礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年2月16日
 
「なぜわたしを迫害する?」
使徒の働き連講(23)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 9章1-8節
 
 
[中心聖句]
 
  4   彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
(使徒の働き 9章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。4 彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。5 彼が、「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。8 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
 
はじめに
 
 
昨週は、巡礼の帰り道に聖書を読みながら旅をしていたエチオピヤの宦官がピリポの導きで主イエスを信じ、喜びつつ故郷に帰って行った心温まる記事を学びました。礼拝を終えてそれぞれ家路についた私たちにも、甦りの主が共に歩み、物語り、励ましてくださるお方でであったことを信じます。

さて、使徒の働きの著者であるルカは、8:1で迫害の開始を述べた後に伝道者ピリポのエピソードを紹介するのですが、9章に入って迫害運動にペンを戻します。そして、迫害の中心人物であったサウロがキリストに出会って全く変えられる、これまた劇的なストーリーに筆を進めます。
 
A.迫害にひた走るサウロ(1―2節)
 
 
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」
 
1.迫害の始まり(8:1)
 
 
教会に対する迫害の始まりは、8:1に記されています。「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。・・・」ステパノを石打ちにするという非合法的なリンチ事件の際に、このリンチが当局から咎められたら自分が責任を持つという意味で、人々の上着の番をした男が若き律法学者・指導者であるサウロです(7:58)。サウロは、ステパノとの論争が起きたリベルテン会堂のメンバーでありました。ナザレのイエスこそメシヤ(キリスト)であると主張するステパノとその仲間を放置しておけば、ユダヤ教の土台が掘り崩されてしまう危険をサウロは見抜いていたのです。迫害は民衆を巻き込んだ反対運動に発展していきます。「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」
 
2.サウロが迫害のリーダーになる
 
 
サウロは、宗教的課題についてローマ政府がサンヒドリンに与えている自治権に基づいて、市民の逮捕許可状を得ます。この自治権は、各地に散在しているシナゴーグにも適用されるものでした。サウロはその逮捕許可状をダマスコのシナゴーグ宛てにしてもらいます。ダマスコはシリヤの首都であり、ユダヤから200kmも離れた外国なのですが、そのシナゴーグには、サンヒドリンの管轄は及んでいました。しかも、エルサレムを逃れた信徒たちがそこに数多く亡命していたのです。サウロの目的は、その書状の権限を行使して、男女を問わず、信徒たちを捕縛してエルサレムに連行することでした。それにしても、行き過ぎですね。なぜ、冷静であるはずの律法学者が、いわば狂気じみたような運動に、しかもその指導者としてのめり込んでいったのでしょうか。実に不思議です。この経過を説明する文章は、この9章だけではなく、使徒22、26章にも、また、彼の手紙の中にも多くありますので、それらを参照しながら、サウロ迫害の動機を分析したいと思います。
 
3.サウロが迫害を行った動機
 
 
@思想的側面:ユダヤ原理主義的な正義感
サウロの指導した反対運動は、「人間であるイエス、しかも惨めな死に方をした男を『神の子』メシヤと崇める信仰は間違っている、これはユダヤ教を土台から掘り崩してしまう、ならば、この教えの信者を撲滅すべきである。」という信念に突き動かされた反対運動としての側面を持っていました。「私は・・・同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」(ガラテヤ1:14)「私は・・・律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」(ピリピ3:5−6)「私は・・・ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、・・・神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」(使徒22:3−5)つまり、教会を迫害することが、神に仕えることであり、正義であるという確信を持っていたわけです。私は、敢えて、これをユダヤ教原理主義と呼びます。今、〇〇原理主義者と呼ばれる人々が、過激な行動に出て、社会を騒がせていますが、多くの場合、「純粋な」動機でその運動に走っているのです。

