礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年8月2日
 
「悔い改めと信仰を主張」
使徒の働き連講(58)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 20章1-24節
 
 
[中心聖句]
 
  21   ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
(使徒の働き 20章21節)


 
聖書テキスト
 
 
1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、5 彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。6 種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。12 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。
13 さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。14 こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。
17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、 21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
 
前回のテーマ:「壮大な宣教ビジョン」(地図@参照)
 
 
パウロは、第三次伝道旅行の主目的地、エペソに約三年滞在し、エペソとその周辺の教会を建立いたします。働きを終え、次の計画に向かって進む言葉が19:21−22です。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。』と言った。」この地理関係を地図@で確認してください。先ず、エペソから先ず西のマケドニヤとギリシャ(アカヤ)を通って諸教会を励まします。それから東に向かってエルサレムを訪問し、諸教会からの救援献金を届けます。それを終えて、今度はまた西に向かい、ローマ帝国の心臓であるローマに福音を伝えます。それで終わらないで、西の果てであるスペインまで行きたい、というのがパウロのビジョンでした。壮大な夢です。

20章は、西行きの訪問とその後の東行きの旅の記事です。地名がたくさん出てきて、無味乾燥に見える場所です。でも、その旅路の一つ一つにパウロの深い思い入れがあるのです。
 
A.エペソ=マケドニヤ往復(1−16節)
 
 
1.マケドニヤ・ギリシャ訪問(1−6節)
 
 
1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。4 プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、5 彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。6 種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
 
・マケドニヤへの旅(地図A参照):
使徒の働き20:1では、単純にエペソからマケドニヤに行ったとだけ記されていますが、コリント教会の様子を確かめるためにトロアスとピリピで足踏みしたことが第二コリント書に詳しく記されています(1:16、2:13−14、7:5−6、地図A参照)。今日はその詳細には触れませんが、簡単な旅ではありませんでした。

・ギリシャでの滞在:
パウロはギリシャ(アカヤ)に南下し、コリントで3か月留まります。コリント教会を励ますこと、また、エルサレム支援献金を受け取ることが目的でした。更に、この期間にローマ人への手紙を書き送ったと考えられます。

・マケドニヤ経由シリヤへ:
さて、そこから海路シリヤに向かう積りでしたが、パウロの命を狙うユダヤ人の陰謀が分かりましたので、進路を変更し、陸路北のマケドニヤを経由することにします。パウロの同僚は海路を進み、トロアスで合流することにしました。それは、過越祭りの直後、AD56年4月頃でした。ここにパウロの同労者の名前がたくさん出て来ますが、この同行者たちは、それぞれの地域代表としてエルサレム支援基金を携えてエルサレムに向かった人々と考えられます。
 
2.トロアスでのエピソード(7−12節)ル
 
 
7 週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。8 私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。9 ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。10 パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。11 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。12 人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。
 
・夜中の集会:
トロアスで合流したパウロ同行団は、当地の信徒たちに歓迎されました。そして、「週の初めの日」つまり日曜日に、主の贖いを記念する聖餐式と愛餐を兼ねて、「パンを裂くため」に集まったのです。これは、初代教会のクリスチャンたちが、日曜日をキリスト復活記念日と憶えて、毎週集まっていたことを示す記録です。さて、その会場となった信徒の家は二階家でした。屋上は広いベランダのようになっていて、窓もあり、灯火もたくさん灯してあった、とルカはその様子をリアルに描写しています。集会の主人公は勿論パウロでした。マケドニヤ、ギリシャ訪問の恵みを証したものと思われます。

・ユテコの落下と癒し:
その集会の窓際に座っていたユテコという青年のエピソードが記されています。ユテコは奴隷だったのでしょう。集会に出てはいたものの、日中の労働の疲れが出て来て、ついうとうとしてしまい、遂には爆睡してしまいます。窓際に座っていたものですからコックリコックリの度が過ぎて、窓から内庭へ転落してしまいます。ドサッと言う音が地上から聞こえてきたものですから、集会どころではなく皆でユテコの所へ駆けつけます。ユテコの息がありません。医者でもあるルカが「抱き起こしてみると、もう死んでいた」と記していますから、気を失った程度ではなかったことでしょう。蒼くなっているところにパウロがやってきて彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、(人工呼吸を行ったのか、祈ったのか、或いは両方なのか分かりませんが)「心配することはない。まだいのちがあります。」と言ったのです。いずれにせよ、主が働いてくださいました。

・集会の再開:
パウロは、何事もなかったかのように、「また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した」のです。悠揚迫らぬ信仰者の一面を見る思いです。恐らく数時間経って「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた」のです。どの教会にも、「ユテコ・コーナー」という場所があるらしく、難しい説教の間中眠っている方がありますが、主は愛する者に眠りを与え給う方ですから、それも良いかなと思います。
 
3.ミレトに到着(13−16節)
 
 
13 さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。14 こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。15 そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。
 
・陸路と海路に別れてアソスに(地図A再度参照):
ここで、使徒の働きの特徴である「私たち」セクションが再開されます。記者のルカが一行に加わったことを示します。一行はトロアスから海路アソスに行き、パウロは(多分ユテコの無事を見届けてから)近道を陸路アソスに向かい、そこで合流します。地図Aを再度参照してください。

