礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年2月9日
 
「喜びつつ旅路を」
使徒の働き連講(22)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 8章32-40節
 
 
[中心聖句]
 
  37,38   ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
(使徒の働き 8章37-38節)


 
聖書テキスト
 
 
32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。40 それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
 
はじめに
 
 
昨週は、サマリヤにおけるリバイバルの指導者であったピリポが、そこから離れて、エチオピヤの宦官が旅をしているガザ街道に行くようにとの命令を受けたお話をしました。自分の計画や願望に固執せず、淡々と主のみ心に従ったピリポの姿は、私たちの模範です。さて、今日はその続きですが、巡礼の帰り道に聖書を読みながら旅をしていた宦官の側からストーリーを見ることにいたします。
 
A.「『苦しむ僕』とはだれ?」(32−34節)
 
 
「彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。『ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。』宦官はピリポに向かって言った。『預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。』」
 
1.宦官の帰り道:巡礼の後、聖書を読みつつ
 
 
このエチオビヤ人の宦官・財務大臣は、心の渇きをもって遠いエチオピヤからエルサレムまで、片道2千キロの道のりをものともせず、巡礼に訪れました。礼拝を終えて帰路に着いた宦官は、多分エルサレムで買い求めた聖書を読んでいました。多分、聖書に触れるのが初めてだったと思われます。その新鮮さで、嬉しくてたまらない財務大臣は、一節ずつ声を挙げて読んでいたのです。微笑ましい光景ですね。
 
2.伝道者ピリポの接近:宦官は導きを求める
 
 
そこに近づいてきたのが、見たこともない伝道者ピリポでした。熱心に読んではいましたが、読み方がたどたどしかったからでしょうか、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」という質問を受けました。宦官は「そんな失礼な物言いはないでしょう」などと言わずに、へりくだって、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言いました。更に「どうぞ、馬車に乗っていっしょにすわってください」とピリポに頼んだのです。
 
3.聖書箇所:イザヤ53:7−8(ギリシャ語訳)
 
 
かれが読んでいた箇所は、イザヤ書の中でも一番大切な「受難の僕」に関わる53章の一部、正確には7節後半と8節でした。

「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」

イザヤ書53章を開きましょう。そして、宦官が読んでいた箇所の2節ほど前から読むことにします。

「(53章)5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」宦官が読んでいた文章とは微妙に異なります。これは、彼が読んでいたのが、イザヤ書原文ではなく、そのギリシャ語訳(70人訳)であったからと思われます。

53章は、主の僕が人々の罪を負って苦しめられる姿を描きます。7節は、その僕が苦しめられ痛めつけられてもじっとそこに耐えている姿です。
 
4.宦官の素朴な質問:「苦しんでいる僕は誰のこと?」
 
 
純粋な心をもって聖書を読んでいた宦官の目には涙が溢れてきたことでしょう。神の僕らしい人物が、何でこんなに痛めつけられなければならないのだろう。宦官はピリポに向かって率直に聞きました。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」実に適切・率直な質問です。悪人が罰を受けているようには見えないし、善人が苦しめられているにしては不可解である、そもそもこの人物は誰なのか、イザヤ本人のことなのか、別な人物なのか、とすれば誰なのか、という質問です。
 
B.宦官の信仰告白とバプテスマ(35-39節)
 
 
「35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。『ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か差し支えがあるでしょうか。』[ある写本には、次の句が挿入されています。] 37 そこでピリポは言った。『もしあなたが心底から信じるならば、良いのです。』すると彼は答えて言った。『私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。』38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」
 
1.ピリポの解説
 
 
ピリポはこの聖句から始めて、その前後の「主の僕」の預言を説明し、さらにその預言を成就したのがナザレのイエスであったことを彼に宣べ伝えました。恐らくその要点は以下の4点です。

@人間は罪人:
私達人間はみんな勝手な道を歩む自己中心な生き物で、その自己中心が罪であること

A「主の僕」が罪の身代わりに苦しむ:
その罪を身代りに背負い、苦しみの末命を捨てる人物が、イザヤの預言する主の僕である

Bナザレのイエスこそ「主の僕」:
ナザレのイエスは主の僕の預言を文字通り成就した救い主で、(この出来事から数年前)エルサレムで十字架にかかり、罪からの救いの道を開いた

C復活し、今も生きておられるイエス:
そのイエスは復活し、今も生きて私達の弱さ、悩み、罪を背負う救い主である

飢え渇きをもって救いを求めていた宦官にとって、この説明で充分でした。
 
2.宦官のバプテスマ志望
 
 
うん、納得と思った丁度その時、荒野の中に流れている川にぶつかりました。宦官は「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」実に単純な願いです。私は分かった、信じた、その表れがバプテスマならば、四の五の言わないで今受けさせて下さい、真に男らしい、すがすがしい態度です。
 
