスチナ土着のユダヤ人は見逃されていた、と言うのです。つまり、エルサレムの一般民衆の間では、「よそ者」であるディアスポラ・ユダヤ人の存在は反感を買っていたのでしょう。ただ、ここで考慮しなければならない点が一つあります。「よそ者」が除かれたエルサレム教会が、残念ながら極めて保守的な教会になってしまったことは、エルサレム会議などのやり取りで分かります。これは、残念なことでした。

・ディアスポラ・ユダヤ人(クリスチャン)が追放される:
今述べました事情で、ディアスポラ・ユダヤ人は、ユダヤ・サマリヤの地方、町々、村々に散らされました。「ユダヤ・サマリヤの地方」という表現で思い出すのは主イエスの最後の言葉です。「あなたがたはエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで私の証人となる」(1:8)弟子達は、この言葉を忘れたわけではなかったと思いますが、教会が誕生してから最初の数年間(恐らく5年前後)、教会はエルサレムに留まったままでした。もし、子kのまま進んで行ったら、教会はエルサレム中心の仲良しクラブで終わったかもしれません。教会にとって迫害は嬉しいことではありませんが、主は、迫害を許し、それをもって教会を散らしなさいました。神の不思議な摂理を感じないわけには行きません。

・ステパノの葬り:
殉教者としての尊敬と感謝、権力者への無言の抗議:「敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。」この厳しい迫害を縫って、信徒たちはステパノを丁重に葬りました。教会の歴史における最初の殉教者としての尊敬と感謝を表わしたのです。通常、犯罪者の死を公に悼むことは律法で禁じられていましたが、信仰者達のこの行動は、ユダヤの権力者達に対する無言のプロテストでもありました。この葬りは、その直後に散らされた信仰者達に、ステパノの信仰に倣うべき決意を深くしたものであったと思います。
 
2.サウロの激しい行動(3節)
 
 
「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」
 
・ユダヤ教への熱心:
「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」ステパノへの石打ち以来、サウロは狂ったような行動に出ます。サウロは元々学者であり、体育会系の人間ではありませんでした。特に彼が師事したガマリエル教授は穏健さとその深い学識から多くの人々に尊敬されていました。その一番弟子のサウロが教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れる、という行動に出たのは、第一義的には、キリスト教への反対という確信があったからです。

・クリスチャンへの反感:
しかしサウロのこの行動は、理性的な確信からだけではなかったようです。飼い馴らされたライオンが、一旦血を見てしまうと猛々しい猛獣に変貌してしまうように、サウロは理性も何もかも失ってクリスチャン憎しの一念で、気狂い染みた行動に出てしまったのです。この頃のサウロの心情を示す記事をいくつか紹介します。「サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃え」(9:1)、「彼らに対する激しい怒りに燃えて」(26:11)、「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」(1テモテ1:13)などです。つまり、理性的なキリスト教反対から始まってはいますが、憎悪の感情に燃え上がり、神のため、また、ユダヤ社会の伝統のために戦うといいながら、実は、神を汚すものとなってしまったのです。私の想像ですが、サウロの深層心理の中には、殉教者ステパノの不思議な輝きに惹かれる気持と、それをより大きな憎しみで打ち消そうという戦いがあったのではと思います。
 
3.散らされた人々の伝道(4節)
 
 
「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」
 
・危機をチャンスに変える信仰:
エルサレムから追い出された人々の行動が再度記されています。「みことばを宣べながら、巡り歩いた。」先ほども述べましたように、彼らはエルサレムを離れる積りも予定もなかったのですが、不思議な摂理によって、エルサレムの周辺地域であるユダヤ、その隣のサマリヤに散らされることとなりました。そこで、彼らは主の宣教命令を改めて思い出したのです。行く町々、村々で御言を伝え始めました。エルサレム周辺だけではなく、さらに遠くまで散らされました。そして、そこで福音を伝えたことが世界宣教のきっかけとなったと記されています。神の摂理とは不思議なものです。11:19−21を読みしましょう。「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」

・キリストの福音を伝える:
彼らは「みことばを宣べながら、巡り歩いた。」とあります。どんなみことばでしょうか?当然、キリストの福音のみことばです。どんなきっかけを使って語ったのでしょうか?恐らく、自分たちが何故ここにいるかという説明から始まったのではと思われます。
 
