礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年7月20日
 
「み言葉が盛んになる」
使徒の働き連講(35)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 12章11-25節
 
 
[中心聖句]
 
  24   主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
(使徒の働き 12章24節)


 
聖書テキスト
 
 
11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言っていた。16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出て行った。
18 さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。19 ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。
20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
24 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
 
はじめに:前回の物語(ヘロデ家の家系図参照)
 
 
前回は、12章から「祈る教会」とのテーマでエルサレム教会の姿を学びました。捕縛されたペテロの釈放を願って、心を一つにして祈っていたエルサレム教会メンバーのうるわしい姿は私たちへの変わらない挑戦です。前週は12章前半、つまり、ペテロが奇跡的方法で釈放されるまでの劇的なストーリーをなぞりました。つづめて言いますと、

・ヘロデ・アグリッパ1世による迫害開始:
ヘロデ・アグリッパ1世は、ユダヤ人の歓心を買うために教会迫害を始めた(AD40年頃)<ヘロデ家の家系図を再掲しますので、思い出してください>

・ヤコブの殉教とペテロの捕縛:
使徒ヤコブが最初の犠牲者となり、続いて使徒ペテロが投獄された

・教会の祈り:
ペテロの処刑が定まったので、エルサレム教会はその釈放のために徹夜の祈祷会を開いた

・御使いの助け:
御使いが奇跡的な方法でペテロを牢獄から解放した
 
1.ペテロの感謝報告(11-17節)
 
 
「そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。』こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門を開けもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。彼らは、『あなたは気が狂っているのだ。』と言ったが、彼女は本当だと言い張った。そこで彼らは、『それは彼の御使いだ。』と言っていた。しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門を開けると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出して下さったかを、彼らに話して聞かせた。それから、『このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。』と言って、他の所へ出て行った。」
 
この部分は、大変写実的であり、しかもルカのユーモアが含まれているところです。多分ルカは、この物語の目撃者マルコ(マリヤの息子)または、女中のルダからのインタビューを基に記録したものと思われます。昨週お話しした部分と重複しますが、もう一度振り返ってみましょう。

・ペテロの納得:
夢ではなく現実=それまでペテロは、夢見る者のような気持でしたが、御使いが去り、自分が街の真ん中に取り残されたとき、本当に奇跡が起きたのだということが分かりました。

・マリヤ家の祈り会に報告:
その時ペテロの心に浮かんだのは、自分のために祈っていてくれる祈りのグループのことでした。こんな夜遅くまで、祈っていてくれるているだろうかと訝りつつも、ともかくその場所を訪ねて報告しようとしました。

・祈りの仲間の反応:
ペテロの想像通り、祈りのグループは深夜まで祈り続けていました。ゲートをノックしたペテロに対して、応対に現われた女中のロダが喜びの余り、ゲートを開け忘れて祈り会の人々に直行します。祈りの仲間は、ロダの報告を最初は信じませんでしたが、ゲートを叩きつづけるペテロの姿を確認して、やっと信じました。恐らくペテロは、そんなに大きな音を出してはいなかったことでしょう。ヘロデの捜索隊が真っ先にやってくるのは、このマリヤの家であることは容易に想像できたからです。彼は身振り手振りで事の次第を話します。

・ペテロの退去:
ペテロは報告を終えると、皆と喜びを共にする時間も惜しんで、すぐに身を隠しました。どこへ行ったのか、何故なのかについて、聖書は何も説明していません。当然考えられる理由は、ヘロデの捜索が直ぐ及んでくるという恐れでした。ですから、ペテロは「ヤコブと兄弟たちによろしく」という伝言だけ残して、その場を退去します。このヤコブは、使徒ではなく、主イエスの弟のヤコブで、この時すでにペテロと共にエルサレム教会の二本柱となっていました。
 
2.ペテロ事件の後始末(18−19節)
 
 
「さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。」
 
・兵士たちの処罰:
当然ながら、厳重に監視されていたペテロが「逃走」したとことは、番兵たちの間で大きな騒ぎとなりました。この騒ぎがヘロデの耳にも入り、番兵たちの処刑というところまで進みます。ローマの法制では、犯罪人を逃がした番兵は、その犯罪人が受けるべき刑罰を受けねばなりませんでした。ヘロデの番兵も、この規則が準用されたものと思われます。当時としては当然の処置でしたが、番兵の立場に立つと、心痛むことです。

・ヘロデ、カイザリヤに滞在(地図参照):
さて、ヘロデは、あちこちに滞在場所を持っていたのですが、この際、いやなことが続くエルサレムを離れて、カイザリヤに移ることにしました。ローマ育ちのヘロデ・アグリッパ1世にとって、祖父であるヘロデ大王が建設した異邦人的で開放的な都市であるカイザリヤの方が性に合っていたのでしょう。

 
3.ヘロデの慢心と急死(20-23節)
 
 
「さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない。』と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」
 
