礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年2月15日
 
「テサロニケ教会の誕生」
使徒の働き連講(49)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 17章1-10節
 
 
[中心聖句]
 
  13   「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。
(テサロニケ第一 2章13節)


 
聖書テキスト
 
 
1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。4 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。5 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。6 しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。7 それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです。」 8 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。9 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。
 
先週の復習:ピリピの看守と家族の救い(16:34−35)
 
 
昨週は、パウロの第二次伝道旅行で起きた、ピリピにおける監獄の看守の家族の救いの物語を致しました。「全家族の喜び」と題して、家族が共に神を信じる幸いを学びでした。今日はテサロニケ伝道の物語です。
 
1.ピリピからテサロニケへ(1節a、地図参照)
 
 
「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。」
 

・イグナチア街道を西進、アムピポリス、アポロニヤ経由でテサロニケに到着:
ピリピでの成功ある教会建設を終え、パウロとシラス、そして幾人かの同行者たちは、エーゲ海の沿岸をイグナチア街道沿いに西に向かって進みます。ルカはこの時ピリピに残ったようで、16章では、一貫してパウロ一行が「私たち」だったのに、17章から「かれら」に変わります。聖書は細かく読むととても面白い本です。(「私たち」が再び登場するのは、20:5からです。)途中のアムピポリスとアポロニヤは、比較的小さい町だったので、パウロ達はそこを宿泊所として使うだけで、その先の大都市であるテサロニケに到着し、そこで伝道を始めます。

・テサロニケ
・アレクサンドロス大王の義弟カッサンドラによって建設(BC4世紀)、その妻テッサロニキに因む命名:
テサロニケという町は、エーゲ湾の海港都市で、BC4世紀ごろ、アレクサンドロス大王の妹テッサロニキの夫カッサンドラ(マケドニヤ王)によって、造られました。カッサンドラは、新しい町をその妻の名に因んで、テサロニケと名づけました。商業と交通の中心となり、大きな市場、競技場、神殿を備えた近代的都市となりました。
・168BC、ローマがマケドニヤ州都とし、その後自由都市に:
テサロニケは、168BCにローマによって占領され、マケドニヤ州の州都と定められました。その後ローマ内戦の時オクタビアヌスに味方した功績で、42BCに自由都市となり、民主的に自分たちの支配者を選ぶ権利を与えられました。
・ユダヤ人も多く、会堂(シナゴーグ)も存在:
町は多くの民族を集めた国際都市となりました。ユダヤ人も(ピリピと比べると)はるかに多く在住し、そのための会堂(シナゴーグ)も建てられていました。
・現代のテッサロニキ:
ギリシャの第二の都市(写真参照):現代のテッサロニキは、古代テサロニケから60kmほど離れたところに存在しており、ギリシャの第二の都市として発展しています。
 
2.会堂での教え(1節b−3節)
 
 
「そこには、ユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。』と言った。」
 
・パウロたち、会堂に行く:
テサロニケにはユダヤ人会堂がありましたので、パウロたちはその礼拝に加わります。そこでいきなりパウロは説教を始めるのです。パウロは立派な教師(ラビ)の資格を持っていましたから、会堂に入るや否や、「先生どうぞお話し下さい。」となる訳です。待ってましたとばかりにパウロは講壇に立ち、説教を始めます。

・会堂での教え:
「ナザレのイエスこそメシヤ(キリスト)」=そこでパウロは、旧約聖書が予言しているメシヤ(キリスト)は、苦難を受け、殺され、そして甦るべき方なのだと論証します。恐らく、イザヤ書53章、詩篇16篇などを引用したことでしょう。そして、そのメシヤとは、ナザレのイエスの事なのだと、力強く論証します。
 
3.テサロニケ人の受容(4節)
 
 
「彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。」
 
パウロの伝道の結果、多くの人々がイエスを主と信じました。4節には、三つのグループの反応が記されていますが、テサロニケ書を見ると、もう一つグループもあったようです。

・ユダヤ人:
少数だが真実な人々(含・ヤソン)=多くではないが、幾人かのユダヤ人がキリストの福音を理解し、クリスチャンとなりました。その内の一人がヤソン(これはユダヤ名です)で、パウロ達を迎え入れて宿を提供しました。因みに、このヤソンは、後にパウロと共にコリントに滞在し、彼の働きを助けました(ローマ16:21)。さて、これらユダヤ人クリスチャンは、テサロニケ教会の骨格を成したと思われます。

・神を敬うギリシャ人:
会堂での求道者=もう一つのグループは、「神を敬うギリシャ人」です。この人々は、パウロの伝道以前からユダヤ人会堂に出席していた、いわばユダヤ教への求道者たちです。ユダヤ教に帰依した人は「改宗者」と呼ばれますが、そこまでは行かなかったが、唯一の真の神を心の中で信じていました。この人々が、パウロの勧めによってクリスチャンとなったのです。(ユダヤ人たちにとっては、折角の求道者をキリスト教会に取られたので、「鳶に油揚げを攫われた」思いだったことでしょう。)

・町の貴婦人たち:
自立した女性たち:第三は、町の貴婦人たちです。どのような経緯かは分かりませんが、この人々がクリスチャンとなりました。一般的に言えば、男尊女卑の傾向の強いこの時代にあって、マケドニヤ諸教会では、自立した女性が信仰を持ち、教会を支えていました。言葉を換えれば、信仰を持った女性が、自立的になって行ったのかも知れません。

・一般ギリシャ人:
偶像と不道徳的を捨て、真の神に帰る(1テサ1:9)=第四のグループもいたと思われます。それは、この会堂にいなかった多くのギリシャ人で、パウロの説教を聞き、素直に受け入れ、偶像と不道徳的な生活を捨てて、活ける真の神に立ち返りました。