4.ピリポのサマリヤ伝道(5−8節)
 
 
「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。それでその町に大きな喜びが起こった。」
 
・ピリポとは:
数多くのキリストの証人の中から、「使徒の働き」の記者であるルカは、ピリポを登場させます。それは、彼のサマリヤでの働き、後にはエチオピアの役人への個人伝道が大きな歴史的意義を持っていたからです。ピリポについては、今までも何度か講壇で取り上げましたし、昨週、アラン・カページ博士が詳しく語ってくださったので、重複は避けて、簡潔に行きたいと思います。ピリポの名前の意味は「馬を愛する人」、由来は、アレキサンドロス大王の父親であるマケドニヤ王ピリポです。この名前は個人名としても、また、町名としても当時の世界で広く使われていました。主イエスの弟子にもピリポがいたのを覚えておられることでしょう。このピリポがどこの出身であるか分かりませんが、恐らくステパノと同様、ディアスポラ・ユダヤ人の一人であったと考えられます。そのピリポがペンテコステ前後からキリストの弟子となり、7人の執事の中に入りました(6:3―5)。

・サマリヤとは:
サマリヤとはパレスチナの中央の自治領のことです(地図参照)。イスラエルの王国時代に南北に国が分裂した時、北イスラエルの首都となったところです。北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされた紀元前8世紀後半、そこには異邦人が移しこまれ、いわば混血が始まりました。純粋なユダヤ人から見れば、全く人種の異なる異邦人よりも、半分ユダヤ人であるサマリヤ人の方が、敵意と侮蔑の対象となったのです。実際、ユダヤ人がバビロン捕囚から帰って来てエルサレムを再建したとき、サマリヤ人はこの働きを徹底的に妨害しました。こうした背景から、主イエス時代には、ユダヤとサマリヤとは抜きがたいほどの敵意が存在していました。その敵意を乗り越えてサマリヤ人に伝道されたのが主イエスです。その時、主イエスはサマリヤのスカルという町に2日間とどまり、その結果多くの人が信じました(ヨハネ4:39−41)。ピリポが訪れた町は、主イエスが滞在されたこのスカルだったと想像されます。ピリポが行く3年前に、福音の種は撒かれていたのです。

・ピリポの伝道:
サマリヤ人のメシヤ待望(ヨハネ4:25)を土台に福音伝達:「ピリポは・・・人々にキリストを宣べ伝えた。」サマリヤには、元々来たるべきメシヤへの期待がありました。サマリヤの女性が主イエスに向かって「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」(ヨハネ4:25)と言ったことからも分かります。その上、主イエスの伝道という備えがあり、土壌は耕されていたのです。ピリポはその土壌に「ナザレのイエスこそキリスト(メシヤ)なのだ。」という単純なメッセージを伝えました。彼が行なった奇跡の数々はそのメッセージを補強しました。悪の霊に憑かれた者は悪霊から解き放たれ、病の者は癒されました。ですから彼らは、ピリポの説教に「そろって耳を傾けた」のです。

・多くの人々の救いと喜び:
多くの人々が、ピリポのメッセージを受け入れ、キリストを主と信じ、その結果、町に大きな喜びが生まれました。素晴らしいリバイバル現象です。
 
おわりに:
 
 
1.災いを福と捉える信仰を持とう
 
 
私たちの人生にも、思わない形での障害が起き、自分が思わない方向へと進まされることが間々あります。しかし、エルサレム教会の人々が「散らされた」経験を奇禍と捉えて、それを主の働きの拡大の機会と利用したように、私たちもあらゆる出来事の中に、主の摂理を信じ、それを前向きに捉えたいものです。
 
2.あらゆる機会に福音を伝えよう
 
 
「使徒の働き」のもう一つのレッスンは、この人々があらゆる機会を捉えてみことばを伝えたその姿勢です。祈って備えていると、自然な会話のうちに、主のみことばを宣べ伝える機会が訪れるものです。人々との触れ合いの中で、みことばを伝えるチャンスが与えられるように祈り、実行しましょう。
 
お祈りを致します。