礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年8月3日
 
「福音の核心」
使徒の働き連講(37)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 13章13-23節
 
 
[中心聖句]
 
  23   神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。
(使徒の働き 13章23節)


 
聖書テキスト
 
 
13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。
14 しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂に入って席に着いた。15 律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」
16 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。17 この民イスラエルの神は、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。18 そして約四十年間、荒野で彼らを耐え忍ばれました。19 それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。20 その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。21 それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。22 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』23 神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。
 
前回の復習:宣教は、聖霊に派遣されて行われる
 
 
前回は、パウロの第一次伝道旅行の開始の記事の中から「ふたりは聖霊に遣わされて」(13:4)とのみ言葉の意味するものを考えました。宣教の主導権は聖霊にあること、聖霊の力と導きのみによって宣教は効果的となることを学びました。さらに、宣教のみならず、私たちのすべての営みの中に、この原則が当てはまることを学びました。今日は第一次伝道旅行の続きです。
 
1.キプロスからペルガへ(13節)(地図参照)
 
 
「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。」
 
・パンフリヤのペルガに:
一行は、キプロスにおける証を終え、パポス港から北に進路を取り、小アジヤ(今のトルコ)に向かいます。約270kmのところにあるパンフリヤ州の州都ペルガに到着します。

・マルコの離脱:
ここで一つの事件が起きます。それは、助手として付いてきたマルコが伝道旅行から離脱してエルサレムに戻ってしまったことです。理由は述べられていませんが、サウロが納得するものではなかったことは確かです。@従兄弟であるバルナバよりも、サウロ(パウロ)が主導権を取ってしまったことが気に入らなかったか、A旅行の苦しさが耐えられなかったからか、Bホームシックにかかったからか、あるいはその三つが合わさったものだったか定かなことは分かりません。いずれにしても、彼の離脱はパウロにとって大きな傷となりました。
 
2.ピシデヤのアンテオケへ(14〜15節)
 
 
「しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。』」
 
・ピシデヤのアンテオケ(再度・地図参照):
ペルガから直線で北150kmの高地(海抜1200m)で、半島の中央に位置するのがピシデヤ地方(ガラテヤ州)の中心地アンテオケです。シリヤのアンテオケと対比して「ピシデヤの」という形容詞がつけられていますが、シリヤのアンテオケ同様近代的な町でした。この町は昔、この地方に存在していたガラテヤ王国に属しており、ローマ軍がガラテヤ州における駐屯地としてBC25年頃整備した植民都市でした。アンテオケは、半島を横断する主要な道路と縦断する道路が交錯する、交通の要衝でもありました。パウロが戦略的に選んだ町と言えましょう。ガラテヤ書を見ると、パウロがこの町に着いた時には病(マラリヤか?)に苦しんでおり、この高地の気候が癒しになったことが推測されます。(ガラテヤ4:13−14でパウロがガラテヤ教会に向けて「ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。」と語っていますが、この状況は、アンテオケ伝道のことと符合いたします。)

・安息日の礼拝:
さて、この近辺の町々がそうであったように、ここにもユダヤ人の居留地があり、シナゴーグも複数あったようです。パウロは、その宣教戦略の第一歩として、会堂における礼拝に出席しました。安息日礼拝は、今日のキリスト教会の礼拝の原型となったもので、次の順序で行われていました:
@シェマ(申命記6:4−9「聞きなさい、イスラエル。主は私たちの神、主はただ一人である。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」)の吟唱
A祈祷と祝祷
Bトーラー(律法)の朗読
Cトーラーと関連した預言書の朗読
D会衆の中の適当な人物による説教・教え
そのプログラムの割り当ての責任は複数の会堂司が担当していました。

・説教の機会が与えられる:
ですから、ラビの資格(それに相応しい服装)をしていたパウロも、そしてレビ人であるバルナバも、突然の訪問にも拘らず奨励を求められたのは当然でした。
 
3.福音説教の中心点(16〜23節)
 
 
「16 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。『イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。17 この民イスラエルの神は、私たちの先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。18 そして約四十年間、荒野で彼らを養われました。19 それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。20 その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。21 それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。22 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。」23 神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。』」
 
・パウロはジェスチャーを交えて説教する:
パウロは、会堂司による招きを「待ってました」とばかりに登場して説教を始めます。その内容は、あらかじめ準備されたもののようで、それゆえ、ルカの手に説教メモの詳細が渡ったのでしょう。「手を振りながら・・」との形容が実に写実的です。聴衆の注意を捉えつつ語った様子が浮かび上がってきます。

