礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年3月9日
 
「バルナバが居なかったら?」
使徒の働き連講(25)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 9章20-30節
 
 
[中心聖句]
 
  27   バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。
(使徒の働き 9章27節)


 
聖書テキスト
 
 
20 そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。21 これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」22 しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。23 多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、24 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。
26 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。27 ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。29 そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。30 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。
 
前回:サウロの目からうろこ(18節)
 
 
前回は、サウロの目からうろこのような物が落ちた(18節)という記事から、私たちの視界を曇らせている鱗を取り除いていただこうというメッセージを語りました。今日はその続きです。
 
A.ダマスコで宣教するサウロ(20−25節)
 
 
「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。『この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。』しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。」
 
1.サウロの宣教開始:「イエスは『神の子』(メシヤ)」
 
 
サウロは、数日弟子たちと共におり、体力を回復し、交わりを深めます。キリスト教について、旺盛な知識欲から知識を吸収します。その後「諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始め」ました。彼の性格から、もう黙っておられなかったのでしょう。これが伝道者サウロ(パウロ)の第一歩でした。この場合の「神の子」とは、楽天の野村監督が田中将大投手を指して「マー君、神の子、不思議な子」と言ったのとは異なり、旧約聖書に預言されているメシヤの称号としてです。
 
2.反対者たちの狼狽
 
 
驚き、狼狽えたのはダマスコ在住のユダヤ人です。クリスチャンの増加を憂い、その勢力を根こそぎにする強い味方として来るはずだったサウロ、エルサレムの大祭司からクリスチャンたちを逮捕すべき権限を与えられた書状を携えてきたサウロが、一転クリスチャン側に寝返って、「イエスは神の子」と言い始めたのですから、彼らの驚くのも当然と言えば当然です。鳩が豆鉄砲を食らったとは、彼らのための言葉と言えましょう。

彼らはサウロに反論を試みますが、「サウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。」のです。サウロがその該博な聖書知識を駆使して「ナザレのイエスこそメシヤ」という議論を展開したとき、それに太刀打ちできるユダヤ人はダマスコにいなかった、というのです。かつて、ステパノがエルサレムの会堂で語った時、「彼(ステパノ)が知恵と御霊によって語っていたので、(人々は)それに対抗することができなかった。」(6:10)と記されているのと同じ現象です。
 
3.サウロ殺害計画
 
 
・アラビヤ行きが、この間に入る(ガラテヤ1:17、地図参照):
「多くの日数がたって後」、ユダヤ人たちがサウロ殺害の相談をします。この多くの日数がどのくらいの日数であったかをルカは述べていません。サウロ自身の回顧録であるガラテヤ書では、「アラビヤに出て行き、またダマスコに戻った」と、アラビヤ行きが記されています。アラビヤ行きは、サウロが、新しく受け入れた信仰を深く思い巡らすためであったのですが、このアラビヤ行きが「多くの日数」に入っているか、その他の節の間に入るのか議論がありますが、ここでは深入りしません。

・ユダヤ人たちの陰謀と見張り:
いずれにせよ、「その陰謀がサウロに知られてしまった」のです。ユダヤ人たちは、ダマスコの城壁にある門を、昼夜を問わず張り番することにいたしました。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていました。

・アレタ王の代官も陰謀に加担:
ユダヤ人たちだけではなく、彼らに影響された町の代官も見張りに加わったことが第二コリント書に記されています。「ダマスコでは(ダマスコ南東のナバテヤ王国の)アレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手を逃れました。」(2コリント11:32−33)

・サウロの脱出(写真参照):
サウロを助けたのは、その弟子たちであったと説明されています。サウロはこの時すでに弟子たちを持っていたようです。「彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。」(25節)のです。その城壁とは、ダマスカス旧市街南東のバブ・キサン門の近くであるという言い伝えがあります。今は、そこにパウロ記念教会が立っています(写真参照)。

ダマスカス旧市街南東のバブ・キサン門(現在はパウロ記念教会)
 
B.エルサレムでのサウロの宣教(26−30節)
 
 
「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。」
 
1.サウロのエルサレム訪問
 
 
・目的:
サウロは、エルサレムに向かいます。いくつか目的があったと考えられます。一つは、キリスト教会の指導者であるペテロに会うためです(ガラテヤ1:18)。もう一つは、エルサレムで大規模で過酷な迫害を行った指導者として、過去の過ちを詫びるためであったと思います。さらに、キリスト教会の中心であるエルサレムで信徒との交わりを得るためであったと思われます。

・孤立してしまうサウロ:
しかし、ここでもクリスチャンたちの拒否反応に出くわします。当然のことでしょう。暫く前まで、クリスチャンを探し出して、極刑にかけていた超危険人物が、私がクリスチャンとなりました、と言っても、そう簡単に信じる訳には行きませんから。他方、ユダヤ人仲間は、迫害運動のリーダーだったサウロがクリスチャンになったことに腹を立てていたことでしょう。サウロは、どちらのグループからも仲間に入れてもらえず、孤立した状態でした。
 
