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聖書テキスト |
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1 それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、2 ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。3 パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。4 さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えた。5 こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。 |
6 それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。8 それでムシヤを通って、トロアスに下った。9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。 |
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はじめに |
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前回は、パウロの第二次伝道旅行の出発の時、マルコの処遇に関しするパウロとバルナバの対立に注目しました(36-41節)。双方とも、主の御業を思い、真剣に対立したのです。そして、双方とも、別行動をしながらそれぞれ主の御業に貢献したという不思議な話でした。今回は、パウロとシラスの二人の足跡をたどります。 |
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A.開拓諸教会のフォロアップ(1―5節) |
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「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えた。こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」 |
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1.諸教会の巡回(地図参照) |
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・第二次伝道旅行への出発(15:41): シリヤ→キリキヤ→南ガラテヤ=先週学びました15:41に、第二次伝道旅行出発の様子が描かれています。「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。」パウロは、陸路を取り、シリヤおよびキリキヤを通り、ガラテヤを経てアジヤに向かいます(地図参照)。キリキヤはパウロの生まれ故郷であり、その州都であるタルソは大きな人口を抱えた町でした。パウロはそこで小休止をした後。険しい山を越えて南ガラテヤに入りました。 |
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・デルベ: 第一次伝道旅行の終点=なぜ、デルベが最初に出てくるか、地図を見れば納得頂けることでしょう。つまり、第一次伝道旅行の終点がデルベだったからです。ここで誕生したデルベ教会を先ず訪問して励ましたパウロは、次のルステラに向かいます。 |
・ルステラ: 石打ちに遭った町。ユニス、ロイス等の信徒たちの教会=ここは、石打ちに遭ってしまった忘れられない町です。そこにはしっかりした信徒たちが待っていました。それは、テモテの母ユニケと祖母ロイスがおり、その他の兄弟姉妹と共に教会を守っていました。彼らとの再会は、パウロに取っては大きな励ましでしたし、彼らにとっても、パウロの励ましを頂くことは大きな力でした。 |
・その他の町々: イコニオム、(ピシデヤの)アンテオケ。エルサレム会議の決定を伝え、励ます=4節には「町々を巡回して」とだけ書かれていて、町名は記されていませんが、第一次伝道旅行で開設したイコニオム、(ピシデヤの)アンテオケが含まれていたことは言うまでもありません。そこでのパウロの奉仕の内容は、「エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えること」でした。実は、この諸教会を総称して、ガラテヤ書では「ガラテヤにある諸教会」と呼んでいます。これは、ガラテヤ州南部の諸教会のことです。その教会に入り込んだ律法主義的なユダヤ人クリスチャンの働きによって、パウロの宣べ伝えた単純な福音から逸れてしまって、パウロの憂いとなった諸教会です。パウロは、福音の原則をしっかりと捉えつつも、ユダヤ人クリスチャンへの配慮を説いたエルサレム会議の決定を伝えたものと思われます。その結果、諸教会は大きな進展を見ました。 |
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2.テモテの選任 |
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・テモテの献身: 迫害を乗り越えるパウロに感動=ルステラで、良い評判を得ていた青年がテモテでした。このテモテは、石に打たれたパウロを取り囲んでいた数人の弟子の一人で、傷ついたパウロを家に迎えて介抱した男と考えられます。このテモテは、石打ちという厳しい迫害を乗り越えて、めげることなく命を捧げて尽くしたパウロの姿に感動を受け、自分も一生を福音のために捧げたいと心に秘めた思いを持つようになりました。石打の出来事から3年ほどたって、すっかり大人になったテモテとパウロは再会します。パウロは、テモテの献身の思いを知って、伝道旅行への同行を勧めます。先にマルコを袖にしたパウロが、今度はテモテを誘うのですから面白いですね。もっと面白いことには、後になってテモテとマルコは一緒になってパウロの生涯の最期を見届けたのですから、人生とは不思議なものです。 |
・テモテの敬虔: テモテの敬虔さの背景は、その家庭にあったことは、後にテモテに宛てて書かれたパウロの手紙で明らかです。その中でパウロは、以下のように語ります。「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(2テモテ1:5) |
・割礼: 父がギリシャ人であったことへの配慮=パウロがテモテを同行者と選んだ時、テモテに割礼を施したことに疑問を持たれる方もあると思われます。何故なら、パウロも、またエルサレム会議も、割礼を救いへのステップとする考え方に賛成しなかったからです。しかし、テモテの場合は、特別な事情がありました。彼のお母さんはユダヤ人で、お父さんがギリシャ人だったからです。(当時、ユダヤ人と異邦人の結婚は非常に稀でした)。そして、テモテは宗教的にはお父さんの立場で育ちました。しかし、クリスチャンとして立ち、更に伝道者として立とうとするとき、パウロは、テモテのユダヤ人としてのアイデンティティを明確にすることがユダヤ人社会に受け入れられるためには大切と考えました。そこで彼に割礼を施したのです。常識に適った適切な行動と思います。 |
