礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年3月30日
 
「祈りは覚えられている」
使徒の働き連講(27)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 10章1-8,30-33節
 
 
[中心聖句]
 
  4   あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
(使徒の働き 10章4節)


 
聖書テキスト
 
 
1 さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。2 彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、3 ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ。」と呼んだ。4 彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか。」と答えた。すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。5 さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。6 この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」
7 御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、 8 全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わした。
30 するとコルネリオがこう言った。「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、どうでしょう、輝いた衣を着た人が、私の前に立って、31 こう言いました。『コルネリオ。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられている。32 それで、ヨッパに人をやってシモンを招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれている。この人は海べにある、皮なめしのシモンの家に泊まっている。』33 それで、私はすぐあなたのところへ人を送ったのですが、よくおいでくださいました。いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」
 
前回:聖霊に励まされて教会がユダヤ、ガリラヤ、サマリヤで前進(9:31)
 
 
前回は、「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」(9:31)とのみ言葉から、私たちの傍らに立っていつも慰め励まし、助言を与えてくださる聖霊に励まされて前進する私たちクリスチャン、教会であることの幸いを学びました。9章の終わりは、エルサレムの北西ルダとヨッパにおける教会の前進の記録です。10章は、福音が、ユダヤ人の間だけではなく異邦人世界(この場合はカイザリヤという異邦人的な町)のローマ人に及んだという画期的な出来事に入ります。そのローマ人とはコルネリオという人ですが、今日は彼の祈りに焦点を当てたいと思います。
 
1.名前:BC82年ローマ執政官コルネリウス・スッラに解放された奴隷の家系
 
 
コルネリオとは、ローマにおける一般的な名字の一つです。BC82年に、当時の執政官であったパブリウス・コルネリウス・スッラが約1万人の奴隷を解放して自分の部族に組み入れたところから広く使われるようになりました。
 
2.百人隊長:ローマ軍の中心
 
 
このコルネリオは、カイザリヤに駐屯していた「イタリヤ隊」と呼ばれるローマ軍歩兵部隊の中の小隊を委ねられていた百人隊長でした。ローマ軍はレギオンという6千人からなる大隊が基本で、その大隊は6百人からなる10個連隊に分けられ、1個連隊は2百人からなる3個中隊に分けられ、1個中隊は更に百人からなる2個小隊に分けられていました(イラスト@参照)。百人隊長はその小隊長ですが、ローマ軍の背骨とも言われており、実際の戦闘行動の中心でした。彼に要求されるのは、勇気、知恵、高潔さ、忍耐、犠牲的精神でした。ローマ軍の構成は被占領地域からリクルートされた国際的なものでしたが、コルネリオの小隊は純粋なローマ出身者で成り立っていたので、「イタリヤ隊」と呼ばれていました。

 
3.カイザリヤ:ヘロデ大王がBC10年に建設した超近代的な国際都市
 
 
カイザリヤという町は地中海沿岸、ヨッパから50km北にあります(イラストA参照)。

カイザリヤは、BC22年から10年にかけて、ヘロデ大王によって建てられた超近代的な、そしてギリシャ・ローマ的な雰囲気の満ち満ちていた美しい町でした。ヘロデ大王が、ローマの初代皇帝カイザル・アウグストに因んで(いわばゴマを擦って)命名したものです。そこには、ヘロデ大王も、また、ローマ総督も宮殿を構え、さらに、商業の中心地としても栄えていました。カイザリヤには、劇場、闘技場、ローマ皇帝の像が安置されている宮殿があり、パレスチナにありながら、住民のほとんどが外国人という国際的な雰囲気に満ちた町でした(イラストB参照)。

 
4.コルネリオの敬虔:ユダヤ教への「求道者」
 
 

さて、コルネリオに戻ります。彼は、「敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた」(2節)のです(イラストC参照)。

・「門の改宗者」:
唯一で真の神に惹かれ、会堂に出席する求道者=「敬虔で神を畏れていた」とは、ひとつのテクニカルタームで、ユダヤ教に改宗はしていない(割礼を受けてはいなかった)が、多神教のローマ宗教ではなく唯一の誠の神を畏れ、高い道徳水準を保っているユダヤ人に惹かれて、会堂の礼拝に出席するようになった人々のことです。彼らは言わば改宗候補者で、「門の改宗者」とも呼ばれていました。戦争から戦争と明け暮れていたローマ兵士にとって、平和を愛し(ユダヤ人は、兵役義務から免除されていた)、家庭の道徳を大切にし、週ごとに集まって礼拝を捧げているユダヤ人は魅力に満ちた人々だったことでしょう。もちろん、多くのローマ人は、ユダヤ人の頑固さをバカにし、被征服民族であるゆえに蔑んでいたわけですが、コルネリオは、彼らの内にある、真の神への敬虔さに惹かれていたのです。その思いは、周りの人々にも伝わっていきました。本当に素晴らしい証です。

