礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年7月19日
 
「壮大な宣教ビジョン」
使徒の働き連講(57)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 19章21-41節
 
 
[中心聖句]
 
  21   私はそこ(エルサレム)に行ってから、ローマも見なければならない。
(使徒の働き 19章21節)


 
聖書テキスト
 
 
21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。
29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ。30 パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。31 アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。32 ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。33 ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。34 しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。
35 町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。36 これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。37 皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。38 それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。39 もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。40 きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」41 こう言って、その集まりを解散させた。
 
前回のテーマ:パウロのエペソ伝道(地図@参照)
 
 
パウロは、第三次伝道旅行のためにアンテオケを出発し(52年)、陸路ガラテヤ、フルギヤへて、旅行の主目的地であるエペソに着きます(地図@参照)。ここに約三年滞在し、伝道を行います。ルカは、「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」(19:20)と締め括ります。

 
A.パウロの計画(21−22節)
 
 
21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
 
・御霊の示し:
人間的計画ではなく、祈りと熟慮の後に=エペソ伝道と教会設立の働きが一段落した所で、パウロは次の計画に向かって進みます。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。」と記されている通りです。「御霊の示しにより」との言葉が意味深いものです。小さな頭で考えた計画ではなく、祈っては考え、考えては祈りの繰り返しから導かれた計画です。

・マケドニヤ(ピリピ、テサロニケ)とアカヤ(コリント)を再訪して強化:
パウロの計画はエペソからすぐ(エルサレム、アンテオケに向かって)東に行くのではなく、一旦西を回って行くことでした。マケドニヤとは、当然ピリピ、テサロニケという第二次伝道旅行で開拓した諸教会を含んでいましたし、アカヤも同様アテネ、コリントなどの新興教会を含んでいました。特に、コリントは、成長しながらもたくさんの問題を抱えていましたから、いつ、どのように訪問するかは微妙な課題でした。それらの事情は第二コリント書に詳しく記されています。

・エルサレムへの帰還:
支援献金のため=これも単なる帰国報告ではなく、パウロが開拓した諸教会から、母教会であるエルサレム教会への支援献金を届けるという大きな目的を持ったもので、パウロはこの帰還をとても重視していました。この献金は、@貧しい人々を助ける(エルサレム教会にいる貧しい人々を助ける)という実際的目的だけではなく、A異邦人教会の感謝を表すためでした。エルサレム教会から始まった福音の働きが、全世界の異邦人への祝福となったことを目に見える形で示そうという深い目的を持ったものだったのです。さらに、Bユダヤ人信徒・異邦人信徒の一致の証しのためでもありました。ですから、この献金を届けるために宅急便ではなく、パウロ自身が行かねばならぬと考えたのです。

・次の目標はローマ:
「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と計画を述べます。「そこ」というのはエルサレムのことです。パウロは第一から第三までの伝道旅行をワンセットと考え、それを終えることを一区切りとして、次の目標をローマと定めました。これについては、後述します。

・テモテとエラストの派遣:
パウロは、直近の計画であるマケドニヤとアカヤ訪問の先遣隊としてテモテとエラストを派遣することにしました。特にテモテは、大きな問題を抱えていたコリント教会にその過ちを認めさせ、正しい方向に導くという大きな使命を持っていました(1コリント4:17、16:10,11)。
 
B.デメテリオ騒動(23−41節)
 
1.発端(23−28節)
 
 
23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。
 
・銀細工人の親方デメテリオが「営業妨害」に抗議(神殿の遺跡写真、アルテミス像写真):
パウロが、エペソの滞在を終えて次なるステップに踏み出そうというその時、それを促すかのような事件が起きました。それがデメテリオ騒動です。デメテリオは、銀細工人の親方で、エペソをエペソたらしめているアルテミス神殿に直結したお土産屋さんの総取締のような立場の人です。アルテミス神殿の遺跡の写真はご覧の通りで、立派な時には、世界七不思議の一つといわれるほどでした。神殿にはアルテミスの大きな像が祀られていたのですが、その模型を作って参詣者に売るという商売をしていたのがデメテリオだったのです。その商売が成り立たないほどの伝道成果だったというのですから、パウロの伝道も素晴らしいものでした。

・アジ演説で騒動が始まる:
さて、デメテリオは、銀細工人仲間を呼び集めてアジ演説を行います。詳細は省略しますが、人々の憎悪を掻き立てるいわゆるヘイトスピーチでした。
 
2.発展(29−34節)
 
 
29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ。30 パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。31 アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。32 ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。33 ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。34 しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。
 
・劇場での大集会と混乱:
銀細工人組合の集まりが町中の騒ぎとなり、パウロの弟子二人を捕まえて劇場になだれ込みます。その劇場というのは、収容人数5万人(一説では2万5千人)と言いますから、国立競技場位の大規模なものです。因みに、パウロ自身もその中に入って弁明しようとしますが、弟子たちに止められます。集会は混乱状態に陥り、「大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。」程でした。この辺のルカの記事には、ユーモアのセンスも汲み取れます。

