礼拝メッセージ
(インマヌエル中目黒キリスト教会)

 
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。
 
2015年8月30日
 
「心暖まる出会いの旅」
使徒の働き連講(61)
 
竿代 照夫 牧師
 
使徒の働き 21章1-16節
 
 
[中心聖句]
 
  5   滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。
(使徒の働き 21章5節)


 
聖書テキスト
 
 
1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。
7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。
15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。16 カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。
 
前回のおさらい:ミレトでのサヨナラ説教(使徒20章)(地図@参照)
 
 
三年間(53〜56年)のエペソを中心とした第三回伝道旅行を終えて、パウロは、エルサレムに戻る旅を始めます。その最初が、エペソ近くのミレトでのサヨナラ説教です。ここでパウロは三年間の奉仕をまとめ、残していく教会の長老たちへの、心をこめたお別れの言葉を述べます。そして、皆さんと涙の別れをしてエルサレムへの旅に出発します(地図@参照)。

 
A.ミレトからツロへ(1〜6節)
 
 
「1 私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。2 そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。3 やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。4 私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。5 しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。6 それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。」
 
1.コス:(地図@再度参照)
 
 
1節の「私たちは彼らと別れて」という言葉は、「彼らから自分自身を引き裂いて」という強い言葉です。別れがたい絆を断ち切る強い思いが表われています。さて、ミレトからパタラまでは、沿岸各地を寄港しながら進む小さな帆船を使って船旅を進めます。最初の寄港地は、コスという港です。医学の父ヒポクラテスが創立した医学校があったところとして知られていた場所です。
 
2.ロドス
 
 
次は、ロドス。そこで有名なのは、古代世界の七不思議の一つであるアポロ神殿ですが、勿論パウロは関心が無かったことでしょう。
 
3.パタラ
 
 
次の寄港地はパタラです。パタラは、ルキヤ州の州都です。一行は、それまで沿岸を少しずつ東へ進んできた小型船からフェニキヤ(地中海東岸)に直行する大きな商業船に乗り換えました。
 
4.ツロ(地図A参照)
 
 
・ツロ:
パタラからフェニキ最大の港であるツロまでは約550km5日間の旅です。ツロに着いた船は1週間停泊します。船荷を下す仕事があったからです。パウロたちはその時間を無駄にしませんでした。

・クリスチャンとの交わり:
パウロは、そこにクリスチャンがいるかどうかを捜しました。実は、ツロには、主イエスが説教と癒しを行っておられた時代にも、この地方から出掛けて行って主イエスを見た人が多く居ました(ルカ6:17「イエスは、・・・平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海ベから来た大ぜいの民衆がそこにいた。」)更に、この時(56年)から20年余り前、サウロ(今のパウロ)の迫害で散らされたエルサレムの信徒たちがフェニキヤにやって来て、教会の基礎となりました(使徒11:19)。何という巡り会わせでしょうか。かつてクリスチャンたちを苛め抜いた迫害の総大将が、今やキリスト教宣教の指導者としてやってきたのです。ツロの信徒たちは心からパウロ一行を歓迎しました。

・彼らの勧告:
その交わりの中で、信徒たちは、パウロたちを待ち受けているエルサレムでの迫害と危険を察知しました。それは、「御霊に示されて」の勧告でした。しかし、パウロは危険を承知の上で、エルサレムに上京する決意を表しました。それは、彼が危険をわざわざ選んだからではなく、また、神の御心に背いて行こうとしたのでもなく、行くことに使命意識を持っていたからなのです。勿論、パウロは、上京を止めることが神の御心に反するとも考えませんでした。パウロには、どちらも選ぶ自由をもっていました。そしてその自由を用いて、困難な道を選んだのです。

・別れ:
僅か1週間の交わりでしたが、パウロ一行が出発する時、信徒のみなさんは奥さん、子どもたちを皆引き連れて海岸まで見送り、ひざまずいて一緒に祈りました。暖かい人々ですね。
 
B.ツロからカイザリヤへ(7〜14節
 
 
「7 私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。8 翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。9 この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。10 幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。11 彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。12 私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。13 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。14 彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。」
 
1.トレマイでの滞在と交わり
 
 
ツロからトレマイは約30kmです(地図A再度参照)。パウロたちは、ここでも信徒の群れを発見し、一日滞在して良き交わりを得ました。何処に行ってもキリスト者の交わりを経験したとは驚くべきことです。キリストの十字架と復活から25、6年しか経っていないのに、行く所行く所にキリスト者たちがいたということはとても素晴らしいことです。
 
2.カイザリヤでの滞在と交わり
 
 
・カイザリヤ:
トレマイからカイザリヤは65km。カイザリヤという町は、BC10年に、ヘロデ大王によって建てられた超近代的な、そしてギリシャ・ローマ的な雰囲気の満ち満ちていた美しい町でした。ヘロデ大王が、ローマの初代皇帝カイザル・アウグストに因んで(いわばゴマを擦って)命名したものです。そこには、ヘロデ大王も、また、ローマ総督も宮殿を構え、さらに、商業の中心地としても栄えていました。住民のほとんどが外国人という国際的な町でもありました(イラスト参照)。