・ツロとシドンの人々の贈賄:
ヘロデのカイザリヤ滞在の折に大きな事件が起きます。それは、カイザリヤから北方90kmにある歴史的な海港都市ツロ、そのさらに北35kmのシドンの住民とヘロデとの「和解」です。理由は不明ですが、ヘロデは強い敵意を彼らに対して抱いていました。そのヘロデが近くまで来たのですから、ツロ、シドンの人々には大きな脅威です。彼らは何とかヘロデと和解したいと考えました。その理由は食料の確保です。ヘロデは、ローマ皇帝カリグラの好意を得て、パレスチナ全土を治める王となっていましたから、食料の輸出入に関する絶対的権限を持っていました。特にガリラヤは、北方のシリヤ地方への食糧供給地だったそうです。ヘロデは、それを用いて他の地域にも影響力を発揮していたのです。今日でも、石油を握っている国々が、他の地域の国々に対して生殺与奪の権を持っているのと似ています。いずれにしろ、ツロ、シドンの人々は、王の侍従ブラストに取り入り、多額の賄賂を提供します。

・和解式典で急死:
その賄賂が前提となって、ヘロデとツロ、シドンの人々との和解が成立し、和解の儀式が盛大に行われることとなりました。何事も派手好きなヘロデにとってこの儀式は、その生涯を飾る華のような位置づけでした。一説によれば、この式典は、ローマ皇帝クラウディオの誕生日祝い、または、皇帝のブリテンからの帰還を祝う式典であったとも言われています。いよいよ、式典の日がやってきました。ヘロデはきらびやかな(ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば、すべてが純銀で飾られた)王服を着けて、内外の大勢の高官たちが列席している中、円形劇場にしつらえられた王座に着き、ツロ、シドンの人々に向かって演説を始めました。恐らく自画自賛の業績報告とか歯の浮くような美辞麗句の連続だったことでしょう。彼が演説を始めたとき、「私たちを憐れみ給え。」とか「あなたは人間を超えた存在です。」という声があちこちから挙がったとヨセフスは記しています。ルカは、民衆が「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けたと言います。実質は同じです。しかし、もしヘロデに常識のかけらさえあったならば、「みなさん、誉めてくださるのは嬉しいが、その讃美は私個人に向けられるべきものではなく、神にのみ向けられるべきものです。」と語ったことでしょう。しかし、ヘロデはそれを行わず、内心ニマっとしながらその賛辞を受けたのです。その時です。多分サソリのような虫が彼を噛み、ヘロデは亡き者となりました。ヨセフスは、その時ヘロデは彼の頭上にフクロウが止まったのを見て衝撃を受け、内臓の障害を得て死んだと記録しています。いずれにせよ、恐ろしいことです。ヘロデは7年間の治世の後、AD44年に死にました。享年は54歳でした。その後、彼の領地はグーンと狭められて、子供たちに受け継がれます。肝心のユダヤは、再びローマ帝国の直轄となります。
 
4.教会の前進(24−25節)
 
 
「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。」
 
・教会の前進:
迫害者ヘロデの死によって、当面の教会の問題が去り、教会が平安を得て再び成長し始めました。今までも、教会は危機を乗り越えるたびに成長軌道に乗りました。ルカは、一つの物語の終わりに、短い言葉でその後の成長を描写しています。例を挙げると:

■アナニヤ夫妻の不祥事の解決後:
「主を信じる者は男も女もますますふえていった。」(5:14)

■教会内部の不満を(適切な処置で)解決後:
「神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。」(6:7)

■サウロによる迫害の嵐終息後:
「教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」(9:31)

■異邦人伝道の試みがなされたとき:
「主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」(11:21)

■迫害者ヘロデの死去の後:
「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」(12:24)

・「ますます盛んに」:
(文字通りには、「み言葉が成長し・・・」)=「主のみことばは、ますます盛んになり・・・」という表現が興味深いと思います。新共同訳では「神の言葉はますます栄え・・・」となっており、NIVでは、“The Word of God continued to increase and spread.”となっています。原文では、auksanoo(植物などが成長する)という動詞が使われています。正に神のことばは活きていて、それ自体で成長していくというイメージです。具体的には、神の言葉が説かれる時、その言葉自体が人々の魂に認罪と覚醒を与え、信仰を呼び起こし、魂に確信と喜びを与えるという働きをしたことを指します。これをリバイバルということばで表すことができます。まさにそのリバイバル現象が、初代教会に起きていたのです。

・バルナバとサウロのアンテオケ帰還:
バルナバとサウロがエルサレム教会への救援資金を届けにやってきたことが11章の終わりに短く記されています。12章の終わりに、その続きがやはり短く言及されます。彼らは、務めを果たし、アンテオケ教会に戻ります。これは13章の偉大な物語の序論でもあります。これは、来週触れることにします。
 
終わりに:神の言葉の力を信じよう
 
 
パウロは、ローマで幽囚生活を送っていた時、「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(2テモテ2:9)と語りました。また、へブル書記者は「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)神の言葉が学ばれ、説かれ、実践されていくとき、不思議なように神の業が進むのです。この週も、「み言葉を生き働かせ給え」と祈ろうではありませんか。
 
お祈りを致します。