礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年8月31日
 
「迫害を乗り越えて」
使徒の働き連講(40)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 14章1-20節
 
 
[中心聖句]
 
  19,20   パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。
(使徒の働き 14章19,20節)


 
聖書テキスト
 
 
1 イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人々が信仰に入った。2 しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。3 それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。4 ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。5 異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、6 ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、7 そこで福音の宣教を続けた。
8 ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれつき足のなえた人で、歩いたことがなかった。9 この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、10 大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。11 パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。12 そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。13 すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。14 これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、15 言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」18 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。
 
復習
 
 
アンテオケ伝道(地図参照):前回は、パウロの第一次伝道旅行の拠点であるピシデヤのアンテオケでパウロの行った会堂礼拝の説教とその結果を学びました。特にアンテオケでユダヤ人が福音を拒絶したことが、グローバル宣教へのきっかけとなったという、不思議な神の摂理を学びました。一つの道の行き詰まりを他の道への突破口と変える神の御手を信じたいと思います。

 
A.イコニオム伝道(13:51−14:7)
 
1.アンテオケからイコニオムへ(13:51−52)
 
 
「ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」
 
・アンテオケを去る:
アンテオケでユダヤ人の妨害に遭ったパウロとバルナバは、やむを得ず、主イエスに教えられたように、証のために足の塵を払って次の場所へ向かいます。もちろん、アンテオケを見捨てたのではなく、信じる群れを残しての緊急避難です。

・イコニオムへ:
さて、パウロたちは、次の伝道拠点として、アンテオケから「皇帝街道」を南東に向かって100kmのイコニオムを選びました。ここは、北方を巡るトラヤヌス街道道との合流地で、ガラテヤ州の大切な拠点でした。現在はコンヤという地名になっており、トルコにおける重要な町の一つです(再度地図および写真参照)。

 
2.イコニオムでの伝道(14章1−3節)
 
 
「イコニオムでも、二人は連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。」
 
・ユダヤ人・ギリシヤ人多数が入信:
イコニオムにも多くのユダヤ人が居り、当然シナゴーグもありました。ピシデヤのアンテオケに於けると同様、「ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。」のです。

・信じないユダヤ人も:
しかし、残念なことに、「信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせ」ました。パウロとバルナバにとって、この辺までは言わば「想定内」の状況でした。多少の反対にも拘らず、「ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語」りました。「主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた」のです。
 
3.再度迫害に遭う(4−7節)
 
 
「ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた。」
 
・反対運動が激化し、石打ちの危険も:
福音の働きが進むに従い、「町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側について」互いの対立が深まります。反対者たちは、企みを持って、パウロたちを石打ちにしようとしました。

・ルステラ:伝道者の退去:
幸いその計画がパウロたちの知るところとなって、彼らは30kmほど南にあるルステラという町に避難します。そこは、今ハットンサライと呼ばれる町です。二人が避難したのは、ルカオニヤ地方と呼ばれる田園的な地域です。ルカオニヤには、BC3世紀にゴール人という(ローマ人から見れば)未開の民族が移り住んだところでした。二人は、この田園的な環境で、ほっとしながら福音の宣教を続けたものと思われます。
 
B.ルステラでのエピソード(8−20節)
 
1.足の利かない男の癒し(8−10節)
 
 
「ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、『自分の足で、まっすぐに立ちなさい。』と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。」
 
・真剣な求道姿勢:
ルステラの町で、パウロたちは福音説教を街頭で行いました。この町にはユダヤ人の会堂がなかったようです。ともかく、パウロの話に真剣に耳を傾けていた男が居ました。彼は「生まれながらの足なえ」でした。パウロは彼の真剣な姿勢に気が付きました。

・「いやされる信仰」に応えての奇跡:
そして、その男の中に、癒しを求め、癒しの力を信じる信仰を見て取りました。パウロは一声「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言いました。つまり、彼が持っていた信仰を行動に移すことを求めたのです。すると彼は飛び上がって、歩き出しました。
 
2.パウロを偶像視する群衆(11−13節)
 
 
「パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、『神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。』と言った。そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。」
 
・バルナバをゼウスに、パウロをヘルメスに祀り上げる:
この癒しがセンセーションを巻き起こしました。奇跡を見て感動した民衆が、パウロとバルナバを神々の一人、もっと言うと神が人となって降りてきた存在と祀り上げたのです。偉い人を神と祀り上げる思想はギリシャ神話にもありますし、日本古来の神話にもあります。このルカオニヤ地方に人々には極めて自然な行動だったと思われます。彼らは、バルナバをゼウス(ローマ名はユピテル、神々の父)と呼び、パウロがおもに話す人であったのでヘルメス(ゼウスの子で知恵の神、ローマ名はマーキュリー)と呼び始めました。

・生贄の牛の準備:
この町の祭司は、この二人を偶像視するだけでは満足せず、、生贄の牛を連れてきて、花輪で飾り、その牛を屠ろうとしました。そのすべての営みがルカオニヤ語で行われていたため、パウロたちは何が起きているかが分からず、眺めているだけでしたが、漸く事柄の重大性が分かって来るようになって、慌てました。
 
3.パウロの努力(14−18節)
 
