礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年1月12日
 
「あなたの天幕を広げよ」
教会総会に向けて
 
竿代 照夫 牧師
 
イザヤ54章1-10節
 
 
[中心聖句]
 
  2   あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
(イザヤ54章2節)


 
聖書テキスト
 
 
                        
1 「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。」と主は仰せられる。
2 「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。3 あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。4 恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。5 あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。6 主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。
7 「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。8 怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」とあなたを贖う主は仰せられる。
9 「このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。
10 たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とあなたをあわれむ主は仰せられる。
 
はじめに:イザヤに与えられたメッセージ
 
 
二週間後に今年の教会総会を迎えます。今日は、役員などの予備投票も行われます。教会の方向について共に考える良き機会と思いますので、「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」イザヤのメッセージを学びたいと思います。
 
A.メッセージの背景
 
1.53章:贖いの完成
 
 
イザヤ52:13−53:12の「しもべの歌」で、人類のすべての罪の背負って贖いを完成する「しもべ」の姿が預言されています。さらに、メシアの受難は多くの霊的子孫を生み出すことも預言されていました(53:10−11)。
 
2.54章:イスラエルの回復
 
 
54章は、その贖いの結果として、イスラエルの回復が預言されます。特に捕囚から帰る多くの帰国者を迎えるために、インフラを整備しなさい、と命じられているのです。
 
3.アブラハムの妻サラのイメージ:不妊の女性が多産の妻となる
 
 
この章でイスラエルは、主である神の「妻」として描かれています。1節に「不妊の女性が多くの子どもを産む」と記されていますが、これは、アブラハムの妻サラが、長い間不妊であり、侍女のハガルにあざ笑われていたところに、主がその恥を回復し、多くの子どもの母となさったことを背景としています。強い絆、大きな愛がその根底です。罪が除かれ、主とその民との隔てが除かれると、そこに交わりと喜びが生まれるのです。
 
4.捕囚期後の人口爆発
 
 
3節の驚くべき人口爆発の預言は、捕囚期以後のイスラエルの繁栄と増殖を示唆しています。「あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」4−6節は、イスラエルが蒙った恥と厳しい状況を描写し、それが一時的なものであり、神の憐れみの故に回復されることが示唆されます。6節の「主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」との言葉に込められています。
 
B.メッセージが意味するもの
 
 
2節に戻ります。この2節の命令は、3節以下に述べられている驚くべき回復を見越して、そのために備えなさいというものです。
 
1.天幕の場所を広げる:拡張のためのインフラ整備
 
 
イザヤの時代は、アブラハムの時代と異なり、テント住まいの習慣は少なくなりましたが、ことさらにアブラハム時代のイメージで命令されているのです。テントを張るためには、十分なスペースが必要です。どの家もそうですが、人が殖えてから慌ててつぎはぎの増築をしますと、実にみっともない、しかも使い勝手の悪い家となります。ホテルなどでも、いかにも増築を重ねたなあというようなものがあります。旧館と新館の間に段差があったり、壁の色が違っていたり、階段が複雑で、かくれんぼには楽しいが、火事があったら危険この上もありません。イスラエルの民は、神の約束成就を信じて、予めテントのための場所を広く取って置くように命じられました。私達も、主のお働きに携わる時、必要なのはこの信仰です。
 
2.天幕を広げる:居住空間を広げる
 
 
妻として譬えられているイスラエルのイメージが続きます。妻の仕事はその住まいであるテントを維持・管理することです。彼女の場合、子どもが多くなるから、子供たちの数に合わせてテントを予め広げておきなさい、と言われているのです。テントを広げることは信仰の行為です。この妻(つまり、イスラエル)は、現状においては淋しく乏しい状態であるが、やがて来る増殖を信じて、予めテントを大きくしなさい、と勧められるのです。当時の習慣では、妻たるものが一つのテントを与えられており、その子どもが沢山になるとテントを大きくしたという事情がありました。ですから、子供が生まれることを予想してテントを大きくというのは、1節のイメージと繋がっているのです。
 
