礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年6月29日
 
「アンテオケ教会〜十の特色」
使徒の働き連講(33)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 11章19-30節、13章1-4節
 
 
[中心聖句]
 
  3   彼ら(アンテオケ教会)は、断食と祈りをして、ふたり(バルナバとサウロ)の上に手を置いてから、送り出した。
(使徒の働き 13章3節)


 
聖書テキスト
 
 
(11章19-30節)
19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。22 この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。23 彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。24 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。25 バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、26 彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。29 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。
(13章1-4節)
1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
 
はじめに
 
 
アンテオケ教会は、初めて世界宣教に着手した教会として注目に値する教会です。前回は11章からその誕生のいきさつを学びましたが、今日は、その復習と13章の学びをしながらアンテオケ教会の特色を挙げ、それを私たちへの挑戦と受け止めたいと思います。
 
1.大都会の真ん中の教会(地図とイラスト@)
 
 

アンテオケは、BC300年ごろ、シリヤ州の州都として建てられた町です。アンテオケは、港町のセルキヤからオロンテス川沿いに20km陸地に入ったところですが、水上交通が可能でしたので、地中海沿岸の商売や文化の中心地となり、ローマ帝国では、ローマ、アレキサンドリヤに次ぐ第三のメガシティ(人口80万人)となりました。アンテオケには、もともとのシリヤ人、ギリシャから移住したギリシャ人、商売に長けたユダヤ人その他多数の民族が住んでいました。そのメガシティに教会が誕生したことは神の摂理でした。この大都市が、国際的感覚を持った教会の苗床となったからです。
 
2.単純な信仰に生きる教会(20−21節)(イラストA)
 
 
「その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」
 

迫害で散らされ、この町に流れ着いたユダヤ人クリスチャンたちは、難しい話を省略して、キリストの福音をできるだけ単純に宣べ伝えました。イエスという人が罪の身代わりとなって十字架にかかったこと、この方を救い主と信じる信仰によって人は救われること、それだけでした。人々の反応は、彼らの想像を遥かに超えたもので、大勢の人々が我も我もとイエス様を信じ、「救われてしまった」のです。イエス様を信じるだけで充分という福音の単純さが人々を捉えたのでしょう。アンテオケ教会の人々はその単純な信仰に生き続けました。
 
3.あふれる恵みの教会(22−24節)(イラストB)
 
 
「この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。」
 

アンテオケ教会が誕生して成長しているという知らせを聞いて、エルサレムの母教会は、アンテオケの様子を視察するためにバルナバを派遣しました。バルナバ自身が、聖霊と信仰に満ちた人だったので、アンテオケのクリスチャンの中にある恵みを見ることができました。人種的偏見というメガネなしに、神の恵みを見たのです。実際新しいクリスチャン達は神の恵みと喜びに満たされていました。
 
4.学び大好き教会(25−26節a)(イラストC)
 
 
「バルナバはサウロを捜しにタルソヘ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。」「・・・サウロなどという預言者や教師がいた。」(13:1)
 

バルナバとサウロは、大勢の人を教えたと記されています。アンテオケの信徒は、初めて聖書に触れた人々でしたから、渇いた心をもって神の言葉を学びました。バルナバもサウロも教え甲斐があったことでしょう。私たちも、福音の真理に対する飢えと渇きをもってみ言葉を吸収したいものです。
 
5.「キリストに夢中」の教会(26節b):「クリスチャン」の元祖(イラストD)
 
 
「弟子たちは、アンテオケで初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」
 

ルカは、クリスチャン(キリスト屋)という呼び名がアンテオケから始まったと説明します。教会が誕生した初めの頃は、イエス様を信じた人々は、「弟子」、「この道の人」、「聖徒」、「ナザレ人」などと呼ばれていました。ところが、アンテオケの信徒たちは、事ある毎に、キリスト、キリストと叫ぶものですから、キリスト屋さん、クリスチャンと呼ばれるようになりました。それから全世界の信徒たちの総称がクリスチャンとなったわけです。アンテオケ教会は、クリスチャンという名前の発祥地です。
 
6.喜んで与える教会(27−30節):エルサレムへ飢饉援助義捐金(イラストE)
 
 
「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」
 

丁度教会が成長し始めた頃、エルサレム地方で大飢饉が起きて、人々が食べるものに困っているというニュースが届きました。アンテオケ教会はそれほど意識しないのですが、エルサレム教会のほうでは、アンテオケは変わっているとか、自分たちの行き方に沿わない勝手な方向に進んでいるとか、もっと厳しい人々は、割礼も受けないで(つまり、宗教的にはユダヤ人にならないで)救われているのはおかしいとか思っていたのです。ところが、そのような偏見を持たれているアンテオケ教会がエルサレム教会の窮状を聞いた時、早速義捐金と義捐物資を集めて、エルサレムに送りました。広い心を持った人々なのですね。
 
7.交わりを楽しむ教会(ガラテヤ2:12)(イラストF)
 