・二種類の聴衆を意識:
パウロは聴衆を見て、それが二種類の人々であることを見て取りました。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々・・・」と説教を始めたのです。
@ユダヤ人の会堂ですから、当然大多数は民族的に言えばユダヤ人、および割礼を受けて宗教的にユダヤ人になった異邦人です。
Aしかし、どの会堂でもそうでしたが、今でいえば求道者、つまり、異邦人の中から、神を畏れる人々が自由に出入りしていました。この人々は、割礼を受けてユダヤ人になることには躊躇を覚えつつも、真の神を畏れ、その教えに従おうという真実な思いを持った人々でした。実は、このような人々が、福音に素直に反応してクリスチャンになるのです。そのお話は来週致しますので、楽しみにしていてください。

・旧約の歴史を振り返る:
ステパノ説教のスタイル=さてパウロは、聴衆の過半数であるユダヤ人を意識して、旧約聖書全体の歴史を述べ始めます。このスタイルは、パウロが反発しながら聞いていたあのステパノの説教のスタイルです。パウロは歴史を振り返りながら、その焦点を約束のメシヤ(救い主)に当てます。
@イスラエル(アブラハム)の選び
Aエジプトでの苦難と脱出
B士師(さばきづかさ)の時代
Cサウルから始まる王制
Dダビデの選びと彼への約束

・ダビデとその子孫への約束に焦点を絞る:
パウロは歴史の締め括りとしてダビデに言及して次のようにのべます。「このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」と。

@ダビデには永遠の王国が約束された(詩篇89:19−29):
22―23節のことばは、詩篇89:19−29に記されているダビデへの約束の要約と見ることができます。詩篇を参照しましょう。「あなたは、かつて、幻のうちに、あなたの敬虔な者たちに告げて、仰せられました。『わたしは、ひとりの勇士に助けを与え、民の中から選ばれた者を高く上げた。20 わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。21 わたしの手は彼とともに堅く立てられ、わたしの腕もまた彼を強くしよう。・・・24 わたしの真実とわたしの恵みとは彼とともにあり、わたしの名によって、彼の角は高く上げられる。・・・26 彼は、わたしを呼ぼう。「あなたはわが父、わが神、わが救いの岩。」と。27 わたしもまた、彼をわたしの長子とし、地の王たちのうちの最も高い者としよう。28 わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。わたしの契約は彼に対して真実である。29 わたしは彼の子孫をいつまでも、彼の王座を天の日数のように、続かせよう。』」

Aしかし、実際のダビデ王国とダビデ王朝は滅びた(BC6世紀):
さて、実際のダビデ王国の歴史を見ると、彼の王朝は、400年余りしか続かず、王国と共に滅んでしまいました。BC6世紀の前半のことです。

Bその反面、霊的なメシヤ王国への希望は強まった(エレミヤ23:5−8):
しかし、というべきか、だからこそというべきか、「彼の王座を天の日数のように、続かせよう。」という約束は、この地上の政治的なものではなくて、霊的なメシヤ王国の約束と捉えられたのです。エレミヤは、ダビデ王国が滅びたその悲劇を目撃した預言者でしたが、メシヤの来臨についてこのように予言しています。「見よ。その日が来る。わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。6 その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。7 それゆえ、見よ、このような日が来る。彼らは、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とはもう言わないで、8 『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」(エレミヤ23:5−8)このメシヤ待望は、バビロン捕囚の時代、ローマの世界支配時代、その後の暫くの独立運動の時代を通して、益々強くなって行きました。イスラエルは世界中に散らされながらも、彼らを結びつける共通の望みとしてメシヤの来臨を待ち続けていたのです。

Cメシヤ待望を体現したのがナザレのイエス:
パウロは、このメシヤ待望への答えとして、ナザレのイエスこそがそのメシヤであったのだ、と力強く宣言するのです。来週は、24節以下に記されているこのナザレのイエスについての証言を取り上げます。

 
おわりに:神の壮大な救いの計画を感謝しよう
 
 
ともかく、パウロの論点は明確です。彼らが待ち望んでいたメシヤは既に現れ、神の壮大な救いの計画を実現した、ということです。私たちもその壮大な救いの計画の中に含まれていること、そして、その壮大な計画の成就の働きに加えられていることを感謝しましょう。

世界の動きは、これとは全く逆行するかのように見えます。悪の力がどんどん増し加わり、神の民を圧迫しているかのようです。しかし、神の計画は動きません。確かな御手をもってご自身の計画を進めておられます。私たちも希望と確信を持って世界を見つめ、神のご計画の成就のために祈り、与えられた場所での証を全うしようではありませんか。
 
お祈りを致します。