・ピリポ家族との交わり:
ここでの出会いは、伝道者ピリポとのものでした。ピリポは、エルサレム教会の七人の執事の一人で、ステパノの友人でした。どんな会話がなされたことでしょうか。こんな内容ではなかったかと私は想像します。「パウロ先生、良くお出で下さいました。あなたが異邦人の間で伝道しておられること、そして世界中で教会を建てたことは私の耳にも入ってきています。素晴らしいことですね。」「ピリポさん、あなたが20年ほど前、サマリヤで伝道してリバイバルを起こしたこと、その伝道の最中にガザに使わされてエチオピアの財務大臣に個人伝道をしたことも伺っています。主を賛美します。」「パウロ先生、私がエルサレム教会で七人の執事の一人だったことも、ご存知ですよね。」「はい、知っていますよ。私がイエス様を知らない時に石打ちにしてしまったステパノさんとはとても仲が良かったそうですね。」「そうです。あの石打ちは、とても辛かった。そして、その責任者だったパウロ先生を赦せない気持ちでした。そう、あの時はサウロさんと呼ばれていましたね。」「本当に私は申し訳ないことをしました。どんなに悔い改めても、赦していただけない気持ちです。でもイエス様は赦して下さいました。」「そんなパウロ先生を我が家にお客さんとしてお迎えできるなんて、神様のみ業は不思議ですね。」「ところで、先ほどお見かけしたのはあなたのお嬢さんたちですか?」「はい、そうです。私は、ガザからここに来た後で結婚して、四人の娘に恵まれました。」「とても、素敵なお嬢さんたちですね。何をしておられますか?」「それなんですが、娘たちは、結婚には興味が無くてね。皆、預言者、つまり、教会で説教を担当しています。」「へーえ、女性牧師なんですか。それはまた素晴らしい。」「はい、主の恵みのお陰です。」こんな具合に神様を賛美したと思われます。暫く後の記録では、ピリポ家族はアジヤのヒエラポリスに移転し、ヒエラポリス教会確立のために貢献したと言われています。

・アガボの預言とパウロの応答:
カイザリヤでのもう一つの出会いは、アガボという預言者でした。彼は、以前エルサレムの飢饉の到来について予言し、その予言が実現しました(11:28)。そのアガボがユダヤ(エルサレム)からカイザリヤにやってきて、予言をしました。彼は、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って言いました。「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」アガボは確かな預言者でしたから、カイザリヤの信徒たち、さらに、パウロの仲間たちもそれに賛成しました。「アガボさんのおっしゃる通りです。パウロ先生、どうかエルサレムに行く計画をやめてください。」と、涙を流してお願いしたのです。しかし、その真剣さもパウロの決意を動かすものではありませんでした。パウロは言います。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」パウロがみんなの忠告を聞き入れようとしないので、周りの人々は、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまいました。パウロは、イエス様のために苦しむことを、自分の使命の大切な部分として受け入れていました。ですから、アガボの預言も、それによってなされた信徒たちの愛の勧告も、感謝しながらではありますが、断ったのです。信徒たちも最後には「主の御心のままに」とパウロの志をとめませんでした。どうにでもなれという諦めではありません。頑固だなあと、呆れたのでもありません。主のみ旨のなることを祈ったのです。「みこころのままに」という言葉は、主イエス様のゲッセマネの祈りを思い出させます。パウロは、ツロでも、トレマイでも、そしてここカイザリヤでも、危険が待っているエルサレムに行かないようにと親切な忠告を受けます。旅を共にしている一行からも、切なる勧告を受けます。皆それは親切から出たことですし、聖霊の示しによるものでした。パウロは、その親切を感謝し、聖霊の示しも否定はしませんでしたが、より強い促しを頂いてエルサレム行きを貫くのです。それが、「御心のままに」という人々の納得を得るのです。私たちも、この様な出来事にぶつかることが多いと思います。ある会社に就職が決まりそうになった、それは御心かどうか、クリスチャンの先輩に相談しても、Aさんは、「いいじゃない」といい、Bさんは「やめた方がいいと思う」と意見が違うことがあります。どうしたらいいのでしょうか。AさんもBさんも霊的な人です。しかし、決定するのは、あなたです。それが正しい心をもって行われれば、周りの人々は「御心のままに」と頷けるのです。それ以上でも以下でもありません。
 
C.エルサレムへの旅と滞在(15〜16節)
 
 
「15 こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。16 カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。」
 
・エルサレムへの旅:
カイザリヤの信徒たちの何人かは、エルサレムまで道案内をしてくれます。これも心暖まる記事です。彼らは宿まで心配してくれて、キプロス人マナソンの家に案内してくれました。パウロの一行には、異邦人クリスチャンが何人か含まれていました。ですから、彼らを家で泊めるのは、よほど心の広い人でなければならなかったのです。

・エルサレムでの滞在:
マナソンの家に滞在したパウロ一行は、これからエルサレムでの大きな課題に向かっていきます。そのお話は次週にいたします。

 
終わりに:心暖まる出会いの恵み
 
 
・クリスチャンは、どこでも素晴らしい出会いがある:
パウロが、危険の待ち受けているエルサレムへの道々、心暖まる出会いを同信の友から各地で頂いたように、私たちの人生の旅路においても、心暖まる出会いの数々を経験します。これは、信仰者としての大きな恵みであり特権です。私も、多くの聖会にお招きいただく機会がありますが、何よりも嬉しいことは、何十年か前に共に戦い、共に祈った方々がしっかり信仰を保っており、私の奉仕を喜び、励ましてくださることです。

・私たちは、真のおもてなしを実行しよう:
翻って、恵みを頂く受け身の立場でなく、恵みを与える立場として考えましょう。私の存在と、誰かへの親切が計りがたいほどの励ましとなりうる可能性に目を留めましょう。この面でも「与えることは、受けることよりも幸い」という主のみ言葉を実践したいものです。
 
お祈りを致します。