3.ピリポの確認:「心底から信じるか?」
 
 
ピリポは、宦官の信仰を確かめました。それが記されているのが37節です。聖書には写本がいくつかあり、相互に異なる場合がごくわずかですが存在します。最も信頼できる写本には37節がないのですが、別な写本には37節が入っているという訳です。私は、初代教会におけるバプテスマ式の信仰告白文が、ルカが記録した使徒の働きの原文に挿入されたものと思いますが、それでも、これは、貴重な資料であると思います。「そこでピリポは言った。『もしあなたが心底から信じるならば、良いのです。』すると彼は答えて言った。『私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。』」実に単純で明快な信仰告白文です。
 
4.バプテスマ式
 
 
馬車は止まり、ピリポに導かれた財務大臣も水の中へ降りて行き、「父と子と聖霊の名によって」と簡潔なしかし厳かな儀式が行われました。内的な信仰を外的な告白によって示すバプテスマ式は、これから遠い道のりを経て故郷に帰り、そこでキリストの証をして行こうとする宦官にとって、とても大切なステップでした。
 
5.ピリポの消失と宦官の帰路
 
 
その直後、ピリポは忽然と姿を消しました。宦官は、一体どうしたことかとおろおろしたりしませんでした。不思議ですね。ピリポの側からいえば、確かな個人伝道を行ったから、それで十分だったのです。聖書の読み方を伝授し、聖書の指し示すキリストを紹介し、その信仰告白を確認したことをもってピリポは満足しました。宦官の側から言っても、贖い主キリストのことがよく分かり、聖霊の臨在を頂き、これから歩むための指針である聖書の読み方が分かったわけですから、ピリポの存在がなくてもキリストに従っていけるという確信をもって、旅を続けました。その様子が、「それから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」という言葉に凝縮されています。ピリポよりも確かな存在として捉えた主イエス・キリストを心に抱いて、心の中から沸々と沸き上がる喜びを感じつつエチオピヤまでの道のりを続けました。
 
C.ピリポと宦官、その後(40節)
 
 
「それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」
 
1.ピリポの伝道旅行(地図@参照)とカイザリヤ定住(21:8−9)
 
 
ガザ付近から、超自然的な方法でワープしたピリポは、ガザから20q北のアゾト(旧約聖書ではアシュドデ)に現われました。アゾトからカイザリヤまでは自然的な方法で、つまり、徒歩で旅行しました。約80qの道のりです。そこで、道々伝道し、カイザリヤに着いて定住することにしました。カイザリヤは、パレスチナにおける超近代的な(つまりギリシャ文化の香りのする)町でした。ヘロデ大王が、パレスチナの中心となるべく建てた町だったからです。多分、ヘレニスト・ユダヤ人であったピリポの好みに合った町だったからでしょう。そこで妻をめとり、4人の娘を儲け、伝道者として地道な奉仕を全うしました。その4人の娘も、父の信仰を受け継いで、預言する(説教を行う)奉仕に入りました。

それから約20年後のAD58年、パウロが第三次伝道旅行を終えてパレスチナに戻ってきた時、ピリポの家に滞在することになりました。「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。」(使徒21:8−9)何と麗しい話だろうかと感心します。このエピソードがなかったら、私たちはピリポの人物像を、普通のクリスチャンとはかけ離れたモーレツ伝道者という風に捉えてしまったことでしょう。でも、このエピソードで、ピリポという人間がぐっと親しみを増してきました。よき家庭人であり、信仰深いお父さんであった様子が、この短い記事を通して伝わってきます。

 
2.宦官のその後(地図A参照):(多分)コプト教会の基礎
 
 
これについては、確かな記事が新約聖書に記されてはいません。しかし、エチオピヤには紀元1世紀に始まったといわれるコプト教会があり、その始まりにこの宦官が関わったというのは、自然に考えられる想像です。エチオピヤのコプト教会は山岳地帯にあり、AD7世紀のイスラム教の拡大と迫害によっても消滅することなく、現在も存在し続けています。麗しい話ですね。

 
おわりに:私たちも、「喜びながら」家路に着こう
 
 
私たちも、この礼拝を終えてそれぞれ家路につきます。そして一週間の仕事や学びや家庭の営みを続けます。多くの場合、主イエスを知らない人々に囲まれての環境です。大げさな言い方をすれば、エチオピヤの宦官が、誰も主を知らないエチオピヤの故郷に戻るようなものです。その時、しっかり捉えておきたいことは、甦りの主が私たちと共に歩み、私たちに物語り、私たちを励ましてくださるお方であるということです。ですから、私たちも宦官のように、「喜びながら帰って行く」ことができるのです。感謝しましょう。
 
お祈りを致します。