・アレキサンデルの努力も虚しく:
この騒ぎを鎮めようと、ユダヤ人アレキサンデルが発言を求めます。彼はユダヤ人として、アルテミス礼拝には組しないものの、パウロたちの考えとは違うことを強調して、この騒動が反ユダヤ人暴動とならないように弁明しようとします。しかし、ギリシャ人から見れば、ユダヤ人もクリスチャンと同類でしたので、見事拒絶されます。この騒ぎが二時間余り続いたというのですから、恐ろしいものです。
 
3.鎮静(35−41節)
 
 
35 町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。36 これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。37 皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。38 それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。39 もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。40 きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」41 こう言って、その集まりを解散させた。
 
・書記役の賢い発言:
この騒ぎを鎮めたのは、町の書記役です。彼は、アルテミスに対して大きな敬意を払う発言で、群衆をなだめます。同時に、デメテリオとその仲間に対しては、騒動という形でなく、正規の手続きで問題を訴えるように勧めます。誠に中立的な賢い発言です。

・集会の解散:
さらに、書記役は、無秩序な騒動は騒擾罪にあたることをもって群衆を脅し、集会を解散させます。実に賢い男です。
 
C.パウロの壮大な計画とビジョン(地図A参照)
 
 
さて、先ほどのローマ行きのビジョンに話を戻します。

・三回の伝道旅行の総括:
働くべき所がなくなった=地図Aをご覧ください。第一次では(今日のトルコ)ガラテヤ地方に幾つかの教会を建設しました。第二次では(今日のギリシャ)マケドニヤでピリピ、テサロニケ教会を、アカヤではコリント教会を建設しました。第三次では小アジヤの中心地エペソ教会を建設し、その周辺都市にも福音を満たしました。第三次伝道旅行の最中、コリントにおいて記されたローマ書でパウロは「私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。・・・今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりました。」(ローマ15:19、23)と言えるほど、一種の達成感を持っていました。

・ローマ行き願望:
この達成感に立って、パウロは、次の目標としてローマ行きを示します。「私はそこ(エルサレム)に行ってから、ローマも見なければならない。」勿論、ローマ観光のことを言っているではありません。帝国の首都であるローマで福音を伝えることを目指してのローマ行きです。その目的は、@霊的賜物を分け与えるためでした。ローマには既にクリスチャンたちが少なからず存在し、教会も成長を始めていました。しかし、パウロは、彼に与えられた霊的な賜物を分け与えるために訪問したかったのです。また、A互いの交わりのためでもありました。ローマ書にこう記されています。「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。・・・私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」(ローマ1:11−13)更に、B世界の中心で福音の力を実証するためでもありました。世界の中心であるローマでこそ、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(1:16)というパウロの信念を実証する場所であったからです。ローマこそ、全世界への宣教の中心となるべきでした。

・スペインへのビジョン:
しかし、パウロのビジョンは、ローマで終わりません。その先を見通していました。それはスペインです。ローマ書の中でパウロは、「今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。――」(15:23−24)パウロの壮大なビジョンに従えば、ローマ行きでさえも、その先のスペイン伝道への通過地点に過ぎなかったことが分かります。何故スペインなのでしょう?@「地の果て」まで福音を伝えたかったからです。当時スペインは、西の果てと考えられていました。「地の果てまでも私の証人となる」と主イエスが言われた宣教の命令を文字通り果たすために、パウロは西の果てであるスペインに伝道したかったのです。更に、Aローマ文明開拓地から福音を広めたいからです。スペインこそは、ローマ文明が一番早く届いた地域でしたから、パウロはローマ世界全土に福音を広める重要拠点としてスペインを見ていたのです。何という壮大な宣教ビジョンでしょうか。

・ビジョンの実現:
このパウロの宣教ビジョンは実現したでしょうか?残念ながら、彼が願った通りのタイムテーブルでは実現しませんでした。しかし、思いもよらぬ方法で実現しました。というのは、パウロはこの後エルサレムで捕縛され、カイザリヤで二年間拘留されてしまったのです。その後、パウロがローマ皇帝に上告したために、ローマ行きが実現しました。しかも、旅費はゼロでした。ローマ帝国政府が負担してくれたのです。ここにも神さまのユーモアを感じます。ローマの先のスペインについて記録はありませんが、彼の刑死(67年頃)の前に実現したものと思われます。
 
おわりに:私たちのビジョンは何でしょうか
 
 
多分、一般クリスチャンには、パウロのような壮大なビジョンは持てないかも知れません。それはそれで良いのです。しかし、私たちの人生に計画を持ち給う主は、私たち一人々々に相応しい方向性を示してくださるお方です。私たちのビジョンは、ビジョンとは呼べないような小さなものであるかも知れないし、逆に大き過ぎて実現不可能に見えるものであるかも知れません。でも、それが主から与えられたビジョンであるならば、それを大切なものとして捉え、その実現に向かって祈り、進んで行きたいと思います。
 
お祈りを致します。