礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年9月7日
 
「神が共にいて行なってくださること」
使徒の働き連講(41)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 14章19-28節
 
 
[中心聖句]
 
  27   そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。
(使徒の働き 14章27節)


 
聖書テキスト
 
 
19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。21 彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。24 ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、25 ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、26 そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。27 そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。28 そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。
 
1.ルステラでの石打ちとその後(19〜20節、復習、地図参照)
 
 
「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって(ルステラの)町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。」
 
・ルステラでの石打ち:
前回は、「迫害を乗り越えて」との説教題で19節を中心に学びました。パウロの第一次伝道旅行中、ルステラで石打ちに遭ったこと、回復したパウロが、もう一度ルステラに入った伝道者魂を学びました。(イラスト@およびA参照)。この出来事を目撃したテモテが、その二年後、第二次伝道旅行の時に献身し、パウロの一行に加わったこともお話ししました。この石打ちはパウロに取って忘れ得ぬ出来事だったようで、パウロがその生涯最後の手紙で、テモテにこう書いています、「あなた(テモテ)は、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ3:10−12)と。

・次の町デルべ:
パウロはルステラには長く留まらず、翌日、バルナバとともにデルベに向いました。デルべは、ルステラから約100km南西のケルティ・ヒュユックという場所と言われています。(再度・地図参照)そこは、ローマ皇帝の名前に因んで、クラウディオ・デルべと呼ばれていました。<デルべについては、30km位離れた別の場所も示唆されていますが、定かではありません。>

 
2.デルべから帰路に向かう(21〜23節)
 
 
「彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。』と言った。また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」
 
・デルべでの伝道と教会建設:
デルべでは、パウロが「福音を宣べ、多くの人を弟子とした」こと以外は詳しいことは分かりません。ここでは大きな反対運動はなく、信じた人々が教会を形作りました。

・帰り道でのフォロアップ:
デルベでの基礎作りを終えたパウロは、往路と同じ道を引き返します。ルステラ→イコニオム→アンテオケ、と辿るのですが、決してやさしい旅ではありませんでした。どの町でも、福音への良き反応と同時に、激しい反対にぶつかり、そしてその反対者は決してパウロたちを見過ごしにしない可能性が大きかったからです。しかし、パウロたちはそこに立ち寄って励ます必要をより大きく感じていたのでしょう。パウロたちは、そこで大切な奉仕をします。それは、第一に、彼らの心を強め、信仰に留まるようにとの勧告を行うこと、第二には、教会の組織固めを行うことでした。

@信仰の確認:
信仰の確認については、ユダヤ人たちからの攻撃・反対に耐えて信仰に留まる事を強調したものと思います。彼らが福音のために多くの苦しみを経なければならない、との勧告は、先ほど引用した「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ3:12)との言葉と符合します。幸い、彼らはこうした外側からの反対や迫害には耐えたのですが、残念ながら、ガラテヤ書が示すように、内側からの福音的でない教えに対しては弱さを露呈してしまいました。勿論、パウロはこのフォロアップ訪問の時、福音の教理的部分も語ったとは思いますが、十分ではなかったようでした。これはガラテヤ書で扱われている課題ですので、今日は深入りしません。

A教会の組織固め:
教会の組織固めについては、教会毎に長老たちを選んだことが重要です。この段階で、フルタイムの牧師が存在したとは考えられません。しかし、ごく必要で簡単な組織形態が採用されました。長老たちは、異邦人的背景から信仰に入ったばかりの人々が殆どでしたから、パウロも一抹の不安を持たなかったと言えば嘘ですが、ともかく祈って「委ねた」のです。これが教会組織の原型です。
 
 
 
「ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。」
 
・帰り道:
(アンテオケのある)ピシデヤから南下してパンフリヤ地方のペルガ、アタリヤまでの道は往路と同じですが、そこから往路の時に立ち寄ったキプロス島はスキップして、真っ直ぐ西の航路を辿って(シリヤの)アンテオケに向かいました(再度・地図参照)。きっと、急ぐ理由があったのでしょう。