・ミテレネ→キヨス→サモス→ミレト:
そこから、ミテレネ、キヨス、サモスなどの湾岸の町々を経てミレトに着きます。ミレトは、エペソに次ぐアジヤ第二の町でした。暫くの滞在には好都合であったと思われます。

・エペソに寄港しない理由:
サモスとミレトの間には、大きな港湾都市のエペソがあるのですが、パウロは敢えてエペソを飛ばします。その理由は、@道を急いでいたことです。彼らは、5月半ばの五旬節までにエルサレムに着きたいと願っていました。ペンテコステには大勢のユダヤ人巡礼者がエルサレムに来ますから、その折に、異邦人諸教会からの献金を教会に届けることは、良いデモンストレーションとなる筈でした。A以前の騒動の再燃を避けることも理由の一つです。以前大きな騒動が起きた町でしたから、パウロが立ち寄ることで、寝た子を醒ます危険もありました。
 
B.ミレトでの告別説教(17−41節)
 
 
1.エペソ伝道の回顧(17−21節)
 
 
17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、 21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
 
・エペソ教会長老を招集:
ミレトとエペソの距離は、直線で50kmです。二日間くらいの旅でしょうか。パウロは、先ほど述べた理由でエペソには立ち寄らず、エペソの長老たちを招集する方法を選びました。この「告別説教」は、使徒の働きの中に記されている幾つかの説教と異なり、信徒向けの説教であるという点で特徴的です。また、パウロが自分の奉仕を振り返り、その実として救われた信徒たちに大切な教えを残しているという点でも大切な説教です。恐らく、その説教の要点はメモにしてルカに残したものと思われます。

・エペソでの伝道姿勢を証し:
パウロは先ず、エペソでの伝道姿勢を振り返ります。「私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。」と確信をもって語りました。
・謙遜の限りと涙:
彼は、「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えた」と告白します。自分のことを謙遜というのは傲慢ではないか、なんて批判しないでください。エペソでの3年間が、心血を注いだ伝道期間であったことを率直に述べているだけなのです。
・明確さ:
そして「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。」人々の役に立つことは、それが一時的に人々を躓かせる結果になったにせよ、ためらうことなく伝えました。
・公的説教と個人的教え:
「人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え」ました。ユダヤ人の会堂で3か月、残りの2年間はツラノの講堂で昼寝の時間を返上して公に講義を続けた事、家々を訪問して、じっくり人々と語りあったことを回顧します。

・福音の中心を強調:
パウロの宣べ伝えた福音は単純なものでした。「ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張した(=公に宣言する、充全に証言する)」ということです。
・神への悔い改め:
悔い改めとは方向転換のことです。悔い改め(メタノイア)という名詞には定冠詞が使われており、一般的な悔い改めではなく、はっきりと神に向かって方向転換する、ザ・リペンタンスとの意味です。神を畏れない今までの生き方を改め、神を畏れる人生に方向転換することです。放蕩息子が、父の家を離れ、自分勝手な生活をしていたその生き方を方向転換して、父の下に帰ろうと決意したあの方向転換です。これは、ユダヤ人にも必要なことでした。彼らは形の上では神を畏れて従っているように見せかけながら、その実質は、神の愛を拒み、それに逆らう生き方をしていたからです。ギリシャ人は、いわゆる自然神を拝む多神教的な行き方をしていましたから、その多神教を捨てて、唯一神に立ち返る必要がありました。そして多神教の許している規律無き不道徳な生活から足を洗う必要がありました。
・キリストへの信仰:
信仰とは、救い主イエス・キリストへの信仰です。信仰という名詞(ピスティス)にも定冠詞が懸かっています。一般的な信仰ではなく、キリストへの信仰を示す特別な信仰(ザ・フェイス)なのです。私たちの罪のために十字架にかかり、死んで甦り、今も生きて執成してくださるキリストへの個人的な単純な信仰のことです。これは、ユダヤ人・ギリシャ人を問わず、すべての人が持つべき信仰です。そして、人生を変えることができる力ある信仰です。「福音は、ユダヤ人を始めギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」(ローマ1:16)なのです。
 
2.来たるべき危険を覚悟(22−24節)
 
 
22 いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。23 ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24 けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
 
・エルサレムで待っている危険:
ここまで福音の核心を述べた後、パウロはこれからエルサレムに行くこと、そこで待っている危険について言及しますが、この部分と説教の後半については、次週にお話しします。
 
終わりに:福音の中心をしっかり捉えよう
 
 
神に対する悔い改め、キリストに対する信仰、これが福音の中心です。改めて、この二点を私たち一人一人の告白として確認し、この信仰に生き続けるものとなりましょう。このスタートがボヤっとしていますと、その後の信仰生活全体がボヤっとしたままになってしまいます。はっきりとした悔い改めと、キリストに対する明確な信仰告白を確認しましょう。

また、私たちが周りの人に宣べ伝えるメッセージも、この点に集約されます。勿論、私たちは日常会話の中で、「あなたは悔い改めなさい、キリストを信じなさい」と強要するようなことはしませんが、私たちの心の願いは、私たちの接触を通してどなたかが悔い改めと信仰に導かれることです。そのことを祈りつつ、この一週間色々なお友達とのお付き合いをさせて頂きましょう。
 
お祈りを致します。