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聖書テキスト |
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13 ふたりが話し終えると、ヤコブがこう言った。「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。14 神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。15 預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。16 『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。17 それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。18 大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』19 そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。20 ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。21 昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」 |
22 そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。 |
23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。24 私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。25 そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。26 このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」 |
30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。31 それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。33 彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。35 パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。 |
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はじめに:エルサレム会議の重要性 |
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前回は、教会における最初の会議であるエルサレム会議がどのような経緯で始まったのか、それがどう進んだかをお話ししました。 |
・直接の争点: 異邦人クリスチャンに割礼は必要か否か=異邦人でキリストを信じるようになった人が、ユダヤ人のように割礼を受けなければならないかどうか、という課題は、生まれたばかりのキリスト教会にとって大問題でした。イエスという方向になれば、実際的に言って、信徒となりたいという人の門を物凄く狭くしてしまいます。キリスト教が、ユダヤ教の分派になってしまい、世界に広がる道を閉ざしてしまいます。 |
・福音とは何かが真の争点: この割礼問題は、しかし、もっと深い神学的問題を含んでいました。それは福音とは何かという本質的問題です。救いを齎すものは神の恵みにより、私たちの信仰によるというのが福音なのですが、割礼を認めるということは、救いは善い行いを積み重ねによるという律法主義を福音に変えてしまうことを意味していました。 |
福音の普遍性に立った人々と律法主義に立った人々双方が議論を尽くした後に、議長であるヤコブが総括しました。 |
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1.ヤコブによる締括(13−21節=復習) |
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「ふたりが話し終えると、ヤコブがこう言った。『兄弟たち。私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃虚と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。」そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。』」 |
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・異邦人は神の恵みの中にある: 主イエスの弟であるヤコブはエルサレム教会の柱の一人であり、同時に、保守的なクリスチャンからは、その代表と見なされていました。そのヤコブが、異邦人は神の恵みの中にあると発言したものですから、割礼派クリスチャンも納得せざるを得ませんでした。 |
・それは、アモスも預言している: ヤコブは、イスラエルが回復される時、異邦人も共に回復される、と預言しているアモス書を引用して、その聖書的根拠を明らかにします。 |
・異邦人クリスチャンの自由を認めよう: そのヤコブは、異邦人クリスチャンに律法の遵守を求めて、その自由縛ることを止めようと提案します。 |
・(しかし)交わりのため最低限の決まりを求めよう: このようにヤコブは、異邦人の自由を認めつつ、彼らにユダヤ人クリスチャンへの配慮を求めることを提案します。それは、彼らが「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けること」でした。 |
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2.代表団の人選(22節) |
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「そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。」 |
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・ヤコブの提案が承認された: ヤコブの提案が承認されたと記されてはいませんが、「代表団を送る」という決議は、承認を前提としての決議です。 |
・会議の決定を伝える代表団: 会議の決定を、問題の渦中にあるアンテオケ教会に伝達する4人が選ばれました。 |
@パウロとバルナバ: アンテオケ教会代表として=その中の2人は、当然ながらパウロとバルナバです。彼らは、元々アンテオケ教会代表としてエルサレムにやってきたのですが、その立場としてそのままアンテオケに戻すのではなく、エルサレム会議の決定を伝える正式な代表としてアンテオケに送るのです。しかし、もし代表団がバルナバおよびパウロだけとすれば、彼らの見方だけで会議の内容を説明することになり、客観性に欠けます。彼らは会議の当事者でもあったからです。 |
Aユダとシラス: エルサレム教会代表として=そこで、パウロとバルナバに加えて、バルサバと呼ばれるユダとシラスを派遣することになりました。ユダについては、ユダヤ人であったこと以外は分かりませんが、シラス(シルワノ)はラテン名ですから異邦人であったようです。後にパウロの助手として、第二次伝道旅行について行きます。彼もパウロ同様、ローマ市民権を持っていました(16:37、38)。この二人を加えたことは知恵です。彼らが第三者的な立場でエルサレム会議の報告をすることで、客観性を担保できるのです。小さなことのように見えますが、こうした公正さへの配慮は、私たちの教会生活でも、また社会生活でも必要なことです。 |
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3.書簡の内容(23−29節) |
