礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年7月12日
 
「主の言葉が驚くほど広まる」
使徒の働き連講(56)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 19章1-20節
 
 
[中心聖句]
 
  20   こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。
(使徒の働き 19章20節)


 
聖書テキスト
 
 
1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。7 その人々は、みなで十二人ほどであった。
8 それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。
11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。18 そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。
19 また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。
 
はじめに
 
 
・(前回)教会を堅立したアポロ:
今日は、パウロの同労者アポロに焦点を当てました。アポロは、パウロと違った賜物を持ちながら教会の堅立のために貢献しました。一見、アポロは「切れ者で自信に満ちた若手伝道者」という印象を与えますが、彼は霊的な欠陥を指摘された時、素直に、謙虚にそれを受け入れ、更に深い霊的経験を自分のものとしました。つまり、謙虚な求道者としてのスピリットを絶えず持っていたのです。

・(今回)パウロのエペソ伝道(地図参照):
今日は、アポロとすれ違いのようにしてエペソにやってきたパウロに焦点を当てます。52年、第三次伝道旅行のためにアンテオケを出発したパウロは陸路、ガラテヤ、フルギヤ経て、旅行の主目的地であるエペソに着きます(地図参照)。ここで約三年滞在し、教会を建設します。

 
1.聖霊を受けた12人(1-7節)
 
 
1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。7 その人々は、みなで十二人ほどであった。
 
・エペソという町:
港湾都市でアジヤの州都、アルテミス崇拝(写真参照)=(現在の)トルコ半島西側でエーゲ海に面する港湾都市エペソは、古代からアジヤの中心として繁栄した町でした。エペソは、アルテミス崇拝で知られていました。アルテミスとは沢山の乳房を持った母神のことで、壮麗なアルテミス神殿は、金銀を惜しみなく使ったアルテミス像の故に世界の七不思議の一つに数えられるほどでした(写真参照)。さらに、魔術師が数多く活躍している怪しげな宗教のるつぼでした。紀元前2世紀にローマの支配下に入り、アジヤ州の州都となりました。また、巨大な図書館と5万人を収容できる劇場を備えた近代的都市としても知られていました。パウロが、このエペソをアジヤ宣教の拠点に据えようと考えたのもなるほどと頷けます。

・幾人かの弟子の存在:
さて、エペソに着いたパウロは、既に信仰を持っていた幾人かの人々に出会いました。彼らは、ヨハネまたはヨハネの弟子からバプテスマを受けた人々でした。彼らは「聖霊のあることすら知らなかった」のです。ヨハネが強調した悔い改めのバプテスマは受けてはいたものの、ヨハネが「聖霊によってバプテスマを授ける方」として指差したイエス・キリストについては不完全な知識しか持っていなかったようです。特に、ペンテコステにおける聖霊の到来については全く知らなかったことでしょう。

・聖霊を受けた:
いずれにせよ、この人々は、パウロから、キリストの成し遂げた贖いの業についての福音を聞き、それを理解し、「イエスの名による」バプテスマを受けました。その時彼らは聖霊に満たされ、「異言を語り、預言し」ました。彼らの語った異言というものが、恍惚境になっての祈りか、外国語による説教かは聖書学者の意見の分かれるところです。この現象を最初のペンテコステとの類似として捉えると、私は後者ではないかと考えます。人種の坩堝であるエペソにおいて、異なる言葉での説教は重要な意味を持っていました。つまり、エペソが世界宣教のセンターとなるという象徴的な意味を持っていました。同様に、この場合の「預言」も、説教の賜物の賦与であったと思われます。この12人がエペソ教会の中核となりました。
 
2.ツラノの講堂での伝道(8-10節)
 
 
8 それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。
 
・ユダヤ人会堂での説教:
エペソには、他の大都市同様、ユダヤ人が多く在住していました。第二次伝道旅行でエペソに立ち寄った際に会堂で説教しましたが、その時ユダヤ人たちはもっと聞きたい、とパウロを引き止めようとしました。しかし、道を急ぐパウロは、次の機会を約束してさよならしました(18:19−20)。その約束を念頭に起きつつ、パウロは会堂で説教することから伝道を始めました。そこでの論点は、神の国、具体的には、主イエスの死と復活に関することでした。

・ユダヤ人の反対運動:
パウロはそこで3か月、つまり、12回余りの安息日を用いて説教いたしました。パウロも最初から反対に遭ったわけではありません。始めから反対だったとしたら、12回も連続説教は出来なかったことでしょう。しかし、回数が進むにしたがって、パウロの福音を受け入れるユダヤ人もあり、反対に、パウロの福音に耳を傾けながらも納得せず、公然と反対するようになったユダヤ人もおりました。彼らは、冒涜的な言葉でパウロを罵るようになったので、パウロは、彼らとの論争を継続することを好まず、他の道を選びました。それが「彼らから身を引き」という記事のニュアンスです。