・家族そろっての敬虔:
全家族、僕たち、部下たちも共に=コルネリオの素晴らしさは、個人としての敬虔だけではありません。「全家族とともに神を恐れかしこんで」いたことです。さらに、家庭で手伝いをしていた僕たちにも、また、軍隊の隊員の中にも、敬虔な部下がいたことが7節から推測されます。そこには、ペテロを招く使者として「そのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ」と記されているからです。この記事では、コルネリオが父としての権威をもって信仰を家族に押し付けたり、隊長としての権威をもって隊員に信仰を押し付けた雰囲気は伺えません。コルネリオの敬虔が家族、僕たち、隊員たちの尊敬を勝ち得ていた様子が伺えます。

・善き業:
貧しい人々への「施し」=コルネリオは、ユダヤ教に改宗はしないまでも、その教えを守っていました。その一つが「施し」です。彼が駐屯していた兵営の周りにいた現地人(つまりユダヤ人)には、貧しい人々が多く暮らしていました。彼は、その貧しい人々に施しをするのを常としていました。外国人への偏見を持たず、広い、しかも優しい心の持ち主であったことが伺えます。割礼という、大変ハードルの高い儀式をもって宗教的にユダヤ人になることはできないまでも、実質的にはユダヤ教信者であったと思われます。神は、このような真実な魂を異邦人にも備えておられます。
 
B.コルネリオの祈り
 
 
1.祈りの時間:決まった時間に祈りを捧げる
 
 
コルネリオは、ユダヤ教の定める祈りの時間をきちんと守っていました。「ある日の午後三時ごろ」と3節に記されていますが、これは偶々この時間であったのではなく、30節の回顧を見ると、「私が家で午後三時の祈りをしていますと」とありますように、いつも、決まった時間に祈りを捧げていたことが分かります。ペテロも、この時間に祈っていたことが3章で記されています。祈りの時間を定め、祈り続けることは幸いですね。
 
2.御使いの現われと励まし:「あなたの祈りは覚えられている」
 
 
彼は、その祈りの時間に、「幻の中で、はっきりと神の御使いを見た」のです。その第一声は驚くべきものでした。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」コルネリオの祈りと施しは真実な心から出たものでしたから、神に覚えられており、見事に答えられたのです。「神の前に立ち上って」という言い方は、ユダヤ人の生贄の儀式から来ています。全焼の供え物の炎と香りが神のおられる天に直接昇っていくように(レビ2:16)、敬虔で真実な祈りは神のみ前に直接上っていき、そしてその回数も内容も天のコンピュータに記録されていたのです。
 
3.コルネリオは何を祈ったか:救いの道が示されるように
 
 
コルネリオの祈りが答えられた、と御使いは言いました。どんな祈りが答えられたのでしょうか。その内容はここに記されていませんが、物語の内容から推測はできます。つまり、コルネリオは、真実に自らの魂の救いを祈り求め、その導きをする人を送ってくださるようにと祈っていたと思われます。年会で、ジョアン・ライアン博士が、イスラム教徒の中で主イエスを受け入れる方々が多く起こされている実話を話してくださいました。彼らの多くは、聖書を通して福音に接する機会が与えられていませんが、彼らの祈りの中で、夢や幻を通して、直接主イエスに出会い、後に聖書に導かれるというのです。コルネリオ的なお話が現代でも起きているのです。素晴らしいことではないでしょうか。神は、全世界をみそなわし、ご自分に向かって真実な心で祈る祈りに応えなさるお方です。主を讃美しましょう。
 
4.御使いの指示:「ヨッパにいるペテロを招きなさい」(イラストA参照)
 
 
御使いは、カイザリヤからそんなに遠くないヨッパに滞在しているペテロを招くようにというものでした。早速コルネリオは、家僕二人と、小隊の中でも一番敬虔な部下をヨッパに向けて派遣いたしました。ヨッパは、カイザリヤから地中海海岸沿いに南50kmの所にあります。ヨッパでは、神の驚くべき啓示がを受けていたペテロが待っていたのですが、その感動的な物語は、次回に譲ります。

 
おわりに:真実な祈りは必ず主の許に届けられる
 
 
私たちは色々なところで祈ります。朝の祈りで、一日の祝福を祈ります。家族の救いのために数えきれないくらいの祈りを続けている人々もいます。国のために、世界の平和のために祈ります。先週の祈祷会でも日本の政治や経済や外交に神の干渉が加えられるように祈りました。紛争の続くウクライナ、タイ、エジプトのために祈りました。それらの祈りは、壁から跳ね返ってくるだけなのでしょうか。自分は祈ったという自己満足のためのものなのでしょうか。いいえ違います。私たちの小さな祈りは、全部神のコンピュータのデータとしてインプットされ記憶されているのです。そして、神が一番良いと思われる時に、一番良いと思われる方法で応えられるのです。信じましょう。そして祈り続けましょう。
 
お祈りを致します。