3.杭を固くする:拡張のための基礎を強くする
 
 
天幕が広がるだけ広がって、杭が弱いままであったら、その天幕は危険です。「綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」と語られているのは、相応しい命令です。大きさに伴う強固なくいがしっかりと打ち込まれねばなりません。私が神学生の頃、天幕を担いで浜田で開拓伝道を行いました。天幕で寝泊りし、夕方はそれを伝道会の会場にするという仕組みです。伝道が進み、魂が救われ、働きが順調に進んでいる真最中に、台風がやってきました。勿論天気予報で知らされていましたから、私達は杭を二重にし、綱も二重にし、しかもそれに石を括りつけて台風の襲来を待ちました。風が一番強い時には、神学生がみんなテントにぶら下がって守りました。
 
C.メッセージの適用
 
1.神の可能性を信じよう:日本伝道の厳しさを弁えつつも
 
 
私たちは、将来を展望するとき、どうしても、今までの実績、現状、問題点というものを先に見てしまいます。それに多少の希望的要素を付け加える死にしても、「多少」にしか過ぎません。日本の伝道についても、このような悲観的な予測をしてしまいがちです。プロテスタント150年の歴史で、やっと1%にたどり着いた。福音の進展は、そう簡単には望めない。それを妨げる社会的要素が強く残っている。私は、その厳しさの面を否定しませんし、益々逆風は強くなっているように感じます。本当に祈らねばなりません。しかし、私は、それらの難しい要素をみんな認めつつ、イザヤとともに神の驚くべき干渉を祈り求めています。いつか、この潮流がひっくり帰る時が来ることを信じています。
 
2.その可能性のために備えよう:祈り、計画し、行動しよう
 
 
もし祖国に対する主の憐れみと主の全能を本当に信じるならば、それに向かって備えねばなりません。18世紀半ば、靴屋をしながら信徒伝道者として働いていたウイリアム・カーレイは、自分の仕事場に世界地図を広げ世界宣教のために祈っていました。「異教徒のためになすべき責務」というパンフレットを著して世界宣教に着手すべきことを訴えました。彼が所属していたバプテスト教会の牧師会において、「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」という聖句に基づいて説教しました。「神から大きなことを期待せよ、神のために大きなことを計画せよ」“Expect great things from God; Attempt great things for God.”と語りました。そして、福音を聞いたことのない世界の隅々に福音を伝えるための宣教師を送ろう、と提案しました。多くの人はカーレイをあざ笑いました。しかし、カーレイに同調した人々によってバプテスト宣教会が組織され、宣教師第一号としてカーレイ自身がインドに行きました。彼は、途中で一度も本国に戻ることなく、インドの土となりました。彼が出かけるとき、見送りに来てくれた人々にこういいました。「私はこれから、ダイヤモンドの鉱山の穴にダイヤを掘りに出かけていきます。後に残る皆さんは、私を支える命綱をしっかり握っていてください。」と。

人間の常識で、神の業に制限を加えてはなりません。私達が手にしているあらゆる資源を、主のみ業のために投入すべきでありましょう。
 
おわりに:愛の綱を長くしよう:「教会の愛の綱を長くし、目的の杭を強固にせよ」
 
 
ウェスレアン注解は、次のコメントを加えています。「今日の教会に当てはめてみると、愛の綱を長くし、目的の杭を強固にせよ、という呼びかけである。教会は、閉鎖的な社会のための私的な礼拝堂になってはならない。・・・教会は、福音伝道によって発展するものである。福音伝道は、教会の子どもたちを救霊者とする。」私はこの引用で教えられたことがあります。それは「愛の綱を長くし」というくだりです。世界経済が困難な状況にある現在、財政的な拡大路線は取れません。しかし、魂を愛し、魂を主に導くという「愛の綱」はできる限り長くすることは可能です。それは個人々々の祈りと真実な証の生涯において可能でありますし、教会としてもできる限りの場面を設けて、人々を招く方策にも当てはまることでしょう。今年の営みにおいて、その伝道の工夫と努力が一層推進されるように祈りましょう。何よりも、この教会が、外に向かって開かれた教会、福音を皆で伝えようという積極的な教会であり続けたいと思います。
 
お祈りを致します。