礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年3月1日
 
「毎日聖書を調べた人々」
使徒の働き連講(50)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 17章10-15節
 
 
[中心聖句]
 
  11,12   ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。
(使徒の働き 17章11-12節)


 
聖書テキスト
 
 
10 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。12 そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。13 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。14 そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。
 
先回の復習:テサロニケ教会の誕生
 
 
・教会の構成:
ユダヤ人・ギリシヤ人、男性・女性、貴族・一般人=前回は、パウロの第二次伝道旅行のハイライトの一つと言えるテサロニケ教会誕生の物語でした。マケドニヤ州の州都であるテサロニケで、パウロはキリストの福音を真っ直ぐに語りました。ユダヤ人、ギリシヤ人、男性、女性、貴族、一般人など多くの人々がそれを聞き、素直に受け取り、教会に繋がりました。

・教会のインパクト:
世界中の教会の模範に=その人々の信仰の在り方、互いの愛の行動、迫害に耐える忍耐は、周辺地域の評判となりました。パウロは、彼らが世界中の教会の模範となったと誉めているほどです。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」(1:6、7)

・特色:
み言葉を素直に受け取る点=私たちがここから学ぶのは、主のみことばを額面どおり素直に受け取り、信じ、実行することの大切さです。パウロは、「あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間の言葉としてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」(1テサ2:13)と感謝しています。もし私たちが、み言葉に真摯に向き合って生きているならば、それ自体が、世界中に影響を与える程良い証となり得るのだということを覚えたいと思います。
 
1.ベレヤに向かう(10節a:地図参照)
 
 
「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。」
 
・テサロニケを去る:
信徒たちに守られて=こんなに成功したテサロニケの働きでしたが、自分たちの「求道者」を奪われて嫉妬に狂ったユダヤ人たちが、実に卑怯な手段を用いて群衆を扇動し、役人を誘導してパウロたちの伝道を留めようとします。彼らの思惑通りには行きませんでしたが、パウロたちはテサロニケに留まる事が出来なくなりました。幸い、パウロたちを守ろうとするしっかりした教会が確立されていました。その信徒たちが隠密の中に二人を送り出します。「すぐさま、夜のうちに」という言葉で、信徒たちがこの隠密行動の責任を持ったことを示唆しています。また、ここには明記されていませんが、使徒の働きの著者でパウロの弟子ルカが残ったことが、言い回しの中から伺えます。それまで、この一行を記すのに「私たち」という主語が使われていましたが、ここから暫くは主語が「彼ら」となったからです。つまり、ルカはフォロアップのため密かに残ったのです。

・ベレヤに向かう:
エグナティア街道の分岐点から南下=10節を読むと、ベレヤ行きのイニシアチブはパウロたちではなく、「兄弟たち」(つまり、テサロニケの新しいクリスチャンたち)でした。彼らは、テサロニケから約80km南西のベレヤまで送ってくれました。そこまでくれば安心という距離だったのでしょう。地図を見るとお分かりと思いますが、テサロニケからエグナティア街道という幹線道路を西へ進み、ペラという分岐点で南へ向かうと、次の町がベレヤです。

・ベレヤとは:
アレクサンドロス大の誕生地の近く:今お話しした分岐点のぺラは、アレクサンドロス大王の誕生地として知られた町です。その南側、オリンポス山の北側にあるのがベレヤです。紀元前168年にローマがマケドニヤと戦って勝ちますが、最初に陥落したのがベレヤでした。ここは、ベロイヤという名前で現存しており、人口6千人位の小さな町です。
 
2.ベレヤでの伝道(10節b-11節)
 
 
「ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」
 
・ユダヤ会堂の存在:
ベレヤでは、テサロニケ同様、ユダヤ人社会が存在していて、会堂が建っていました。

・会堂での説教:
聖書に基づく福音提示:いつものことながら、パウロは先ず安息日に会堂に入り、そこで、いわば「招かれざる特別講師」として、説教を致します。聖書(当然このころですから旧約聖書のことですが)に基づいて、十字架にかかり、甦られたナザレのイエスこそが、聖書が預言していたキリストであることをしっかりと論証します。