 
「これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、言った。『皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。』こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。」
 
・パウロは自己の神格化を阻止:
唯一神信仰に生きていたパウロにとって、自分が神格化されることは耐え難い所業でした。ですから、住民のなすがままに任せて美味しい思いを少しは味わって、それから徐々に人々の誤りを正してあげようなどという生半可な気持ちにはなれませんでした。大急ぎで群衆の間に分け入って、彼らの偶像崇拝を止めさせます。彼らの驚きと不賛成の思いが、「衣を裂く」行動となって現れます。

・真の神について説明:
パウロは、ルステラの人々の誤りを中止させただけでなく、この際、正しい神観念について演説を行います。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。」と言って、人間を神格化する間違いを指摘し、天地を作られた真の神を提示します。その内容は以下の三点に纏められます。

@神は自然界を通して自己啓示をしておられる:
「ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」と言って、自然界の営みを通してご自分を啓示しておられたことを示します。神学の世界で言えば、これは神の自然啓示と言われるものです。

A神は、各自の生き方を尊重しておられる:
それと同時に、自然啓示が不十分であるゆえに「過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました」と言って神はそれぞれの生き方を許容しておられたと示します。更に、

B特別啓示として、キリストを遣わされた(と語る予定):
特別啓示として、キリストを遣わされたと語る予定であったと考えられます。そこまでいかない内に、騒動が起きてしまいました。
 
4.ユダヤ人たちの大迫害(19−20節)
 
 
「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。」
 
・ユダヤ人たちの扇動と石打ち:
残念ながら、パウロはその演説を続けることができませんでした。事態が暗転するのです。お祭り気分に水を差されてがっかりしていた群衆を、パウロへの迫害に駆り立てるように心理誘導を試みたのが「アンテオケとイコニオムから来たユダヤ人たち」です。まあ、何と執拗な人々なのでしょうか。彼らが「群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した」のです。イコニオムにおいても石打ちの計画がありましたが、パウロはそれを逃れて避難します。しかし、ルステラにおいては逃れる暇がなかったのでしょう。それにしても、この迫害者たちのやり方は、何と狡賢く、そして残酷でありましょうか。さらに、その扇動に乗った群衆も無責任の誹りを免れません。つい先ほどまで、神々として崇めようとしていた二人のうち一人を石で滅多打ちにするなんて、人間の心理は測りがたいものです。石打ちというのは軽々しいものではありません。それによってステパノは殉教しました。パウロも息が止まってしまったほどです。この事件がどんなに大きな傷をパウロに与えたか、測り知れません。後に彼はこの出来事を振り返って「石で打たれたことが一度」(2コリント11:25)と記し、多くの迫害の中でも、石打ちはこの時が最初で最後であったことを証しています。また、石打ちの時に受けた生傷が生涯残っていたことも、「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びている」(ガラテヤ6:17)という言葉で表しています。

・奇跡的な復活(または蘇生):
そのような仕打ちに遭いましたが、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行きました。パウロは奇跡的に息を吹き返したのです。これが復活なのか、蘇生なのか、どちらとも言えませんが、どちらにしても驚くべきことです。

・ルステラの町に戻る!!:
さらに驚くべきことには、蘇生した後、休養も取らずに立ち上がって歩み始めたことです。そこにも、奇跡的な癒しの御手が加えられたと思います。しかし、もっと驚くべきことは、何と、パウロが石打ちにされたそのルステラの町に向かって歩いて行ったのです。私だったら、先ず休養するでしょうし、その上ルステラは避けたことでしょう。パウロがルステラに行ったのは、証のためであり、さらに、そこで信仰を持った人々を励ますためであったと考えられます。何とも壮絶な伝道者スピリットです。

・目撃したテモテは感動して献身(16:1−3):
ルステラで起きたこの出来事に大きな影響を受けた人物がいます。それは、パウロにとって一生涯の弟子となったテモテです。これから3年後、第二次伝道旅行の時「パウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」(16:1−2)とテモテが登場します。このテモテは、石に打たれたパウロを取り囲んでいた数人の弟子の一人と考えられます。更に、傷ついたパウロを家に迎えて介抱したのもテモテであったと考えられます。このテモテが一生を福音のために捧げたのは、石打ちという厳しい迫害を乗り越えて、めげることなく命を捧げて尽くしたパウロの姿に感動を受けたからなのです。

・次の町デルべ:
パウロはルステラには長く留まらず、翌日、バルナバとともにデルベに向いました。デルべは、ルステラから約100km南西のケルティ・ヒュユックという場所と言われています。そこは、ローマ皇帝の名前に因んで、クラウデイオ・デルべと呼ばれていました。<デルべについては、30km位離れた別の場所も示唆されていますが、定かではありません。>
 
おわりに:パウロの不屈の伝道精神に学ぼう
 
 
ルステラで石打ちに遭いながら、息を吹き返して、その石打ちをした人々の所に帰っていくパウロの姿を見ると、「不死鳥」を思い出します。打たれ強いというか、へこたれないというか、ともかく、彼の伝道への情熱を奪うものは何もありませんでした。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」(2コリント4:8−10)
 
お祈りを致します。