A感情的側面:加虐本能
1節の「サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて」との言葉は、「脅迫と殺害が、彼の呼吸を構成していた」と訳すこともできます。確かに、サウロの初期における動機は信条や信念に基づくものであったと思いますが、迫害がエスカレートしていくうちに、人を苛めることに自己陶酔をするようになってしまいました。丁度、血を見た野獣が益々荒れ狂うようなものです。ですから、神を恐れていたはずのサウロが、「神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者」(1テモテ1:13)となったと言い、「私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。」(ガラテヤ1:13)とまで言っています。「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」(使徒8:3)「彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」(使徒26:9−11)と告白するまでになりました。

B霊的な側面:キリスト者たちの輝きへの羨望
私は、サウロの迫害運動における動機の奥底は、この気持であったと思います。ステパノの殉教に立ち会って、「御使いのように」輝いていた彼の顔を間近に見た印象を忘れることはできなかったと思います。頭では、キリスト教を否定しながら、キリストが齎す不思議な愛の力を否定することはできませんでした。潜在的にはそのような羨望をもっていたものですから、それが行動となると全く逆のいじめと現われたのではないかと私は思います。
 
B.復活のキリストの現われ(3−7節)
 
 
「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。」
 
1.光の主として
 
 
サウロは、ダマスコ郊外において、突然、天からの光に打たれました。彼がその場に倒れてしまうほどの衝撃でした。「光」とは、神の栄光の輝きの象徴です。その時は、その光が何を意味するか、サウロも正確に捉えることはできませんでしたが、神ご自身の臨在に圧倒された思いでした。そして、後に、神の栄光を帯び給うキリストとナザレのイエス同じ存在であることを明確に悟ったのです。
 
2.自分を愛し給う主として
 
 
サウロは、自分を名指しで呼ぶ声を聴きました。それも二回繰り返して。ザアカイという人物も、自分の名前を呼ばれて降参してしまった男です。誰も知らないだろうと思われる環境で、突然自分の名前を呼ばれる衝撃とは恐ろしいものです。自分のすべてを知っている、よきも悪しきもすべてお見通しである、しかも自分に関心と好意を寄せておられるお方であることを、サウロは直感したのです。
 
3.信徒と共に苦しむ主として
 
 
もう一つ不思議な言葉は、「なぜ私を迫害するのか?」との質問です。「なぜ信徒たちを迫害するのか?」という質問ではなく、「私を?」と尋ねたのが主イエスです。実際にサウロが迫害していたのは、教会であり、キリスト信者でした。イエスという存在は、このキリスト信者たちが間違って神の子と信じている対象にしかすぎませんでした、そのイエスが、信者たちとご自分を一体化するように「なぜ私を苛めるのか?」と問われたのです。教会を苛めることは、キリストを苛めることと同じ、という真理です。真実先生が良く、満員電車で足を踏まれた人の例を使われました。踏まれたのは足であり、痛いのも足なのですが、「痛い」という声は上からくる、と。信徒が苦しみ、痛みを経験するとき、主もまたともに苦しみ給うのです。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ63:9)私たちが痛むとき、共に痛み給う主を知っていることは何という慰めでしょうか。また、励ましでしょうか。
 
4.復活された主として
 
 
サウロにもう一つ衝撃を与えたのは、ナザレのイエスは活きているという事実です。信者たちがイエスの復活を信じていたことは、サウロも知っていました。しかし、そんな馬鹿な、という気持ちが強かったのです。しかし、この出会いを通して、イエスは活きた方だ、もっと言えば死んだが甦った方だということを悟ったのです。1コリント15:8に、キリストが復活したのちにご自分を顕わした人々のリストがありますが、その最後に、「月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。」とありますように、復活の主を見、復活の事実を確信したのです。
 
