礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年6月21日
 
「輝く信徒伝道者」
使徒の働き連講(54)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 18章2-3,18-28節、ローマ人への手紙 16章3-5節
 
 
[中心聖句]
 
  26   彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて神の道をもっと正確に彼に説明した。恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。
(使徒の働き 18章26節)


 
聖書テキスト
 
 
使徒18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
使徒18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。23 そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。
ローマ16:3 キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。4 この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。5 またその家の教会によろしく伝えてください。
 
はじめに
 
 
・(前回)主に励まされてコリント伝道を行ったパウロ:
前回は、コリントで開拓伝道を始めたパウロに焦点を当てました。最初の躓きで落ち込んでいたパウロに対して主イエスが現われて励ましてくださいました。そして、「この町には、わたしの民がたくさんいる」という大いなる収穫の約束を与えなさいました。英訳は、“I have many people in this city.”です。コリントの町には、潜在的に多くの民がいるとおっしゃいました。パウロは、この言葉に励まされてコリントに留まる決心をしました。パウロの18か月に亘るコリント滞在により、素晴らしい教会が誕生しました。

・(今回)パウロの同労者となったアクラ夫妻:
さて、今日はパウロの同労者として登場したプリスカ・アクラ夫妻に焦点を当てます。この夫妻については、新約聖書で6回も言及されており、実に興味ある学びができます。最初にこの二人の足跡を辿り、次に二人の人物像を纏めて考えたいと思います。
 
A.アクラ夫妻の足跡
 
 
1.ポント州出身(地図参照)
 
 
・ポント:
ポントとは、小アジヤ(現在のトルコ)北東に位置する一州です。使徒2:9には、ペンテコステのために世界各地から巡礼者がエルサレムに集まっていたことが記されていますが、その時救われてポントに戻った人々によって、教会が誕生したと考えられます。これは、AD30年頃です。また、AD64年頃記されたペテロの第一の手紙の冒頭に宛先リストが記されていますが、その冒頭がポントです(1ペテロ1:1)。相当早い時点に福音が及んでいたものと思われます。

・アクラとプリスキラ:
彼らがポントで信仰を持ったか、その後かは、明らかでありません。アクラとはギリシャ語のアクラス(鷲)からきております。プリスキラはラテン語のプリスカ(古代の)から来ています。プリスカが正式名称、プリスキラが愛称だったようです。

・婦唱夫随:
この二人がいつも一緒に言及されていることから、仲の良い夫婦であったこと、奥さんの名前が先に出てくることが多いことから、「婦唱夫随」のカップルのようでした。プリスカの優位はローマ名が示すように、立場としても奥さんが先だったのかも知れません、
 
2.ローマでの滞在と追放(〜49年)
 
 
・ローマでの滞在:
何らかの事情でアクラ夫妻はポントからローマに移り、滞在していました。天幕作りを業としていましたから、生活の問題はなかったのでしょう。また、この時クリスチャンになったのか、その前からかは分かりませんが、ローマに誕生していた教会の交わりの中にあったようです。

・クラウデオ皇帝による追放:
AD49年、クラウデオ皇帝は、ユダヤ人の中に起きた騒ぎを鎮めるために、ユダヤ人をローマから追放しました。
 
3.コリントにおけるパウロとの共労(50〜51年)
 
 
・パウロとの出会い:
ローマを追放されたアクラ夫妻は、取るものも取り敢えずコリントに引っ越してきました。そこで、伝道のためにアテネからやってきたパウロと知り合います。彼らは天幕作りという同業のよしみで意気投合します。パウロに宿を提供し、一緒に仕事をしながら、福音を宣べ伝えるようになりました。

・危険に曝されたパウロを命がけで守る:
コリントにおける開拓伝道で、パウロはユダヤ人の迫害に遭って命の危険に曝されます。この時アクラ夫妻が体を張ってパウロを助けました。ローマ16:4で「命がけでパウロを守った」と記されているのは、コリントでの出来事を回顧してのことと思われます。
 
4.エペソへの同行と滞在(51〜55年)(地図を再度参照)
 
 
・途中までパウロと同行、エペソに残る:
パウロがコリントにおける教会の基礎作りを終えて、パレスチナへの帰途に就いたとき、「同労者」であるアクラ夫妻もパウロに随行しました。しかし、パウロは、何らかの理由で、アクラ夫妻をエペソに残し、パウロたちはパレスチナへ向かいます。

・アポロを深い霊的経験に導く:
アクラ夫妻は、エペソにやって来た新米の伝道者アポロの説教に耳を傾けながら、その足らない点を非常な知恵を用いながら指摘し、伝道者を助けます。有能ではあったが、致命的な弱点をもっていたアポロに対して、彼のプライドを傷つけないよう注意にしながら、より高い(聖霊に満たされるという)霊的経験に導いたのです。その霊的洞察力、知恵、謙遜のスピリットを教えられます。

・家庭集会を開く:
アクラ夫妻は、家庭を開放して集会を開きました。その奉仕は大きな影響をエペソだけでなく、アジヤ諸教会に与えました。そのことは、55年にパウロがエペソからコリントに宛てた手紙の挨拶部分にも明らかです。「アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。」(1コリント16:19)
 
