礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年7月5日
 
「水を注いだアポロ」
使徒の働き連講(55)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 18章18節-19章2節、コリント人への手紙 第一 3章4-7節
 
 
[中心聖句]
 
  6   私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
(第1コリント 3章6節)


 
聖書テキスト
 
 
(使徒)
18:18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。
19:1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
(第1コリント)
3:4 ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたはただの人たちではありませんか5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
 
はじめに
 
 
・(前回)パウロの同労者となったアクラ夫妻:
前回はパウロの同労者として活躍したアクラ夫妻に焦点を当てました。特に彼らがパウロの危機の時に、命を賭けて彼を守った献身的姿勢に学びました。

・(今回)教会を堅立したアポロ:
今日は、パウロの同労者でありつつも、働きの面ではパウロとすれ違うことの多かったアポロに焦点を当てます。アポロは、パウロと違った賜物を持ちながら教会の堅立のために貢献しました。
 
A.パウロの伝道旅行(第二次の終了と第三次の開始)
 
1.コリント伝道とその締め括り
 
 
・力強い宣教と教会の堅立:
パウロがコリント伝道を初めた頃多くの反対に遭って落ち込んでいた時、復活の主が顕われて励ましを与えられました。それに力を得てパウロは1年半(50〜51年)留まり、良き成果を得ました。

・ユダヤ人による迫害:
ユダヤ人の反対はずっと続き、パウロをアカヤ州総督ガリオに訴えるという事件が起きましたが、総督の常識的態度で大きな問題とはならずに収まりました。
 
2.パレスチナへの帰還(51年)
 
 
・コリントからエペソへ:
コリントの働きが一段落したところで、伝道旅行(第二次)の出発地であるパレスチナに戻ろうと海路で帰途に着きます。その途中、パウロはアジヤの州都であるエペソに立ち寄ります(地図参照)。パウロは、エペソに留まって伝道するように依頼をされるのですが、道を急いでいるので次の機会を約束してエペソを出発します。

・アクラ夫妻を残す:
そのエペソに、途中まで同道していたアクラ夫妻を残します。これは知恵ある計らいで、次の機会(つまり、第三次伝道旅行)のための道備えであると考えられます。更に、アクラ夫妻の滞在が、アポロとの出会いを齎した訳ですから、主の御計らいは絶妙と言えます。

・エルサレムからアンテオケへ:
パウロは、エペソから海路カイザリヤに上陸、エルサレムに上り、教会の人々に挨拶を致します。そして、彼をサポートした本拠地であるアンテオケに戻り、報告と交わりの時を持ちます。
 
3.第三次伝道旅行への出発
 
 
・アンテオケを出立:
アンテオケでひと呼吸をした後、パウロ第三次伝道旅行に向かいます(52年)。今度は陸路を選び、第一次伝道旅行の時に伝道したガラテヤ、フルギヤを再訪問し、教会を固めます。

・エペソでの伝道:
この旅行の主な目的地であるエペソでは約三年滞在し、伝道します。ここでもアポロの働きとの関連が生まれます。アポロはパウロが来る前にエペソに居ましたので、パウロがその後を引き継いだ形となります。
 
B.アポロの足跡と奉仕(@エペソ、コリント)
 
 
さて、今日の中心人物アポロに焦点を当てましょう。
 
1.アレキサンドリヤ生まれ
 
 
・アポロという名前:
彼はユダヤ人ですが、アポロというのはギリシャ名です。ギリシャの主神ゼウスの息子で、光、知恵、美の神と崇められていました。近代では人類初の月面着陸を成功した「アポロ計画」として有名です。

・アレキサンドリヤ:
アポロはアレキサンドリヤ出身であると記されています。アレキサンドリヤは、有名なクレオパトラがいたエジプトの都であり、超近代的な国際都市でした。ローマ帝国では、ローマ、アンテオケに並ぶ三大都市の一つで、政治・文化・商業の中心でした。アレキサンドリヤは、世界最大の図書館があった事、ユダヤ人も多く居て聖書のギリシャ語訳聖書が作られた事、著名なユダヤ教学者フィロがいた事で知られていました。