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「23 彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。『兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。24 私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。25 そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。26 このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。27 こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。』」 |
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・書簡にする意義: エルサレム会議の決定内容が、書簡の形で明確にされます。勿論、この手紙を携えた人々による口頭の説明は加わりますが、口頭だけですと、客観性を欠きます。書面にしたことは注意深い配慮です。 |
・挨拶: 「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。」宛先が、アンテオケ教会だけではなく、アンテオケの周辺のシリヤ州全体、その隣のキリキヤ州が含まれていることに注目します。問題が起き、論争が始まったのがアンテオケであったのですが、アンテオケ教会に限定して手紙が書かれたのではなく、アンテオケ教会から始まった異邦人伝道が周辺はもとより、キリキヤ州、その隣のガラテヤ州に教会が次々と誕生している現状を踏まえ、この手紙が回覧板のように用いられることを想定して書かれているのです。もっと言えば、この手紙は異邦人世界全般に向けての一般的宣言でもあります。 |
・釈明: 「身内」が問題を起こしたことを謝罪=24節で「私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。」と冒頭に懸念を表明しているところもすがすがしいですね。トラブルを起こした、いわゆる「割礼派」の人々を自分たちの外側の人間として突き放していないで、「私たちの中のある者たちが」と言って仲間意識を表明します。キリストの体である教会は、全構成員に対して責任を取るという暖かい態度を取ります。同時に、「私たちからは何も指示を受けていないのに」と言って割礼主義者たちが秩序を守らないことを批判しています。前の「私たち」は教会全体を示す「私たち」です。次の「私たち」は、責任を持った指導者たちを示す「私たち」です。その割礼派の人々が、「いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。」と、問題を起こしたことを陳謝しています。公平な態度です。 |
・代表団の紹介: 代表団の構成が紹介されます。そこに現われた教会的知恵については、既にお話ししました。ただ、バルナバとパウロについて、もう一つ大切な言及があります。この二人は、「私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。」と彼らの犠牲的行動を高く評価しています。ユダとシラスについては、彼らが第三者的立場からエルサレム会議の内容を口頭で補足説明すると述べます。これは、客観性の担保のために大切です。 |
・「聖霊と私たち」の決定: 神的起源と人間的思慮のバランス=エルサレム会議は、その決定者を、「聖霊と私たち」と表現しています。「神(聖霊)が決定された」という風に徒に人間の決定を神格化せず、反面ただ「私たちが決定した」という風に、人間本位の決定であることも示唆せず、「聖霊に導かれたと信じる私たちが祈りの内に決定した」という、謙虚でありながら確信に満ちた表現が使われています。これはエルサレム会議の決定だけではなく、私たちの教会総会、教団総会、の決定にも当てはまる真理です。もっと言えば、私たちの日ごとの小さな決定が「聖霊と私たちは」と言えるような謙虚さと確信を含んだものでありたいと思います。 |
・決定の内容: 要約すると、この内容はふたつです。 |
@自由の原則: 「あなたがたにその上、どんな重荷も負わせない」ということは、言葉を換えれば、キリスト者は、色々な決まりごとに制約されず、全く自由であるというものです。 |
A愛の配慮: 同時に、キリスト者(特にこの場合は異邦人クリスチャン)は、他の行動基準を持ったキリスト者(この場合はユダヤ人クリスチャン)に対する配慮を持つことが求められるという原則です。この場合は、「偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行」です。これを、新しい律法と捉えないでいただきたいと思います。これは、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンが交わるための最低限の倫理基準であり、互いに対する配慮のポイントです。現代のクリスチャンに当てはめますならば、飲酒や服装や趣味の問題がこれに当てはまります。クリスチャンは、どんな決まりにも縛られません。しかし、その行動が他の人々に躓きを与える可能性があれば、自由を自発的に制限することはあり得ます。しかし、それは飽くまで愛の原理に基づくもの、愛の故の配慮なのです。 |
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4.代表団の派遣と受容(30−35節) |
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「30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。31 それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。32 ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。33 彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。35 パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。」 |
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・アンテオケ教会の受容: エルサレム会議の決定は、アンテオケ教会において大きな安堵と感謝をもって受け取られました。これは単に、自分たちの主張が通ったという軽いものではなく、福音の本質が正しく捉えられ、宣言されたという安心です。また生活面から言えば、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンとが食卓において自由に交われるという保証でもありました。 |
・ユダとシラスの滞在と奉仕: この二人は、説教者でもあったので、暫くアンテオケに留まり、説教奉仕をしてエルサレムに戻りました。後の記録ではシラスが再度アンテオケに帰り、パウロの宣教旅行に合流します。 |
・パウロとバルナバの滞在と奉仕: この二人も母教会であるアンテオケにとどまり、奉仕を続け、次の伝道旅行への備えを致します。 |
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終りに:「聖霊と私たちは」と言えるような決定の仕方を! |
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私たちは、毎日、何千という決定をしながら生活をしています。いわば、些末な、そして、どうでもよい決定もあれば、大切な決定もあります。特に大切な問題について、右か左かを決めねばならないとき、祈りつつ決定をします。導き給う聖霊のご臨在を信じ、その導きを仰ぎつつではありますが、矢張り私たちは主体的な決定をします。その時、一々言及すべきかどうかは別として「聖霊と私たち」と言える決定をさせていただきたいものです。 |
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