・聖書を毎日調べるユダヤ人
・高貴な心:
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで」とコメントされています。テサロニケでも素直にみ言葉を受け入れる人は少なからずいたのですが、そうでないユダヤ人も多くいました。それに比べると、ベレヤのユダヤ人は、その殆どが非常に素直で「良い」(ユーゲネース=生まれの良い、高貴な)人々でした。それは、偏見なく説教者に接するという態度に表れていました。
・聴く姿勢:
彼らは「非常に熱心にみことばを聞き」ました「非常に熱心に」(メタ・パセース・プロトゥミアス)とは、直訳すると、「完全に準備された心で」ということです。恐らく、メモを取りながら真剣にパウロの説教に耳を傾けたのです。つまり、パウロが語ることを注意深く聞き、記憶にとどめ、反芻したのです。
・慎重な吟味:
そして、その安息日が終わると、家に帰ってそのメモを見直しながら、「はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べ」ました。「調べた」(アナクリノー=分析する、批判的に検討する)のです。ボーっと聞いて、そのまま無批判に信じてしまうほど単純でもなく、かと言って、聞く耳持たずという頑固でもなく、自宅に帰り、聖書を開いてパウロが語ったことが本当かどうか慎重に吟味したというのです。しかも毎日です(この「毎日」が文章構造から強調されています)。偏見に囚われず、真理を追究し、真理に対して謙虚であるベレヤ人が私は好きです。一面から言うと、このような聴衆は説教者にとって怖い存在です。いい加減で、出まかせのような説教が許されないからです。でも、真剣な説教者から見ると、説教者冥利に尽きる値高い人々です。ぜひ、ここにおられる皆さんも、こんなレベルの聴衆になってください。神の言葉がそのまま語られる時には、説教者が若くても年取っていても、遜ってそれを受け入れてください。しかし、御言葉から離れた説教でしたら、「これは、面白い話かもしれないが、命を懸けてコミットする必要はない」と考えて、ノーサンキューといってよいのです。
 
3.人々の反応(12節)
 
 
「そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。」
 
・ユダヤ人が多く入信:
自分の家でしっかりとみ言葉を学び、パウロの語る福音が、本当に聖書通りのものであることを確信したユダヤ人の多くがイエスをキリストと受け入れ、信仰告白しました。これは素晴らしい出来事です。こういう信徒は固い人々です。一時的な感動や感激で信仰を告白する場合は、問題が起きるとすぐに離れてしまうことが多いものです。この記事を読みつつ思い出すのは、主イエスが語られた「4つの種」の譬え話です。第二の種は石地に落ちました。直ぐに芽生えましたが、根がないので直ぐにかれました。第四の種は、「正しい、良い心でみ言葉を聞くと、それをしっかり守り、よく耐えて、実を結ばせ」ました(ルカ8:15)。ベレヤ人は、正に第四の種が落ちた土壌でした。

・ギリシヤ人男性、貴婦人も:
ユダヤ人だけではなく、かなり多数のギリシヤ人も信仰を持ちました。ギリシヤ人の中には、会堂に出入りしていたギリシヤ人の「求道者」もいたでしょうし、また、全くユダヤ教に関心のなかった人々もパウロの説教を通して信仰を持つようになった人も含まれていたでしょう。ピリピでもテサロニケでもそうでしたが、信じた人々のリストに「貴婦人」が先に出てくることも興味深いですね。彼女たちにとって、人種・性別の区別なしに救いが提供される福音は魅力的だったことでしょう。ここで信じた人の一人が「プロの子であるベレヤ人ソパテロ」(20:4)です。彼は、パウロの第三次伝道旅行の時パウロ一行に弟子として加わっています。
 
4.迫害と退去(13-15節、再度地図参照)
 
 
「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。」
 
・テサロニケのユダヤ人が遠征:
ベレヤの記事がここで終わればどんなに幸いでしょうか。しかし、そうは問屋が卸しませんでした。テサロニケのユダヤ人たちがパウロの動きを察知して、80kmも離れたベレヤまで迫害のために遠征してきたのです。何と執拗な、何と恐ろしい人々でしょうか。彼らは、テサロニケでもやったような方法で、パウロの働きを阻止しようとします。つまり、自分たちがパウロと面談する素直さも持たず、パウロと直接対決して論争する勇気も知恵もなく、ベレヤ市民を扇動するという真に卑怯な方法で、パウロを追放しようとしました。

・ベレヤ信徒たちはパウロを守る:
テサロニケに於けると同様、ここでも「兄弟たち」つまり、ベレヤで信仰を持った新しいクリスチャンたちが、パウロを守って(=文字通りには、エスコートして)、海岸まで逃れ(つまりエーゲ海に向かって西側に連れて行き)、そこから250km南下してギリシヤの中心都市アテネまで送るのです。本当に麗しい助けです。

・ベレヤに残ったシラスとテモテ:
ユダヤ人のターゲットはパウロでしたから、パウロだけがベレヤを出ることにし、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまりました。これも勇気のいる行動でしたが、新しい教会の確立のため、敢えて危険を冒したのです。「踏みとどまった」という表現がそれを物語っています。パウロは、アテネに着いたとき、ベレヤの兄弟たちを送り返しますが、次のような伝言をするのです。「シラスさん、テモテさん、アテネまで早く来てください」と伝えたのです。アテネでは彼らの存在が必要だったからです。尤も、テモテだけはアテネからとんぼ返りのように、テサロニケに派遣されます(1テサロニケ3:1−3)。テサロニケ教会の様子が心配だったからです。
 
おわりに:毎日み言葉に真摯に向き合おう
 
 
今日はベレヤでのエピソードだけで終わります。私たちもベレヤの信徒たちに倣って、毎日み言葉を読みましょう。お勤めのように、義務的に機械的に読むのではなく、そこに記されている神の御心が何であるかを探りながら、つまり、開かれた心をもって読みましょう。そして、御言葉を信じ、従いましょう。その時、主は私たちの生涯を導き、祝福してくださることでしょう。
 
お祈りを致します。