礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年12月1日
 
「大いなる約束 ― ダビデの子からメシヤが」
クリスマスに向かう(1)
 
竿代 照夫 牧師
 
歴代誌 第一 17章1-15節
 
 
[中心聖句]
 
  14   わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。
(歴代誌 第一 17章14節)


 
聖書テキスト
 
 
1 ダビデが自分の家に住んでいたとき、ダビデは預言者ナタンに言った。「ご覧のように、この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にあります。」
2 すると、ナタンはダビデに言った。「あなたの心にあることをみな行ないなさい。神があなたとともにおられるのですから。」
3 その夜のことである。次のような神のことばがナタンにあった。4 「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。5 わたしは、イスラエルを導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋にいた。6 わたしが全イスラエルと歩んできたどんな所ででも、わたしの民を牧せよとわたしが命じたイスラエルのさばきつかさのひとりにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、言ったことがあろうか。7 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。8 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前で、あなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい名をあなたに与える。
9 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を押えつけることはない。10 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたのすべての敵を屈服させる。わたしはあなたに告げる。『主があなたのために一つの家を建てる。』
11 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」11 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。12 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。14 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」15 ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
 
始めに
 
 
・メシヤはダビデの子孫から生まれた(マタイ1:1):
今日からクリスマスのシリーズに入ります。今日は、クリスマスの背景的なお話をします。さて、新約聖書は、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」(マタイ1:1)と記されていますが、なぜ、ここに「ダビデの子孫」とわざわざ記されているかという点から、考え始めましょう。

・その約束はダビデに与えられた:
それは、キリスト誕生の約千年前、ダビデ自身が「あなたの子孫から救い主が生まれる」という約束を頂いたところからメシヤ待望が始まったからなのです。今日はその約束について学びます。
 
1.約束が与えられた背景
 
 
・ダビデの願い:
BC約千年、ダビデは、長い苦難の青年期を越えてイスラエル第二代の王となりました。首都をエルサレムに定め、礼拝の中心である契約の箱をそこに据え、これから、本腰を入れて国づくりをしようとしたとき、真っ先に考えたのが、神殿を作ろうということでした。その時、彼自身は杉材で作った家に住んでいました。今で言えば木造建築です。実は、木造建築というと、森林が豊富な日本では比較的安価ですが、森林の乏しいパレスチナでは贅沢の象徴でした。いずれにせよ、自分は立派な家に住んでいるのに、礼拝の中心である契約の箱が安置されているのは仮住まいのテントであるということにダビデは申し訳なさを感じたのです。その気持ちを記しているのが1節です。「ご覧のように、この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にあります。」こういった感覚はとても大切ですね。今から約4百年前、アメリカに移住したピューリタン達が最初に建てたのは礼拝の場所であったそうです。アメリカでは、移住後最初の収穫が行われた11月には、感謝祭が行われますが、彼らの伝統に、そうした神第一の精神があることは、すばらしいことです。

・預言者ナタンの承認と変更:
ダビデが石造りの恒久的な神殿建築を申し出たことに対して、預言者ナタンは「あなたの心にあることをみな行ないなさい。神があなたとともにおられるのですから。」と答えました。つまり「ダビデ王さま、あなたの申し出は大変結構です。」という祝福と承認の言葉です。ナタンは、宮廷預言者として、王の相談役のような立場を持っていました。彼は、主のみ声を聞き、それを真っ直ぐに伝えるという「直球投手」でしたので、神のみ声が王の願望と異なる時には、王の顔を恐れずに発言することができるストレートな預言者でした。彼は、恐らくサムエルが始めた預言者学校の卒業生であったと思われます。さてその晩、ナタンは神のお告げを受けて、その了解を変更いたします。要約しますと、ダビデが建築することは許さないというものでした。「あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。わたしは、イスラエルを導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋にいた。わたしが全イスラエルと歩んできたどんな所ででも、・・・イスラエルのさばきつかさのひとりにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか。』と、一度でも、言ったことがあろうか。」(4-6節)。しかしながら、ダビデの子が建設事業を行い、成し遂げる。さらに、ダビデ王国は永遠に繁栄するという素晴らしい約束を伝えたのです。
 
2.ダビデへの約束、その内容
 
 
その約束を記した聖句に目を留めます。

・ダビデ自身の王国に平和と繁栄を与える:
「わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を押えつけることはない。それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたのすべての敵を屈服させる。わたしはあなたに告げる。『主があなたのために一つの家を建てる。』」(9-10節)主のために家を建てようとしたダビデに対して、主は、「あなたが私のために家を建てるのではない、私があなたのために家を建ててあげるよ」と不思議なことを語られました。

・ダビデの子が神殿を建築する:
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。」(11-13節)勿論、これは直接的には、ダビデの子ソロモンが神殿を建てることを指しているのですが、実はそれ以上のことを指していました。