5.ローマへ戻って滞在(56年〜)
 
 
・ローマに戻る:
かつてアクラ夫妻をローマから追放したクラウデオ皇帝は、54年に死んで、ネロ皇帝に代わっていました。そのこともあったのでしょう。アクラ夫妻はローマに戻りました。

・ローマ書で賞賛される:
パウロが56年、コリントからローマに送った手紙の最後に、アクラ夫妻への挨拶が記されています。「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。」(ローマ16:3−4)
 
6.エペソに再度戻った(67年ごろ)(地図を再度参照)
 
 
・エペソに戻る:
事情は分かりませんが、アクラ夫妻は、この後、再びエペソに戻りました。エペソに任命されていたテモテを助けるためだったと思われます。

・パウロから最期の挨拶を受ける:
パウロの最後の手紙は、67年ごろローマの獄中からエペソにいたテモテ宛に書かれました。そこにアクラ夫妻が登場します。「プリスカとアクラによろしく。」(2テモテ4:19)と。

このように、パウロの第二伝道旅行(51年頃)からその殉教(67年)まで、長い間、パウロに対して陰日向のようについてきたのがアクラ夫妻でした。彼等の職業柄、自由に移動して、パウロの働きを間接的に助けたようです。行くところどこででも証しをしました。良き職業人としての活躍、伝道者への助け、国際的視野はパウロの伝道に大きな貢献を致しました。
 
B.アクラ夫妻の評価
 
 
このようなアクラ夫妻に対するコメントが凝縮されているのが、ローマ16: 3−5です。ここでアクラ夫妻について大切なポイントを5つ拾います。
 
1.パウロと同じ心で働く(3節)
 
 
テントメーカーとして生活を共にしただけではなく、福音を広めるために働きました。彼らは表立って伝道者・牧師・宣教師というタイトルは持ちませんでした。しかし、宣教師であるパウロと同じ心をもって伝道をした「信徒伝道者」でした。牧師・伝道師として召されている者達と同じ心をもって「同労者」として労しておられる兄弟姉妹は幸いなるかなです。
 
2.命がけでパウロを守る(4節)
 
 
彼らは「自分のいのちの危険を冒して(=文字通りには、自分の首を<斧の下に>置いてまでして)」パウロのいのちを守りました。これは、エペソで迫害に遭って命の危険に曝されたパウロを助けるために、アクラ夫妻が自分達の体を張って守ったことが、その背景であると思われます。他人を救うために自分の首を差し出す、というのは実に勇気ある行動です。私達は、誰かのために身を挺するという捨て身の愛をもっているでしょうか。
 
3.全異邦人教会に感謝される(16:4)
 
 
パウロは、アクラ夫妻が「異邦人のすべての教会に感謝される」存在であると誉めています。ワールド・トラベラーとして、教会という教会に顔を出し、その信徒達を励ました、素晴らしい信徒伝道者だったことが分かります。ユダヤ人でありながら、非常な国際感覚と広い心、深い福音的理解を持っていました。国内・国外を含め、私達の多くは正にワールド・トラベラーになっています。それは会社のためでありましょうが、会社の仕事の傍ら、その地のキリスト者たちと交わり、その地にいる求道者に福音を伝える奉仕を全うしたいものです。この21世紀、プリ・クラのような世界を股にかけた信徒方の証の分野は非常に大きな物であると思います。
 
4.家庭を挙げて主に仕える(5節)
 
 
「家の教会」とは、何という素晴らしい証しでしょうか。家庭が収まらないで、他に対して証しはできません。彼らがいつでも家庭を開放して集会所としたことで、家庭も祝され、証しも祝されました。
 
5.伝道者を導く(使徒18:26)
 
 
エペソにおける伝道者アポロに対するアクラ夫妻の奉仕の在り方を、もう一度振り返りましょう。アクラ夫妻は、新米の伝道者アポロの説教に耳を傾けながら、その足らない点を知恵を用いながら指摘し、伝道者を助けます。有能ではあったが、致命的な弱点をもっていたアポロに対して、彼のプライドを傷つけないよう注意にしながら、より高い(聖霊に満たされるという)霊的経験に導いたのです。その霊的洞察力、知恵、謙遜のスピリットを教えられます。
 
終わりに:私たちも現代のアクラ夫妻になろう!
 
 
締め括りに、アクラ夫妻が偉大な伝道者パウロから「同労者」と呼ばれた光栄を考えましょう。今朝礼拝に集った私たちがみな、献身的な器から「同労者」と呼ばれる信頼を勝ち得たならば、どんなに光栄でしょうか。私たちも、現代のアクラ夫妻となりましょう。聖霊に満たされた信徒の果たしうる大きな役割、その霊的洞察力、その秘訣ともなった家庭生活のありかた、職業と奉仕との兼ね合いなどなど、アクラの生涯は私達に大きな示唆と挑戦を与えてくれます。

アクラ夫妻の生き方をもう一度私達にあてはめて考えることも大切ではないでしょうか。
 
お祈りを致します。