礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2014年9月21日
 
「老若共に喜ぶ」
愛老聖日に因み
 
竿代 照夫 牧師
 
エレミヤ書 31章7-14節
 
 
[中心聖句]
 
  13   そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。
(エレミヤ書 31章13節)


 
聖書テキスト
 
 
7 まことに主はこう仰せられる。「ヤコブのために喜び歌え。国々のかしらのために叫べ。告げ知らせ、賛美して、言え。「主よ。あなたの民を救ってください。イスラエルの残りの者を。」8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」
10 諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。11 主はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」
 
はじめに:愛老聖日について
 
 
・日本人の平均寿命の延び:
愛老聖日の朝、多くの方々と共に礼拝を共に捧げる恵みを感謝いたします。今年から愛老会の年齢を75歳以上と、5年引き上げさせていただきました。日本全体の平均年齢が著しく延びました。2013年における日本人男性の平均寿命が80歳を超えて、80.21歳となり世界第5位です。女性は86.61歳で依然第一位です。健康志向も増しており、70歳でもお元気の方が増えています。当教会の高齢化現象も進んでおり、愛餐会でも、「招かれる側」がどんどん増えて、「招いて接待する側」の人数が減ってきています。このような現実から、ここ数年役員会などで愛老会の年齢問題が繰り返し論議されてきましたが、思い切って今年度から年齢引き上げに踏み切ろうとの意見が大勢を占め、今年から実行されることになりました。1、2年前に「愛老会入り」された方々は、さびしい思いをされることと存じますが、暫くの間の「待ち望み」期間と前向きに受けとめて、ご理解くださいますようお願いいたします。

今年の会員名簿から75歳以上の方を拾いますと、合計75名です。その半数近くが今日の礼拝にご出席できないとお返事を頂いています。でも、普段なかなか礼拝に出席できない方で、今日のために体調を整え、頑張ってお出でくださった方々のお顔を見ることができて、嬉しく思います。

・若者と老人が共に生きる「共生」社会へ:
この様な背景から、今日はいつもの説教とスタイルを変え、若い人々と、年を取った人々が共に生きる「共生の共同体」としての教会について聖書のメッセージをお話ししたいと思います。
 
A.エレミヤ31章
 
 
・30−31章:捕囚から回復されるイスラエルの喜びの歌:
今日のテキストとしてエレミヤ31章を選びました。エレミヤ30−31章は、「イスラエルの救いの勝利の賛美歌」とも呼ばれている素晴らしい個所です。エルサレムがバビロンによって包囲されていた絶望的な状況の真っただ中で、エレミヤは、イスラエルが滅ぼされてしまったその後の回復を期待して預言しているその賛美歌なのです。31章にみる回復の姿から4つの要点を拾います。
 
1.神の契約的愛(ケセド)に基づく回復(3節)
 
 
神は限りない愛をもってイスラエルを愛し給う。「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』」神の、イスラエルに対する愛は、「ケセド」(愛、憐れみ、誠実と訳される)というヘブル語で表現されます。これは契約に基づく愛のことで、相手の不誠実にも拘らず、注ぎ続けられる誠に尊い愛です。主は、その愛をもって捕囚のイスラエルを救い出されます。
 
2.豊かな収穫の約束(4、5節)
 
 
故国に帰還を許されたイスラエルは、農園を回復し、葡萄やそのほかの豊かな収穫が与えられます。
 
3.喜ばしい収穫祝い(12−14節)
 
 
豊かな収穫を心から祝う祝祭が催されます。楽しい情景です。これについて、後ほどじっくり味わいたいと思います。
 
4.新しい契約(31―34節):キリストにおいて成就する新約の恵み
 
 
神は、イスラエルと新しい契約を結ばれます。その契約は、今までの契約と質的に異なります。古い契約は、神の律法を行いなさい、そうすれば祝されます、という条件付きのものでした。しかし、新しい契約は、神の律法が民の心に入れ込まれる、言葉を変えると、喜んで神の御心を行うように作り変えられる、というものです。正にエレミヤの預言は、キリストによって成就する新約の恵みの預言でもあります。
 
B.楽しい祝祭の情景(7−14節)
 
 
今日のテキストである7−14節は、楽しい祝祭の情景が描かれています。そのポイントを4つ拾います。
 
1.祝いの場所:シオンの丘
 
 
主は、イスラエルを「北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集め」ます(8節)。「イスラエルを散らした者(主ご自身)がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る」(10節)のです。「主はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたから」(11節)です。「彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い」(12節)ます。こうした表現は、主が捕囚によって散らされたイスラエルを故国に集めること、そして、民族の統合の象徴であるエルサレム(シオン)でその祝いをなさることを示しています。
 