・アポロの信仰と訓練:
このような大都市で育ったアポロが、最高のユダヤ教教育と一般教養を持っていた事は容易に想像できます。アポロがどんないきさつでクリスチャンになったかは記されていませんが、ペンテコステの時に、エジプトからも巡礼者がいた事(使徒2:10)から、早くからキリスト教会が設立されていたことが分かります。アポロは、豊かな聖書知識、そして、イエスがキリストであるという福音の知識をもち、更に雄弁家でもあったので、説教者としても光っていたものと思われます。
 
2.エペソへの来訪
 
 
・パウロ出立の後に到着:
そのアポロが活躍の場を求めてやってきたのが、小アジヤの州都エペソでした。彼が到着した時(51年)には、第二次伝道旅行を終えてエペソの立ち寄ったパウロが出立した直後でした(地図参照)。

・アクラ夫妻との出会いと助け:
ユダヤ教のラビでもあるアポロは、会堂に自由に出入りし、ナザレのイエスが聖書に預言されていたメシヤであることを力強く説教いたしました。ただ、今一つ霊的経験の深みに欠けていた恨みがありました。それは「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」という点です(18:25)。主イエスのことを知らなかったわけではありません。「イエスのことを正確に語り、教えていたから」(18:24)です。足らなかったのは、聖霊によるバプテスマ、つまり、聖霊に満たされるという個人的経験です。それを見抜いたアクラ夫妻は、アポロを自宅に招き、謙遜な態度で、しかしはっきりと「神の道をもっと正確に」(18:26)アポロに説明しました。アポロは遜ってアクラ夫妻の助言を受け入れました。これが素晴らしいですね。「私は教師であり、あなたたちは信徒ではないか。何を生意気言うか。」などとはねつけないで、自分の足らなさを素直に認め、明け渡して聖霊に満たされました。有名なD.L.ムーデーの伝記にも似たような記述があります。既に伝道者として広く用いられていたムーデーでしたが、ある二人の老婦人が彼の霊的な欠けを感じ、彼のために祈り続けていました。その祈りによってムーデーは聖霊に満たされ、更に広く用いられるようになりました。
 
3.コリントでの奉仕
 
 
・コリント教会の堅立に貢献:
アポロはエペソには長く留まらず、アカヤ(その州都であるコリント)に行きたいと願いを表します。アクラ夫妻を含むエペソの信徒たちは彼の願いを励まし、コリント教会への推薦状まで書いて彼をコリントに送り出します(18:27a)。コリントに着いたアポロは、恵みによって既に信者となっていた人々を励まします(18:27b)。更に、ユダヤ人会堂に入り、(未だキリストを信じていないユダヤ人も含めた聴衆に)聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したのです(18:28)。素晴らしいことです。この働きは51〜54年頃のことと考えられます。

・教会の成長を助ける:
パウロは、遠くからアポロの奉仕の事を聞いて主を讃美します。と同時に、コリント教会の中に「アポロ派」という派閥が生じ、教会の創立者であるパウロに忠実であろうとする「パウロ派」と対抗しているというニュースに心を痛めます。その派閥闘争を戒めたのが第一コリント書です。アポロはアポロの良さがあり、パウロはパウロの良さがあり、大人のクリスチャンだったら、その双方の良さを弁えて汲み取るものです。ただ、人間臭いクリスチャンの中には、二人の違いを対立と見、政治闘争の言い訳にしてしまう人もいます。ですからパウロは言うのです。「ある人が、『私はパウロにつく。』と言えば、別の人は、『私はアポロに。』と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」(3:4−7)と。「植える」とは開拓的な福音伝達、「水を注ぐ」とは霊的成長のための教育的奉仕を示します。この二つが相俟って教会は成長します。しかし、大切な要素は人間的な働きではなく、神ご自身の主導権であるとパウロは言います。
 