・按手: この時、テモテが按手を受けたかどうか、「使徒の働き」に記されてはいませんが、パウロの手紙からは、按手を受けたことが伺われます。「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:6−7)テモテは生来、おとなしい性格だったようですが、この按手を通して「力と愛と慎みとの霊」を頂きました。 |
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B.聖霊の「ゴー」と「ストップ」(6−10節) |
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「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った。 |
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。」 |
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1.聖霊の「ストップ」 |
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・アジヤでの赤信号: 宣教が聖霊によって禁じられる=ガラテヤ州南部諸教会での巡回を終えたパウロ一行は、西のアジヤに向かいます。しかし、そこでは「みことばを語ることを聖霊によって禁じられ」ました。理由は分かりません。後にアジヤの州都であるエペソで三年も留まって伝道したことから考えると、アジヤが福音を受け入れる準備がなかったわけではないと思います。ただ、教会を開拓するのにふさわしいのがこの時ではなかったというのが理由だったかもしれません。 |
・ビテニヤで再度の赤: イエスの御霊が許さず=アジヤで宣教を止められたパウロたちは、南下してフルギヤ・ガラテヤ地方を経て(多分そこでも止められて)、そのずっと北のビテニヤに向かいますが、そこでもイエスの御霊がそれをお許しになりませんでした。東西南北すべての道を塞がれて、アジヤの西部であるムシヤを通って、マケドニヤに接する西端のトロアスに来てしまいました。良いことをしようとするのに止められる、こんな経験をなさった方はありませんか。良いことでも、私たちにはその時分からない理由で止められることがあります。私たちはその時、焦ったり、イラつかないで、聖霊の禁止に素直に従う者でありたいと思います。 |
・トロアスに到着: トロヤ戦争(紀元前1200年頃)の古戦場=トロアスとは、紀元前1200年頃、ホメロスの叙事詩で有名なトロヤ戦争が行われた場所です。ギリシャ軍(アカヤ軍)とトロヤ軍が長きに亘って戦い、最後には、大きな木馬に入りこんだアカヤ軍が勝つという雄大な物語です。このトロアスこそ、アジヤとヨーロッパの境目の港町です。ここでもパウロたちは、ぼんやりと次のステップを待っていたのではなく、その土地の人々に伝道し、群れを生み出しました(20:7)。 |
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2.聖霊の「ゴー」(9−12節) |
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・マケドニヤ人の懇願: 「渡って来て、私たちを助けて」=北島三郎が歌う「はるばる来たぜ函館へ〜」という演歌がありますが、パウロに取って西へ西へと追いやられて、どん詰まりまで来てしまったという感慨があったと思われます。その感慨を持ちながら床に着いたパウロが見たのがマケドニヤ人が叫んでいる幻です。その人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのです。この「人」が誰なのかは謎です。色々な想像がなされていますが、誰のことかは分かりません。ただ、服装や言葉などから、明らかにマケドニヤ人に見えたのでしょう。その人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願しているのです。これは容易ならざる状況です。大きな切迫感をもって、私たちを罪の奴隷状態から解放してほしいと叫んでいるのです。 |
・幻の解釈と行動: マケドニヤ宣教へ踏み出す=さて、夢から覚めたパウロは同僚にその夢(幻)について話し、主の導きを求めます。一同は、これこそ「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信した」のです。 |
・ルカが参加: 「彼らは」(6節)が、「私たちは」(10節)に変わる=この時から、使徒の働きの記録の主語が変わったことにお気づきでしょうか。6節に「彼らは」と三人称複数が主語だったのが、10節からは「私たちは・・・」と変わっているのです。つまり、トロアス以降の旅行では、パウロ一行(それまでは、パウロとシラス、それにテモテの三人)に使徒の働きの著者であり医者でもあるルカが加わったことが、この文章に現われているのです。想像を加えると、パウロがトロアスで病気になり、その介抱をしたのがルカであった、しかもルカ自身がマケドニヤ人であったとも考えられます。それがあったので、パウロはマケドニヤ人の幻を見たのでしょう。いずれにしろ、ルカを入れたこの4人は祈りつつ、この幻は、神が一行をマケドニヤ宣教へ招いておられる徴であると確信しました。この出来事から、私たちが大切な決定をするとき、(言わば神がかり的に)ある人に与えられた夢や幻に頼るべきという教訓と取ってはならないことでしょう。一人に与えられた「導き」をグループとして祈りの内に確かめる慎重さが大切です。ともかく彼らはこの幻に従って、直ちに行動しました。 |
・サモトラケ→ネアポリス→ピリピ: 一行は早速船に乗り、(現在の)ダーダネルス海峡(ボスポラス海峡)を渡って、対岸のサモトラケ島を経由して、港町ネアポリスに着きます。そこでも長滞在することなく、マケドニヤの中心都市ピリピに向かいます。そこで驚くような宣教の進展を見るのですが、そのお話は次回に譲ります。 |
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おわりに:私たちの「マケドニヤ」とは何かを考えよう |
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私たちは、パウロのようなはっきりした幻は見ないかもしれませんが、マケドニヤの叫びを聞いています。学校でいじめに遭っている多くの子ども達は、必死に助けを求めています。子育て世代の人々は、仕事のストレスに加えて経済のやり繰りのために悲鳴を上げています。定年後の世代の人々は、年金の実質的な目減りに加えて、自分は社会で必要とされているのだろうかという生きる意味を見いだせずに悩んでいます。これらは、皆、マケドニヤの叫び声です。世界を見渡しても、エボラ出血熱で国や共同体の存続まで危機に瀕している西アフリカ諸国があります。第二次大戦前を思わせるような、大国の横暴に悩んでいる小さな国々があります。極端なイスラム原理主義の台頭に悩んでいる一般市民が居ます。これらは皆、マケドニヤの叫び声です。 |
あなたの心に響く叫び声は何でしょうか。私たちの友達、家族の中にマケドニヤはないでしょうか。その叫び声に真剣に耳を傾け、私たちの生涯をもってその叫びに応答させていただきたいと思います。特に来週のジョイフルアワーに多くの方々をお誘いしましょう。 |
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