礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年7月13日
 
「祈る教会」
使徒の働き連講(34)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 12章1-17節
 
 
[中心聖句]
 
  5   教会は彼のために神に熱心に祈り続けていた。
(使徒の働き 12章5節)


 
聖書テキスト
 
 
1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。
6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言った。9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」
12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。
 
はじめに
 
 
前回は、11章と13章から、世界宣教を始めたアンテオケ教会からその特色を10に分けて学びました。私自身大きな挑戦を頂きました。今日は12章からエルサレム教会の姿を学びます。
 
A.ヘロデによる迫害(1−3節)
 
 
「1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。」
 
・「そのころ」とは:
アンテオケの教会の成長と平行して、との意味です。年代的には、ヘロデ・アグリッパ1世の死去(AD44年)以前の出来事です。

・「ヘロデ」とは:
ヘロデ大王の孫ヘロデ・アグリッパ1世です。彼はローマで育ち、後に皇帝となる指導者たちと親交を結びます。一方、贅沢な生活をしたため大きな借金を背負います。しかし、皇帝カリグラの個人的な好意を得て、ガリラヤ、サマリヤ、ユダヤを王国として獲得します。彼は、その支配を確立するため、ユダヤ人の味方につけようと努力します。ヘロデ家は純粋なユダヤ人ではなく、イドマヤ人の血が半分以上流れていましたので、ユダヤ人にの歓心を得るための施策を次々に行います。(アグリッパ1世は、12章後半の記録で記されている事情で死去します。ローマ皇帝は、パレスチナを再び直轄領に戻し、ヘロデ家の領地を縮小します。パウロがカイザリヤで留置されていた時、彼の弁明を聞いたのは、彼の息子アグリッパ2世です。)

・教会迫害の目的:
ヘロデ・アグリッパは、ユダヤ人の歓心を得る一つの方法として、クリスチャンへの迫害を始めます。エルサレムにおいてクリスチャンが増え続けていることを、ユダヤ人たちは快く思っていなかったからです。特に、ペテロがコルネリオを訪問したこと、また、アンテオケが異邦人教会として成長していることが、ユダヤ人の反感を生んだとも考えられます。

・教会迫害の目的:
ヘロデ・アグリッパは、ユダヤ人の歓心を得る一つの方法として、クリスチャンへの迫害を始めます。エルサレムにおいてクリスチャンが増え続けていることを、ユダヤ人たちは快く思っていなかったからです。特に、ペテロがコルネリオを訪問したこと、また、アンテオケが異邦人教会として成長していることが、ユダヤ人の反感を生んだとも考えられます。

・殉教者ヤコブとは:
その手始めとして、使徒ヤコブを捉えて殺害します。このヤコブは主イエスの弟で、エルサレム教会の柱となったヤコブとは別人ですから間違わないでください。使徒ヤコブはヨハネの兄貴であり、12使徒の中でさほど目立った存在ではありませんでしたが、その忠実さにおいては、一頭地を抜いていたと思われます。さて、そのヤコブ殺害がユダヤ人の人気を得たことを見て、ヘロデは、ペテロにもその迫害の手を伸ばします。
 
B.ペテロの捕縛(4−5節)
 
 
「4 ヘロデはペテロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」
 
・ペテロの捕縛と投獄:
ヤコブに続いて、12使徒の筆頭であるペテロも逮捕されます。しかし、ヘロデは、ペテロを直ちに処刑せず、彼の処刑をクリスチャンへの見せしめとすべく、多くの人々が集まる過ぎ越し祭の直後を狙います。季節的に言えば早春です。

・教会の祈り:
ペテロは一日四交代の兵士たちにがっちりと周りを固められ、抜け出す希望は全くありませんでした。ただ一つ、天だけが空いていました。教会の人々もそこに望みを繋ぎ、必死になって祈り始めたのです。それまでも祈らなかった訳ではありません。しかし、主が折々、このような教会にとっての危機的状況を許しなさるのは、教会の一致した、熱心な祈りを呼び起こすためなのです。恐らくこの祈りは、一週間ほど続いたことと思われます。正しい者たちの熱い祈りは、大きな力を発揮します(ヤコブ5:16)。
 
C.ペテロの奇跡的釈放(6−11節)
 
 
「6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。7 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。11 そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。』」
 
・厳しい監視状況:
いよいよ、過ぎ越し祭が終わり、明日が処刑というところまで来ました。ペテロは、二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していました。つまり、右の兵士とは左手で、左の兵士とは右手で手錠のように繋がれていたのです。残りの二人は、戸口を固めていました。どんなことがあっても逃れられない状況です。ただ、面白いことには、そんな厳しい状況でペテロはグーグー寝ていました。明日が処刑という前夜によく眠れるものですね。誠に、「主は愛するものに眠りを与えられる」(詩篇127:2別訳)のです。<勿論、この聖句を拡大解釈して、居眠りしている人はすべて神に愛されているとか、神に愛されている人は不眠症にならないと決めつけてはならないと思いますが・・・>