・ダビデ王国は永遠である:
「わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」(14節)神殿建築という目に見えるプロジェクトではなく、ダビデ王国を永遠に継続させるという、驚くような約束を主はダビデに与えなさいました。さて、表面的に見ると、ダビデ王国は滅びてしまったことを歴史は示します。ダビデから約5百年後、ダビデ王朝22代目のゼデキヤ王の時、王国も王朝もバビロン帝国によって滅ぼされました。それ以後、ダビデの子孫が王国を復活したことはありません。では、神の約束は反古になったのでしょうか。いいえ。全く別な形で、もっとすばらしい王国が与えられました。それがダビデの子キリストによって建てられた神の国です。ダビデの子が救い主(メシヤ)となる、という信仰は、ダビデ自身に与えられたこの約束から始まったのです。
 
3.ダビデは、その約束を感謝して受け取る
 
 
・ダビデの感謝・感激:
ダビデは、この約束を心からの謙りをもって受け入れました。彼は、主の前に座し、そして言いました。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。」(16-17節)自分が取るに足らないものなのに、こんな祝福を与えてくださったと、主に感謝・感激を表わします。そして、神の永遠の祝福について、いわば念を押します。「どうか、主よ。あなたが、このしもべとその家について約束されたことが、とこしえまでも真実をもって行なわれますように。あなたの約束どおりに行なってください。・・・あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。わが神よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、しもべのために家を建てようと言われました。それゆえ、このしもべは、御前に祈りえたのです。・・・今、あなたは、おぼしめしにより、あなたのしもべの家を祝福して、とこしえに御前に続くようにしてくださいました。主よ。あなたが、祝福してくださいました。それはとこしえに祝福されています。」(23-27節)と。

・約束が与えられた理由:ダビデの謙虚さ:
何で、このような壮大で、永遠的な、すばらしいお約束がダビデに与えられたのでしょうか。彼が偉大だったからでしょうか。そうではありません。かれが高貴な生まれだったからでしょうか。そうでもありません。かれに欠点がなかったからでしょうか。いいえ、彼には欠点が沢山すぎるほどありました。彼自身その理由を教えられていません。ですから、私にも分かりません。しかし、もし、理由を推測するとすれば、唯一つ、ダビデの、この謙った態度を神が喜ばれたと考えることができます。自分などは神の恵みを受ける価値のないものだ、と本当に頷いている人ほど、それ故に恵みを頂くのです。これは神の国の不思議なパラドックス(逆説)です。
 
4.約束はイザヤによって確認される
 
 
ダビデへの約束は、その3百年後に活躍した預言者イザヤによってさらに確認され、深められていきます。

・イザヤ9章「ひとりのみどりご」預言:
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。・・・主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。」(イザヤ9:6−7)という有名なメシヤ預言があります。そこに「ダビデの王座に着いて、その王国を治め」と記されていることに注目したいと思います。

・イザヤ11章「エッサイの切株」預言:
イザヤ11章の「切株」預言もその一つです。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。・・・その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。」(イザヤ11:1-5、10)切り株から新芽が生える、つまり、イスラエルが裁きを受けるが、憐れみの故に少数者が残されるという思想、そしてその末裔からメシヤが生まれるという終末思想がこの章で歌われています。全ての物が失われ、滅び去った後で、奇跡の様に、或いは不死鳥の様に王と王国が甦ります。ユダ王国は徹底的に滅ぼされますが、その廃墟から生命が生まれ出ます。イスラエルもユダも壊滅状態に陥るのですが、その中から、神は救い主を起こしなさいます。エッサイというのは、ルツの孫、そしてダビデの父でもあります。メシヤがダビデ王(朝)の家系から生まれることが、ここで初めて明確に預言されます。マタイでは、この成就を下記のように示します。「ボアズ=ルツ→オベデ→エッサイ→ダビデ→ソロモン→レハベアム→・・・(14代の王)ゼデキヤ→・・・ヨセフ→イエス」その流れを示したのが、イザヤ預言です。神の驚くべき歴史支配を見る思いです。この神の国は、世界に広がって生きます。大事な点は、国々の民がメシヤを求めるということです。彼が帝国主義的な支配を拡げていくのではなく、人々がキリストを慕い、主と仰ぐようになります。これこそ真の世界宣教です。

・この約束への期待は、時代を追って膨らむ:
このメシヤ預言は、イスラエルの中では「メシヤ待望」として脈々と受け継がれ、特に、その民族的危機の中で膨らんできます。ヨハネ7:42には「キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」とまで語られています。
 
5.その約束はクリスマスにおいて成就する
 
 
そして、その約束は千年という歳月をへて、クリスマスのときに成就したのです。何とスケールの大きな、神のご計画でありましょうか。その感激をもって約束の成就を歌ったのが、イエスの先駆者の父ザカリヤです。かれは、メシヤの来臨を告げられたとき、「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。」(ルカ1:68,69)と賛美しました。千年も前、ダビデから始まっていたクリスマスへの期待が、今や成就したという感激を歌っているのです。
 
終わりに:私達にも同じ祝福が約束されている
 
 
最後に、こんなに素晴らしい祝福の約束が、貧しい羊飼い少年から王になったダビデに与えられた経緯と理由を思い出したいと思います。彼が、偉かったからではなく、全くその逆で、謙った人間であったが故に、主は彼を愛し、受け入れ、豊かな恵みを約束されたのです。神は高ぶるものを退け、謙るものを恵み給うお方である(ヤコブ4:6)ことを感謝したいと思います。
 
お祈りを致します。