礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2013年12月29日
 
「力限り賛美する」
年末感謝礼拝に臨み
 
竿代 照夫 牧師
 
詩篇150篇1-6節
 
 
[中心聖句]
 
  6   息のあるものはみな、主をほめたたえよ。
(詩篇150篇6節)


 
聖書テキスト
 
 
1 ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
2 その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
3 角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
4 タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで神をほめたたえよ。
5 音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで神をほめたたえよ。
6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
 
はじめに
 
 
・今年最後の聖日礼拝:
2013年の最後の聖日を迎えました。数多く注がれた恵みにゆえに心から神に感謝し、聖名をさんびしたいと思います。今日は、詩篇の最後の詩である150篇を取り上げます。

・詩篇とは:旧約の讃美歌集:
詩篇は、旧約聖書時代の讃美歌集です。イスラエルが、バビロン捕囚から帰還した後、学者エズラが編纂したと言い伝えられています。その讃美歌集に収められている150の歌の最後がこの讃美歌です。歌集の締め括りとして、頌栄が収められているのは相応しいことです。

・詩篇146−150篇:「ハレルヤ・サンドイッチ」:
詩篇歌集の最後の5篇「ハレルヤ・サンドイッチ」の一つです。ハレルヤ・サンドイッチとは、ハレルヤで始まり、ハレルヤで終わる、讃美のスピリットが満ち溢れている詩です。詩篇全体を神への讃美の交響曲に例えると、そのフィナーレです。

・詩篇150篇:グランド・フィナーレ:
シンフォニーの最終場面では、ティンパニー奏者も、シンバル奏者も立ち上がって、クライマックスに備えるように、フィナーレの中で最も劇的で崇高なグランド・フィナーレが150篇です。この篇では「神をほめたたえよ」が僅か6か節の中に11回も繰り返されています。徹頭徹尾、讃美を神に捧げている歌です。 この11回の讃美の冒頭部分を分類して見ますと、
1)Where?(1節):どこで讃美するのか
2)Why?(2節):なぜ讃美するのか
3)How?(3−5節):どうやって讃美するのか
4)Who?(6節);誰が讃美するのか、
という4つのテーマに分かれます。
 
1.Where?(1節)
 
 
1 神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
 
・神の聖所で:
今日の言葉で言えば教会堂で、となりましょうか。(別な解釈では、これは天における神の聖所と考えられます。そこでは天的な被造物である天使らが神を讃美しています。)神殿は神を讃美するための場所であり建物です。讃美するに一番相応しい場所です。私達がこの建物を建てたときも、音響効果をよく考えました。教会堂は、音楽を育んだ揺りかごのようなものです。教会での讃美を大切にしたいものです。

・大空で:
神の創造になる全ての天体を指しています。讃美するのは、教会堂だけに限られません。家庭でも、会社でも、電車の中でも、山の上でも、海の上でも、散歩をしながらでも、運転をしながらでも、あらゆる所で神を讃美しましょう。神はあらゆる空間をお造りになったお方ですから。

 
2.Why?(2節)
 
 
2 その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
 
・その大能のみわざのゆえに:
神の業は素晴らしく、大きな、知恵に満ち、愛に満ちたものです。この一年を振り返ってみましょう。私達の健康一つを取っても、神はどんなに大きな業をもって私達を支えて下さったことでしょう。経済について、主はいかに私たちの必要を満たして下さったことでしょうか。魂の必要についても、主はいかに私たちを孤独や落胆や失望から回復させて下さったことでしょうか。社会に対して、教会に対して、国に対して、世界に対しても、神は確かに働いておられます。大きな大きな御手をもって、全てを動かしておられます。讃美しましょう。詩篇の中には、神のみわざという表現が沢山出てきますが、多くはその創造に関わるみわざ、出エジプトに関わる大きな奇跡に現れたみわざが歌われています。私達にとってのみ業とは、キリストの贖いに関するものが主だと思います。こんな私をも目を留めて下さった、救いの力をもって変えて下さった、これがみ業の中心でありましょう。主を讃美しましょう。今日は、説教の後に聖餐式を持ちます。主の成し遂げてくださった贖いの御業を心から感謝し、讃美しましょう。

・そのすぐれた偉大さのゆえに:
神が何をなさるかを考えることも素晴らしいですが、どんなお方であるかを思うことは、もっと素晴らしいことです。神は愛に於いて偉大です。大きな包む愛をもって私達を愛して下さいます。清さにおいて偉大です。知恵において、力において・・・偉大なお方です。神を讃美しましょう。
 