・御使いの登場と命令:
その時、奇跡が起きました。しかも静かな形で。ペテロの脇腹を叩いて起こしましたが、看守の目を覚ますほどの振動ではなかったようです。鎖が静かに外れ落ちました。御使いはペテロを助け起こし、「ベルトを締め、靴を履きなさい」と命じ、さらに「上着を着てついて来なさい」と命令を与えました。このペテロの釈放の姿を題材にしてチャールズ・ウェスレーが罪からの救いに擬えて作った賛美歌が、礼拝の第二の讃美「なぜ、この私に」(And Can It Be)です。その一部を直訳します。
  私は目覚めた(I woke)
  牢獄は光に照らされた(The dungeon flamed with light)
  私の鎖は溶け落ち、(My Chain fell off,)
  私の心は自由になった(My heart was free)
  私は立ち上がり、歩き回り、(I rose, went forth)
  そしてあなたに従った (and followed thee.)

・ペテロ、釈放される:
ペテロがその通りにしますと、第一の固め、第二の固めが静かに開きました。丁度自動ドアのような感じです。

・我に帰ったペテロ:
御使いが役目を終えて離れたとき、ペテロは初めて我に帰りました。今までの出来事は夢ではなくて現実であったということが分かりました。一昔前ですが、サドュー・スンダー・シン(日本ではサンダー・シングとして知られている)というインドで有名な伝道者が類似の経験をしました。チベットで伝道していた時、地域の指導者によって乾いた井戸の中に放り込まれ、蓋に鍵をかけられます。井戸の底には死人の骨や腐った肉が満ちていました。三日目の夜シンが祈っていた時、井戸の蓋が空いて、ロープが降されてきました。そのロープの先は輪っか状になっていました。井戸に投げ込まれたとき腕にけがをしたシンは、その輪っかに体を巻きつけました。ロープが引き上げられ、シンは地上に戻りました。誰が助けてくれたのだろうと見渡しましたが、誰も見当たりません。新鮮な空気で体力を回復したシンは、翌日から街角に立って伝道を始めました。いつもこのような奇跡が起きるとは限りません。実際、ヤコブの時は奇跡が起きず、彼は殉教してしまいました。主が必要とされる時、主はことをなし給います。
 
D.教会への報告と驚き(12−17節)
 
 
「12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門を開けもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていた。16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門を開けると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言って、ほかの所へ出て行った。」
 
・マリヤ家での祈祷会に直行:
さあ、どうしようと考えたペテロが、迷わず向かったのは、エルサレム教会の要となったマリヤ(ヨハネ・マルコの母で、バルナバの叔母)の家です。そこは最後の晩餐の席であり、ペンテコステの祈りの家でした。

・ロダの応対:
ペテロは、門を叩きつづけました。恐らく、大きな門構えで、女中もいたのですから、裕福な家だったのでしょう。女中のロダが出てきました。ペテロを見つけると、喜びの余りゲートを開けるのも忘れて祈祷会のメンバーの所に直行したというのですから、この記録はユーモラスですね。

・祈祷会メンバーの反応:
さて、その祈祷会のメンバーはペテロ出現の知らせを俄かには信じなかったのです。これも面白いですね。ペテロの釈放のために祈る特別祈祷会のメンバーでしたから、「ああ祈りが答えられた」と喜ぶはずなのに、そんなにすぐ答えられるとは信じなかったというのですから、私はルカの記録は、本当に正直だと思います。

・ベテロの対応:
ペテロはやっと皆の前に現われ、祈りを感謝しますが、その足で別な用事のために去ってしまいます。ヘロデに簡単に再逮捕されない為の知恵であったのでしょう。
 
終わりに:エルサレム教会から祈りの姿勢を学ぶ
 
 
・教会の命は祈り:
教会の最も大切な、生命的な、また喜ばしい務めは祈りです。逆に言えば、祈らなくなった教会はほぼ死んでいることと同じです。

・熱心に祈ろう:
教会は、何時も祈るべきですが、祈るより他にはどうしようもない大きな課題にぶつかる時、より一層熱心に祈るものです。神は私達の祈りの弱さをご存じですから、おりおりに課題を与えて下さいます。課題が起きる度に何故、どうしてと問うよりも前に、祈りましょう。

・時を忘れて祈ろう:
初代教会の人々は、心を合わせて、熱心に、夜遅く迄継続的に祈っていました。私たちも、祈祷会を大切にしましょう。また、祈祷会以外でも色々な機会に祈るものとなりましょう。

・答えられると信じて祈ろう:
エルサレム教会の祈りで、只一つ欠けていたことは、今すぐ答えられるという信仰がやや不足していたと言う点です。祈りが答えられた時、信じる人はだれもいなかかったということは、私たちにも大きな教訓ではないでしょうか。祈って願ったことはすでに得たと信じて祈りましょう。
 
お祈りを致します。