礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年7月27日
 
「聖霊に遣わされて」
使徒の働き連講(36)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 12章25節及び13章1-12節
 
 
[中心聖句]
 
  4   ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
(使徒の働き 13章4節)


 
聖書テキスト
 
 
25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。
 
前回の復習:ヘロデ・アグリッパ一世の急死と教会の成長(12章)
 
 
前回は、12章から、カイザリヤでヘロデ・アグリッパ王が急死したこと、その死後教会が成長したことを学びました。鍵となるみ言葉は24節です。「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」文字通りには、「主のみ言葉が植物のように成長していった」と記されています。さて、ルカは、その焦点をエルサレム教会からアンテオケ教会に戻し、そこから始まった世界宣教の働きを述べ始めます。

 
A.宣教旅行の準備(12:25−13:3)
 
1.バルナバとサウロ、アンテオケへ戻る(12:25)
 
 
「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。」
 
・エルサレム救援資金を届け(11:29−30)、教会指導者たちとの交わりを持った後、二人はアンテオケ教会に戻る:
ルカが話題をエルサレム教会からアンテオケ教会に移す蝶番のような記事が25節です。「任務を果たしたバルナバとサウロは・・・エルサレムから帰って来た。」彼らの「任務」とは、11:29−30に記されているように、アンテオケ教会で募金を行ったエルサレム教会への救援資金を届けることでした。実を言いますと、この二人の訪問は、資金の送達だけでなく、この機会を利用して、エルサレム教会の指導者たちとの交わりも目的としていました。ともかく彼らはその務めを果たし、アンテオケ教会に戻ります。

・マリヤの息子ヨハネ・マルコも同道:
この二人に同道してアンテオケについて行ったのが、バルナバの従兄弟であるヨハネ・マルコです。彼は、エルサレム教会の重要な拠点として家を提供していたマリヤの息子でありました。彼は二人の伝道旅行の時の助手となりましたので、この記事は13章への伏線と見ることができます。
 
2.アンテオケ教会の指導者達(13:1)
 
 
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」
 
アンテオケは大変国際的な都市でしたが、そこで生まれたクリスチャン達も国際的でした。リーダーのバルナバやサウロは国際感覚豊かなディアスポラ・ユダヤ人でしたし、そこで預言者・教師として仕えた人々も国際的でした。「ヘロデの乳兄弟マナエン」は、権力の中枢に近い人です。「ニゲルとあだ名されるシメオン」は、アフリカ系だったと思われます。コスモポリタンという意味は、自分の文化と異なる文化の人々、自分と違う肌色をしている人々を見下さないということです。その点、アンテオケ教会は人種や文化の違いを余り気にしない雰囲気がありました。
 
3.宣教師の聖別(13:2−3)
 
 
「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは断食と祈りをして、二人の上に手を置いてから、送り出した。」
 
・祈りから始まった宣教:
バルナバとサウロを送るべき示し=毎週、月曜日と金曜日に彼らはユダヤ教の礼拝に合わせて断食の祈りを持っていました。このようにして、彼らが主を礼拝し、断食の祈りを捧げていた時、ある預言者が立って、「聖霊が、『この教会のリーダーであるバルナバとサウロを世界宣教のために送り出しなさい』と語られました。」(13:2)と発言したのです。アンテオケ教会にとって、バルナバは初代牧師、サウロはその片腕教師でしたから、彼らを外に送ることは、教会として大きなマイナスです。しかし、この発言を聞いた教会の人々は、「あの二人が教会の柱なのだから、二人が居なくなったら教会は倒れてしまう。」とは言わないで、更にそのことが主のみ旨であるかどうかを確かめようとしました。

・祈りによって確認:
身を切る覚悟で二人を送り出す=彼らは更に断食の祈りをした結果、二人の派遣が御心であることを確信し、二人の上に手を置いて送り出しました。教会の中心である大切な二人を敢えて「世界宣教」のために送り出したのです。

・按手して見送る:
祈りにおける共感と支援約束=手を置くとは、代理行為です。私たちの代わりに大切な奉仕を務めて下さいと言う意思表示です。同時に、私たちはあなた方のために祈ります、責任をもってサポートしますという意思表示でもありました。
 
B.キプロスでの宣教(13:4−12)
 
 
「4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。5サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。 7 この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。 8 ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。 9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、 10 言った。『ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。 11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。』と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。 12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。」
 
1.聖霊による派遣(再度地図参照)
 
 