・出発地の(シリヤ)アンテオケに戻る:
アンテオケ教会がこの伝道旅行のために断食祈祷会をし、送別会では按手してパウロとバルナバを送り出してくれてから少なくとも一年半は経過していました。「いま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所」である母教会アンテオケに戻った二人の感慨は深いものであったと思います。パウロは大きな三回の伝道旅行を行なっていますが、その出発もアンテオケ、その最後もアンテオケでありました。船が母港を持っているように、宣教師にとって母教会を持っているということは、どんなに大きな力であり、励ましでありましょうか。私たち中目黒教会も、インマヌエルから派遣されている宣教師たちとその子どもたちにとって暖かい母教会でありたいと思います。
 
4.基調報告と休息(27〜28節)
 
 
「そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。」
 
・神の業として報告:
アンテオケ教会では、早速宣教報告会が開かれました。この宣教報告は次の2点です。

@「神は共にいて業を行なってくださった」:
「神が彼らとともにいて行なわれたすべてのこと」が基本です。この表現の意味するものをしっかり捉えたいと思います。どんな証も報告にも当てはまることですが、私が何かをした、何かが起きたというスタイルの報告も悪くはありませんが、それでは「自分」に焦点が向けられてしまいます。確かに、事柄の報告としては、私が何かをした、何かが起きたという、いわば客観的な方が良いのですが、この二人にとっては、それよりも、神が共にいてくださったこと、神が行なってくださったことの方が大切であり、報告に値することだったのです。迫害の只中にあっても、神が共にあって力を与え、命の危険を通過した時も神が支えてくださいました。人の心を開き信仰の応答を与えることを可能にしてくださったのは主御自身でした。それらの主の御業の「すべて」を報告しました。聞く方も大きな関心と感謝をもって聞いたことでしょうし、語る方も大きな喜びをもって語ったことでしょう。私たちの宣教祈祷会が、このような恵みに満ちたものとして継続されるように祈りたいと思います。

A「異邦人に信仰の門を開いてくださった」:
「異邦人に信仰の門を開いてくださったこと」が第二のポイントです。元々派遣母体のアンテオケ教会が異邦人宣教のモデル教会でした。そのモデル教会が送り出した宣教師たちが、行く所々でそのモデルに倣う教会を生み出して行ったのです。これ以上の大きな感動があり得るでしょうか。報告を聞いたアンテオケ教会は、大きな感謝を捧げたことでしょう。

・次の活動に備えて休息:
宣教師たちの営みでもう一つ大切な要素があります。それは、休息です。「彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごし」ました。かなり長い時間とは、どの位でしょうか。私の計算では少なくとも1年、長ければ2年ではなかったかと思います。そんなにゆっくりしないで、すぐ第二次伝道旅行に出発すればよいではないかというのは、厳しすぎる見方です。1年半、力を使い果たして帰ってきた宣教師たちは、弱い肉体を持つ人間なのです。リフレッシュの時が必要です。教会での交わり、(想像を逞しくすると)リゾート地でボーっとする時間もリフレッシュの役割を果たしたのではないかと思います。さらにこの時間は、開拓教会との手紙によるフォロアップの時間でもあったと思われます。ガラテヤ書執筆の時期については諸説ありますが、私は、その内容が15章のエルサレム会議の決定内容を前提としていないことから、会議の前ではないかと推測します。いずれにせよ、「かなり長い期間」はとても大切な次の活動のための備えであったと思います。
 
終りに:私たちにも神は共にいて業を行なってくださる
 
 
パウロと共にいて業を行なってくださった神は、私たちとも共にいて御業を表してくださいます。私は先々週、香登修養会で当務を致しました。修養会が近づき、香登教会110年の歴史とか、香登修養会の歴史とかの本が送られてきました。ただでさえ緊張していましたのに、益々緊張してしまいました。私のようなものが、こんなに由緒のある修養会の主講師が務まるだろうかと不安になりました。しかし、主が「しっかりしなさい。私だ。恐れることはない。」と背中を押してくださいました。終わってみると、自分ではない、主がなしてくださったのだと、しみじみ実感します。皆さんは今週、どんな課題に直面されることでしょうか。共にいてくださり、働いてくださる主を信じましょう。
 
お祈りを致します。