2.バルナバのとりなし
 
 
・慰めの子バルナバ(4:36):
そこで再登場するのが、恵みに満ちた人バルナバです。彼は使徒の働き4章で登場しています。そこでは、「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフ」(4:36)として紹介され、更に、「畑を持っていたので、それを売り、その代金を寄付した」心の大きな人物であることが褒められています。

・サウロから話を聞く:
彼は、弟子の仲間に入ろうとしながらも、皆から恐れられ孤立していたサウロに近づきます。私の描くバルナバ像は、少し小太りで、笑顔を絶やさず、目尻が下がっていて、警戒心を人に与えない男です。違っていたら、天国でお詫びしなければなりませんが・・・。いずれにせよ、私はバルナバが好きです。ともかく彼は、ポツンとしているサウロに近づき、いろいろ話を聞いてあげます。「彼がダマスコに行く途中で主を見た様子、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べたこと」など、根掘り葉掘り聞きだします。そして、それが真実であることを、アナニヤからも情報を得て確認します。

・使徒たちに取り次ぐ:
バルナバは、サウロを伴って、ペテロ達の指導者のところに行き、彼らの理解を得ます。

・サウロが仲間に入る:
そしてその後サウロは、弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語ったのです。
 
3.サウロへの殺害計画
 
 
・サウロの伝道、特にヘレニスト・ユダヤ人に:
その後、「ギリシャ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。」サウロが伝道した主なターゲットは、ヘレニスト・ユダヤ人(パレスチナの外で生まれ育ったユダヤ人)でした。理由は単純で、彼らはギリシャ語を使い、サウロもギリシャ語は堪能だったからです。

・ヘレニスト・ユダヤ人がサウロを殺そうとする:
サウロは、ダマスコ同様、この場所でも、ユダヤ人による殺害計画の対象とされます。「彼らはサウロを殺そうとねらっていた。」のです。この動きはいわば当然です。ヘレニスト・ユダヤ人にとって、サウロは許しがたい「裏切り者」であったからです。

・仲間がサウロ脱出を助ける:
それを知ったクリスチャンの仲間は、そっと彼をカイザリヤに連れ出し、そして、彼の故郷であるキリキヤのタルソに送ります。(地図参照)

・タルソで郷里伝道:
タルソでのサウロが何をしていたか、彼の証言を聞きましょう。「それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。けれども、『以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている。』と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。」(ガラテヤ1:21−24)この期間は約7年でした。タルソは、キリキヤ州の州都で、アレキサンドリヤ、アテネと並ぶ当時の三大文化都市の一つでした。そこで、静かに伝道し、学んだ7年間は、サウロにとって大変良い充電期間であったように思います。

サウロの足跡を纏めると、ダマスコでも、エルサレムでも、そして故郷のタルソでも、彼は行く所どこでも、かつて彼が反対していた信仰を宣べ伝えたということです。素晴らしいことですね。
 
おわりに:バルナバの役割に目を留める
 
 
・孤独な新入りクリスチャン・サウロを仲間に紹介:
どこに行ってもキリストの証を大胆に行ったサウロが今日の焦点でしたが、もう一人、目立たないキャラクターにも目を留めたいと思います。それは、バルナバです。もし、バルナバが居なかったら、サウロはこのような活躍はできなかったと思います。バルナバは、サウロほどの賜物を持ってはいませんでしたが、サウロの引き立て役として、大切な役割を果たします。

・(7年後)サウロをアンテオケ教会牧師にリクルート(→世界宣教へ):
この出来事から7年後、アンテオケで新設教会の牧会を始めたバルナバが、助け手を必要としたとき、「そうだ、タルソにはサウロが居る。あの男を引っ張り出そう。」と思い出したことから、サウロは、アンテオケ教会の牧師となり、ひいては、世界の宣教師となるのです(11:23−26)。世界的伝道者の背後にバルナバがあった、ということは、とても楽しい思い巡らしを私たちに与えます。

・献身ドロップアウトのマルコを回復:
もう一つの美しいエピソードがバルナバにあります。それは、献身して宣教旅行に出かけ、途中で挫折したマルコを励まして、自分の弟子として回復させたことです。マルコは役に立たないと厳しく拒絶したサウロ(パウロ)でさえも、後になって「彼は、私の務めのために役に立つ」男である(2テモテ4:11)と大いに褒めています。バルナバのおかげです。

・私たちも、誰かにとって「バルナバ」となろう:
バルナバの役割とは、他の人々が無視したり、拒絶したりする人の中に神の可能性を見出し、励まし、自分を引っ込めてでも、その人を用いることでした。私たちも、誰かにとってバルナバとなろうではありませんか。
 
お祈りを致します。