・ツラノ講堂での説教:
他の道というのがツラノ講堂での説教です。ツラノという哲学者が、自分の教室として持っていたものと思われます。ある資料によると、彼は午前11時に講義を終えていました。パウロは午前11時から午後4時までそこを借用しました。恐らく、パウロは午前中、天幕作りに専念し、午後から説教を行ったものでしょう。通常、この地方では、この時間帯、皆昼寝をすることになっていました。パウロは、人々が昼寝をする時間を説教に用いました。またそれを聞きに来る人々も昼寝を返上して神の言葉に耳を傾けました。このような継続的な、落ち着いた伝道が二年間毎日行われたというのは、驚くべきことです。約一年後、パウロがエペソに戻り、その時の伝道の様子を振り返ってこう言っています、「皆さんは、私がアジヤ(つまりエペソ)に足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。・・・ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」(20:18−21、31)と。私は、昼寝を返上しての伝道という註解を見て、特にこの「夜も昼も」と言ったパウロの言葉の現実味を実感しました。

・アジヤ中の人が福音を聞く:
この継続的伝道の結果、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた、とルカは解説しています。驚くべきことです。「アジヤ中の人が福音を聞く」ことについて、具体的な絵を描いてみましょう。アジヤ州の住民は、州都であるエペソを訪れることが多かったと思われます。その時に、「今評判になっている」パウロの講義を聞いて見ようと立ち寄った人々も多かったことでしょう。またそれ以上に、パウロの講義を聞いた人々が、その言葉を自分の町々村々に戻って伝える人も多かったと思われます。また、パウロの弟子が分担して、アジヤ州の町々村々に伝道を行い、教会を建てたと思われます。その好例がコロサイ教会です。パウロ自身コロサイに訪問したことはなかったのですが、エパフラスという弟子がエペソ周辺のコロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスという町々を巡って、パウロの話を伝え、教会を建てました(コロサイ1:7―8,2:1、4:12―13)。(再び地図参照)黙示録の7つの教会もこの時生まれたと思われます。福音が、エペソを中心にアジヤ全体に広まったというのは、単なる大げさな表現ではなく、事実だったのです。
 
3.スケワの息子たちの悪戯(11-18節)
 
 
11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。13 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。14 そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。15 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。16 そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。17 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。18 そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。
 
・多くの癒し:
パウロは、病気の人々に手を置いて祈り、癒しました。さらに、パウロが身に着けていた手拭さえも、魔術的な影響を受けていたエペソ人からは神の力が宿るものと考えられていました。実際それによって癒される人々も起きました。

・スケワの息子たちの悪戯:
祭司長の子どもたちで、パウロの真似事をしようとした7人の悪戯者が、悪霊に憑かれた者に対して、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と悪霊追い出しを試みました。しかし結果は散々でした。しかし、それはパウロの伝道を補強する結果を生みました。ウエスレーは、「悪魔の悪意までも福音の進展に協力した」とコメントしています。驚くべきことです。

・多くの人々の告白:
さらに、「信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。」この告白者たちは、既に信仰に入った者たちです。彼らが、より一層の恵みを求め、自分たちが行っていた魔術的な行為を捨てる決意をしました。それが「さらけ出すような告白を行った」(文字通りには、「公に告白し、頭の先からつま先までを露わにした」)背景と考えられます。神の言葉が人々の心の奥に届き、それが自発的な悔い改めとなって行ったのです。
 
4.魔術者たちの回心(19-20節)
 
 
19 また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。20 こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。
 
・魔術師たちの回心:
彼らは、単に主イエスを信じる決心をしただけではなく、魔術教典を焼き捨てました。この動詞は未完了形で、文字通りには、次々と焼き捨てつづけた、という画です。その価格は銀貨五万枚(今日の価値で言うと百万円は下らない)でした。

・伝道の進展:
使徒の働きの記者ルカは、ここでパウロの伝道を総括し、「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」と締めくくりました。この文章をそのままの形で訳すと、「このようにして、力をもって、他ならぬ主の言葉が、広まり、成長して行った」となります。広がったのは「主の言葉」なのです。パウロの名声でもなく、パウロのカリスマでもなく、その奇跡の力でもありません。それらは福音の進展に用いられたかもしれないが、飽くまでも副次的なものでした。広がったのは、主のみ言葉です。主のみ言葉には力があり、人と社会を動かすエネルギーがあります。
 
おわりに:主の言葉の力を認識しよう
 
 
私たちも主の言葉の力を信じ、御言葉に聴き、御言葉を伝えるものとなりたいと思います。
 
お祈りを致します。