3.How?(3−5節)
 
 
3 角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
4 タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで神をほめたたえよ。
5 音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで神をほめたたえよ。
 
ここで言おうとしているのは、ありとあらゆる楽器を動員して、ということです(イラスト参照)。 

・角笛:
角笛とは、今日のラッパですが、当時は雄羊の角に穴を空けて吹いていました。強い振動音で、戦争や儀式の際に祭司によって使われる場合が多かったそうです。

・十弦の琴、立て琴、シンバル(小型、大型):
これらは、レビ人が使う楽器です(ネヘミヤ12:27)。十弦の琴とは文字通り10本の弦が四角い箱の上に張られた楽器です。立て琴とは今のハープに近い琴です。シンバルにも種類があったようで、カスタネット型の小さくて音程の高いシンバル、深い鉢の形をしていて、大きくて振動も豊かなシンバルと色々でした。

・タンバリン、緒琴、笛:
これらは、一般人が良く使うものでした。タンバリンは踊りと対になっています。踊るときに楽しい気分を盛り上げるための楽器でした。緒琴とは弦楽器一般を指す言葉です。笛とは、木で出来た横笛のようなものです。

ここで言わんとしていることは、祭司たちも、レビ人たちも、一般人も、みんなで一緒になって、楽器を打ち鳴らし、力限りに神を賛美しましょうという勧めです。こんな色々な楽器がいわば管弦楽団のような形で神を讃美するのです。もちろん6節にありますように、ボーカルも加わって讃美をしたことでしょう。音量も大きく、音色もバラエティに富んでいたことでしょう。私達の讃美も、良い声の人、私のようなしゃがれ声、大きな声の人、小さな声の人、トーンの高いソプラノ、低いベースなどなど、色々な声が入り混じり、ハーモニーを作って、そして神を讃美する、それを神は喜ばれるのです。
 
4.Who?(6節)
 
 
6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
 
・生きとし生けるもの:
「息のあるもの」とは、第一義的には、息を出して歌うボーカルの讃美のことですが、それに限らず、生きているものはみんなということです。昨年肺がんで、左肺の下葉を切り取られたものですから、「息ができる」ということがどんなに素晴らしいことかを実感している今日この頃です。人間だけではなく、鳥も、虫も、四つ足の獣も、みんなで歌うのです。今年亡くなったやなせたかしさん作詞の「てのひらに太陽を」という歌がありますね。

「ぼくらはみんな 生きている
 生きているから 歌うんだ
 ぼくらはみんな 生きている
 生きているから かなしいんだ
 手のひらを太陽に すかしてみれば
 まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
 ミミズだって オケラだって
 アメンボだって
 みんな みんな生きているんだ
 友だちなんだ」

「おけらだって・・・」という歌詞にくると吹き出してしまいます。彼らは多分意識していないでしょう。でも鳥はその素晴らしい声で神を讃美します。アッシジの聖フランシスは、小鳥に向かって、神をよりよくほめたたえよと説教したそうです。それに応えて鳥達は声を挙げて囀ったと言われています。心暖まる話ですね。

・すべての人間:
勿論、神の像に造られた人間は、もっと意識して神を誉め称えます。クリスチャンと言われる人だけでしょうか。いいえ、人間だれでも神を讃美したいという根源的な欲求を持っています。最近流行っているゴスペルを歌っている人々の殆どはクリスチャンでない人々です。その人々がAmazing grace that saved the wretch like meであるとか, O happy day when Jesus took my sins awayと涙を流しながら歌っている姿を見ると、不思議な気が致します。歌っている内容が本当に分かれば素晴らしいなあと思う反面、完全に分からなくてもいいから、歌っている内に分ってくればそれで良いのではないかとも思います。神様は大きなお方ですから、そのような讃美も受け入れなさる事でしょう。

・聖徒たち:
でも、願わくは、私を信仰によって本当に救って下さった素晴らしい恵みだと歌い、また、イエス様と出会って、イエス様によって罪を洗って頂いたと本当に自覚しながら歌うならばもっと幸いだと思うのです。救いの喜びに溢れた聖徒たちの讃美を主は喜びなさいます。
 
おわりに:力の限り、息の限り「ハレルヤ!」を叫ぼう
 
 

最後に、「息のあるものはみな、 主をほめたたえよ。ハレルヤ。」と言う言葉に合わせて、私たちも力の限り「ハレルヤ!」と叫ぼうではありませんか。

 
お祈りを致します。