 
「彼(ペテロ)は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。」
 

ガラテヤ2章は、ペテロの失敗を記していますが、その背景として、アンテオケ教会の人々が、共に食事をする習慣があったこと、また、その交わりにユダヤ人も招くのが常であったことも記しています。楽しいことです。(尤も、ペテロは、保守的ユダヤ人の目を恐れて、その交わりから離れてしまい、パウロから叱られていますが・・・)
 
8.広い心の教会(13:1)(イラストG)
 
 
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」
 

・多国籍の指導者達:
アンテオケの町自体が大変国際的な都市でしたが、そこで生まれたクリスチャン達は、もっと国際的でした。リーダーのバルナバやサウロはディアスポラ・ユダヤ人でしたから、国際感覚豊かでした。また13:1に出てくるリーダーのうち、「ヘロデの乳兄弟マナエン」は、権力の中枢に近い人です。「ニゲルとあだ名されるシメオン」は、アフリカ系だったと思われます。

・互いの違いを受け入れ合う広い心:
コスモポリタンという意味は、自分の文化と異なる文化の人々、自分と違う肌色をしている人々を見下さないということです。その点、アンテオケ教会は人種や文化の違いを余り気にしない雰囲気がありました。
 
9.礼拝と祈りを大切にする教会(13:2−3)(イラストH)
 
 
「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『・・・』と言われた。そこで彼らは断食と祈りをして、二人の上に手を置いてから、送り出した。」
 

教会の中心は礼拝です。逆に言えば、礼拝が行われない集まりは単なる仲良し会です。アンテオケ教会は、主を礼拝し、礼拝を大切にし、礼拝で心が一つになる教会でした。神を礼拝する心から、次の項目で述べるような宣教活動が始まったのです。

先月の役員会で、あるテキストを通して役員の心得を学びました。その一節を紹介します。「良い礼拝者となる」という項目です。「(役員は)何よりも主日の礼拝を大切に守ります。教会の土台は主をほめたたえることです。役員は礼拝中心の生活をします。当番以外は、なるべく前の席に座り、備えをして礼拝に臨みます。それが何よりの信仰の模範となります。多くの役員が忙しい毎日を送っています。しかし、だからこそ、主の日ごとにみ言葉に慰められ、憩い、励まされる時が必要です。み言葉の支えがなくてはなりません。礼拝を中心に置くことで、生活の流れが整えられます。」これは役員への心得ですが、すべての信徒に当てはまる勧めでしょう。
 
10.世界宣教を始めた教会(13:2−4)(イラストI)
 
 
「『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。」
 

・教会で一番大切な二人を宣教に派遣:
その礼拝と断食の祈りの最中に、ある預言者が立って、「聖霊が、『この教会のリーダーであるバルナバとサウロを世界宣教のために送り出しなさい』と語られました。」(13:2)と発言したのです。それを聞いた教会の人々は、「そんなばかな!」とか、「あの二人が教会の柱なのだから、二人が居なくなったら教会は倒れてしまう。」とは言わないで、本当にそれが御心かどうかを確かめるため、更に断食の祈りをしました。その結果二人の派遣が御心であることを確信し、この二人に手を按いて祈り、献金を託して送り出しました。バルナバは初代牧師、サウロはその片腕教師でしたから、彼らを外に送ることは、教会として大きなマイナスです。しかし教会は、敢えてトップの二人を「世界宣教」のために送り出したのです。

・二人に按手して見送る:
手を置くとは、代理行為です。私たちの代わりに大切な奉仕を務めて下さいと言う意思表示です。同時に、私たちはあなた方のために祈りますよ、責任をもってサポートしますよという意思表示でもありました。

・二人を支え続ける:
実際、アンテオケ教会の人々は、毎日、この二人の働きのために祈り続けました。

・二人の帰国報告を受け、再派遣する:
そして、この二人が宣教旅行を終えて戻ってきたとき、報告会を開き、感謝の時を持ちました。勿論、彼らを温泉に連れて行って(?)休ませ、そして、次の旅行に送り出したのです(14:26,27)。もし、世界宣教に目覚めたアンテオケ教会がなかったとしたら、世界宣教は、もっと遅れていたかもしれません。
 
おわりに::アンテオケにならって、中目黒教会も、
 
 
・お互いを受け入れよう:
自分と違った民族、肌の色、年齢、性別、社会的背景、考え方、服装や髪形、趣味や音楽の好みの人々をはねつけたり、無視したりしないで、主にある兄弟姉妹として心から受け入れあいましょう。それが、福音に生きる姿勢の始まりです。

・地域社会に溶け込もう:
この中目黒に移って11年目を迎えました。色々な集会に近所の方々が集うようになってきたことは感謝ですが、もっともっと近隣社会の人々に開かれた教会としての活動を進めましょう。

・世界宣教に力を尽くそう:
インマヌエルから遣わされている宣教師たちのために祈り、捧げ続けましょう。インマヌエル以外の宣教師の働きのためにも覚えて祈りましょう。そのために宣教祈り会が月一度もたれていますので、参加して祈りましょう。宣教師として世界に出て行く若い人はいませんか。恐れずに世界に出ていきましょう。教会もそのような人々を支えましょう。
 
お祈りを致します。