・聖霊による派遣:
「聖霊の動力、権威、絶えざる導きによって」=バルナバとサウロは、アンテオケ教会によって派遣された宣教師として出発しましたが、敢えてルカはここで「ふたりは聖霊に遣わされて・・・」と「聖霊による派遣」を強調しています。それは、宣教における真の派遣者は聖霊であることを強調するためです。確かに、二人は、アンテオケ教会の慎重な祈りと合議を経て、正式な按手をもって送り出されました。いわゆるフリーランサーではありません。しかし、そのようないわば「人間的な手続き」の中にも聖霊の確かな導きがあり、主導権があったことをルカは見て取ったのです。また、この二人も、それを感じていたのです。アダム・クラークによれば、「聖霊によって」とは、「聖霊の動力、権威、絶えざる導きによって」働きを行うことです。つまり、聖霊の主導権を認めること、導きを頂くこと、それも絶えずすべての分かれ道で導きを仰ぎながら進むこと、聖霊の導きを宣教方策の面でもいただきつつ働くこと、説教の度に、また、困難や迫害の度ごとに聖霊のみ力を仰ぎつつ進むことを意味します。1979年に私たちがケニアへの出発を前にして、船橋の実家に暫くとどまっていた期間がありました。四国の鴨島で伝道しておられた伊藤栄一先生が、何かのご用の折に家を訪ねてくださいました。気の措けない先生で、ある日突然電話があり、「益さん(母の名前)、今晩泊まりに行きますから、お茶漬けを用意してください。」と前置きして現われるのが常でした。母も正直でしたから本当にお茶漬けだけを用意して接待しました。さて、その伊藤先生が私たち二人のことを聞き、手を置いて祈ってくださいました。このみ言葉を引用し「二人は聖霊に遣わされてケニアに参ります。主が守り、祝してくださるように。」と声涙滴る祈りを捧げてくださいました。忘れられない思い出の一つです。

・マルコの同行:
助手、語り手として=バルナバとサウロの助けとして同行したのがヨハネ・マルコです。弱い性格で、暫くしてから脱落してしまうのですが、彼の存在は貴重でした。というのは、マルコは、主イエスの生涯、特にその十字架の出来事の直接の目撃者であり、語り手であったからです。

・セルキヤからの船出:
さて、アンテオケからオロンテス川を下って20kmのところにセルキヤという地中海に面した港がありました。二人はそこで大型船に乗り込みキプロスに向かって船出しました。

・キプロス到着:
大きなユダヤ社会とクリスチャンの存在(11:19)=キプロスはセルキヤから約100km離れた地中海の島です。個人的に言えば、そこはバルナバの故郷でした。更に、ユダヤ人も多く住んでいました。というのは、ユダヤ人は、キプロスで産出する銅の採掘権をローマ皇帝から与えられ、繁栄していたからです。キプロス出身者でクリスチャンになった人々も多く、エルサレムでの迫害を逃れて戻ってきた人もいました(11:19)。
 
2.サラミス周辺の伝道
 
 
二人は、島の東側の港であるサラミスに着きました。今も申し上げましたように、そこには多くのユダヤ人が住んでおり、彼らはユダヤ人の諸会堂で説教しました。詳しい結果などは記されていません。
 
3.パポスでの伝道
 
 
・総督セルギオ・パウロ:
神の言葉への渇望(7節)後に入信(11節)=キプロスは、ローマの属州(正確には元老院の直轄地)であり、その首都がパポスでした。その頃ローマ政府の代表(総督)として島を統治していたのがセルギオ・パウロという男です。彼は、ローマ人でしたが、唯一神に惹かれており、神の言葉を聞きたいと願っていました(7節)。彼は、サウロの教えと奇跡に感動して信仰に入りました(11節)。

・魔術師バルイエス、別名エルマ:
神の言葉を妨害=バルイエスはユダヤ人の魔術師で、総督のそばにいた人物です(6節)。8節に、エルマという人物が出て来ますが、バルイエスの別名であったと考えられています。そのエルマがバルナバとサウロに反対し、彼らが総督に近づいて神の言葉を語ることを妨げました。サウロは、エルマに対して厳しい裁きを宣告し、その結果エルマは一時的に盲目になります。その出来事を見た総督は、神の力を信じて信仰に入ります。キプロスにおける働きは、このエピソードひとつで終わり、二人はパポスから船出して、大陸に向かいます。さて、後代の歴史はキプロスに多くのキリスト教会が生まれていたことを物語ります。4世紀に開かれた最初の世界的な教会会議であるニケア会議の参加者の記録がありますが、キプロス出身者が多く記されています。
 
終わりに:私たちも聖霊に遣わされて世に行こう
 
 
4節の「聖霊に遣わされて」ということばを思い巡らしましょう。今一人一人が置かれている立場、仕事、使命、それらは、人間的に見れば、誰かの意思によるものであるかも知れませんし、組織と呼ばれる会社や団体の命令によるものであるかも知れません。しかし、私たちは、その背後に「聖霊」の確かな導きと主権を感じないでしょうか。私たちが意識的に神に背いて自分の道を選び取らない限り、今ある立場を「聖霊に遣わされた」ものと確信してよいのです。とすれば、そこには目的がありましょうし、派遣者なる聖霊のみ助けを期待してよいのです。この礼拝が終わると、私たちは世に遣わされます。そうです。聖霊に遣わされるのです。彼が私たちと共に歩み、道を教え、力を与えてくださいます。聖霊に遣わされて世に戻ろうではありませんか。
 
お祈りを致します。