2.祝いの参加者:あらゆる年齢層、階層の人々
 
 
祝いの参加者は、「イスラエルの残りのもの」(7節)です。英語ではレムナントと言われる特別なことばで、神の憐れみによって残された人々を指します。その中には、「目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。」のです(8節)。若い女、若い男も年寄りも、祭司も皆一緒です(13、14節)。
 
3.祝いの理由:豊かな収穫の故に
 
 
「彼らは来て、・・・穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。」(12節)とありますように、穀物、ぶどう酒、オリーブ油、家畜の豊かさと、それに現われた主の恵みを喜んでいます。
 
4.祝いのスピリット:萎まない喜び
 
 
「彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。」(12節)と、その喜びが一時的ではないことが示されます。「若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。『わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。』」(13−14節)と、その祭りが、心底から喜びに満ちたものである情景が描かれます。若い女たちが、タンバリンをもって踊りはじめ、それに若い男も加わり、年寄りもその輪に加わる、と言った絵ではないでしょうか。そこに、喜びの共同体を見ます。これは、捕囚から解かれたイスラエルの絵であり、さらに、新約で形作られる教会の絵でもあります。エレミヤよりも50年近く後で活躍した預言者ゼカリヤは、復興によって形成される共同体を描いてこう語ります。「エルサレムの広場には、老いた男、老いた女が座り、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」(ゼカリヤ8:4−5)と。
 
C.若者と年寄りが共生する社会
 
 
「若い男も年寄りも共に楽しむ」というみ言葉で私たちが教えられるイメージは、若者と年寄りが共生する社会です。この共生の意味するものを以下の4つのポイントで考えます。
 
1.共に賛美する
 
 
若者と年寄りが、共に主の恵みを讃え、讃美と踊りに加わっている姿は美しいものです。共同訳では、「そのとき、おとめは喜び祝って踊り、若者も老人も共に踊る」と訳しています。若者は若者の好きなリズムがあり、メロディがあり、曲調があったことでしょう。若者は勢いよく飛び上がってダンスをしたかったことでしょう。老人は、民謡調のゆっくりした歌を歌い、手足をゆっくり動かして小原節のような歌を選びたかったことでしょう。でも、彼らは、お互いに譲り合って、真ん中辺の曲を歌いつつ踊ったのではないかと思います。これこそ「共生」の真髄ではないでしょうか。譲り合えたのは、共に主を讃美するという共通目的の故です。
 
2.共に存在する
 
 
若者は老人の存在をオジン臭いと毛嫌いせず、老人は若者の存在を「彼らには付いていけない」と面倒くさがらず、互いが共にいることを喜んでいる姿です。今日は愛老聖日礼拝だからボクには関係ない、おじいさんたち、おばあさんたちが喜べばそれで良いと思っている若者が居ましたら、このエレミヤ預言を思い出してください。「若い男も年寄りも共に楽しむ」のが愛老聖日礼拝なのです。
 
3.互いを尊敬する
 
 
若者は老人の知恵と経験に敬意を持ち、老人は若者のバイタリティを敬い、互いの違いを認めつつ尊敬する麗しい関係がここに見られます。箴言の中に「しらがは光栄の冠、それは正義の道に見いだされる。」(箴言16:31)と記されています。長い人生、特に信仰をもって生き抜いてきたクリスチャンのお年寄りには、本当に学ぶべき点がたくさんあります。同時に、若々しい信仰を持った人々には、年寄りには無い生命力が漲っています。互いが互いを必要とし、互いが尊敬し合い、その賜物を活かし合うことで、キリストの体が機能します。
 
4.共に戦う
 
 
エレミヤよりも200年ほど前に活躍した預言者ヨエルは、「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」(ヨエル2:28)と預言しました。年寄りも若者も、同じように神から与えられたビジョンを共有し、そのビジョンに向かって戦うのです。この愛老聖日礼拝は、単に、人生長く生きてきてご苦労様でした、と老人を労わる集いではなく、年寄りも若者も等しく、これからの社会をどのように造り上げていくべきかについて、主からのビジョンを頂いて、共に立ち上がる機会でもあります。
 
おわりに:互いの祝福を祈ろう
 
 
共に手を取って祈りましょう。若い人々は老人たちのために、老人の人々は若い人々のために祝福を祈りましょう
 
お祈りを致します。