パウロの活動の期間は「三つの安息日にわたり」という言葉で示されていますが、実際的にはもっと長く、三つの安息日の会堂における活動を含む1、2か月位のものであったと考えられます。
 
4.ユダヤ人の迫害(5−9節)
 
 
「ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。『世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。』こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。」
 
・ユダヤ人たちが嫉妬し、「ならず者」を扇動:
テサロニケ教会は、驚くほどの勢いで成長して行きますが、同時に、他の町と同じように、それに反対する運動も起きました。この町での反対運動は、「ねたみにかられたユダヤ人」が起こしたと記されています。先ほど触れましたように、クリスチャンとなった人々の中核に少数ながらユダヤ人がおり、また、ユダヤ人会堂に通っていた求道的なギリシャ人がいたからです。クリスチャンとならなかったユダヤ人が嫉妬を感じるのは、当たり前といえば当たり前ですが、悲しいことでもあります。彼らは、その反対感情を「町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせる」卑怯な方法で表わします。この「ならず者」が、裏社会の権力者のことか、或いは表社会にいながらどんな悪いことにも味方する人々のことかは分かりませんが、いずれにせよ、神を畏れるユダヤ人がつるんではならない種類の人々でした。「ならず者」の原語は、アゴライオスで、「市場(アゴラ)をうろついているもの」という意味です。しかし、嫉妬に駆られたユダヤ人たちは、正々堂々とパウロたちに論争を挑む道ではなく、ならず者を扇動する道を選びました。どの時代にも見る、卑劣なやり方です。

・「皇帝への反逆罪」でヤソンを訴える:
彼らは、ヤソンがパウロたちに宿を提供していることを知って、ヤソンの家を襲います。しかし、パウロたちが外出中であったのか、或いは、群衆の到来を見越して隠されたのかは分かりませんが、見つけることができず、代わりにヤソンとその仲間を役人に訴え出ます。その訴因の出し方がまた悪辣です。ユダヤ人は、パウロたちがユダヤ教と異なる教えを説いた、という本当の理由を表わさず、違った訴因を提出しました。つまり、パウロたちが「イエスを王としている」というローマ政府への反逆的行為を問題にしたのです。まともに取り上げるに値しない、ずさんな訴因です。

・ヤソンはパウロたちの退去を条件に保釈される:
いかにいい加減な町役人も、こんな訴えを取り上げることができず、保釈金を取ってヤソンを釈放します。本来保釈金も要らなかったのですが、ユダヤ人を満足させるための妥協です。多分、パウロたちをテサロニケから退去させるという条件付きの釈放だったと思われます。因みに、この役人(ポリタルホス)という呼称はマケドニヤ諸都市独特のもので、今でも残っている町の門に当時の役人の名前が刻まれています。如何にルカが正確に出来事を記録したかを物語る名称です。
 
5.パウロたちの退去とテモテの派遣(10節)
 
 
「10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。」
 
・教会がパウロたちを見送る:
パウロたちは、難を逃れましたが、ここに長逗留することは、自分たちの為だけでなく、クリスチャンたちの為にも良くないと考えて、テサロニケを去ることにしました。「信仰を持った兄弟たちが夜のうちにパウロとシラスを送り出した」と記されています。つまり、自分達の牧師を守ろうと言うほど、教会が既に成長していた訳です。

・テモテの派遣(1テサ3:1−3):
このような慌しい別れでありましたので、パウロはベレヤを経てアテネまで着いたとき、フォロアップのためにテモテを遣わしました。

・パウロ再訪の試みと挫折(1テサ2:18):
本当は、パウロ自身テサロニケに戻りたかったのですが、反対運動が強く、その道は「サタンによって」塞がれました。

・テサロニケ教会は周辺教会の模範に(1テサ3:6−10):
さて、派遣されたテモテの報告に基づいて第一テサロニケ書が書かれました。その中の一文節を読み見ます。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」(1:6、7)どんな模範となったのでしょうか。その内容は、9−10節に記されています。まず、過去的には「偶像をすてて神に立ち返ったこと」、現在的には、「生けるまことの神に仕えるようになったこと」、そして将来的には「イエスが天から来られるのを待ち望むようになったこと」でした。その信仰は、周りの町々はもとより、全世界に広まっていきました。或る注解によると、「キリスト教がテサロニケに到着したということの重要さは、いくら強調しても足りないほどのものである。・・・それはイグナチア街道に沿って全アジアを征服するまで、そして西へといえばローマの町まで嵐の勢いで拡張されていくこととなる。キリスト教がテサロニケに来たという事実は、キリスト教をして世界宗教とする一大転機の日が来たことを意味する。」のです。テサロニケの信徒たちは、自分たちがみ言葉を単純に信じて、それに従って歩んでいたことが、全世界への刺激となるということは、夢にも思わなかったことでしょう。しかし、現実はそのようになったのです。
 
おわりに:み言葉を素直に受け取り、信じ、実行する恵み(1テサ2:13)
 
 
パウロの伝道したところすべてがテサロニケのようではありませんでした。主は、格別にテサロニケ市民の心を備えていてくださったのでしょう。私たちがここから学ぶのは、主のみことばを額面どおり素直に受け取り、信じ、実行することです。私たちがそのようにしていることが、実は世界中に影響を与える程良い証となり得るのだということをテサロニケ信徒の例から学びます。パウロが彼らに感謝している言葉をもって、今日の説教を終わります。「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間の言葉としてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」(1テサ2:13)
 
お祈りを致します。