5.サウロへの使命を与える主として
 
 
サウロに出会ったお方は、既にサウロに人生の目的・計画をお持ちの方でした。サウロが回心の後に新しい人生を与えたのではなく、最大限キリストに逆らい、神の教会を迫害しているときから、この男は見どころがある、と目をつけておられたのです。迫害によって、脅かされる主ではなく、迫害すればするほど、この男は一つのことに命を懸けるほどの魅力がある、それならば私のために使ってやろうではないかと、彼の人生を用いなさるお方です。私たちがどんなに逆らっても、主イエスは、その逆らう熱心さを利用してやろうと大きな心で私たちを見つめていてくださるお方です。これには敵いません。
 
C.サウロの変化(8節)
 
 
「サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。」
 
圧倒的なキリストの顕現に触れて、サウロの生涯は変わりました。その具体的内容は次回に委ねますが、今日は、8節までの文節の中で見出すことができる変化だけを取り上げます。
 
1.謙り:「主よ」との呼びかけ
 
 
サウロは、この時十分理解しなかった顕現の主体に対して、「主よ」との呼びかけをしています。一瞬にしてサウロのキリスト観が変わったわけではないでしょうが、少なくとも、彼が見たナザレのイエスに対して、畏敬を込めて「主よ」と呼びかけているのです。
 
2.無力さの自覚:盲目にさせられた
 
 
サウロは、この時全く視力を失いました。他の人の手にすがってでなければ、一歩も進めない人生に変わったのです。何でもできると自信満々であったサウロには、この経験は、遜りを教えるものでした。
 
3.服従:主に従う生き方(地図参照)
 
 
サウロは、主イエスの語り掛けに対して素直に従い、近づいてきたダマスコの町へと入ります。そこで、なすべきことが知らされるわけです。その内容はここでは知らされていませんが、ともかく彼は人の手にひかれるまま、ダマスコに入ります。現在のダマスカスです。ダマスカスは、世界の歴史の中でも、最も古い都市のひとつです。未だに内戦が続いていて、殆ど旧市街は破壊されてしまったとのことで心を痛めています。平和を祈りましょう。
 
おわりに:サウロに現われた主は今も変わらない
 
 
現代で、サウロとほぼ似たような経験をしたのは、インドのサドウー・スンダー・シンという20世紀の初めころに活躍した伝道者です。彼は、バラモンというヒンズー教の祭司階級に属し、キリスト教に激しい敵意を感じていました。或る朝の祈りの時間に、彼は大いなる光を見ました。彼の言葉をそのまま紹介します。「その時私は主イエス・キリストの姿を見ました。それは、栄光と愛に満ちた姿でした。もしそれが、ヒンズー教の神様の化身であったとしたら、私は彼の前に跪いていたことでしょう。しかし、それは私が数日前に大いに侮辱していた主イエス・キリストだったのです。私は考えました。このような幻は、私の想像から生まれるはずがない、と。私はヒンディ語でその人が語るのを聞きました。『あなたはいつまで私を迫害するのか?私はあなたを救うために来たのだ。あなたは正しい道を知ろうと祈っていたではないか。なぜあなたはそれを受け入れないのか?』私は思いました。『イエス・キリストは死んだのではない、生きておられるのだ、この方がそうだ。』と。私は彼の前に平伏しました。その時私は今まで経験しなかったような平安を経験しました。それは私が捉えようと切望していた喜びでした。私が立ち上がった時、その幻は消えました。幻は消えましたが、平安と喜びはそれ以来ずっと私の心にとどまりました。」付け加えますが、この経験をしたとき、彼はサウロの回心の物語を読んだことはなかったそうです。主がサウロと同様な方法で、このヒンズー教の祭司を救いに導きなさったのです。

私たちの多くは、サウロではありませんし、スンダー・シンでもありません。光が突然眩く光ることもないでしょうし、天からの声を聴くことも先ずないでしょう。しかし、サウロに現われた主は昨日も今日も永遠までも変わらないお方です。私たちの心の奥底を知り、私たちに恵みを与え、人生の方向付けを与え給うお方です。この主逆らうのではなく、この主に従って生き続けましょう。
 
お祈りを致します。