4.その後
 
 
・エペソに戻り、留まる:
今読みました1コリント書は、55年に、パウロがエペソからコリントに宛てて書いた手紙なのですが、その頃までには、アポロはコリントからエペソに戻っていました。パウロはアポロにもう一度コリントに行くように促すのですが、彼はその頷きを感じず、エペソに留まったようです(1コリント16:12)。

・クレタ島での奉仕:
その後アポロは、テトスのいるクレタ島に行き、次の旅への準備をしていたと記されています(テトス3:13)。もしかしたら、テトス書を携えたのがアポロだったかも知れません。これは63年頃です。

・その後の奉仕:
新約聖書は、その後のアポロの消息を記していません。しかし、多くの聖書学者が、へブル書の記者としてアポロの名前を挙げていますので、それもあり得ることと私は考えます。
 
C.アポロの人柄
 
1.熱心な勉強家
 
 
24節に「雄弁な」と形容されており、その脚注には「(別訳で)学識がある」と記されています。原語はロギオス(言葉の多い人=沢山学んだ人、沢山しゃべる人)です。同じ節に「聖書に通じていた」とも記されています。聖書を読むことが好きで、聖書の虫のような人だったのでしょう。み言葉を愛するというのは素晴らしいことです。
 
2.熱心な説教者
 
 
25節には「霊に燃えて」(ゼオーン)と記されています。この時は聖霊に満たされてはいなかったと思いますが、それでも、熱心に神の言葉を語る説教者でありました。26節には、「大胆に」とも記されています。28節には「力強く・・・論破した」とも書いてあります。彼が話し始めると、反対者も黙ってしまうほど、説得力があったのでしょう。
 
3.熱心な教育者
 
 
24節には「正確に語り、また教えていた」と記されています。彼の知識は、バプテスマのヨハネに限定されていましたが、それでも、その知識を「正確に」、つまり分かり易く語りました。アポロは、アクラ夫妻に「神の道をもっと正確に」教えられました(26節)ので、それまで以上に「正確に」教えました。実は、それが第一コリント書で「アポロは水を注いだ」という奉仕の内容だったのです。パウロは創立者として、種を植え(福音を宣べ伝え)ました。その種を育てたのがアポロでした。パウロもアポロも、性格が違い、特徴点も違い、奉仕の形態も違いました。でも、その方向性は一つ、つまり、神の教会の建て上げだったのです。そして、もっと大切なことは、神は異なるタイプの奉仕者を上手に配置して、ご自分の教会を建て上げなさったということです。
 
4.謙虚な求道者
 
 
アポロを外側から見ると、「自信に満ちた若手伝道者」という印象を持ちます。先輩のパウロに対しても、その指示通りには従わなかったケースもありました。しかし、アクラ夫妻が霊的な欠陥を指摘された時には、素直に、謙虚にそれを受け入れ、更に深い霊的経験を自分のものとしました。つまり、謙虚な求道者としてのスピリットを絶えず持っていたのです。
 
おわりに
 
 
・教会の建て上げのために、私ができる仕事は何かを考えよう:
神は色々な器を通して教会を建て上げなさいます。それぞれ個性が違い、役割が違います。パウロのように種を蒔く奉仕もあり、アポロのように水を注ぐ奉仕もあります。或いは、もっと目立たない、除草などという奉仕もあるかも知れません。トマトだったら、支柱を立てるとか、脇芽を摘むとかいう地味な奉仕も必要です。神は私にどんな賜物と奉仕の場を備えてくださるかを考え、そこに私の実を当てはめましょう。

・育て給う神の主導権を信じ、委ねよう:
私の奉仕が神の教会の成長の大きな要因ではなく、神が主導権を持って私たちを用い、そして、神がご自分の教会を育てなさるのです。その神の御力と恵みに委ねましょう。

 
お祈りを致します。